胸騒ぎ-1-
文字数 2,864文字
「うお!」
「わああ?」
「いってぇ……」
下から突き上げるような衝撃で目が覚めたのは、まったく昨夜と同じだけれど。
だが、その規模が比ではなかった。
なにしろベッドで寝ていた三人が、全員ともに床に放り出されたのだから。
しかも。
「何か、……聞こえへんか?」
首を傾けた煌 だけではなく、渉 と槐 の耳にも届いたそれは。
「……地響き……?」
「幸魂 奇魂 守り給 へ 幸 へ給 へ!」※1
まずいと思う前に、いきなり現れ仁王立ちになった白ウサギが、三人を光球で包む。
そして、なぜと問う暇もなく、大量の土砂が、恐ろしい勢いで室内に流れ込んできた。
身をすくませる三人の向こうで、土くれの大波が裏山の木々を飲み込み、押し流していく。
「うわぁぁっ」
土石流から飛び出して、砲弾のように迫ってきた大木に槐 が悲鳴を上げた。
「やばっ」
素早く立ち上がった煌 の両手が、パン!と冴えた音を立てる。
「高天原 天津祝詞 の太祝詞 持ちかが呑 むでむ 祓 ひ賜 ひ清 め賜 ふ!」※2
「ぐっじょぶです、スザク様」
大木が跳ね返されていくのを目で追った月兎 が、首だけで振り返ってにぃっと笑った。
「ぐ、じょぶ?」
「これは最上級の誉 め言葉なのでしょう?以前、ビャッコ様がそうおっしゃってました」
興奮でなのか恐怖でなのかはわからないけれど。
震えを抑えられないでいる煌 に、それでも小さな笑みが浮かんだ。
ほどなく土石流の勢いは弱まっていき、辺りは静寂に包まれていく。
それにつれて月兎 の光も収縮していって、今は大きなウサギ型の室内灯のようだ。
ほっと息をついた三人の間を風が吹き抜けていく。
戸締りもしっかりしたはずの槐 と渉 は恐る恐る天井を見上げた、つもりだったのだが。
「なに、これ」
「二階ごと持ってかれちまったのかよ。……ん?」
満天の星空を見上げたふたりは、急速にこちらに向かってくるふたつの光球に気づいて口を閉じた。
「帰ってきたな」
夜空を振り仰いだ煌 が目を眇 める。
「蒼玉 、外に出てたんだ、って、……は?」
昼間見た彼女の光球なら、もう驚かないつもりだった渉 だけれど。
「え、まも、ま、鎮 かよっ?!」
「うそ……。ウソでしょ?!」
「あいか、さん……」
絶句する仲間たちの前に、大きな白い虎に跨 った鎮 が舞い降りてきた。
「無事か?!」
ひらりと大虎から飛び降りるなり、鎮 は左腕のバングルを右手で弾く。
「還 !」
輝く煙となった白虎が鎮 の体に吸収されていく、その間に。
もうひとつの光球が降り立った。
「月兎 っ」
「御意!」
白ウサギが蒼玉 から稀鸞 を受け取って、辛うじて土石流から守られた床に寝かせる。
「よく言いつけを守りました。ぐっじょぶよ」
蒼玉 が月兎 の頭を優しくなでると、得意そうな赤目が上がった。
「何だっつぅんだよ」
よろよろと立ち上がって、辺りを見回して。
とんでもないことが迫っていると実感した渉 の背が、ぞくりと震えた。
「あの、なんか、すごいこと、あった、あるんだよね?」
稀鸞 のそばに這 い寄ると、槐 は鎮 のトレーナーを外して、割 いたシーツで止血を始める。
「ね、鎮 」
「……うん」
どう説明したらよいのかわからず、鎮 は顔をそらすと曖昧にうなずいた。
「時間がありません」
緊迫した蒼玉 の声が、皆の視線を集める。
「鎮 、おかあさまの御霊 を頼りましょう。依 り代 は月兎 、お前が」
「主 おひとりで行くおつもりですか」
揺れる赤目に微笑みかけて、蒼玉 は月兎 の耳を優しくなでた。
「お前はアカシャの回復を。やることはわかってますね」
「……御意」
月兎 の耳が、その心を映すようにふらりと下がる。
「俺がもう一度アーユスを」
「いいえ、白虎様」
あえて四神で呼ばれた鎮 が目を見張った。
