おくり人-2-

文字数 2,432文字

月兎(げつと)
「はぃっ」
「戻っていらっしゃい」
「御意……」
 (まもる)の足元から月兎(げつと)の姿がぽふん!と消えて、次の瞬間には蒼玉(そうぎょく)の腕のなかにその姿があった。
「いい加減になさい。遊び過ぎよ」
「でもですね、(あるじ)。でも」
 蒼玉(そうぎょく)に抱きかかえられた白ウサギが、ポロポロと涙を流し始める。
「ええ、わかっています……。雨乞いの(にえ)であったお前を、幽世(かくりよ)から高天原(たかあまのはら)に導いて神使(しんし)になさったのは、アグニ・アカシャだもの」
「……うう……」
「今度はわたしたちが、アカシャをお送りしましょう」
 ぐすぐすと泣く月兎(げつと)の背中を、蒼玉(そうぎょく)がなだめるようになでていると。

 ガサリ、ザク、ザク……。
 
「叔父さん……」
 振り返った(まもる)が、湖岸に降り立った人影を見て言葉を失う。
 硬い表情のまま歩み寄ってきた(のぞむ)は、その場にいた皆を見渡して、深く頭を下げた。
「私のことなど信用できないだろう。けれど、この(けが)れた魂を(よみがえ)らせてくださった方へ、誄歌(るいか)を奏上することをお許しいただきたい」※1
「どこまで覚えていますか」
 凍てつく蒼玉(そうぎょく)の声に、(のぞむ)はゆっくりと姿勢を正す。
「憎しみに(とら)われ、罪のない甥に呪符を用いて……。けれど、許されて沙良(さら)に、姉に会うことができました」
「呪を使っている間はどこに?」
「恐れ多くも神殿に。次に気がついたときには、姉の墓前でした」
「呪符はどうやって手に入れたの?あの異常な霊力は、あなたの手によるものではないでしょう」
 首を傾ける紅玉(こうぎょく)の隣で、元顕(もとあき)の瞳がユラユラと揺れた。
「あれは僕が、俺が……、見つけた。札所に納められていて、あまりに禍々(まがまが)しくて、特別な(はら)いが必要だったから」
「確証はないが、置いていったのはこれといった特徴のない男だ思う。不自然な動きをしているの姿が、防犯カメラに写っていた」
「防犯カメラ?神社にですか?」
「神殿を汚されたり、備品を壊されたりすることが続いたものだからね」
 目を見張る甥に、(のぞむ)がうなずいてみせる。
「その”ぼーはんかめら”の男を安達(あだち)さんも見たの?」
「見たよ。……ほら」
 差し伸べられた元顕(もとあき)の手を、ためらいなく紅玉(こうぎょく)が取った。
「……ああ、なるほど。これは、人であり人で非ざるモノだね」
「では、その男はもう……」
「心を喰いつくされて、どこかで野垂れ死んでいるだろう。もしくは

事故に遭ってるか。いずれにしても、すでに現世(うつしよ)にはいないと思うけれど」
「……現世(うつしよ)にはいない……。紅玉(こうぎょく)
 絡みつくような元顕(もとあき)の視線が、紅玉(こうぎょく)に向けられる。
紅玉(こうぎょく)、俺は」
 
 カラカラ、カラカラ……。

 洞の入り口に積み上げられた石がひとつ、またひとつと転がり始めた。
「俺は」

 ガラ、ガラゴロガラっ!!

