第9話 笑顔が消えた日曜日
文字数 1,904文字
灰色の空から世界規模で大雨が降り出したようだ。
河川。道路。車も野鳥や灰色の空すらもその降水量で水没してしまったかのようだった。そのため午前10時に日本全土に避難勧告が発令した。
人々の笑顔が完全に消えた日。
日曜日。
だが、ここ土浦だけは未だに小振りの雨が振り続けているようだ。
「武。もっと走って!」
「婆さん! 急ぐぞ!」
武は商店街から通学路へとトンネル内へ麻生たちと走っていた。空からの無数の水滴は今や脅威となり、カラオケ店や電気屋はシャッターがいつの間にか閉まっていた。
ずぶ濡れの麻生は、泥にまみれた少し前の武の姿を見失わないようにと必死に両目に意識を集中していた。
轟々と音のするかなり暗いトンネルの中へと入った。鳳翼学園への近道である。道路は完全に濁流の川となっていた。
入り口から出口から次から次へと水が流れ込み。
泥と木の枝が絶えず。滑るような勢いで通り過ぎていく。
武はお婆さんを軽々と背負いながら、小さい子供たちと出口へと腰の辺りまでの水の中を走っていた。子供たちは走るというよりも、泳ぐような恰好でもがきながら前に進んでいる。その後ろを麻生が水圧に負けじとゆっくりと走っていた。
もうすぐ、トンネルは水没するのであろう。
生き死にを賭けた人助けとなっていた。
武の今日は買い物へ行こうと、麻生に誘われたので渋々とついていった。それが午前の8時半頃。
多分、武はいつも麻生が長時間も観て回る場所に辟易していたのだろう。私の知る限り女物の洋服店のパトロール的な逸品探しだ。いつも笑顔を絶やさない麻生に連れ回されていた武は、やはり終始疲れ顔だった。その後に長時間のカラオケが待っている。麻生は大のカラオケ好きだった。
途中、避難勧告がけたたましく鳴り響き。
やむなく学校へと避難しようと考えると同時に、周囲から水の脅威が膨らみ始めた。
いつの間にか二人の腰の辺りまで、水位が溢れかえり。命の危険が迫っていたのだ。
片側二車線のトンネル内では、走行中の車は全て水飛沫ではなく。水を掻き分けながらの走行で水没寸前であった。どうしても、武たちを助けられそうもなかった。
だが、武は水の抵抗の少ない走り方をした。武道を学んでいる武にとっては、造作もないことだった。
薄暗いトンネル内に淡い光が照った。
灰色の空からのほのかな明かりで汚水の色がわかる。
地面を満たす水は意外にも透明で、霞ヶ浦の水だとわかった。色とりどりの魚が泳いでもいる。林立する電信柱には小型のボートが幾つもひっかかっていた。
さすがに息切れをしてきた武と麻生は一目散に鳳翼学園のある丘へと向かった。
もう、彼らの普段着は水浸しで、そのせいで動きにくく。人を助けることが、こんなにも困難なのを二人して痛感したようだ。
命からがらたどり着いた学園内には、もうすでに付近の住民たちが体育館に避難していたようだ。麻生は体育館の開いている扉から、助けを呼んだ。
皆、頭からずぶ濡れで、生気がなかった。
ところで、鳳翼学園は高い丘の上にあり、緊急時には避難場所になるところである。
「武様!?」
「大丈夫ですか?」
いつも武の後を追っている三人組の片岡と河田が武の背負ったお婆さんと子供たちを引っぺがしたりしながら、体育館の端へと誘導しようとした。
そういえば、いつもの三人組の中の美鈴がいない。
広い体育館は、照明が消えかかり。暗く。とくに目立った話し声もない。
人々のやるせない気持ちが鬱屈していてとても静かだった。
武と麻生の両親はどこにいるのだろう?