「あなたに皆さまを託します。アカシャとお友達を生かすも殺すも、あなた次第。あなたのアーユスのすべては白虎のもの。……早くおかあさまのところへ」
恭 しく頭を下げた蒼玉 が、一定のリズムで腕輪を鳴らし始めた。
「オーム・ナモー・バガヴァテー・ アーンジャネーヤーヤ・マハーバラーヤ・スヴァーハー」※3
「ああ、……これが、パドマが開くってこと、なんやな」
日盛りの陽炎 に包まれているかのような少女を前に、煌 がつぶやく。
蒼玉 の小さな体に、明滅する光源が七か所。
実際に見えているのか、それとも感知しているのか。
その境界さえわからないほどのまばゆい光が、土石流に荒らされた室内を照らしている。
『頼みましたよ、月兎 !』
まるで耳元で宣言されたかのような強いアーユスを残し、蒼玉 が飛び立っていった。
「ビャッコ様、お友達をお願いします。ワタクシはアカシャをお連れして、一足先に母上さまの所へ参ります。……吐普加美依身多女 ……、……祓 ひ給 へ清 め給 ふ」※2
光の玉と化した白ウサギが稀鸞 を抱 えたまま、闇に溶けるように消えていく。
そのとたんに、周囲は隣にいる友人の顔さえわからない夜に沈んだ。
「オン・アミリタ・テイセイ・カラウン!」
鎮 の両手が強く打ち付けられ、瞭とした音が不気味に静まり返った闇に響き渡る。
阿弥陀根本印を結んでマントラを唱えるその背中から、ゆらゆらと仄 かな光が立ち昇った。
そして、友人たちが声を上げる間もなく。
『乗って』
姿を現した白い大虎の背を鎮 がなでる。
「はい」
「えと、これしか、ない……のか。……渉 、どうしたの?」
素直に従う煌 に続いて、恐る恐る虎に跨 ろうとした槐 が振り返る。
「急がないと」
「いや、だって」
鎮 が声を使って促しても。
白虎のまとう神聖な光に照らされた、モデルのように整った顔が強張って震える。
「む、ムリ」
『なら走ってこい。鳥居はすぐそこだし』
渉 の強い拒絶を感じて、鎮 はあの鳥居の映像を渉 の頭の中に放り込んだ。
「……ムリ。暗すぎる」
土石流が電線を引きちぎってしまったのだろう。
小径 を照らしていたはずの街灯は黒く沈黙し、周囲は完全な闇に塗りつぶされていた。
『ああ、お前には
「えっ」
襟首を引かれた鎮 が振り返れば、白虎の鋭い牙が目に入る。
『時間ガナイ。主 ハ乗レ』
『あいつだけを残せません』
『イイカラ乗レ』
その逆らえない迫力に、鎮 はためらいながらもその背にまたがった。
「えっ、なに、やめ……うぉ?!」
子猫を運ぶ母猫のように、白虎が渉 の上半身をくわえる。
「やめっ、や、ムリ、ムリだから!」
『口ヲトジテオケ。舌ヲ噛ムゾ』
渉 を咥 えたまま、白虎はそこに階段でもあるかのように、夜空へと駆け上がっていった。
「ムリっ、ムリムリムリムリっ、ムリぃ~っ!」
じたばたと暴れる渉 の悲鳴が、エコーをかけたように夜空に流れていく。
そうして流星のような軌跡を描いて、若者たちの姿が空へと消えていった。
※1 神語 キリスト教における「アーメン」や仏教徒の「南無阿弥陀仏」にあたる
※2最上祓 大祓詞 の簡略版
※3 シヴァ神の化身、ハヌマーン神マントラ 膳の力に調和し、どんなに困難な状況においても勝利することができる
※4三種祓詞 吐普加美依身多女は三返
「わああ?」
「いってぇ……」
下から突き上げるような衝撃で目が覚めたのは、まったく昨夜と同じだけれど。
だが、その規模が比ではなかった。
なにしろベッドで寝ていた三人が、全員ともに床に放り出されたのだから。
しかも。
「何か、……聞こえへんか?」
首を傾けた
「……地響き……?」
「
まずいと思う前に、いきなり現れ仁王立ちになった白ウサギが、三人を光球で包む。
そして、なぜと問う暇もなく、大量の土砂が、恐ろしい勢いで室内に流れ込んできた。
身をすくませる三人の向こうで、土くれの大波が裏山の木々を飲み込み、押し流していく。