 崖全体が崩落する派手な音に、元顕(もとあき)の言葉が消えていく。
「光繭も限界だね。……おいで蒼玉(そうぎょく)。アカシャをお送りするよ」
「はい」
 元顕(もとあき)の手を離した紅玉(こうぎょく)の横に、蒼玉(そうぎょく)が並んだ。
「アカシャ」
「どうぞ安らかに」
 姉妹はそろってひざをついて、腕輪を構える。

 シャラン、シャラン。
 リンリン、リンリン。

 戦士(ヴィーラ)姉妹の腕輪から流れ出す澄んだ音が、礼拝曲の前奏のように湖を渡っていった。

――(アグニ)天空(アカシャ)は命を懸けて村人を守った。人々の幸せを誰より願い、心を尽くした――
 
 どれほど稀鸞(きらん)に救われてきたのか。
 慈しまれたか。

 戦士(ヴィーラ)姉妹は(アグニ)天空(アカシャ)遺徳(いとく)(しの)び、その一生の功績を(たた)える誄詞(るいし)を奏上し続けた。※2

 カラカラカラ……。
 ゴロゴロゴロ。

 姉妹の荘厳な歌声に合わせるかのように、洞の入り口を(ふさ)ぎ積み上がっていた小石が、岩が間断なく崩れていく。

――分け隔てなく人々に寄り添い、世の安寧を祈り続け、天命を尽くされた天空(アカシャ)稀鸞(きらん)様の功績に感謝して、精一杯奉仕いたしました。心安らかに神となり、今後は私たちの守り神としてお導きください――
 
 紅玉(こうぎょく)蒼玉(そうぎょく)の祈りの声が、風とともに森の木々を揺らす。

 (のぞむ)が持つ笏拍子(しゃくびょうし)が打ち鳴らされるのとタイミングを同じくして、姉妹の両手も冴えた音を立てる。
「逝く先を 神にまかせて帰る(たま) 道暗からぬ 黄泉津(よもつ)()の国」
 (のぞむ)の哀惜に満ちた声がゆったりと誄歌(るいか)を歌い、打ち合わされた姉妹の腕輪が、神楽鈴のように鳴った。
「あ……」
「……わぁ」
「……すげぇな……」
 四神の若者たちが息を飲む、その目の前でひとつ、ふたつと。
 光の粒がふわふわと外へと漂ってきた。
 そして、それはみるみるうちに蛍の大群のようにあふれ()で、空へ空へと踊るように吸い込まれていく。
 
「……なんやろ」
 大群から離れて漂ってきた光の粒に、(あきら)はついと手を伸ばした。
「!」
『恐れるな。ためらうな。その身の内にある思いを解き放つことを。救われることを、救うことを』
稀鸞(きらん)、さ……」
 それ以上は言葉にならなくて。
 (あきら)はただ、幾筋もの涙で頬を濡らした。
『諦めないで、朱雀』
 頭上で光の粒が弾け飛んで、霧雨のように(あきら)の体をなぞりながら流れ落ちていく。
『あなたは間違っていない。だから、すべてはあなたの心のままに』
 光の雨粒が(あきら)の腕輪に降り注ぎ、吸い込まれていく。
「……ありがとう、ございます……」
 左手首にはめた腕輪を右手で力の限りに握りしめながら、(あきら)は深く頭を下げた。
 
 突然、爆発したかのような閃光が洞からほとばしったかと思うと。
 あふれ出た光は逆さまの滝のようになって、天空へと吸い込まれていく。
月兎(げつと)、アカシャをお送りしましょう」
「はい、はい……」
 蒼玉(そうぎょく)の足元でうずくまり泣いていた月兎(げつと)が、涙に濡れた顔を上げた。
「キランさま。……高天原でまたお会いいたしましょう……」
金烏(きんう)、旅路の供を!」
「承知!」
 紅玉(こうぎょく)が放った金の八咫烏(やたがらす)が、その翼に陽光を反射させて、光の滝とともに彼方の空へと消えていく。
 
「……還っていくって、こういうことなんやな、秋鹿(あいか)さん」
「そうだな」
「きれい、だね」
「だな」

 もう、そこには何もないけれど。
 うらうらと春の陽射しを(たた)えた青空を、四神の若者たちはしばらく見上げ続けた。 

※1誄歌(るいか) 死者の生前の徳をたたえ、その死を悼む歌
※2誄詞(るいし) 生前の功績・徳行をたたえ、追憶する弔辞
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