姉妹の決断-1-
文字数 2,831文字
歩くこともできない蒼玉 をその腕に抱 えて、太陽 は若武者とともに屋敷から外に出た。
「お前たち、よくぞ無事で……」
「スーリヤ、ウダカ・アカシャは……」
駆け寄ってきた水 村の兵士と、火 村の戦士 ・風 に、太陽 はただ無言で首を横に振る。
「アニラ、雑魚どもは?」
「アグニのヴィーラたちで片を付けました」
「アヤスとタルのヴィーラは?」
「……」
無言の返答に二村 の惨状を察した太陽 が、風 の肩に手を置く。
「アニラ、本当によくやってくれた。あとは皆と手分けして、生き残った者を探して。それから……」
太陽 から火 ・天空 の遺した願いを聞いた風 と兵士が、悲壮な表情を浮かべながらも駆け出していった。
ふたりの背中が夜陰に消えていくのを見送り、太陽 と若武者は、蒼玉 を連れて川岸へと足を運ぶ。
そこは普段、水 の者が洗濯をしたり、つかの間の休憩を楽しんだり。
村人たちの何気ない日常がつむがれていた場所。
「……月も出ていないのに」
瀕死の村を飲み下そうとする炎が、蒼玉 を膝に抱く太陽 の手元をぼんやりと照らしていた。
その横にしゃがんだ若武者が、小さな体に巻かれていた布を解 いていく。
「痛むだろうが、堪 えてくれ」
清浄な川の水で傷を拭 われる蒼玉 が、ぎこちなく頭を下げた。
「駿河 様の手を煩わせてしまうなんて……。申し訳、ございません」
「チャンドラは力を尽くした。誇っていい」
浅い呼吸を続ける蒼玉 の頭を、若武者が優しくなでる。
「癒しは得意じゃないから」
蒼玉 を膝から下ろして、立ち上がった太陽 が両の手の金と銀の腕輪を打ち合わせた。
「あまり期待しないでね。……ハリ・オーム・ナモー・ナーラーヤナ」※1
薄闇に竜笛が流れ、太陽 の手が光を帯びていく。
「オーム・サルヴァローガハラーヤ・ナマハ」※2
光に全身を包み込まれた蒼玉 が、しばらくのちに「ほぅ」と息をついた。
「……楽になりました」
「よかった。……ねえ駿河 。お願いがある」
「……」
隣に膝をついた太陽 に返事もせずに、若武者は蒼玉 に新しい布を巻き続ける。
「あたしたちの村のことを、あなたに頼みたい。あなたになら」
「お前がアカシャから託されたのだろうっ」
太陽 言葉をかき消すように、若武者が小さく怒鳴った。
「そう、ね。でも、事情が変わった。アカシャの封印はいずれ崩れる」
「それは、タルラの体に彫られていた、あの……」
「そう。あの刺青 」
「あれは何の祓詞 だ」
切り裂かれた衣からのぞいていた、美しい少女の体に刻まれたていた恐ろしい文様。
「百足 が這 うようだったな」
「あれはね、……“十種布留部祓 ”」
告げる太陽 の声は、絞り出すように苦しげだった。
◇
「留部祓 ?!……御霊 返し……」
「わぁ!……おっどろいた。えと、タマガエシって?……知ってる?」
鎮 の大声にびくりと肩を揺らした槐 が、隣に座る煌 を見上げた。
「いや、知らん」
「タマ……。魂か?字面 から言うと、死者の蘇生って感じだな」
鎮 はちらりと渉 に視線を送って、小さくうなずく。
「タルラはわたしと同じ陰のヴィーラなので、攻撃よりも、防御や癒しのアーユスを得意とします。そのタルラに重い念を込めて彫られていたのは、それだけではなくて……」
細いため息をついた蒼玉 が、両手をきゅっと組み直した。
◇
若武者はしばらく、絶句して太陽を凝視するばかりで。
「……聞いたことがあったな。死者を現世 に還す祓詞 だと」
やっと口を開いた若武者の声がかすれていた。
「そう」
――ひくれ ひくれ あまつしるしみずのたからとくさ――
竜笛が低く、闇の子守歌のように祓詞 を謡 う。
