奇貨居くべし-2-

文字数 4,652文字

 胸の前まで上げられた(まもる)の右手が素早く刀印を結び、左手の(さや)に納められた。
 そして、一呼吸整えたのちに引き抜かれる。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」※
 刀印が横・縦の順に線を描き終わると、(まもる)はタキシードのポケットから二枚の札を取り出し、顔の横にかざした。
繋縛(けばく)、急急如律令」
 (まもる)が腕を振って護符を放つと、それはまるで意思を持った生き物のように、まっすぐに(えんじゅ)に向かって飛んでいく。
「離せ……、はな、っ?!むぐぅ」
 そして、一枚は(わめ)いている口に張り付き、もう一枚はにゅるんと伸びて、暴れる両手首をまとめて縛り上げた。
「ちょ、な、……えええぇ?!」
 目の前の光景が理解できない(しょう)も、自分の身に起きたことが理解できない(えんじゅ)も。
 ただ(まもる)(あきら)を交互に見比べるばかりだ。
(あきら)、そのままこっちに」
「はい」
 (あきら)は軽々と(えんじゅ)をお姫様抱っこして、そのまま(まもる)が立つベッドサイドへと向かった。
「ほれ、おとなしゅうしとけや」
 そっとベッドに下ろされた(えんじゅ)は、(まもる)から距離を取るように、きゅっと体を縮める。
「理解しなくていい。ただ、聞いてほしい」
 上質のスーツを着ている(まもる)が、ためらいなく(えんじゅ)の前にひざまずいた。
 そして、護符によってひとまとめにされているその両手に、自身の手を添える。
「知っていたわけじゃない。本当だ」
 (おび)え疑う目をする(えんじゅ)を、二色の瞳が見上げた。
創二(そうじ)と知り合ったのは十月だ」
 こくりと(えんじゅ)がうなずく。
「二回目のバロンの診察日にお前たちが集まって、それがちょうど、俺の誕生日だった」
 (えんじゅ)の首が再び縦に振られた。

(よく覚えている。だって、あの高梁(たかはし)さんが”プレゼント”なんて言ったんだから)

――今年の誕生日プレゼントも、また箱根ですか――
 
 何のことかと首を傾げた(えんじゅ)に、(まもる)はただ、十月十日が誕生日なのだと教えた。
「そのとき、自分で言ったことを覚えているか?」
 
(何のことだろう。……覚えてない)

 いつだって、その場の雰囲気に合わせた、適当なことしかしゃべっていないから。

東雲(しののめ)は、“僕と同じぞろ目の誕生日なんだね”と言ったんだ」
 
(そう、だったかな)

「そこから、それぞれの誕生日の話になった。(しょう)がバレンタインデー生まれのこと。(あきら)が土用丑の日の生まれであること」

(ああ、それは覚えている。だって、あまりにも”らしい”から)

「けれど、お前は散々ふたりをからかうだけからかって、自分のことについては話をそらした」
 
(うん、それも覚えている。いつものことだし)

「でも、年齢の話になったとき、ふたつ上の(しょう)をセンパイ呼びをしながら言っただろう。“僕も学年では、最初に年を取っちゃうけどね”って」
 (えんじゅ)の空色の瞳が大きく見開かれる。
 
 そんな油断したことを口にしたのか。
 それくらい、あの日は楽しんでしまっていたのか。
 いや、あの日だけじゃない。
 この仲間と出会ってから、楽に呼吸ができるようになった。
 目立たないように息を殺さなくても、隣にいる(しょう)(あきら)が勝手に目立ってくれる。
 無理に当たり障りのない関係を作ろうとしなくても、心地よい距離にいてくれるのだ。

「学年で最初に年齢が上がる、ぞろ目の誕生日。四月四日以外にないだろう」
 
(本当にお前ってやつは)

「そして、その日は日本語の語呂合わせで、“四合わせ”、しあわせの日だ。エンジェルと聞くたびに微妙な顔になるのは、名前の由来を知りもしないのに、そう呼ばれるのが嫌なんだろう?」
 
(どうして、こんなに鋭いんだろう)

「俺たちに名前呼びを許してくれる、その理由はわからないけれど」
 護符に拘束された(えんじゅ)の手を、(まもる)の両手が包み込んだ。
「呼ばれたくない気持ちに気づいてしまったから、呼べなかった」
 
 そのとおり。
 「(えんじゅ)」の由来はエンジェルからきている。
 ……贈ってくれた人が呼んでくれることは、一度もなかったけれど。

「わかってくれたか?解いても大丈夫か?」

(暴かれたわけじゃない。自分がカケラを与えてしまったんだ。……知られてもいいって、どこかで思ってたのか)

