因果の足音

文字数 4,090文字

 秋鹿(あいか)が世話になっている「お茶の師匠さん」の家は、伝統的日本家屋でありながら、ところどころに備え付けられている近代的設備が、妙に目を引く家だった。
 秋鹿(あいか)と一緒に入った風呂もそうだし、今、(あきら)が目にしている遠隔操作で開閉される木戸もそのひとつだ。

(表門といか》が世話になっている「お茶の師匠さん」の家は、伝統的日本家屋でありながら、ところどころに備え付けられている近代的設備が、妙に目を引く家だった。
 秋鹿(あいか)と一緒に入った風呂もそうだし、今、(あきら)が目にしている遠隔操作で開閉される木戸もそのひとつだ。

(表門と同じで、どっかに防犯カメラもあるって言うとったなあ)

 秋鹿(あいか)からそう聞いてから、通るたびに探してみるのだが。
 巧妙に隠されているらしいカメラを見つけられたことはない。
 防犯意識の高い「お茶のお師匠さん」の家は、敷地を取り囲む板塀も相当の高さがある。
 そのおかげで、中の様子はまったく見えない家のインターホンを、(あきら)は遠慮がちに押してみた。

(やっぱり迷惑がられたら、どないしよう……)

 再び湧いてきた不安に、呼び出しボタンを押す指にも力が入らない。
 だが。
「ああ、お待ちしてましたで。さあ、どうぞ」
 穏やかなお師匠さんの声が聞こえたと同時に、遠隔操作されて鍵の開く、カチリという硬い音する。
 「待っていた」という言葉にほっとし内側に入ると、木戸から手を離したのと間を置かずして、自動で鍵のかかる音が背中で響いた。
「あの、ごめんください」
 裏口の引き戸を開けながら遠慮がちに声を掛けると、すぐさま家の奥から足音が近づいてくる。
「まあま、ようこそ。(まもる)ぼっちゃんもお待ちでっせ」
 ニコニコしている「いくこさん」にほっとしながらも、(あきら)はおずおずと上がり(かまち)に足を掛けた。

(待ってるって、ほんまかな。なんで黙って帰ってもうたんかいな)

