美しき反逆者
文字数 3,473文字
気がつけば、いつの間にか鬼の腕は再生されていた。
いや、再生などという表現では生温 い。
切断面からは幾本もの触手が生え出で、腕の原型など留めてはいなかった。
「マズオ前カラ死ネ、ちゃんどらアアアアア!」
琉沱 であった闇鬼 が、クガビルの群れのような闇腕を蒼玉 へと放つ。
「ハハハハハっ!死ネ、消エサレぇぇ」
触手たちの先がグワリと口を開き、戦士の少女に喰らいつこうとしたが。
「うああああああああっ」
うなりを上げて襲いくる二本の光のまぶしさに、闇鬼 がのけぞり触手が宙に躍った。
「駿河 !」
「承知だっ」
太陽 が放つアーユスの矢と若武者の太刀が、蒼玉 に襲いかかる琉沱 の触手を切り落としていく。
ぼたぼたと落ちた幾本ものヒルが床で蠢 き、ジュワリと溶け消えていった。
「……駿河 さま……。……太陽 ……」
息も絶え絶えな蒼玉 の顔が上がり、腫れ上がった唇から血が一滴、ぽたりと自らの影に垂れ落ちていく。
「……此方 や、急急如律令、月兎 ……」
「御意!」
血の契約で呼び出された白ウサギが闇蔦 を蹴り千切り、主 の体を抱きしめながら、身軽に着地した。
「オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラマニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン!!」※1
アーユスを高めた稀鸞 が雷鳴のようなマントラを唱え、放たれたアーユスの光が、琉沱 だった鬼を貫いていく。
だが、砕いても溶かしても。
琉沱 鬼の体は間断なく再生を続け、醜悪にも大きくなり続けていった。
しかも。
かつて人間だった闇鬼 の半身が埋まる闇の、さらに奥底から。
屋敷全体を揺るがすおぞましい気配が急速に膨れ上がり、地上へと迫ってきている。
「ハハ!ははははは!!破レルゾ!永キニ渡リ封ジラレタ門ガ!残ルアカシャはオマエひとりっ」
顔を口にして嗤 う闇鬼 の耳障りな声が響く間にも、闇穴は見る間に広がっていった。
◇
『闇穴の下層界には、絶大な力を持つ闇鬼 たちがいます。それを封じていたのが、四つの村の天空 とその腕輪の力。三人の天空 が命尽きたことで均衡が崩れ、封印が解けたのです。私ひとりで再び封をする方法は、たったひとつでした』
深く目を閉じる稀鸞 のアーユスは、どこまでも静かだった。
◇
月兎 の腕の中で、蒼玉 がふるりと震える。
「アグニ・アカシャ。……門が、開きます」
「アカシャ、お任せください」
「いや、お前はまだ若い。添うべき者もいるだろう」
闇穴に向かおうとした太陽 を引き留め、その背を守る若武者に稀鸞 は微笑みかけた。
「スーリヤ、最後の命だ。アグニの皆は逃がした。ウダカ、そしてタルとアヤスの命ある者を集め、守ってほしい。これからは、お前が皆を導いていけ。駿河 殿、我が同朋をお頼みいたします」
「ですが」
「北条顕香 殿。……どうか、お願いいたします」
「!」
真名を呼ばれての願いに、若武者はぐぅと口を閉じた。
「スーリヤ。これまで先代のグールーに代わり、よくヴィーラたちを率いてくれた。アンデラが滅すれば、また別の生き方も開かれよう」
「月兎 !」
蒼玉 に反応した白ウサギが、くるりと一回転をしながら、忍び寄ってきた瑠璃 から距離を取る。
「ちょこまかとっ」
太刀を構え直す少女と稀鸞 たちが刃を混じるが、その太刀はいつにないほど鋭く、重い。
三人の攻撃をかわす動きも素早く、稀鸞 は違和感を覚えずにはいられない。
「タルラ、お前はいったい……」
「正気に戻れ、タルラ!」
「私は正気よっ」
星の少女が叫び、腕輪を打ちつければ。
「瑠璃 、それって……」
太陽 が絶句して見つめる先で、腕輪が見る間に漆黒に染まっていく。
「堕ちたか、裏切者!我が主 の恩を仇 で返すとはっ。何度お前の失態を!!」
「裏切者?恩?笑わせないでっ!」
放たれる闇をかわしながら絶叫する月兎 に、瑠璃 が嗤 う。
「アグニ・チャンドラこそ、本当の裏切者じゃないの、……!」
動きを止めた星の少女の、艶のある前髪がはらりと散った。
太陽 が放ったアーユスの矢が瑠璃 の顔面すれすれに飛ばされ、刺さった床を削りながら消えていく。
「あたしの妹を愚弄 するな!アグニ・チャンドラが二心持っていたことなんてないんだ。これまでも、これからもね!」
同時に飛び出した太陽 と星 の太刀がぶつかり合い、火花を散らした。
「闇堕ちの親を持つくせに!」
「だからどうした!」
太刀が交わり、金属音が絶え間なく血なまぐさい部屋に響く。
戦士 同士の戦いは壮絶であり、だが、極彩色の二羽の鳥が争っているようでもあった。