「うわぁぁっ」
土石流から飛び出して、砲弾のように迫ってきた大木に
「やばっ」
素早く立ち上がった
「
「ぐっじょぶです、スザク様」
大木が跳ね返されていくのを目で追った
「ぐ、じょぶ?」
「これは最上級の
興奮でなのか恐怖でなのかはわからないけれど。
震えを抑えられないでいる
ほどなく土石流の勢いは弱まっていき、辺りは静寂に包まれていく。
それにつれて
ほっと息をついた三人の間を風が吹き抜けていく。
戸締りもしっかりしたはずの
室内で
風が吹き抜ける不自然さに、「なに、これ」
「二階ごと持ってかれちまったのかよ。……ん?」
満天の星空を見上げたふたりは、急速にこちらに向かってくるふたつの光球に気づいて口を閉じた。
「帰ってきたな」
夜空を振り仰いだ
「
昼間見た彼女の光球なら、もう驚かないつもりだった
「え、まも、ま、
「うそ……。ウソでしょ?!」
「あいか、さん……」
絶句する仲間たちの前に、大きな白い虎に
「無事か?!」
ひらりと大虎から飛び降りるなり、
「
輝く煙となった白虎が
もうひとつの光球が降り立った。
「
「御意!」
白ウサギが
「よく言いつけを守りました。ぐっじょぶよ」
「何だっつぅんだよ」
よろよろと立ち上がって、辺りを見回して。
とんでもないことが迫っていると実感した
「あの、なんか、すごいこと、あった、あるんだよね?」
「ね、
「……うん」
どう説明したらよいのかわからず、
「時間がありません」
緊迫した
「
「
揺れる赤目に微笑みかけて、
「お前はアカシャの回復を。やることはわかってますね」
「……御意」
「俺がもう一度アーユスを」
「いいえ、白虎様」
あえて四神で呼ばれた
「あなたに皆さまを託します。アカシャとお友達を生かすも殺すも、あなた次第。あなたのアーユスのすべては白虎のもの。……早くおかあさまのところへ」
「オーム・ナモー・バガヴァテー・ アーンジャネーヤーヤ・マハーバラーヤ・スヴァーハー」※3
「ああ、……これが、パドマが開くってこと、なんやな」
日盛りの
実際に見えているのか、それとも感知しているのか。
その境界さえわからないほどのまばゆい光が、土石流に荒らされた室内を照らしている。
『頼みましたよ、
まるで耳元で宣言されたかのような強いアーユスを残し、
「ビャッコ様、お友達をお願いします。ワタクシはアカシャをお連れして、一足先に母上さまの所へ参ります。……
光の玉と化した白ウサギが
そのとたんに、周囲は隣にいる友人の顔さえわからない夜に沈んだ。
「オン・アミリタ・テイセイ・カラウン!」
阿弥陀根本印を結んでマントラを唱えるその背中から、ゆらゆらと
そして、友人たちが声を上げる間もなく。
『乗って』
姿を現した白い大虎の背を
「はい」
「えと、これしか、ない……のか。……
素直に従う
「急がないと」
「いや、だって」
白虎のまとう神聖な光に照らされた、モデルのように整った顔が強張って震える。
「む、ムリ」
『なら走ってこい。鳥居はすぐそこだし』
「……ムリ。暗すぎる」
土石流が電線を引きちぎってしまったのだろう。
『ああ、お前には
まだ見えない
のか。じゃあ、俺が一緒に』「えっ」
襟首を引かれた
『時間ガナイ。
『あいつだけを残せません』
『イイカラ乗レ』
その逆らえない迫力に、
「えっ、なに、やめ……うぉ?!」
子猫を運ぶ母猫のように、白虎が
「やめっ、や、ムリ、ムリだから!」
『口ヲトジテオケ。舌ヲ噛ムゾ』
「ムリっ、ムリムリムリムリっ、ムリぃ~っ!」
じたばたと暴れる
そうして流星のような軌跡を描いて、若者たちの姿が空へと消えていった。
※1 神語 キリスト教における「アーメン」や仏教徒の「南無阿弥陀仏」にあたる
※2
※3 シヴァ神の化身、ハヌマーン神マントラ 膳の力に調和し、どんなに困難な状況においても勝利することができる
※4