稀鸞(キラン)

文字数 2,750文字

『久しぶり』
『ずいぶんお見限りでしたね。お正月にも来ないなんて』
『うん。なかなか時間が取れなくて。でも、ずっと会いたかった。ずっと想っていたよ、ソウのこと』
『はい。存じ上げております』
『姿を見たのは久しぶりだ。ソウは全然変わらないんだね』
『あなたは、また背が伸びましたね』
『1センチだけだけど、わかるもの?』
『ええ、あなたのことならなんでも』
『なら、俺の願いもわかってる?』
『約束を果たすこと、でしょう?……“触れ合える出会いになれば、真名(しんめい)を名乗る”』
『うん。俺が握っているソウの手はとても温かい。これは本物だろう?』
『はい』
『やっと俺の名前を呼んでもらえるんだね、(まもる)って。ソウの真名(しんめい)は?』
蒼玉(そうぎょく)
蒼玉(そうぎょく)(あお)い宝石だね。……素敵な名前だ』
 
 湖岸に打ち寄せる波の音とともに、ふたつのアーユスでのやり取りが届く。
 それはとても仲睦まじく、幸せそうな波動。
 目を開くことができるならば、それはそれは優しい微笑みを見ることができるだろう。
 だが、体が重い。
 頭も体も、なにもかもが気怠(けだる)く、干上がり始めた沼に沈んでしまっているようだ。
 自分のアーユスが流れ出ていくのを、止めることもできない。
 死の気配を間近に感じる。

天空(アカシャ)のパドマが枯れかかっています。このままでは(アーユス)が尽きてしまう。どこかでパドマを修復させないと』
『俺のヴィラはわかる?そこはどう?』
『はい、よく覚えていますよ。あのおうちならば清らかです。……あなたの寝かしつけは、わたしのお仕事でしたから』
『そうだったね。じゃあ、行こうか』
 懐かしい(チャンドラ)のアーユスを感じたが、それはすぐに消えてしまった。
「……」
「……!」
 あの鳥居の内で出会った、若者たちの声が聞こえてくる。
『パドマの修復って、怪我の治療みたいなもの?』
『はい。……こんなに乱れた、強烈な(アーユス)の波動は初めてです。さすが、白虎様のご友人』
 乱反射するような強いアーユスにさらされて、(チャンドラ)がいつにないほど狼狽している。
『ごめん。キツイよな。すぐに行こう』
 
 乱れた気配が遠ざかり、再び(チャンドラ)のアーユスに包まれていく。
 変わらない思慕を伝える、彼女の柔らかなアーユスに包まれながら、意識は無明の闇に落ちていった。


「……シャ、アカシャ」
 鈴を振るような声に目を開けると、木組みの天井が目に入ってくる。
「よかった」
 安堵(あんど)のため息が聞こえてきた方向に顔を向けると、(チャンドラ)蒼玉(そぎょく)の大きな瞳と目が合った。
(チャンドラ)……。久しいな。(なが)の時を(とも)にしていてくれたのか。あのときの怪我は……。さすがに治っているか。自らか?』
 手を伸ばしてその頬に触れると、少女が目元を緩める。
『いえ、姉上にです』
太陽(スーリヤ)か。彼女はあれからどうした』
『ともに眠ると申しておりましたが、まだ会えてはおりません。……気配も、今のところ拾えません』
『……そうか。ふたりとも、人の里には残らなかったののだな……。太陽(スーリヤ)のことだ。約束は(たが)えまい。瑠沱(るた)はやれたのか?』
『いいえ、核にまでは縮められましたが、滅することは叶わず。申し訳ござません』
『不甲斐ないのは天空(アカシャ)である私だ。目覚めばかりなのに、お前はよくやってくれた。ほかの闇鬼(アンデラ)の気配はしているか』
『否』
『門の封印は解かれなかったか。ならば、滅するよい機会だ。戦士(ヴィーラ)たちはいないが、あの四神の力をお借りしよう』
『白虎様以外は、まだ(かたど)られてはおりません』
『だが、その身の内におられるのは、はっきりと感じられる。目覚めるのは時間の問題だろう』
『ですが、まだ惑われております。あのように、闇鬼(アンデラ)に食われかねないほどの恐怖をお持ちで、……あ』
 蒼玉(そうぎょく)のアーユスを止めたのは、階下から届いた、燃え盛る炎のような感情の波。
『四神も目覚めたな』
「ふふっ、これは大変だこと」
 少女の小さな笑い声が耳をくすぐる。
 混乱して乱高下する、己を制御できない若いアーユスが、白虎に迫っているようだ。
 
