89.殺意
文字数 2,801文字
ひたすら続くまっすぐな路上。自分は夜道を徘徊する亡霊のごとくうろついてる。そこに人影が通らなければ僕は足を止めなかっただろう。
霧にまぎれて現われた少年。金髪のグッデが遠ざかって行く。
この恐怖は何だろう。
ほうっておくと、二度と手の届かないところへ行ってしまう。そんな気がした。追いかけないと。追いかけないと!
足がまるで進んでいない。どんなに必死で走っても距離は広まるばかりだ。追いかけないといけないのに。必ず伝えないといけないのに! でも何かが絡まって前に進めない。
グッデは遥か彼方にいる。行かないで。置いていかないで!
赤い光が眩しくて、目を覚ました。夢を見ていたようだ。グッデと会ったのは、やはり夢の中。だとしたら、どっと疲れる。少し身体がだるく、ほぐそうと動かしたら、指先に激痛が走った。指が引きちぎられそうだ。恐る恐る手を運ぼうとすると、腕が動かない。足もだ!
黒々とした錠がかけられている。その先は鎖で背後の十字架に繋がれている。それだけじゃない。十本の指の爪全部に釘を打たれ、出血している。窓の鉄格子から赤い月が嘲笑っている。もう夜なのか? 一体ここはどこだ?
「お目覚めのようね。いい夢は見られた?」
部屋とは言えない洞窟の天井から声が降ってきた。天井に足をつけて、逆さまに立っているのは広場でジークの隣にいた女、ベザンだ。最悪の事態だ。あろうことかジークの仲間に捕まったのか? まさかそんなはずは!
ベザンは遠巻きに眺めている。今更ながら必死に錠を外そうと、蹴ったり、爪でひっかこうとしたりしたが指がずきずきと痛む。爪を伸ばそうとすると、釘に阻まれる。
釘は悪魔の爪を封じるために打ったのか。骨まで貫通している。
「その錠は魔力 を持ってるわ。あんたの魔力も制限される。逃げられないわよ」
冷ややかに言われたので言い返した。逃げたいわけじゃない。僕はもう自分の手を汚してでもジークを殺したい。
「逃げたりなんかしない。ジークを殺したいだけだ!」
顔を背けたベザンは、逆さまの状態で器用にタバコを一本吸い始めた。一服してから上の空でしゃべる。
「ご立派ね。でもあんたにジークは殺せない」
気に障ったが、嫌味で言われたようには聞こえなかった。何を思って言ったのだろう。どこか悲しげに見えるのは気のせいか。
「ジークが来たわよ。あんたも終わりね」
傍らに赤い髪のゲリーを、肩には白いコウモリのディグズリーを率いて、黒のジャケットをはためかせながらジークが歩いてくる。微笑みで歪んだ口元が、優越感を表している。
前にも増して一気に憎しみ、怒りが沸き立ってくる。やっと対等な距離に近づけたというのに、何て様だ。
「オレのゲームは楽しんでくれたか?」
「お前が楽しんでたんだろ」
低い声で、あらん限りの憎しみを込めた。ジークは微笑ましく笑って見せた。
「よく理解できてるぜ。オレの思考が。お前も楽しめただろ?」
この男と話すと頭に血が上る。あえて無視すると、ゲリーに頬を殴られた。
「ぐっ」
思った以上に馬鹿力だ。顔の骨が折れたかと思った。頬がじんじん痛む。
「黙り込むのは禁止だ。俺達は悲鳴を求めてんだよ」
ジーク以外にも厄介な敵がいる。まず、この状況から抜け出さないと。でも、どうすればいいのか。十字架にぶら下がっているのだ。これでは磔と同じだ。
痛みを堪えて苦心していると、ジークの瞳孔が縦に割れて見開かれる。獣が獲物を一点に見据えるように、殺気がありありとうかがえるがその殺意は、浮かれたゲリーに向いていて本人は気づいていない。
ゲリーのうめき声が聞こえたときには、何が起きたのか分からない。ゲリーの喉に食い込む爪が視野に入った。さっきまでの笑みは消えうせ、ゲリーの顔は汗でぐっしょり濡れている。
「オレの大事な大事な悪魔の子だ。先に手を出すな」
もはや頷くだけのゲリー。あの気迫はどこに行ったのか。ジークの手が離されたときには、情けないほどの慌て様でゲリーは後ろに控えた。
「まあいい。それより楽しまないとな」
圧倒するジークの威圧に見とれているどころではない。この中で、一番不利な状況にいるのは変わらない。
「お前はどうだ? こうして繋ぎ止められる気分は」
否応なしに、ジークの手が頬を撫でる。氷に触られたように冷たく、死というものに直に、触れられている感じがする。
その手が優しく、首筋を通って、喉に滑り降りて来た。また上に戻って、うなじの血管をなぞっていく。
あれだけ強く握っていたはずの怒りと、憎しみがどこかへ逃げていってしまい、「やめろ」と弱弱しい声しか出ない。それでも精一杯の憎しみを込めて告げたはずだ。
「オレはこうして、お前に触れられるのに。お前は何もできない赤子だ」
さっきゲリーが流していたのと同じ嫌な汗が、背中に滲み出る。やっとのことでたどり着いたのに、睨みつけることしかできない。
「悔しいか?」
図星を突いてくるところがまた、憎らしい。
「答えたくなさそうだな。そうやって意地を張っていられるのも今の内だ。お前には今日のライブに協力してもらう」
想像だにしていなかった。ジークが怪しく笑っている。
「協力なんかしない」
(死んでもしてやるか!)