 (あきら)は「いくこさん」にくっついて、ぴかぴかに磨き上げられた木の階段を上がっていく。
(まもる)ぼっちゃん、沢潟屋(おもだかや)さんのぼんがいらっしゃったで」
「入ってもらって」
「どうぞ」
 「いくこさん」に(うなが)されて、シンプルな白の経師(きょうじ)紙が貼られた(ふすま)を開けると、和机に向かって座る、夏服姿の秋鹿(あいか)の背中が見えた。
 新しい畳の香りに満ちた8畳間は、梅雨の季節とは思えないようなすがすがしさに満ちている。
「遅かったな」
 涼しい顔で振り返る秋鹿(あいか)に、(あきら)は思わず不満顔になった。
「だって、秋鹿(あいか)さん、先に帰るって言うてくれへんかったさかい」
「待たせてしまって悪かったな。早めにやっておきたいことがあって」
「ショートメールやらくれたらよかったのに」
「そんなことしなくても、どうせ来るだろう?」
「まあ、そうやけど」
 どうやら本当に待っててくれたらしいと思えば、どことなく、くすぐったい気持ちになる。
「で?試験結果はどうだった?」
「全部、平均点以上やったで。自分でもびっくりや」
 カバンの中から折りじわのついた答案を出しながら、(あきら)秋鹿(あいか)の隣にきちんと正座した。
「まあ、中学になって初めての中間だから。期末はもっと早くから準備しないと、こうはいかないぞ」
秋鹿(あいか)さんがいるから、大丈夫や!」
「……期末も面倒を見ないといけないのか?」
「え、あかんの?」
 (あきら)が和机をのぞきこむと、秋鹿(あいか)は妙に小さな半紙に、毛筆で不思議な文字を書き込んでいる。
 それは漢字のような、崩し文字のような、何かの模様のような。
「夏休みの宿題も、一緒にやろうと思っとったのに。……秋鹿(あいか)さん、それ何?」
「夏休みに入ったら戻る。大阪にはいない」
「え?!」
 息を飲んで、(あきら)は筆を止めない秋鹿(あいか)の横顔を見つめた。
「実家に戻るん?」
「実家というか……」
 朱墨を浸した小筆に持ち替えた秋鹿(あいか)が、新しい半紙に文字のような、文字でないようなものを書き続けていく。
「別荘、みたいな場所があるから」
「ほへぇ~、別荘!秋鹿(あいか)さんって、ほんまにボンボンなんやね。別荘……。行ったことあれへんなあ。ちゅうか、修学旅行以外で、泊りで出かけたことなんかあれへんけど」
「繁盛してるからな、沢潟屋(おもだかや)は。まとまった休みを取るのも難しいだろう」
「まあ、うん……」
 口ごもり黙り込んだ(あきら)を横目で見て、秋鹿(あいか)はコトリと小さな音を立てて筆を置いた。
「剣道に、夏休みはあるのか?」
「え?うん。お盆挟んだ十日間は休みやで」
「来てみるか?」
「どこに?」
「別荘」
「ほんま?!ええの?」
 がばっと迫ってきた(あきら)の頭を、秋鹿(あいか)の左手が素早く押える。
「近い。……ただし、俺は先に戻る。ひとりで来られるか?切符は用意してやるし、箱根に着いたら迎えを出すから」
「別荘って、ハコネにあるんや。……ハコネって何県?……交通費、払われへんな……」
 しゅんとうつむく(あきら)の頭を、秋鹿(あいか)がポンポンと手で叩いた。
「話を聞いていたか?切符は用意すると言っただろう。中間を頑張ったご褒美だと思えばいい」
「……ええの?」
「“ほんまのボンボン”だから気にするな」
「せやけど……」
「じゃあ、お礼をもらおうか。沢潟屋(おもだかや)の桃大福を持ってきて。高梁(たかはし)さんも買えないと言っていたし」
「ああ、うん。人気の限定品やさかい、予約も受けきれへんって、おとうちゃんも言うとった。秋鹿(あいか)さんって、お菓子食べるんや?今度、何か持ってこよか?」
 秋鹿(あいか)からのリクエストが嬉しい(あきら)は、張り切って提案してみたのだが。
「いや、

食べない。箱根に来るときに持ってきて。……あれは気に入ると思うから」
「ふーうん?そうなんやな。うん、わかった!」
 「ここでは」の意味はわからなかったが、(あきら)は素直にうなずく。
 旅行ができることも、沢潟屋(おもだかや)の菓子を食べてもらえることも。
 なにより秋鹿(あいか)と夏休みも一緒にいられることが嬉しくて、(あきら)の心は沸き立つ。
「たっのしみやなぁ!あ、せやけど……。おとうちゃんたち、許してくれるやろか」
高梁(たかはし)さんから話をしてもらおう。もし不安なら、道中一緒に」
「いや、ひとりで行けるで!」
 (あきら)の大声に目を丸くした秋鹿(あいか)が、一瞬のちにふっと吹き出して笑った。
「第一印象が悪かった?冷たそうに見えるけれど、子供の相手は上手な人だよ」
「……ええぇ~……」
 「嘘やん」という言葉を飲み込んだ(あきら)の微妙な表情に、秋鹿(あいか)が再び吹き出す。
「この間は仕事モードだったからね。向こうで会うかもしれない。きっとそのときは、プライベートモードの高梁(たかはし)さんを見られるよ」
「た、タカハシさんも来るん?」
「仕事があるから、そう頻繁には来ないと思うけど。一応、俺の世話係だからね。さて、答案を見せてもらえる?」
 墨の乾いた半紙を一束にしてまとめ、机の端に寄せると。
 秋鹿(あいか)(あきら)に向き直って手を差し出す。
「国語は……、この漢字を落としたのか。あとはまあ……。うん、ケアレスミスが多いね。もう少し緻密に準備したら、まだ点数は上がる」
「ほんま?これからもよろしゅう!」
「コツは教えた。次はもう自分で」
「でけへん!」
「……胸を張るとこじゃないだろう……」
 ため息をつく秋鹿(あいか)に、(あきら)は満面の笑みを見せた。


