一期一会-4-

文字数 2,973文字

 主人とふたりして、整備された小径(こみち)を無言で歩き続けている。
 
 日曜日の午後。
 辺りは人の気配もなく、静まり返っていた。
 小鳥のさえずりと、晩秋の風が木々を揺らす音に包まれ、ふたり分の足音が森に吸い込まれていく。
 
 ハイキングコースがあった森を整備した小径を曲がるたびに、おとぎ話に出てくるのようなコテージが現れる。
 その森の最奥。
 コテージ群とは少し離れて建つ建物の、重厚なドアにカギを差した。
「さあ、どうぞ」
「ここ、は?」
「リニューアルの目玉、長期滞在型別荘として利用できるヴィラです。……(まもる)さん、あなたのための」
「僕の、ため?」
 洗練された内装の室内をぐるりと見渡してから、主人のもの問いたげな瞳が上がる。
「お母さまのお墓の場所ですが」
「……はい」
「あの土地はおじい様から(まもる)さんへ譲られていて、現在は一部AIKAグループと共有の敷地となっております」
「そう、なんですか?あの、でも……」

 主人が戸惑うのも無理はない。
 相続やその他の手続きについては、親権者である秋鹿(あいか)社長に一任されていて、主人は知らないのだから。

「この場所は、お母様のお墓とホテルの敷地を隔てていた森を整地したんです」
 目を丸くしたままの主人が、コクリとうなずく。
「お墓周辺は、そのままにしてありますけれど」
 ヴィラの裏庭から続く森に目をやれば、奥のほうにひっそりと建つ赤い柱が見える。
「……あれは隠さないといけないな」
「え?」
 低いつぶやきに姿勢を低くすると、主人が慌てて首を横に振った。
「いえ、何でもない、です。えと、でも、ホテルのヴィラ、ですよね?」
「ええ、ですが、お父様が(まもる)さんのためにご用意なさったのですよ。ですから、いつでも利用できるんですよ」
 主人の胸が、ゆっくりと大きく上下を始めた。
「あの、あの」
 呼吸を弾ませた主人の頬が赤くなっていく。
「ほんとに?いつでも?」
「はい」

 こんなに顔を輝かせている主人を見たことがなくて、思わずこちらも笑顔になってしまった。
 目の前の主人は、欲しかったプレゼントが、思いがけずに手に入った子供の顔をしている。
 ちゃんと、子供の顔になっていた。

「お父様からのプレゼント、気に入っていただけましたか?」
「あの、でも……。ホテルのもの、なんでしょう?僕だけが使うのは、あの、迷惑、じゃ」
「もちろん、あなたが利用しない期間は、一般客も受け入れます。予約サイトにもこのヴィラを選択できるようになっていますから、ホテルの利益は損なわれません」

 見る間に顔を輝かせる主人に、口元が緩んでしまう。

(やっぱり、この

を用意しておいてよかった)

「あなたの予約が優先される、というだけです」
「そう、なんですね」
「そうなんです。では、散策がてら、お墓参りに行きましょう。鍵はいったんお預けいたします。(まもる)さんのヴィラですから」
「……はい!」
 手渡したヴィラのカギを胸にぎゅっと握りしめて、主人はうなずいた。

 墓のある森まで来ると、真新しい赤い鳥居が目に飛び込んでくる。
「許してくれているかな。……あとで聞いてみなくちゃ」
 鳥居に触れながら、主人は大人びた横顔を見せた。
「はい?」
「いえ、なんでもないです。行きましょう」
「あ、(まもる)さん、お待ちください!」
 階段をのぼりだした主人の足は、意外なほど速い。

 主人の背中を追って、息を切らして頂上に到着するころには、あたりは秋の夕暮れが迫っていた。
 墓の前で主人と手を合わせていると、この時期とは思えぬほど暖かく、柔らかな風が吹いてくる。
「……蛍……?」

(もうすぐ冬だというのに?)