「ゲリーこういうときだ。殴るのは」
サングラスをかけて、ゲリーの口元の笑みが輝く。ジークの背後からずかずかと前に出て、上腕が弧を描く。
成すすべがない。腹にずしりと鈍い痛みに続き、吐き気でむせる。
「いいぞ。誰が憎い?」
腕組みしているジークに腹が立つ。この男だけは許せない! 罵声を吼えようとしたら、ゲリーの拳が振り下ろされて、歯を食いしばった。
「それくらいにしたら?」
黙って見ていたベザンが口を挟んだ。恐る恐る半目を開けると、頭蓋骨がやられる寸前のところで拳は止まっていた。
「文句あるのか」
二度も妨害されたゲリーは不機嫌だ。でも、ありがたいことに助かった。
「ライブの時間よ」
怒り肩でゲリーは僕から離れて行き、捨て台詞を吐いた。
「後で思い知るぜコステット」
洞窟の奥へゲリーが去って行った後に、天井から飛び降りたベザンも黙ってついていく。
「そうだな。バレには後で働いてもらわないといけないしな」
意味ありげな笑みを投げかけて、ジークも立ち去る。くそ、こいつにどうしても聞いておきたいことがある。このままほ行かせておけばいいのに、わざわざ呼び止めた。
「まだ答えを聞いてない。どうして僕を悪魔にした?」
振り向いたジークはさも驚いたという顔をする。
「聞く勇気があるのか? ほめてやるよ」
ふつふつと煮えたぎる怒りを噛み締めた。
「今はまだ言えないな。お前が死ぬときにでも教えてやるよ」
ジークの高笑いがこだまする。このとき誓った。こいつは生かしておけない。どんな手段を使ってでも、殺す!
霧にまぎれて現われた少年。金髪のグッデが遠ざかって行く。
この恐怖は何だろう。
ほうっておくと、二度と手の届かないところへ行ってしまう。そんな気がした。追いかけないと。追いかけないと!
足がまるで進んでいない。どんなに必死で走っても距離は広まるばかりだ。追いかけないといけないのに。必ず伝えないといけないのに! でも何かが絡まって前に進めない。
グッデは遥か彼方にいる。行かないで。置いていかないで!
赤い光が眩しくて、目を覚ました。夢を見ていたようだ。グッデと会ったのは、やはり夢の中。だとしたら、どっと疲れる。少し身体がだるく、ほぐそうと動かしたら、指先に激痛が走った。指が引きちぎられそうだ。恐る恐る手を運ぼうとすると、腕が動かない。足もだ!
黒々とした錠がかけられている。その先は鎖で背後の十字架に繋がれている。それだけじゃない。十本の指の爪全部に釘を打たれ、出血している。窓の鉄格子から赤い月が嘲笑っている。もう夜なのか? 一体ここはどこだ?
「お目覚めのようね。いい夢は見られた?」
部屋とは言えない洞窟の天井から声が降ってきた。天井に足をつけて、逆さまに立っているのは広場でジークの隣にいた女、ベザンだ。最悪の事態だ。あろうことかジークの仲間に捕まったのか? まさかそんなはずは!