 隠れていた本音を認めて、(えんじゅ)が瞳を伏せたとき。
「いや、オレはぜんっぜんわっかんねぇけど」
 ドアの前に陣取る(しょう)から、ぎすぎすした硬い声が放たれた。
「まったく意味不明。なにそれ。魔法?幻術?」
「それが、俺が秋鹿(あいか)さんから教わってきたことや。博識の冬蔦(ふゆづた)(しょう)さんは、日本神道の祝詞(のりと)や修験道くらい知っとるやろ」
 強い拒絶を隠さない(しょう)に、(まもる)をかばうように前に出た(あきら)は、きついまなざしで対峙する。
「わりぃな。そっちは(うと)いわ。半分しか日本人じゃねぇし」
「……今日は護符、そんなに用意しなかったな」
秋鹿(あいか)さんは、なんもせんでええよ。いざとなったら俺が」
 再び握りこぶしを作る(あきら)と、にらみ続ける(しょう)の間に火花が散る。
「先生って言ってたけど、オマエも使えんの」
秋鹿(あいか)さんほどちゃうし、今、使おう思てるんは、こっちや」
 (あきら)は一歩踏み出して、今にも殴りかかりそうなオーラを醸し出した。
「要はなんなの?」
(はら)いやな」
「ハライ?」
「人の思念っちゅうんは、エネルギーなんや。希望や愛は、プラスの作用をもたらすやろ。それによって、普段からは考えられへん力が出たりする。逆にネガティブな思考や悪霊なんてものは、悪いほうに影響が出る。そうなったら(はろ)うてやらなあかん」
「わっかんねぇって」
「……俺は、調律みたいだと思ったことがある」
 ゆっくりと言葉を選ぶ(まもる)に、(しょう)の片眉が上がる。
「調律?」
「一音でも外れていると、曲調は乱れる。正しい音の連なりは美しい。余計なものを取り払って人の気を正すというのは、その人自身を調律するみたいだと」
「悪霊ってやつは?生きてねぇじゃん」
「思念のみでも同じだ。その(ゆが)みを正して、あるべき場所に(かえ)す」
「あるべき場所?」
「人の体が自然に(かえ)るように、思いも(かえ)す」
 いくら聞いても禅問答のようで、とうとう(しょう)は両手を上げた。
「やっぱムリ。理解できねぇ」
「そうか。悪かった」
「オマエ、とってもじゃねぇけど”悪い”って思ってる顔じゃねぇぞ」
秋鹿(あいか)さんは悪ない。理解でけへん(しょう)が悪い」
「あ”?さすがに(まもる)びいきが過ぎるんじゃねぇの、(あきら)
「理解でけへんってだけで、なんでそないに秋鹿(あいか)さんを悪者にしたがるんや」
「いや、べつに悪者だとは……」
 目を泳がせる(しょう)(あきら)はにらみ続ける。
「あんだけ責めといて、なに言うてんねん」
「責めたわけじゃ……。説明つかないことをそのまま飲み込むのって、気持ち悪ぃんだよ」
「説明はしたやろ」
「あのなあ」
 (しょう)の形の良い眉がぎゅっと寄せられた。
「説明ってのは、内容やら理由やら意義なんかを

述べること、だぜ。オレはぜんっぜんわかってねぇ。理解できてねぇっ」
「そら理解でけへん(しょう)が悪い。これ以上、何を説明してほしいんや」
 (あきら)のまとう空気がさらに重くなる。
「なあ、博識の(しょう)さん。呼吸の仕方を説明されたとして、目に見えへん酸素や二酸化炭素を、自覚でけへん肺の仕組みを、言葉の羅列だけで理解できるんか?そらただ知っただけちゃうんか?」
「……」
「これだけ一緒におったくせに、秋鹿(あいか)さんのこと、ほんまに理解してへんのか?」
「それは……」
「今日のことだって、自分から手ぇ貸せって言うたくせに」
「!」
 しばらく床に目を落として考え込んで。
 ゆっくりと顔を上げた(しょう)は、(あきら)と目を合わせて口を開いた。
「オマエの言うとおり、オレが頼み込んだんだ。最高のツテを持った、信用できるヤツだから。(まもる)は」
 浅くうなずく(あきら)に目でうなずき返して、(しょう)(まもる)に向き直る。
「中途ハンパでキモチ悪ぃけど、今はこれでいいことにする。しつこくしてゴメンな」
「納得してないのに?」
「そうだけどよ」
 淡く首を傾ける(まもる)に、(しょう)はライトブラウンの前髪を乱暴にかき上げた。
「だって、オマエらがそのヘンテコな技を悪用するような人間じゃねぇってことくらいは、わかるからさ。(えんじゅ)、オマエだってそう思うから、(まもる)から名前で呼んでほしいんだろ」
 固唾を飲んで(しょう)(あきら)のやり取りを見守っていた(えんじゅ)が、何度も首を縦に振る。
「オン・バザラ・トシコク」※
 (まもる)が唱えたとたんに札が溶け消え、(えんじゅ)の口と手が解放された。
「……えぇ~」
 (えんじゅ)は口周りや手首を(さす)って確かめるが、あの札は影も形もない。
「僕もまったく理解不能。でも、実際に経験したからわかるよ。僕に害意があってやったことじゃないって。でも、じゃあさあ、名前が人を縛るんならさあ」
 
