60.魔界を開く

文字数 2,633文字

 チャスの家で過ごして二日が経つ。チャスの細かい指導で、魔法に難しさは感じられないほど上達した。明日には魔界へ行く。やはりそう思うと眠っても目が覚めてしまう。もう三度目だ。


 魔法を使うことで、体が疲れることがあると教わったが、それでもぐっすり眠れない。思い返すと、まともに眠ったのは久しぶりだ。昨日も寝つけなかった。やはり傍にいないグッデを思い出さずにはいられない。


 今だに、くよくよしている何て、情けないけれど。でも最近眠れないのは、他にも理由があるような気がする。


 今赤い物を見たら確実に自分はおかしくなる。多分心も悪魔に近づいているんだ。もう昔には戻れないのだろう。


 そんなことを考えていると三十分も経ってしまった。そろそろ眠気がきてもいいのにと思っていたとき、胸が激しく痛みだした。


 「ぐっ」

 痛みのあまり飛び起きた。これまで感じたことのない痛みだ。針が何本も束になって刺さる感覚。胸を押さえていたが、返って痛くなったので、自分のシャツを握りしめてぐっと堪えるしかなかった。


 原因は胸元を見て一目瞭然だった。バロピエロがつけた呪い。黒い三本の筋が、今は黒い光をうねらせている。気にしないように努めていたが、これほど痛むとは思っていなかった。


 「バレ! どうしたんだ!?

 隣の部屋で寝ていたチャスが、突然のことで目を覚ましたらしい。


 「シャナンス呼んで来る」

 「待って!」


 オルザドークには何故だか知られたくなかった。あの人を信用していない訳じゃない。怖いのだ。誰かにこれ以上よくない告知を受けるのが。


 「いいんだ。治らないって言ってたから」


 自分の発言に首を絞められるような感覚を覚える。チャスは心配そうに眉根を寄せる。

 「大丈夫だから」

 「いいのか?」

 「うん」


 チャスは何度も気にしながら寝室に帰っていく。

 「何かあったら言えよ」

 「分かってる」


 笑顔で伝えるとようやく眠ってくれた。痛みは少し引いてくれたが、自分は遅くまで起きていた。


 三日目の朝を迎えた。魔界に出発できる日であり、自分を取り戻せる薬のできる嬉しい日でもある。


 「完成だ」と、オルザドークは土鍋に入った灰色の粘りけのある薬を注射器に詰めた。

 「ほら。手かせ」


 無理に引っ張られ、ためらってしまう。いかにも怪しい薬だ。てっきり飲み物だと思っていたが、それにしても酷い異臭だ。鼻をつんと突くだけでなく、吐き気を誘う臭いが、いつまでもつきまとってくる。返って体に害が出そうだ。


 「いつも気になってたんですけど、何を入れたらこんな色に?」


 「面倒なことを聞くな。材料は三十種を超える。確かにネズミとか入れたけどな。文句あるのか?」


 思わず顔をしかめた。その瞬間オルザドークがお構いなしに手首に注入する。気持ち悪くなってきた。近くで臭いを嗅いだチャスが地面に突っ伏す。


 「これで、何も怖いものはなくなるんだ。魔界にも行ける」

 特に体に異変はないけれど、不思議な自信が沸いてくる。


 「いや、まだだ最後にテストをさせる」


 オルザドークの意外な発言に目まいがした。一刻を争うのだ。昨日実感したのだ。死が近いということを。


 「待って下さい。僕の命はもう一週間を切ってる。チャスより下手だけど呪文もできる。三日も待った。もう魔界に行ってもいいんじゃないですか?」


 抗議してしまった。いや、構うもんか。この人がどれだけ偉いか知らないが、足止めは食いたくない。


 さすがにチャスが間に入ろうとしたが、オルザドークが歩み出て、そうさせなかった。


 「誰も好き好んでお前の世話をしてるんじゃない。チャスの頼みだからだ」

 「シャナンス! そんなにきっぱり言わなくても」


 「俺に誠意を見せろ。それができなければ、俺は手伝わない」

 誠意? 


 そんなもの、最初からあるじゃないか。ジークを倒すためには、呪文だって死に物狂いで頭に叩き込んだ。これ以上何が必要なのか?


 「心を無にしろ。これができるかどうかで、お前の運命は変わるだろう」


 「無魔(むま)の術か」

 チャスが真剣な顔つきになる。


 「上級者の術か。要するに心の中に、余計なものを入れないようにすること。魔力がなくなったときと同じ状態になる」


 理解し難い。上級者の呪文もある程度覚えたが、出発する前に言い出すなんて。それに魔力がなくては戦えないではないか。


 結局やらされた。目を閉じろと言われた。心に何も描くなと。眠るように瞳を閉じた。案外簡単だった。しかし、いつまでたってもオルザドークの判定が出ない。もどかしくなってきた。

 「乱れてるぞ」


 頭に来るような物言いだ。そういえば一度もオルザドークが魔法をやってのけたところを見たことがない。自分でも嫌な不信感が募る。


 オルザドークがこちらを見ていた。そのときはっとする。目が合ったということは、自分は目を開けていたのだ。気まずい。テストは不合格に違いない。


 「コツを教える。出発は夕方になるが、この術を覚えて損はない」


 意外だった。いつもならすぐに否定されそうなところだ。それにオルザドーク直々に教えてもらえるとは、正直思っていなかった。


 結局最後まで無魔の術は成功とは認めてもらえなかったが、他にも実戦も行った。オルザドークはだらしなく見えても、厳しい人だ。最後の最後まで手を抜かなかった。今度こそ魔界へ行く。


 「さてお前のお待ちかねの時間だな」と、オルザドークは皮肉っぽく言って、さっきから手でぶらぶらさげている細長い袋から、中身を出した。


 袋から現われたのは、先がぐねぐねと二股に分かれた銀色の杖だ。二股に分かれている間には器用にも丸い鏡が挟み込まれている。柄の部分には銀の蛇が巻きついている。


 「魔界を開く」


 これまで、魔界と簡単に言っていたが、行き方を考えていなかった。扉でもあるのだろうか。オルザドークの杖は地面に円を描きはじめた。すると、線となって、黒く、紫にも見える光が足元にぼうっと浮かび上がる。同時に複雑な模様が光となって地を走る。


 「天と地の神よ。我は強引に魔の世界に降り立つ者なり。今、神の許しを請う。我の血と引き換えに魔の空間を開きたまえ」


 オルザドークは手の甲を指でなぞりはじめた。すると、ナイフで切られたように血が流れ、握っていた杖を伝って、描かれた地面の円に染み込んだ。

 「これは」


 地面に穴が開いた。いや、地面が消えたと言った方が正しい。風が吹き荒れ、自分達が落ちて、叫んでいる声もかき消した。
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