因果の足音
文字数 4,090文字
(表門といか》が世話になっている「お茶の師匠さん」の家は、伝統的日本家屋でありながら、ところどころに備え付けられている近代的設備が、妙に目を引く家だった。
(表門と同じで、どっかに防犯カメラもあるって言うとったなあ)
巧妙に隠されているらしいカメラを見つけられたことはない。
防犯意識の高い「お茶のお師匠さん」の家は、敷地を取り囲む板塀も相当の高さがある。
そのおかげで、中の様子はまったく見えない家のインターホンを、
(やっぱり迷惑がられたら、どないしよう……)
再び湧いてきた不安に、呼び出しボタンを押す指にも力が入らない。
だが。
「ああ、お待ちしてましたで。さあ、どうぞ」
穏やかなお師匠さんの声が聞こえたと同時に、遠隔操作されて鍵の開く、カチリという硬い音する。
「待っていた」という言葉にほっとし内側に入ると、木戸から手を離したのと間を置かずして、自動で鍵のかかる音が背中で響いた。
「あの、ごめんください」
裏口の引き戸を開けながら遠慮がちに声を掛けると、すぐさま家の奥から足音が近づいてくる。
「まあま、ようこそ。
ニコニコしている「いくこさん」にほっとしながらも、
(待ってるって、ほんまかな。なんで黙って帰ってもうたんかいな)
「
「入ってもらって」
「どうぞ」
「いくこさん」に
新しい畳の香りに満ちた8畳間は、梅雨の季節とは思えないようなすがすがしさに満ちている。
「遅かったな」
涼しい顔で振り返る
「だって、
「待たせてしまって悪かったな。早めにやっておきたいことがあって」
「ショートメールやらくれたらよかったのに」
「そんなことしなくても、どうせ来るだろう?」
「まあ、そうやけど」
どうやら本当に待っててくれたらしいと思えば、どことなく、くすぐったい気持ちになる。
「で?試験結果はどうだった?」
「全部、平均点以上やったで。自分でもびっくりや」
カバンの中から折りじわのついた答案を出しながら、
「まあ、中学になって初めての中間だから。期末はもっと早くから準備しないと、こうはいかないぞ」
「
「……期末も面倒を見ないといけないのか?」
「え、あかんの?」
それは漢字のような、崩し文字のような、何かの模様のような。
「夏休みの宿題も、一緒にやろうと思っとったのに。……
「夏休みに入ったら戻る。大阪にはいない」
「え?!」
息を飲んで、
「実家に戻るん?」
「実家というか……」
朱墨を浸した小筆に持ち替えた
「別荘、みたいな場所があるから」
「ほへぇ~、別荘!
「繁盛してるからな、
「まあ、うん……」
口ごもり黙り込んだ
「剣道に、夏休みはあるのか?」
「え?うん。お盆挟んだ十日間は休みやで」
「来てみるか?」
「どこに?」
「別荘」
「ほんま?!ええの?」
がばっと迫ってきた
「近い。……ただし、俺は先に戻る。ひとりで来られるか?切符は用意してやるし、箱根に着いたら迎えを出すから」
「別荘って、ハコネにあるんや。……ハコネって何県?……交通費、払われへんな……」
しゅんとうつむく
「話を聞いていたか?切符は用意すると言っただろう。中間を頑張ったご褒美だと思えばいい」
「……ええの?」
「“ほんまのボンボン”だから気にするな」
「せやけど……」
「じゃあ、お礼をもらおうか。
「ああ、うん。人気の限定品やさかい、予約も受けきれへんって、おとうちゃんも言うとった。
「いや、
ここでは
食べない。箱根に来るときに持ってきて。……あれは気に入ると思うから」「ふーうん?そうなんやな。うん、わかった!」
「ここでは」の意味はわからなかったが、
旅行ができることも、
なにより
「たっのしみやなぁ!あ、せやけど……。おとうちゃんたち、許してくれるやろか」
「
「いや、ひとりで行けるで!」
「第一印象が悪かった?冷たそうに見えるけれど、子供の相手は上手な人だよ」
「……ええぇ~……」
「嘘やん」という言葉を飲み込んだ
「この間は仕事モードだったからね。向こうで会うかもしれない。きっとそのときは、プライベートモードの
「た、タカハシさんも来るん?」
「仕事があるから、そう頻繁には来ないと思うけど。一応、俺の世話係だからね。さて、答案を見せてもらえる?」
墨の乾いた半紙を一束にしてまとめ、机の端に寄せると。
「国語は……、この漢字を落としたのか。あとはまあ……。うん、ケアレスミスが多いね。もう少し緻密に準備したら、まだ点数は上がる」
「ほんま?これからもよろしゅう!」
「コツは教えた。次はもう自分で」
「でけへん!」
「……胸を張るとこじゃないだろう……」
ため息をつく
◇
いつの間にか雨は止み、雲の切れ間からは、小さな青空が顔を出している。
「ひっさしぶりに青い空見たわ」
「こないな時間やのに、まだ明るい」
「少し引き止めすぎたな。悪かった」
5時を過ぎたことに気づいた
珍しいことに、
「
「そうか」
「また食べたい!」
「機会があれば」
「もっと食べたかった!」
「五個も食べておいて?」
”ぶっ飛ばない”会話を続けてくれる
「今日、なんでそないにサービスええの?送ってくれるやら、初めてちゃう?」
「……空気が濁ってる」
「え?」
どういう意味か聞こうと、
「……引き返してきた……」
足を止めた
「何が?」
「
「え、何で?」
「そこまでお世話になるわけには」
「いや、別にいい」
「どうした」
「せっかく誘うてもうたけど、
「夜でもいいだろう」
「でも、あの、学校から帰ったら、すぐ見せろって言われてとって」
「誰に」
「ねえちゃんに。ここんとこ、ずっと
無言のまま、
「成績悪かったら、またねえちゃんが勉強みるからって。……俺が勉強でけへんさかい、
きゅっと唇を結んで、
「これ見たら、絶対わかってくれる!
「俺じゃない。お前の努力の成果だ。……これが縁ってやつか」
「えっと……?」
「
「はい」
「ひとつ約束してほしい」
「何を?」
とまどう
「どんなに強い怒りを感じたとしても、我を忘れてはいけない」
「え、どゆこと?」
黙ったままの
「約束、守られへんかったら?」
「茶道部への立ち入り禁止」
「えっ?!」
(そんなん言うたって、茶道部なんてあれへんやん。そもそも、あんた帰宅部やんけ。……せやけど、
「嫌や!する!約束します!」
いろいろ言いたいことを飲み込んで、