 無理もない。
 この時代は、我らがころより、数百年の時を経ているらしいのだから。
 ざっとアーユスで探ってみれば、魑魅(ちみ)魍魎(もうりょう)などは否定され、人の世と幽世(かくりよ)は、大いに隔てられてしまっているらしい。
 その世界で生きる若者たちに、我々のような存在を受け入れろと言うほうが、無理なのだ。
 しかし、あの四神の気配を持つ若者たちは、それぞれ試練を越えてきた魂を持つ者。
 並ではない痛みに満ちた道を歩むうちに、四神が守りについた。
 そういう芯を感じてならない。

『お会いしにいこう。ご協力を仰がねば』
「まだ動かれてはなりませんよ、アグニ・アカシャ」
 蒼玉(そうぎょく)の足元から月兎(げつと)がぴょんと飛び跳ね、そのまま空中に留まった。
「こちらに呼びましょう。無礼があれば、このワタクシが」
 月兎(げつと)がお得意の(こぶし)と蹴りを披露してみせる。
「式神の蹴りなどお見舞いしては可哀そうでしょう。まだ顕現(けんげん)されていらっしゃらないのだから」
「でもですね、(あるじ)
 月兎(げつと)の耳がイライラと(せわ)しなく動く。
「あの青二才たちは、ビャッコ様のことを“ろりこん”と呼んでいましたよ。あれは悪口でしょう?無礼極まりない」
「悪口にしては、親しみにあふれていたわ」
蒼玉(そうぎょく)
 鮮明で、(りょう)としたアーユスが届いた。
稀鸞(きらん)さんが目を覚ましたんだね』
『はい。四神もですね』
『うん。うるさくはない?』
『うるさくはありますよ?』
「なに笑ってんだよ!お前の笑った顔なんて珍しすぎて、逆に腹立つわ」
 階下から微かな声が聞こえてくる。
『さっきからこんななんだ。気持ちはわかるけれど』
『玄武様は特に、“理解不能”な状況がお嫌いなようですね。“嫌だ”の(アーユス)が、(とげ)のように届いております』
『ごめん。もう一回眠らせようか?』
「ばか、やめろ!手なんか組むなっ」
 うろたえ、怒鳴る玄武の声がここまで届いた。
『白虎様』
(まもる)。真名を呼んでくれるって約束だったよ』
 ()ねた白虎のアーユスに、(チャンドラ)が娘らしい顔でくすくすと笑う。
 
 ……ああ、この顔を見たかったのだ。
 思いつめたようなアーユスに、いつも心をきつく縛られていた、この娘の。

(まもる)さま』
『さまもいらない。……わかってるくせに』
 甘えるアーユスを受け取ったとたんに、(チャンドラ)の口元がそれは愛しそうに、幸せそうに緩められる。
(まもる)。それでは堂々巡りですよ。きちんとお話をすることが必要でしょう』
『今、そちらに参ります』
「わぁ!……今のなに?僕でもわかったよ!」
 驚き慌てている、これは青龍の声だろうか。
『ですが……。天空(アカシャ)、まだお休みになっていらっしゃったほうが』
 (チャンドラ)の黒水晶の瞳が、月兎(げつと)と同様の心配を浮かべている。
『大事ない。お前と白虎の(アーユス)を分けてもらったからな』
「ならば、アグニ・アカシャ。ワタクシがお連れいたしましょう」
 むくむくと。
 天井に届くほど大きくなった月兎(げつと)が、柔らかな毛皮を持つ両腕で、やすやすと私の体を抱き上げた。
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