(理解できないことは、とりあえず置いておこう、僕も。……すべて知られているわけでは、ないようだし)

(まもる)って名前は、何をまもるためのものなの?」
「できているかどうかはわからない。ただ、そうであったらいいな、とは思っている」
「それは」
 何をと聞こうとして、(しょう)はそのまま言葉を飲み込んだ。
 遠くを見るような(まもる)の目がとても優しくて、とても切なそうだったから。

「はあぁぁ~。……しゃべり過ぎた。……疲れた」
 (まもる)の大きなため息に、部屋の緊張が緩む。
「おぅ、オマエにしちゃあ、ずいぶんしゃべってくれたな」
「もう、今日は声を出したくない」
「これからひと芝居打つのに?ほれ」
 (しょう)から投げられたミネラルウォーターを、(まもる)の右手が見事にキャッチした。
「とりあえず理解、はせぇへんやろうけど、わかったんやな?」
(あきら)に殴られなくていい程度にはな。つまり、その(はら)いを使わなきゃいけねぇようなヤツの相手を、これからするってことだろ」
「あー」
 (こぶし)を下ろした(あきら)の目元が緩む。
「あれはでかいなぁ、秋鹿(あいか)さん」
「でも(もろ)い。難しくはない」
「僕は何をすればいいの?その、シュとかは使えないし、出番なんかあるの?」
「もちろん。頼めるか、(えんじゅ)
「!」
 初めて(まもる)から名を呼ばれた(えんじゅ)は、ぱっと顔を輝かせた。
「うん、頼まれてあげる。でも、お手伝いのゴホービは、もちろんもらえるよね?」
「ごほうび?」
(まもる)と同じプレゼントがいいなぁ。は・こ・ね!」
 きゃるんと笑う(えんじゅ)に、(まもる)の眉間にしわが寄る。
「ねぇねぇ、箱根がプレゼントって、どういう意味?」
「そうそう、オレも知りたかったんだよ、それ」
 わくわくしている(えんじゅ)(しょう)から目をそらして、(まもる)は長い長いため息を吐き出した。
「……箱根に、あるんだ。来たかったら来れば」
 それだけ言って背を向けると、タキシードの背中が化粧室へと消えていく。
「いつもの(まもる)に戻っちまったな。おい(あきら)、補足よろ」
「AIKA所有のヴィラが箱根にあるんや。秋鹿(あいか)さん、誕生日プレゼントの代わりに、冬休みはずっとそこで過ごすさかい。ついていってもええて、許してくれたんちゃうかな」
「え~、AIKAのご家族と一緒に過ごせってか」
「いや、秋鹿(あいか)さん、年越しはいつもひとりやで」
「え、ひとり?お父さんとか高梁(たかはし)さんは?」
「オマエはバカか。年末年始は書き入れ時だろ、ホテル業は」
「あ、そっか~?」

(でも、ほかの家族は?)
 
 (えんじゅ)が疑問を口にする前に、ニマニマしながら近づいてきた(しょう)がその肩を叩いた。
「オマエ、国とか帰らねぇの」
(しょう)こそどうすんのさ」
「オレは今、招待されたじゃん。箱根だよ」
「招待されたのは僕だよ」
 ふたりは意味ありげな視線を交わし合い、同じ顔でにやりと笑う。
「ほんなら俺も冬休み、大阪帰らんとこ。正月に許してもらえるんは、初めてやな」
「はぁん?」

(ほぉ。(まもる)(あきら)の仲でも、まだ踏み込めない領域があったのか)
 
 (しょう)の口の端がにまりと上がった。
 
(理解はできねぇけど……。面白れぇ)
 
 身震いするほどの興奮で、(しょう)の胸はかつてないほど騒いでいた。

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