崩壊する日常-1-

文字数 1,909文字

 こんなに驚くことはそうないだろう、と思っていたのに。
「うぇ?」
「信じられへん」
「は?え、ん?……」
 息を飲んで度肝(どぎも)を抜かれた三人は、今度は大いに魂消(たまげ)るばかり。
 だって、少女がその細い腕を上げると、長い黒髪に指を絡めていた(まもる)がすぐにその手を取り、強く握り締めたのだから。
「……マジ?」
 つぶやいて、(しょう)は目の前の友人に目を凝らす。

(あれ、ホントに(まもる)かよ……)

 自分の目が信じられない。
 いつの間にか、別人とすり替わっていたと言われたほうが、いっそ納得できる。
 こんなふうに笑うなんて知らなかった。
 しかも、女の子の手を握りながら。
 
 高校時代、女子とは必要最低限の会話ですら、鬱陶しいという態度を隠しもしなかった(まもる)だ。
 女子のほうでも、そんな不愛想が服を着たような男に近づくはずもない。
 たとえそれが、「ほんまのお坊ちゃん」だと知っていても。
 よく見れば、長い前髪に半分隠されたその顔が、端正なものだとしても。
 (まもる)の半径一メートル以内で、女子の姿など見たことがなかったのに。
 
 アンティークなバングルをはめた少女の手が、蛍のように明滅を繰り返している。
 (まもる)が右手で森向こうを指さすと、少女はうなずいて立ち上がった。
 そして、少女の手からは、先ほどとは比べ物にならないほどの光がほとばしり、キランを包み始める。
 放たれた光は徐々に膨れ上がり、とうとう(まもる)をも(おお)い始めたとき。
「ちょ、待てって。話が見えねぇ。どっか行く気なのかよっ?!」
 声など聞こえていないのだから、「話が見えない」とは文字通りだが、(しょう)にはわかっていた。
 (まもる)と少女は、ただ微笑み合っていたわけではない。
 自分たちには感知できない「ナニカ」で、意思の疎通を図っていたのだと。
 (しょう)がふたりに近づこうと、二、三歩足を踏み出したとたんに。
 光球が瞬く間に消滅して、少女がさっと(まもる)の背中に隠れた。
(しょう)、止まれ。それ以上近づくな」
 背後の少女をかばうように腕を回した(まもる)の声は、まったくいつもどおり。
 その聞き慣れたぶっきらぼうさに密かに安堵しながら、(しょう)はさらに一歩踏み出した。
「だから、来るな」
 (まもる)のまなざしがきつくなる。
「なんで。理由は?」
「それ以上近寄られるのは、キツイって」
「……、……。はあ?!」
 しばらく絶句したあと、(しょう)の目と口がぽかんと大きく開かれた。

(オレのことが、キツイ。……キツイ?!)
 
 声をかけた女性からは、「YES」以外言われたことがない自分が?
 恋人は作らないが、カノジョは切らしたことのない、この自分が?
 
 すがるような瞳で振り返った(しょう)に、(えんじゅ)(あきら)も、面食らった瞬きを返すばかりで。
「キツイって、オレのことかよ?!それってその子が……、言ってんの?」

(いや、”言って”はねぇけどよ)

 ほかに表現のしようもなくて、(しょう)はフォローを求めて(まもる)を見やる。
 だが、(しょう)の疑問には答えず、(まもる)は首を後ろに回した。
「……キランさんを治療、でいいのかな。あってる?……治療しなきゃならないから、先にヴィラに戻る」
 独り言をつぶやいているようでしかないけれど、(まもる)は少女と会話ができているらしい。
「お前たちも、なるべく早く来い。……行こう、ソウギョク」
「オーム・ナマ・シヴァーヤ」※1
 鈴が鳴ったのかと思うような、凛とした声が聞こえてくる。
 だが、その声の持ち主を見ることもできないうちに、(まもる)とキランの姿は光球に包まれ、そのまま空中に浮かび上がり森向こうへと消えていった。
 
 湖岸に残された三人は、狐につままれたような顔で見送るばかり。
「えぇ~?」
 (えんじゅ)が顔をしかめ、ため息のような疑問の声を上げる。
「えっと、消えた?空を飛んでったの?そんなこと、あり得るの?」
「見ちまったからなぁ……。(まもる)が笑ったことも、消えたことも」
「あー、だねぇ」
 眉を下げて、(えんじゅ)が力なく笑った。
(まもる)が笑うことと消えたことって、イコールなくらい怪現象だよねぇ」
(しょう)が女の子に“キツイ”って言われたこともやな。それから……、あの禍々(まがまが)しいアレも」
「んだよ。妙に冷静じゃん、(あきら)
「まあ、見たことあるし」
「え、オレ、今までも誰かにキツイって言われてた?!」
「そっちちゃうで」
「じゃあ、どっち」
「……ん」
「だから」

 ザワっ。ザワワワワワワ……。

 突然吹き付けてきた風が、(しょう)から言葉を奪う。
「……寒っ」

 ザワリザワリ。ザワザワザワザワ。

 強く弱く、間断なく吹く風に木々が揺れ、まるで会話をしているかのような葉鳴りが辺りを包んだ。
 それはまるで、ここから一刻も早く立ち去れと告げているようで。
「……ヤな感じだな」
 つぶやき、(しょう)は湖から顔をそむけた。

※1 シヴァ神マントラ 光り輝く意識に敬礼し、シヴァ神へ帰依します
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