ベザンは遠巻きに眺めている。今更ながら必死に錠を外そうと、蹴ったり、爪でひっかこうとしたりしたが指がずきずきと痛む。爪を伸ばそうとすると、釘に阻まれる。
釘は悪魔の爪を封じるために打ったのか。骨まで貫通している。
「その錠は
冷ややかに言われたので言い返した。逃げたいわけじゃない。僕はもう自分の手を汚してでもジークを殺したい。
「逃げたりなんかしない。ジークを殺したいだけだ!」
顔を背けたベザンは、逆さまの状態で器用にタバコを一本吸い始めた。一服してから上の空でしゃべる。
「ご立派ね。でもあんたにジークは殺せない」
気に障ったが、嫌味で言われたようには聞こえなかった。何を思って言ったのだろう。どこか悲しげに見えるのは気のせいか。
「ジークが来たわよ。あんたも終わりね」
傍らに赤い髪のゲリーを、肩には白いコウモリのディグズリーを率いて、黒のジャケットをはためかせながらジークが歩いてくる。微笑みで歪んだ口元が、優越感を表している。
前にも増して一気に憎しみ、怒りが沸き立ってくる。やっと対等な距離に近づけたというのに、何て様だ。
「オレのゲームは楽しんでくれたか?」
「お前が楽しんでたんだろ」
低い声で、あらん限りの憎しみを込めた。ジークは微笑ましく笑って見せた。
「よく理解できてるぜ。オレの思考が。お前も楽しめただろ?」
この男と話すと頭に血が上る。あえて無視すると、ゲリーに頬を殴られた。
「ぐっ」
思った以上に馬鹿力だ。顔の骨が折れたかと思った。頬がじんじん痛む。
「黙り込むのは禁止だ。俺達は悲鳴を求めてんだよ」
ジーク以外にも厄介な敵がいる。まず、この状況から抜け出さないと。でも、どうすればいいのか。十字架にぶら下がっているのだ。これでは磔と同じだ。
痛みを堪えて苦心していると、ジークの瞳孔が縦に割れて見開かれる。獣が獲物を一点に見据えるように、殺気がありありとうかがえるがその殺意は、浮かれたゲリーに向いていて本人は気づいていない。
ゲリーのうめき声が聞こえたときには、何が起きたのか分からない。ゲリーの喉に食い込む爪が視野に入った。さっきまでの笑みは消えうせ、ゲリーの顔は汗でぐっしょり濡れている。
「オレの大事な大事な悪魔の子だ。先に手を出すな」
もはや頷くだけのゲリー。あの気迫はどこに行ったのか。ジークの手が離されたときには、情けないほどの慌て様でゲリーは後ろに控えた。
「まあいい。それより楽しまないとな」
圧倒するジークの威圧に見とれているどころではない。この中で、一番不利な状況にいるのは変わらない。
「お前はどうだ? こうして繋ぎ止められる気分は」
否応なしに、ジークの手が頬を撫でる。氷に触られたように冷たく、死というものに直に、触れられている感じがする。
その手が優しく、首筋を通って、喉に滑り降りて来た。また上に戻って、うなじの血管をなぞっていく。
あれだけ強く握っていたはずの怒りと、憎しみがどこかへ逃げていってしまい、「やめろ」と弱弱しい声しか出ない。それでも精一杯の憎しみを込めて告げたはずだ。
「オレはこうして、お前に触れられるのに。お前は何もできない赤子だ」
さっきゲリーが流していたのと同じ嫌な汗が、背中に滲み出る。やっとのことでたどり着いたのに、睨みつけることしかできない。
「悔しいか?」
図星を突いてくるところがまた、憎らしい。
「答えたくなさそうだな。そうやって意地を張っていられるのも今の内だ。お前には今日のライブに協力してもらう」
想像だにしていなかった。ジークが怪しく笑っている。
「協力なんかしない」
(死んでもしてやるか!)
「ゲリーこういうときだ。殴るのは」
サングラスをかけて、ゲリーの口元の笑みが輝く。ジークの背後からずかずかと前に出て、上腕が弧を描く。
成すすべがない。腹にずしりと鈍い痛みに続き、吐き気でむせる。
「いいぞ。誰が憎い?」
腕組みしているジークに腹が立つ。この男だけは許せない! 罵声を吼えようとしたら、ゲリーの拳が振り下ろされて、歯を食いしばった。
「それくらいにしたら?」
黙って見ていたベザンが口を挟んだ。恐る恐る半目を開けると、頭蓋骨がやられる寸前のところで拳は止まっていた。
「文句あるのか」
二度も妨害されたゲリーは不機嫌だ。でも、ありがたいことに助かった。
「ライブの時間よ」
怒り肩でゲリーは僕から離れて行き、捨て台詞を吐いた。
「後で思い知るぜコステット」
洞窟の奥へゲリーが去って行った後に、天井から飛び降りたベザンも黙ってついていく。
「そうだな。バレには後で働いてもらわないといけないしな」
意味ありげな笑みを投げかけて、ジークも立ち去る。くそ、こいつにどうしても聞いておきたいことがある。このままほ行かせておけばいいのに、わざわざ呼び止めた。
「まだ答えを聞いてない。どうして僕を悪魔にした?」
振り向いたジークはさも驚いたという顔をする。
「聞く勇気があるのか? ほめてやるよ」
ふつふつと煮えたぎる怒りを噛み締めた。
「今はまだ言えないな。お前が死ぬときにでも教えてやるよ」
ジークの高笑いがこだまする。このとき誓った。こいつは生かしておけない。どんな手段を使ってでも、殺す!