プロローグ   01.名付け

文字数 3,020文字

 僕の赤毛と同じように燃え上がる真っ赤に焼けた美しい夕日が、空を黄色から茜色に変えて沈んでいく。


 丘の温かい風が涼しくなっている。友達のグッデ・シュパウンに誘われなければ、祝日の今日は自宅で演奏会をしていたところだ。父のフランツは僕を音楽家にするつもりらしい。


 「たまには外で遊ぶのも悪くないだろバレ・シューベルト君」

 妙にかしこまった口調で、金髪の尖った頭を向けるのは友達のグッデ。驚いた。父さんかと思った。

 薄く青い目がにやけている。おおよそ、何が言いたいのか見当がつく。


 「またかわいい女の子でも見つけたの?」

 ああ、と呻くようにつぶやくグッデは、とても年上とは思えない。はっきり言って僕はまだ、恋がどういうものか分からない。


 「それで、僕にどうして欲しいわけ?」

 面倒なことに巻き込まないでくれと、願いながら表情をうかがう。赤面するところを見る限り、また彼女を呼んで来て欲しいと言い出す気だ!


 辺りに誰もいないのを確認し、耳元で何かささやいてくる。なるほど、僕の近所に住んでいる子だ。だから今から走って呼んで来ないといけないわけだ。僕はグッデの頼みごとは何でも快く受け入れてしまう。


 町はどこも賑わっていた。音楽祭があるからなおさらだ。何もこんなときに告白しなくてもいいような気もする。だってこの町の人はみんな音楽が好きだからチケットが取れなくても、他にも遊ぶところはあるのだ。


 レストランでさえ自動演奏のピアノがあったし、道端ではいつも誰かがギターやバイオリンを弾いている。バーでは歌と踊りは毎晩行われているというのに、ましてや今日は町の人はみな演奏の腕を見せびらかしたいに決まっている。


 彼女だってピアノの心得があるはずだから、演奏の発表に忙しいかもしれない。グッデは彼女の今日の予定をちゃんと確かめたのだろうか? 人をかき分けていると、自分が聖地を荒らす邪魔者のように思える。


 のどかなレストラン街で、音楽とは別の騒がしい群れに出くわした。危うく突き飛ばされそうになる。バイオリンの音色が黄色い悲鳴に、コントラバスの低音が罵声に変わる。


 道を逆走する人々。夕焼けの向こうを指差し、見開かれた目は、恐怖で彩られている。号外を作る暇もなかったのか、新聞配達屋の子供が慌てて走っていく。顔見知りなのでその少年を引きとめた。


 「何があったの?」

 「あっちの家がみんな燃えてる」


 少年の指差す先は、今向かおうとしていた方角だ。グッデの彼女の家も、僕の家もある。人混みをかいくぐって急な坂を上ると、急に視界が開けた。黒ずんだ石畳の道。空から朱色の火の粉が降ってくる。焦げ臭い臭いが鼻をつく。


 街路樹は黒い墨になり、だらしなく傾いて西日を受けている。もう、音楽は聞こえない。家が焼け落ちる音と、木々が燃えて弾ける音がするばかりだ。


 前方から黒い人影が歩いてくる。背中に炎が見える。だらんと垂れた腕から、血か、わけのわからない黄色く濁った体液が流れ落ちている。

 「助けて」


 その人の髪は焼け焦げてほとんど残っていないので、それが少女であると声を聞くまで分からなかった。グッデの片思いの相手だ。少女はそこで倒れた。その拍子に足元にかかった血は、人間の血とは思えないほど熱かった。


 大変なことになった。少女を揺り起こそうとしたが肺が上下していない。息が止まっている。


 彼女はもう息をしていない。僕一人では助けられないと思って近くの人がいないか見まわしたが、ほかに逃げてくる人はいない。大人に助けてもらうしかない。家に残された父と母が脳裏に浮かぶ。


