127.グッデ・シュパウン

文字数 1,741文字

 魔法は駄目で、悪魔魔術は効くのか? 魔法は誰でも覚えられるが、悪魔魔術は違うのか? だとして、どうすればいい。悪魔魔術は使ったことがない。しばらく素手で戦うしかないのか。


 獣のようなジークの目が笑みで歪む。あの目に見据えられると胸が絞めつけられる。自分の爪が頼りなく見える。


 でも、おかしな勇気が湧いてきた。レイドの言葉が頭をよぎった。


 『一対一で勝負ができる』と。今、二人きりなのだ。こんなチャンスはない。


 「爪は効くのか?」

 もう不意討ちを食らわないよう、ふらつく足を持ち上げる。


 「やってみてもいい。そんな体でどうするか知らないけどな」


 苛立たせる余裕の笑みが踊る。爪で追えば追うほど、リズミカルに。軽快なステップで、ジークは後退していく。自分がバカを見ている気がする。


 「いい太刀筋だ。楽しいだろ? オレも夢が叶って嬉しいぜ。どれだけお前が苦痛の叫びを上げて、どれだけ体が悶えるのか、試させてもらう」



 ほころんだ唇が、視界から消える。ジークがいない! 

 「どこだ」

 見回す前に、背筋から体温が下がった。初めて気配がする。後ろに誰かが立っている。

 「気づくのが遅い」


 甘い声が耳をくすぐる。もう何度も触られた肩に、氷の吐息がかかる。傷口にジークの指が、針のような傷みが――。

 「やめろ!」

 爪を後ろ手に回すと、またジークが姿を消した。飛んだようにも、消えたようにも見えた。

 「ちゃんと狙え。面白くないだろ。ちょっとは抵抗してくれないと」


 真横に現われた顔に、飛びのく間もない。肋骨(ろっこつ)が横殴りにされ転がった。高い天井と目が合って、荒い息をし、倒れていることに気づいた。ジークの顔が天井を隠す。


 何て素早い動きだ。手がブラウスのボタンに伸びてきて、わしづかみにされる。引っ張り上げられ、足がもつれて立てないでいると、効きのいい拳が入った。次いで、うめく前に押さえつけられ膝蹴りが腹を捕らえる。


 「どうだ? 痛むか?」

 息も絶え絶えにあえぐ。殴られたところが激しく脈打っている。ジークを喜ばせるには十分だったのだろう。慰めの欠片もないくせに、同情の言葉を投げかけられた。




 「殺すのはかわいそうだな。せっかく人間界から来たんだし、いいものを見せてやろうか」




 何を企んでいるのか? ジークが鳴らした指の音で、白いコウモリのディグズリーが駆けつける。天井にずっと隠れていたのだ。長い耳と尾をはためかせて飛び回る。その飛び回る円の中央に、闇が現われた。



 そこに人影が見える。ジークの仲間か? だとしたらまずいことになる。これでも苦戦を強いられているのだ。ディグズリーが早く来いとばかりに金切り声を出す。しかし、人影は歩みを速めない。



 それが余計に不安をあおる。数秒が一分にも感じられた。近くに来ても黒いベールが人影を隠す。数秒後、青いロウソクに照らし出されて、ようやく少年のシルエットが浮き彫りになる。






 息をするのも忘れた。世界中の時計が壊れて、時が止まった。


 金髪の髪が戻って来た。記憶の断片になりかけていた薄くて青い瞳が、僕を見つめる。






 「バレ」

 静まった胸がドクンと高鳴る。この声を覚えている。






 一時も離れなかった、この懐かしい声。駆けめぐるのは喜びともつかない、悲しみでもない。


 ただただ泣きたかった。夢じゃない。本物のグッデだ。グッデ・シュパウンだ!




 祈っても、願っても、もう叶わないと思っていた願い、希望、光が、太陽が、姿を見せてくれた。


 もう永遠に会えない。もう太陽は消えて、世界は崩れ去り、何も残らないと思っていた。


 大げさかもしれないが、僕の世界は、そう、儚く、もろいものだった。



 グッデがいなければ、世界の終わりと同じ。グッデがいなければ、太陽は昇って来ない。それほどの感覚で過ごしてきた。


 それが今、再び僕達は出会えた。いいや信じられない。グッデは死んだ。僕の胸の内でしか出会うことができない光だ。夢の中でしか会うことのできない幻だ。


 「よく見ろ、バレ。誰だか分かるよな?」


 首をひねって顔をグッデに向けられて、隣の敵のことを思い出した。

 「この手を離せ!」

 蹴りを入れると、ジークはふわりとグッデの方に飛ぶ。まずい、ジークがグッデの首に腕を回す。


 「おっと、動くな」
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