 顔を上げると、点滅する小さな光がふわふわと漂っていた。
「ふふっ」
 丸くした両手に光をとらえた主人が、嬉しそうな声を上げる。
(まもる)さん……」

 それは何ですかとか、どうしてそんなに光っているんですかとか。
 聞きたいことはあるのに、なぜか言葉にならなくて。
 
 主人の手がぼうっと光り輝いているのを、声もなくただ見守っていた。

「あの、高梁(たかはし)さん」
「はい、なんでしょう」
 主人の呼びかけに我に返る。
「あの、会ってほしい人が、います。ここからなら、すぐ行けます。……嬉しい」
 主人が感情を言葉にすることは珍しい。
 そして、こんなに柔らかに笑うことも。
「ホテルの従業員ですか?」

(この周辺には個人宅はないはず……)

「違います。僕を、ずっと守ってくれていた人、です」
(まもる)さんを?」
「はい。怖いことからも、嫌なことからも、悲しいことからも」

(家族以外に、そんな存在が?……誰だろう)

「会うことを許してくれるの、高梁(たかはし)さんが初めて、です。僕の大切な人」
 光を囲うように丸くしている指先に、主人の小さなキスが贈られる。
「おねえさんが、高梁(たかはし)さんを連れてきてって、言ってます。行きましょう?」
「おねえさん?ここから近いのですか?」
「はい。すぐ下、です」
「湖のほうですか?ですが、もう間もなく日没です。懐中電灯の用意がありませんので」
「大丈夫。ついてきて」
 手の中から飛び出した光と寄り添うようにして、主人が歩き出した。
「あ、お待ちください!」
 慌てて追いかけるが、どういうわけだか主人との距離が縮まらない。

 この鳥居の内側に入ってからずっと、夢と(うつつ)の境がなくなってしまったかのようだ。
 不思議と不安や恐怖はない。
 けれど、これから誰と会うのか、何が待ち受けているのか。
 予想もつかず、状況も見えない。
  
 ヴィラまで戻ってくると、主人は小径(こみち)から崖に一歩、足を踏み入れた。
「ま、(まもる)さん!危ないですよ!」
 思わず大声を出してしまったが、主人は階段でもあるかのように崖を下っていく。
 途中、斜めに生えた木の枝につかまりながら、主人が振り返った。
「僕と同じ所をおりてください。そこなら大丈夫、だから」
 確かに、主人はわずかに露出している石や木の根を足掛かりにしているらしい。
 だが。

(大人の体重に耐えられるのか……?)
 
 夜が迫りつつある森で、足元をよく見ようと(かが)んだ、そのとき。

(え……?)

 目を上げると、主人に寄り添っていた光が膨張して、周囲一帯を照らしていた。
「ね、大丈夫でしょう?」
 クスクスと笑う主人が再び下り始めれば、それに伴って光が遠ざかっていく。
「あ、お待ちください……!」
 
 命を縮めながら湖岸に降り立つが、主人の足は止まらなかった。
 目指しているのは、崖が垂直に湖に落ち込む、急斜面の森が迫る場所らしい。

(あんなところ、何があるんだ?)

 砂利(じゃり)岸に足を取られながら歩いていると、主人に寄り添っていた光がふっと消えた。
「オン・バザラ・トシコク」
 パチリと指を鳴らした主人の、不思議な呪文に面食らっていると、風もないのに木の枝が動き始める。

 ざわり。
 ざわざわざわ……。

「っ?!」
 枝葉が場所を開けるように左右に揺らめいた。
 そして……。
「洞、穴?」
 目の前に現れたその景色に息を飲む。

 一瞬で穴が開いたのか?いや、そんなはずはない。
 木々に隠されていたと考えるのが合理的だろう。
 実際に見たものなのに、その光景が信じられなくて。

 思わず後ずさってしまったが、主人は何食わぬ顔をして洞に入ろうとしている。
「危ないですよ!崩れでもしたら」
「大丈夫。おねえさん、待ってます」
「この中で、ですか?」
 こくりとうなずくと、いそいそと主人は洞の中に入っていった。
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