美しき反逆者

文字数 3,473文字

 気がつけば、いつの間にか鬼の腕は再生されていた。
 いや、再生などという表現では生温(なまぬる)い。
 切断面からは幾本もの触手が生え出で、腕の原型など留めてはいなかった。 
「マズオ前カラ死ネ、ちゃんどらアアアアア!」
 琉沱(るた)であった闇鬼(アンデラ)が、クガビルの群れのような闇腕を蒼玉(そうぎょく)へと放つ。
「ハハハハハっ!死ネ、消エサレぇぇ」
 触手たちの先がグワリと口を開き、戦士の少女に喰らいつこうとしたが。
「うああああああああっ」
 うなりを上げて襲いくる二本の光のまぶしさに、闇鬼(アンデラ)がのけぞり触手が宙に躍った。
駿河(するが)!」
「承知だっ」
 太陽(スーリヤ)が放つアーユスの矢と若武者の太刀が、蒼玉(そうぎょく)に襲いかかる琉沱(るた)の触手を切り落としていく。
 ぼたぼたと落ちた幾本ものヒルが床で(うごめ)き、ジュワリと溶け消えていった。
「……駿河(するが)さま……。……太陽(スーリヤ)……」
 息も絶え絶えな蒼玉(そうぎょく)の顔が上がり、腫れ上がった唇から血が一滴、ぽたりと自らの影に垂れ落ちていく。
「……此方(こち)や、急急如律令、月兎(げつと)……」
「御意!」
 血の契約で呼び出された白ウサギが闇蔦(やみづた)を蹴り千切り、(あるじ)の体を抱きしめながら、身軽に着地した。
「オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラマニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン!!」※1
 アーユスを高めた稀鸞(きらん)が雷鳴のようなマントラを唱え、放たれたアーユスの光が、琉沱(るた)だった鬼を貫いていく。
 だが、砕いても溶かしても。
 琉沱(るた)鬼の体は間断なく再生を続け、醜悪にも大きくなり続けていった。 
 しかも。
 かつて人間だった闇鬼(アンデラ)の半身が埋まる闇の、さらに奥底から。
 屋敷全体を揺るがすおぞましい気配が急速に膨れ上がり、地上へと迫ってきている。
「ハハ!ははははは!!破レルゾ!永キニ渡リ封ジラレタ門ガ!残ルアカシャはオマエひとりっ」
 顔を口にして(わら)闇鬼(アンデラ)の耳障りな声が響く間にも、闇穴は見る間に広がっていった。


『闇穴の下層界には、絶大な力を持つ闇鬼(アンデラ)たちがいます。それを封じていたのが、四つの村の天空(アカシャ)とその腕輪の力。三人の天空(アカシャ)が命尽きたことで均衡が崩れ、封印が解けたのです。私ひとりで再び封をする方法は、たったひとつでした』
 深く目を閉じる稀鸞(きらん)のアーユスは、どこまでも静かだった。