「だが、完遂には神器が必要だと聞くが」
「……十種神宝 も彫られてたようだよ。瀛都鏡 と辺都鏡 の一部が見えた。しかも、あの娘 もすでに闇落ちしているだろうから……」 ※3
「それを知って、お前はどうするつもりだ」
「御霊返しが成れば、アカシャの封は解かれてしまうだろう。そのときまで眠るよ」
「いつまで」
「わからない」
「では、俺はお前が目覚めるまで待とう。それまで村のことは」
「数十年、数百年かかるかもしれない。もしかしたら、あのアカシャのことだ。タルラの術など効かないかも」
「だとしたら、お前はっ」
若武者が力任せに太陽 の肩をつかんだ。
「そのまま眠り続けるつもりか?!天空 の封が成されたのなら、そのときお前はどうなるっ」
「いずれその場所で朽ちる。だから」
太陽 の微笑みを、焼け落ちていく水 の村の炎が哀しく照らしている。
「顕香 、あたしとの約束はここまで。今までありがとう」
「どうして、どうしてそんな簡単に……」
顕香 と呼ばれた若武者の声が震えて、途切れた。
「簡単などではないよ」
諦めたような太陽 の笑顔に、顕香 は思わずその体をきつく抱きしめる。
「でも、今“眠りの術”を使えるのも、いずれ蘇る闇鬼 を討つことができるのも、アグニ・アカシャとあたしだけ。あたしはヴィーラとして、アンデラが跋扈 する可能性を見過ごすことはできない。武士 の顕香 なら、わかってくれるでしょう?」
「……わかりたくなどない。行くなと、そばにいてくれと喚 きたいっ」
「顕香 ……」
「お前が民の安寧と己の幸せ、どちらに重きを置くかなどは、わかってるんだ。……くそっ」
顕香 は顔を上げると、太陽 の瞳を間近でのぞき込んだ。
「村のことは心配するな」
「ありがとう。そう言ってくれると思った。あたしのことは忘れて、顕香 は新しい幸せを」
「ずっと待っている」
若武者の強い声にさえぎられて、太陽 は口を閉じる。
「今世で叶わないのなら、生まれ変わってまた待つ。お前の目が覚めるまで何度でも。必ず見つけて、お前だけ戦わせることなどしない」
「……ありがとう」
そして、ふたりは無言でしばらく抱き合い、別れを惜しんだ。
◇
皆の前に置かれた温かかった飲み物は、すっかり冷えてしまっている。
鎮 が顔を上げると、静まり返ったリビングの窓の外は、いつの間にか暗い夜が支配していた。
「そうしてスーリヤは駿河 様を送り出しました。その後、アーユスを使えず、ろくに体を動かすこともできなかったわたしに、ご自分の浅緋 の衣 を着せてくださったのです」
こぼれ落ちた涙を鎮 の指に拭 われた蒼玉 は、小さな肩をその胸に寄せる。
「わたしが不甲斐ないばかりに。わたしがあのとき、アーユスを枯らしたりしていなければ。スーリヤまで眠る必要はなかったのに」
『蒼玉 のせいじゃない。蒼玉 は精一杯戦っていた』
『白虎の言うとおりだ、月 。お前があの場で闇穴を押えていてくれたから、私と太陽 が間に合ったのだ』
「……アカシャ……」
『だが、アーユスを枯らしたお前を伴にすることを、太陽 がそう簡単に許すとも思えないが』
鎮 の肩に体を預けたままの蒼玉 の腕輪が、再びその光を強めていった。
※1 ヴィシュヌ神マントラ
※2 ハヌマーン神マントラ あらゆる病を取り除く
※3十種神宝
皇祖神(天照大御神)から饒速日命 に授けられたという
瀛都鏡 辺都鏡 八握剣 生玉 死反玉 足玉 道反玉 蛇比礼 蜂比礼 品々物比礼
「お前たち、よくぞ無事で……」
「スーリヤ、ウダカ・アカシャは……」
駆け寄ってきた
「アニラ、雑魚どもは?」
「アグニのヴィーラたちで片を付けました」
「アヤスとタルのヴィーラは?」
「……」