「人の心は変わるわ!絶対なんてないものっ」
「だからこそ!」
太陽 の刀が振り抜かれ、星 の肩を守る武具と深緑の衣が切り裂かれる。
「努力するんじゃないか!変わらずにいられるように、笑っていられるようにっ」
「くっ……」
太刀を落とした星 の腕から血が流れ落ち、指先から床へと滴 った。
「アグニ・チャンドラが笑ってるところなんて、見たことがないわ」
「見ようともしないくせに」
「!」
太刀を収め、腕輪を構えた太陽 から星 が距離を取る。
「うるさい!あんたに何がわかるのっ」
今や無明の夜のような腕輪を打ち鳴らすと、星 は太陽 に闇を放った。
怒りをたぎらせながらも、なお美しさを損なわない星の少女を横目に、稀鸞 は素早く九字を切る。
そして、両手の指を折り込んだ内縛印 を結ぶと、明瞭な早口で不動明王の中咒 を唱えた。※1
「ノウマク・サンマンダバザラダン・センダマカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン」
次に剣印を結び。
「オン・キリキリ」
そして刀印。
「オン・キリキリ」
転法輪印 に変えて再び中咒 を唱え、素早く外五鈷印 を結び直して。※2
「ノウマク・サラバタタ・ギャティビャク・サラバボッケイビャ・サラバタタラタ・センダマカロシャダ・ケンギャキギャキ・サラバビギナン・ウンタラタ・カンマン」
大咒 を唱え、諸天救勅印 を結べば。※3
闇鬼 と化した琉沱 は目をむいて、額から黒い汗を噴き出した。
握り占めた手がぶるぶると震えて、動かしたくとも動かせない、その葛藤が鬼の顔を歪 ませている。
「オン・キリウン・キャクウン」
鬼の口から、ねちょりとした涎 が、だらりだらりと流れ落ちた。
掌の外で十指を組んだ外縛印 を結び、さらに中咒 を唱えて”不動金縛りの法”を完成させて、完全に動けなくなった闇鬼 を稀鸞 は羽交い絞めにする。
「ナ……ニヲ……」
「ともに消えよう、琉沱 。お前の執着と私の劣弱さが招いたこの悲劇を、ここで終わらせよう」
「ヤ……メロ、ヤメロ!」
「チャンドラ、マントラで援護を!」
「……はい」
若武者から傷の手当てを受けた蒼玉 が立ち上がり、銀の腕輪を打ち鳴らした。
「オーム・ナモー・バガヴァテー・ルドラーヤ」※4
いくつもの神楽鈴が、一斉に振られたような声が辺りに響き渡る。
「オン・アミリテイ・ウン・ハッタ オン・キリキリ・バサラ・ウン・ハッタ」
――聖なる軍荼利明王 よ 浄めよ 砕けよ――
稀鸞 の唱えが重なり、空気を鳴動させた。
「オン・バサラ・ヤキシュ・ウン」
傷に当てられた布には、まだ血がにじみ広がる体で。
蒼玉 はそれでも、怨敵を退散させる金剛夜叉明王 のマントラを謳 いあげる。
「オン・シュチリ・キャラロハ・ウンケン・ソワカ!」※5
神楽鈴がマントラを唱え終わるのと同時に、稀鸞 の全身から放たれる光に闇鬼 が飲まれていった。
そのまぶしさに、太陽 が目を眇 めた、そのとき。
「タルラ?!」
光の渦 に、星 が身を投げるように飛び込んでいった。
「……ヨクゾ来タ、ルリ……。オマエのソレとアーユスサエアレバ……」
身を捧げた美しい少女の体を、闇鬼 の鋭く長い爪が差し貫く。
「……ちちうえ……」
「戻って!瑠璃 、戻って!」
「いいの。アタシはこれで、いいのよ」
太陽 の叫び声に小さなつぶやきを返して。
星の少女は闇鬼 と稀鸞 とともに、闇と光りがせめぎ合う中に消えていく。
最後に、まるで爆発したかのような輝きが室内を照らし上げた。
「!」
思わず腕で顔をかばった太陽 が、再び目を開けたときには。
血塗られた部屋に燃え移ってきた炎の音だけが、残響のように辺りを包んでいた。
※1 不動明王マントラには小咒 ・中咒 ・大咒 がある
※2転法輪印
とっても説明しにくいので、ご興味がある方は検索を
外五鈷印
外縛 した指を、薬指以外立て合わせ、人差し指をツノの形に折り曲げ、手にふくらみを持たせる
※3諸天救勅印
外縛印 から第二指を立てて指先を合わせる
※4 ルドラマントラ ルドラはシヴァの怒りの側面を表した神格 心の束縛から解放され、かつてない吉兆と光輝をもたらす
※5大威徳明王 マントラ
いや、再生などという表現では
切断面からは幾本もの触手が生え出で、腕の原型など留めてはいなかった。
「マズオ前カラ死ネ、ちゃんどらアアアアア!」
「ハハハハハっ!死ネ、消エサレぇぇ」
触手たちの先がグワリと口を開き、戦士の少女に喰らいつこうとしたが。
「うああああああああっ」
うなりを上げて襲いくる二本の光のまぶしさに、
「
「承知だっ」
ぼたぼたと落ちた幾本ものヒルが床で
「……
息も絶え絶えな
「……
「御意!」