 月兎(げつと)の腕の中で、蒼玉(そうぎょく)がふるりと震える。
「アグニ・アカシャ。……門が、開きます」
「アカシャ、お任せください」
「いや、お前はまだ若い。添うべき者もいるだろう」
 闇穴に向かおうとした太陽(スーリヤ)を引き留め、その背を守る若武者に稀鸞(きらん)は微笑みかけた。
「スーリヤ、最後の命だ。アグニの皆は逃がした。ウダカ、そしてタルとアヤスの命ある者を集め、守ってほしい。これからは、お前が皆を導いていけ。駿河(するが)殿、我が同朋をお頼みいたします」
「ですが」
「北条 顕香(あきか)殿。……どうか、お願いいたします」
「!」
 真名を呼ばれての願いに、若武者はぐぅと口を閉じた。
「スーリヤ。これまで先代のグールーに代わり、よくヴィーラたちを率いてくれた。アンデラが滅すれば、また別の生き方も開かれよう」
月兎(げつと)!」
 蒼玉(そうぎょく)に反応した白ウサギが、くるりと一回転をしながら、忍び寄ってきた瑠璃(るり)から距離を取る。
「ちょこまかとっ」
 太刀を構え直す少女と稀鸞(きらん)たちが刃を混じるが、その太刀はいつにないほど鋭く、重い。
 三人の攻撃をかわす動きも素早く、稀鸞(きらん)は違和感を覚えずにはいられない。
「タルラ、お前はいったい……」
「正気に戻れ、タルラ!」
「私は正気よっ」
 星の少女が叫び、腕輪を打ちつければ。
瑠璃(るり)、それって……」
 太陽(スーリヤ)が絶句して見つめる先で、腕輪が見る間に漆黒に染まっていく。
「堕ちたか、裏切者!我が(あるじ)の恩を(あだ)で返すとはっ。何度お前の失態を!!」
「裏切者?恩?笑わせないでっ!」
 放たれる闇をかわしながら絶叫する月兎(げつと)に、瑠璃(るり)(わら)う。
「アグニ・チャンドラこそ、本当の裏切者じゃないの、……!」
 動きを止めた星の少女の、艶のある前髪がはらりと散った。
 太陽(スーリヤ)が放ったアーユスの矢が瑠璃(るり)の顔面すれすれに飛ばされ、刺さった床を削りながら消えていく。
「あたしの妹を愚弄(ぐろう)するな!アグニ・チャンドラが二心持っていたことなんてないんだ。これまでも、これからもね!」
 同時に飛び出した太陽(スーリヤ)(タルラ)の太刀がぶつかり合い、火花を散らした。
「闇堕ちの親を持つくせに!」
「だからどうした!」
 太刀が交わり、金属音が絶え間なく血なまぐさい部屋に響く。
 戦士(ヴィーラ)同士の戦いは壮絶であり、だが、極彩色の二羽の鳥が争っているようでもあった。
「人の心は変わるわ!絶対なんてないものっ」
「だからこそ!」
 太陽(スーリヤ)の刀が振り抜かれ、(タルラ)の肩を守る武具と深緑の衣が切り裂かれる。
「努力するんじゃないか!変わらずにいられるように、笑っていられるようにっ」
「くっ……」
 太刀を落とした(タルラ)の腕から血が流れ落ち、指先から床へと(したた)った。
「アグニ・チャンドラが笑ってるところなんて、見たことがないわ」
「見ようともしないくせに」
「!」
 太刀を収め、腕輪を構えた太陽(スーリヤ)から(タルラ)が距離を取る。
「うるさい!あんたに何がわかるのっ」
 今や無明の夜のような腕輪を打ち鳴らすと、(タルラ)太陽(スーリヤ)に闇を放った。
 怒りをたぎらせながらも、なお美しさを損なわない星の少女を横目に、稀鸞(きらん)は素早く九字を切る。
 そして、両手の指を折り込んだ内縛印(ないばくいん)を結ぶと、明瞭な早口で不動明王の中咒(ちゅうじゅ)を唱えた。※1
「ノウマク・サンマンダバザラダン・センダマカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン」
 次に剣印を結び。
「オン・キリキリ」
 そして刀印。
「オン・キリキリ」
 転法輪印(てんぽうりんいん)に変えて再び中咒(ちゅうじゅ)を唱え、素早く外五鈷印(げごこいん)を結び直して。※2
「ノウマク・サラバタタ・ギャティビャク・サラバボッケイビャ・サラバタタラタ・センダマカロシャダ・ケンギャキギャキ・サラバビギナン・ウンタラタ・カンマン」
 大咒(たいじゅ)を唱え、諸天救勅印(しょてんきゅうちょくいん)を結べば。※3
 闇鬼(アンデラ)と化した琉沱(るた)は目をむいて、額から黒い汗を噴き出した。
 握り占めた手がぶるぶると震えて、動かしたくとも動かせない、その葛藤が鬼の顔を(ゆが)ませている。
「オン・キリウン・キャクウン」
 鬼の口から、ねちょりとした(よだれ)が、だらりだらりと流れ落ちた。
 掌の外で十指を組んだ外縛印(げばくいん)を結び、さらに中咒(ちゅうじゅ)を唱えて”不動金縛りの法”を完成させて、完全に動けなくなった闇鬼(アンデラ)稀鸞(きらん)は羽交い絞めにする。
「ナ……ニヲ……」
「ともに消えよう、琉沱(るた)。お前の執着と私の劣弱さが招いたこの悲劇を、ここで終わらせよう」
「ヤ……メロ、ヤメロ!」
「チャンドラ、マントラで援護を!」
「……はい」
 若武者から傷の手当てを受けた蒼玉(そうぎょく)が立ち上がり、銀の腕輪を打ち鳴らした。
「オーム・ナモー・バガヴァテー・ルドラーヤ」※4
 いくつもの神楽鈴が、一斉に振られたような声が辺りに響き渡る。
「オン・アミリテイ・ウン・ハッタ オン・キリキリ・バサラ・ウン・ハッタ」

――聖なる 軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)よ 浄めよ 砕けよ――

 稀鸞(きらん)の唱えが重なり、空気を鳴動させた。
「オン・バサラ・ヤキシュ・ウン」
 傷に当てられた布には、まだ血がにじみ広がる体で。
 蒼玉(そうぎょく)はそれでも、怨敵を退散させる金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)のマントラを(うたい)いあげる。
「オン・シュチリ・キャラロハ・ウンケン・ソワカ!」※5
 神楽鈴がマントラを唱え終わるのと同時に、稀鸞(きらん)の全身から放たれる光に闇鬼(アンデラ)が飲まれていった。
 そのまぶしさに、太陽(スーリヤ)が目を(すが)めた、そのとき。
「タルラ?!」
 光の(うず)に、(タルラ)が身を投げるように飛び込んでいった。
「……ヨクゾ来タ、ルリ……。オマエのソレとアーユスサエアレバ……」
 身を捧げた美しい少女の体を、闇鬼(アンデラ)の鋭く長い爪が差し貫く。
「……ちちうえ……」
「戻って!瑠璃(るり)、戻って!」
「いいの。アタシはこれで、いいのよ」
 太陽(スーリヤ)の叫び声に小さなつぶやきを返して。
 星の少女は闇鬼(アンデラ)稀鸞(きらん)とともに、闇と光りがせめぎ合う中に消えていく。
 最後に、まるで爆発したかのような輝きが室内を照らし上げた。
「!」
 思わず腕で顔をかばった太陽(スーリヤ)が、再び目を開けたときには。
 血塗られた部屋に燃え移ってきた炎の音だけが、残響のように辺りを包んでいた。

※1 不動明王マントラには小咒(しょうじゅ)中咒(ちゅうじゅ)大咒(たいじゅ)がある
※2 転法輪印 (てんぽうりんいん)
 とっても説明しにくいので、ご興味がある方は検索を
外五鈷印(げごこいん) 
 外縛(げばく)した指を、薬指以外立て合わせ、人差し指をツノの形に折り曲げ、手にふくらみを持たせる
※3 諸天救勅印(しょてんきゅうちょくいん)
 外縛印(げばくいん)から第二指を立てて指先を合わせる
※4 ルドラマントラ ルドラはシヴァの怒りの側面を表した神格 心の束縛から解放され、かつてない吉兆と光輝をもたらす
※5 大威徳明王(だいいとくみょうおう)マントラ 
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