「武。携帯が繋がらないわ。武のお父さんとお母さんも探してくるわね。どこへも言っちゃダメよ」
いつも笑顔を絶やさない麻生は、今はさすがに疲れと陰りがないまぜになった顔であった。
「わかった。あ、そうだ。麻生。こいつも連れて行って探してもらえ。あ、ところで、お前たちの家族は? いないなら。最初にこいつの家族を探そうよ。みんな大変な状況なんだから力を合わせないと」
武は優しく三人組のうちの河田に言った。
「いいんです。いいんです。武様! すぐに麻生さんと武様のご両親を探してきますね。私の家族は、あっち!」
河田の指差す方へ武は首を向けると、体育館の右端でその家族であろう大勢が手を振っていた。
「この体育館にいるはずです」
河田がそういうと、麻生を連れだった。
武は水を含んだ上着を脱ぎ捨て、
「もう一人は? いつも一緒だったろ。何かあったらすぐに言ってくれ」
片岡は肩をすくめている。
河川。道路。車も野鳥や灰色の空すらもその降水量で水没してしまったかのようだった。そのため午前10時に日本全土に避難勧告が発令した。
人々の笑顔が完全に消えた日。
日曜日。
だが、ここ土浦だけは未だに小振りの雨が振り続けているようだ。
「武。もっと走って!」
「婆さん! 急ぐぞ!」
武は商店街から通学路へとトンネル内へ麻生たちと走っていた。空からの無数の水滴は今や脅威となり、カラオケ店や電気屋はシャッターがいつの間にか閉まっていた。
ずぶ濡れの麻生は、泥にまみれた少し前の武の姿を見失わないようにと必死に両目に意識を集中していた。
轟々と音のするかなり暗いトンネルの中へと入った。鳳翼学園への近道である。道路は完全に濁流の川となっていた。
入り口から出口から次から次へと水が流れ込み。
泥と木の枝が絶えず。滑るような勢いで通り過ぎていく。
武はお婆さんを軽々と背負いながら、小さい子供たちと出口へと腰の辺りまでの水の中を走っていた。子供たちは走るというよりも、泳ぐような恰好でもがきながら前に進んでいる。その後ろを麻生が水圧に負けじとゆっくりと走っていた。
もうすぐ、トンネルは水没するのであろう。
生き死にを賭けた人助けとなっていた。
武の今日は買い物へ行こうと、麻生に誘われたので渋々とついていった。それが午前の8時半頃。
多分、武はいつも麻生が長時間も観て回る場所に辟易していたのだろう。私の知る限り女物の洋服店のパトロール的な逸品探しだ。いつも笑顔を絶やさない麻生に連れ回されていた武は、やはり終始疲れ顔だった。その後に長時間のカラオケが待っている。麻生は大のカラオケ好きだった。
途中、避難勧告がけたたましく鳴り響き。
やむなく学校へと避難しようと考えると同時に、周囲から水の脅威が膨らみ始めた。
いつの間にか二人の腰の辺りまで、水位が溢れかえり。命の危険が迫っていたのだ。
片側二車線のトンネル内では、走行中の車は全て水飛沫ではなく。水を掻き分けながらの走行で水没寸前であった。どうしても、武たちを助けられそうもなかった。
だが、武は水の抵抗の少ない走り方をした。武道を学んでいる武にとっては、造作もないことだった。
薄暗いトンネル内に淡い光が照った。
灰色の空からのほのかな明かりで汚水の色がわかる。
地面を満たす水は意外にも透明で、霞ヶ浦の水だとわかった。色とりどりの魚が泳いでもいる。林立する電信柱には小型のボートが幾つもひっかかっていた。
さすがに息切れをしてきた武と麻生は一目散に鳳翼学園のある丘へと向かった。
もう、彼らの普段着は水浸しで、そのせいで動きにくく。人を助けることが、こんなにも困難なのを二人して痛感したようだ。
命からがらたどり着いた学園内には、もうすでに付近の住民たちが体育館に避難していたようだ。麻生は体育館の開いている扉から、助けを呼んだ。
皆、頭からずぶ濡れで、生気がなかった。
ところで、鳳翼学園は高い丘の上にあり、緊急時には避難場所になるところである。
「武様!?」
「大丈夫ですか?」
いつも武の後を追っている三人組の片岡と河田が武の背負ったお婆さんと子供たちを引っぺがしたりしながら、体育館の端へと誘導しようとした。
そういえば、いつもの三人組の中の美鈴がいない。
広い体育館は、照明が消えかかり。暗く。とくに目立った話し声もない。
人々のやるせない気持ちが鬱屈していてとても静かだった。
武と麻生の両親はどこにいるのだろう?
「武。携帯が繋がらないわ。武のお父さんとお母さんも探してくるわね。どこへも言っちゃダメよ」
いつも笑顔を絶やさない麻生は、今はさすがに疲れと陰りがないまぜになった顔であった。
「わかった。あ、そうだ。麻生。こいつも連れて行って探してもらえ。あ、ところで、お前たちの家族は? いないなら。最初にこいつの家族を探そうよ。みんな大変な状況なんだから力を合わせないと」
武は優しく三人組のうちの河田に言った。
「いいんです。いいんです。武様! すぐに麻生さんと武様のご両親を探してきますね。私の家族は、あっち!」
河田の指差す方へ武は首を向けると、体育館の右端でその家族であろう大勢が手を振っていた。
「この体育館にいるはずです」
河田がそういうと、麻生を連れだった。
武は水を含んだ上着を脱ぎ捨て、
「もう一人は? いつも一緒だったろ。何かあったらすぐに言ってくれ」
片岡は肩をすくめている。