血の契約で呼び出された白ウサギが
「オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラマニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン!!」※1
アーユスを高めた
だが、砕いても溶かしても。
しかも。
かつて人間だった
屋敷全体を揺るがすおぞましい気配が急速に膨れ上がり、地上へと迫ってきている。
「ハハ!ははははは!!破レルゾ!永キニ渡リ封ジラレタ門ガ!残ルアカシャはオマエひとりっ」
顔を口にして
◇
『闇穴の下層界には、絶大な力を持つ
深く目を閉じる
◇
「アグニ・アカシャ。……門が、開きます」
「アカシャ、お任せください」
「いや、お前はまだ若い。添うべき者もいるだろう」
闇穴に向かおうとした
「スーリヤ、最後の命だ。アグニの皆は逃がした。ウダカ、そしてタルとアヤスの命ある者を集め、守ってほしい。これからは、お前が皆を導いていけ。
「ですが」
「北条
「!」
真名を呼ばれての願いに、若武者はぐぅと口を閉じた。
「スーリヤ。これまで先代のグールーに代わり、よくヴィーラたちを率いてくれた。アンデラが滅すれば、また別の生き方も開かれよう」
「
「ちょこまかとっ」
太刀を構え直す少女と
三人の攻撃をかわす動きも素早く、
「タルラ、お前はいったい……」
「正気に戻れ、タルラ!」
「私は正気よっ」
星の少女が叫び、腕輪を打ちつければ。
「
「堕ちたか、裏切者!我が
「裏切者?恩?笑わせないでっ!」
放たれる闇をかわしながら絶叫する
「アグニ・チャンドラこそ、本当の裏切者じゃないの、……!」
動きを止めた星の少女の、艶のある前髪がはらりと散った。
「あたしの妹を
同時に飛び出した
「闇堕ちの親を持つくせに!」
「だからどうした!」
太刀が交わり、金属音が絶え間なく血なまぐさい部屋に響く。
「人の心は変わるわ!絶対なんてないものっ」
「だからこそ!」
「努力するんじゃないか!変わらずにいられるように、笑っていられるようにっ」
「くっ……」
太刀を落とした
「アグニ・チャンドラが笑ってるところなんて、見たことがないわ」
「見ようともしないくせに」
「!」
太刀を収め、腕輪を構えた
「うるさい!あんたに何がわかるのっ」
今や無明の夜のような腕輪を打ち鳴らすと、
怒りをたぎらせながらも、なお美しさを損なわない星の少女を横目に、
そして、両手の指を折り込んだ
「ノウマク・サンマンダバザラダン・センダマカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン」
次に剣印を結び。
「オン・キリキリ」
そして刀印。
「オン・キリキリ」
「ノウマク・サラバタタ・ギャティビャク・サラバボッケイビャ・サラバタタラタ・センダマカロシャダ・ケンギャキギャキ・サラバビギナン・ウンタラタ・カンマン」
握り占めた手がぶるぶると震えて、動かしたくとも動かせない、その葛藤が鬼の顔を
「オン・キリウン・キャクウン」
鬼の口から、ねちょりとした
掌の外で十指を組んだ
「ナ……ニヲ……」
「ともに消えよう、
「ヤ……メロ、ヤメロ!」
「チャンドラ、マントラで援護を!」
「……はい」
若武者から傷の手当てを受けた
「オーム・ナモー・バガヴァテー・ルドラーヤ」※4
いくつもの神楽鈴が、一斉に振られたような声が辺りに響き渡る。
「オン・アミリテイ・ウン・ハッタ オン・キリキリ・バサラ・ウン・ハッタ」
――聖なる
「オン・バサラ・ヤキシュ・ウン」
傷に当てられた布には、まだ血がにじみ広がる体で。
「オン・シュチリ・キャラロハ・ウンケン・ソワカ!」※5
神楽鈴がマントラを唱え終わるのと同時に、
そのまぶしさに、
「タルラ?!」
光の
「……ヨクゾ来タ、ルリ……。オマエのソレとアーユスサエアレバ……」
身を捧げた美しい少女の体を、
「……ちちうえ……」
「戻って!
「いいの。アタシはこれで、いいのよ」
星の少女は
最後に、まるで爆発したかのような輝きが室内を照らし上げた。
「!」
思わず腕で顔をかばった
血塗られた部屋に燃え移ってきた炎の音だけが、残響のように辺りを包んでいた。
※1 不動明王マントラには
※2
とっても説明しにくいので、ご興味がある方は検索を
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※4 ルドラマントラ ルドラはシヴァの怒りの側面を表した神格 心の束縛から解放され、かつてない吉兆と光輝をもたらす
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