 走った。これまで以上に。黒い煙で喉と目が痛むが、気にしていたら恐怖で足がすくみそうになる。


 何が何でも走らなければならない。息切れをすると、激しい煙にむせる。ここはたった今、音楽の町から死の町へと変わってしまった。どこを向いても炎だ。僕は声を大にして、父さんと母さんの名前を叫んだ。遅かった。


 僕の家からは黒い煙が竜のように昇っている。この中に二人がいると思うと、踏み入れようとした足が浮いたまま彷徨う。


 「怖いならやめとけばいい」

 後ろに人の気配がした。白い長髪の少年。異様な服装だ。黒の皮の上着は、炎の照り返しで輝き、首から提げたドクロのネックレスやチョーカー、腕の銀のブレスレットがどれも怪しく光っている。少年の浮かべる笑みは嘲りを含んでいた。


 「おまえがやったのか」

 恐ろしいほど直感的に感じるものがあったのは、炎上する家を冷静に微笑んで眺めていたからだ。僕より少し身長が高いだけで、年齢も十七、八歳に見えるが、僕とは明らかに性質が違う。


 人を食ったような目つきや僕のことを見下す態度。この村の大人が喧嘩するときだって人を見下すような目はしないものだ。正々堂々と相手の不満をぶちまけて喧嘩する。僕に何か気に入らない何かがあるとでもいうのか。


 火の手が隣家にも回り始めた。少年は至って落ち着いている。

 「だったら、どうする?」


 炎がちらついて視界は赤々としていた。なのに、空は暗い闇に包まれたようだ。少年の白い髪は不愉快極まりなく、あってはならないもののように見える。


 周囲の熱に後押しされるように、体が熱くなって、少年から目が離せない。これほど誰かに嫌悪感を抱いたことはない。他人行儀でいるこの少年が憎い。


 「返せ! 父さんと母さんを! 返せ! 今すぐ返せ!」

 少年は何も感じないのか、何の悪びれた様子もない。それどころか、娯楽でも楽しんでいるかのような笑い声を立てた。


 「いい反応だ。こいつに決めてもいいな」

 猛っている。血が、体が。怒りで周囲の炎さえも見えなくなる。見ず知らずと言えど、白い髪の少年を殴らずにはいられなかった。


 少年は嘲笑った。それがただの一秒にしても、長く静止して見えた。少年の懐に入ったとき、気づくと血を吐いて転がる自分がいた。


 何が起きたのか分からないまま、腹の痛みを訴えていると、後ろ手に別の男に捕まった。シルクハットを深くかぶった男。顔は見えない。仲間がいたのか。少年はどこから取り出したのか、白く輝く球体を手に持っている。光を持っていると言った方が正しい。


 「これは何だと思う? お前の全てを変えるものだ。受け入れれば、全てが新しくなるぜ」


 何か恐ろしいことが始まるのを暗示するかのように、歩み寄ってきた少年は甘い声を出した。

 「受け入れなかったら、どんな苦悩の日々が待ってるんだろうな」


 少年の手から光が送られて、目が眩む。体中に激痛が走った。胸に押しつけられた光が、体内に入ってくる。溶ける感覚がありながら、圧迫感で胸がつぶれそうだ。四肢が、理性を越えて暴れ出す。後ろのシルクハットの男を振り解くことができず、身がよじれる思いがする。


 そうこうしていると、光が全て僕の体に入っってしまった。痛みで立つことも、話すこともできない。どこも血は出ていないというのに、一体何をされたんだ?


 「お前に名前をやろう」

 茫然と少年を見上げると、耳元で聞きなれない名前がささやかれた。

 「その名を口にするな。誰かに殺されたくなかったらな」


 高らかに笑う少年は、きびすを返して去って行った。後ろにいた男も、腕を放し、後についていく。おかげで前に倒れた。視界の端で、少年は突如現れた闇に消えていく。少年は振り返った。黒い服が闇と同化している。白い髪だけが異質のように見えた。
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