無言の返答に
「アニラ、本当によくやってくれた。あとは皆と手分けして、生き残った者を探して。それから……」
ふたりの背中が夜陰に消えていくのを見送り、
そこは普段、
村人たちの何気ない日常がつむがれていた場所。
「……月も出ていないのに」
瀕死の村を飲み下そうとする炎が、
その横にしゃがんだ若武者が、小さな体に巻かれていた布を
「痛むだろうが、
清浄な川の水で傷を
「
「チャンドラは力を尽くした。誇っていい」
浅い呼吸を続ける
「癒しは得意じゃないから」
「あまり期待しないでね。……ハリ・オーム・ナモー・ナーラーヤナ」※1
薄闇に竜笛が流れ、
「オーム・サルヴァローガハラーヤ・ナマハ」※2
光に全身を包み込まれた
「……楽になりました」
「よかった。……ねえ
「……」
隣に膝をついた
「あたしたちの村のことを、あなたに頼みたい。あなたになら」
「お前がアカシャから託されたのだろうっ」
「そう、ね。でも、事情が変わった。アカシャの封印はいずれ崩れる」
「それは、タルラの体に彫られていた、あの……」
「そう。あの
「あれは何の
切り裂かれた衣からのぞいていた、美しい少女の体に刻まれたていた恐ろしい文様。
「
「あれはね、……“
告げる
◇
「
「わぁ!……おっどろいた。えと、タマガエシって?……知ってる?」
「いや、知らん」
「タマ……。魂か?
「タルラはわたしと同じ陰のヴィーラなので、攻撃よりも、防御や癒しのアーユスを得意とします。そのタルラに重い念を込めて彫られていたのは、それだけではなくて……」
細いため息をついた
◇
若武者はしばらく、絶句して太陽を凝視するばかりで。
「……聞いたことがあったな。死者を
やっと口を開いた若武者の声がかすれていた。
「そう」
――ひくれ ひくれ あまつしるしみずのたからとくさ――
竜笛が低く、闇の子守歌のように
「だが、完遂には神器が必要だと聞くが」
「……
「それを知って、お前はどうするつもりだ」
「御霊返しが成れば、アカシャの封は解かれてしまうだろう。そのときまで眠るよ」
「いつまで」
「わからない」
「では、俺はお前が目覚めるまで待とう。それまで村のことは」
「数十年、数百年かかるかもしれない。もしかしたら、あのアカシャのことだ。タルラの術など効かないかも」
「だとしたら、お前はっ」
若武者が力任せに
「そのまま眠り続けるつもりか?!
「いずれその場所で朽ちる。だから」
「
「どうして、どうしてそんな簡単に……」
「簡単などではないよ」
諦めたような
「でも、今“眠りの術”を使えるのも、いずれ蘇る
「……わかりたくなどない。行くなと、そばにいてくれと
「
「お前が民の安寧と己の幸せ、どちらに重きを置くかなどは、わかってるんだ。……くそっ」
「村のことは心配するな」
「ありがとう。そう言ってくれると思った。あたしのことは忘れて、
「ずっと待っている」
若武者の強い声にさえぎられて、
「今世で叶わないのなら、生まれ変わってまた待つ。お前の目が覚めるまで何度でも。必ず見つけて、お前だけ戦わせることなどしない」
「……ありがとう」
そして、ふたりは無言でしばらく抱き合い、別れを惜しんだ。
◇
皆の前に置かれた温かかった飲み物は、すっかり冷えてしまっている。
「そうしてスーリヤは
こぼれ落ちた涙を
「わたしが不甲斐ないばかりに。わたしがあのとき、アーユスを枯らしたりしていなければ。スーリヤまで眠る必要はなかったのに」
『
『白虎の言うとおりだ、
「……アカシャ……」
『だが、アーユスを枯らしたお前を伴にすることを、
※1 ヴィシュヌ神マントラ
※2 ハヌマーン神マントラ あらゆる病を取り除く
※3
皇祖神(天照大御神)から