 秋鹿(あいか)と並んで裏木戸から出た(あきら)は、夕方の6時を回っているとは思えないほど明るい空を見上げて、ひとつ伸びをした。
 いつの間にか雨は止み、雲の切れ間からは、小さな青空が顔を出している。
「ひっさしぶりに青い空見たわ」
 (あきら)が耳を澄ますと、遠くニイニイゼミの声が聞こえてきていた。
「こないな時間やのに、まだ明るい」
「少し引き止めすぎたな。悪かった」
 5時を過ぎたことに気づいた(あきら)が、帰り支度をしようとしたとき。
 珍しいことに、秋鹿(あいか)が「もう少しいろ」と言って、自ら淹れ直した紅茶とスコーンを振舞ってくれたのだ。
秋鹿(あいか)さんの手作りのスコーン、めっちゃうまかった!」
「そうか」
「また食べたい!」
「機会があれば」
「もっと食べたかった!」
「五個も食べておいて?」
 ”ぶっ飛ばない”会話を続けてくれる秋鹿(あいか)が珍しくて、(あきら)はまじまじとその仏頂面を見上げる。
「今日、なんでそないにサービスええの?送ってくれるやら、初めてちゃう?」
「……空気が濁ってる」
「え?」
 (あきら)は慌ててもう一度空を見上げたが、先ほどより面積を広げた青空の下で吹く風は、ただ夏を予感させるものでしかなかった。
 どういう意味か聞こうと、(あきら)秋鹿(あいか)を見上げると。
「……引き返してきた……」
 足を止めた秋鹿(あいか)が眉間にしわを寄せていた。
「何が?」
(あきら)、夕飯うちで食べていくか?」
「え、何で?」
 (あきら)の目が丸くなる。
「そこまでお世話になるわけには」
「いや、別にいい」
 (きびす)を返した秋鹿(あいか)が、縫い留められたように動かない(あきら)を振り返った。
「どうした」
「せっかく誘うてもうたけど、秋鹿(あいか)さん……。今日な、答案見せる約束してんねん」
「夜でもいいだろう」
「でも、あの、学校から帰ったら、すぐ見せろって言われてとって」
「誰に」
「ねえちゃんに。ここんとこ、ずっと秋鹿(あいか)さんとこ、入り浸りやったろ?遊んでるんちゃうかって、疑われてるんや」
 無言のまま、秋鹿(あいか)はうつむく(あきら)に歩み寄る。
「成績悪かったら、またねえちゃんが勉強みるからって。……俺が勉強でけへんさかい、秋鹿(あいか)さんまでそないに疑われて、ほんまにかんにんな。せやけど!」
 きゅっと唇を結んで、(あきら)秋鹿(あいか)を見上げた。
「これ見たら、絶対わかってくれる!秋鹿(あいか)さんがどんだけすごい人か!だって、こないに点数取れたの初めてだし!」
「俺じゃない。お前の努力の成果だ。……これが縁ってやつか」
「えっと……?」
(あきら)
「はい」
「ひとつ約束してほしい」
「何を?」
 とまどう(あきら)を、秋鹿(あいか)が間近から(のぞ)きこむ。
「どんなに強い怒りを感じたとしても、我を忘れてはいけない」
「え、どゆこと?」
 黙ったままの秋鹿(あいか)に、(あきら)は困惑してもごもごと口ごもった。
「約束、守られへんかったら?」
「茶道部への立ち入り禁止」
「えっ?!」

(そんなん言うたって、茶道部なんてあれへんやん。そもそも、あんた帰宅部やんけ。……せやけど、秋鹿(あいか)さんと会われへんくなるんは絶対……)

「嫌や!する!約束します!」
 いろいろ言いたいことを飲み込んで、(こぶし)を振り上げて決意表明をした(あきら)に、ひとつうなずいて。
 秋鹿(あいか)は険しい表情で、どこか遠くをにらんだ。
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