アカシャの矜持

文字数 1,897文字

 ドン!!

 大きな衝撃を全身で感じた(まもる)の目がぱちりと開く。

 

が耳で捕らえた音ではないことに嫌な予感がして上半身を起こせば、そこに大切な人の姿はない。
「……月兎(げつと)蒼玉(そうぎょく)は?」
「ビャッコ様のご想像のとおりです」
 瞬きもせずに、自分から目をそらさないウサギが白い毛を逆立てている。
『来たのだな』
「アカシャ」
 体の大きさを元に戻した月兎(げつと)が、素早く床に降りて頭を下げた。
何故(なにゆえ)(チャンドラ)の式であるお前はここにいるのだ』
(あるじ)から命を受けております。アカシャとビャッコ様をお守りするようにと」

 蒼玉(そうぎょく)が、

瘴気(しょうき)をひとり相手にしている。
 しかも、もう霧ではない。
 もっと質量のある、禍々(まがまが)しい邪気となって戻ってきたのだ。
 
 そう気づいた(まもる)は、胸を握りしめるように押さえて外を見やる。
「行かないと」
「いけません、ビャッコ様」
 苦悶するような月兎(げつと)の声に、床に降り立ち、出ていこうとした(まもる)の足が止まった。
「今のビャッコ様が行って何になりましょう。(あるじ)の邪魔になるならば、許すことはできません。(あるじ)は」
 赤い瞳同士がガッツリと、斬り結ぶようにぶつかり合う。
「ご自分よりもビャッコ様を選びます」
「それは俺も同じだ」
 (まもる)はしゃがみ込むと、ひょいと白ウサギを腕に抱いた。
『行かせてくれ、月兎(げつと)。邪魔にはならない。お前が思うより多くのものを、俺は蒼玉(そうぎょく)から教わっている』
『白虎』
 切々と訴える(まもる)のアーユスを稀鸞(きらん)が止めた。
『ならば、アーユスを移す方法も伝授されてはおりませんか』
『習ってはいません。けれど、先ほど稀鸞(きらん)さんに施した術なら……、できると思います』 
「ですがアカシャ。それはあまりにも」
 稀鸞(きらん)に向けられる月兎(げつと)の赤目が、(おび)えるように揺れている。
『私には成さねばならぬことがある。これは天空(アカシャ)として譲れないものなのだよ、月兎(げつと)
 稀鸞(きらん)の腕が、(まもる)(かか)えられている月兎(げつと)の頭に伸びた。
『私とともに(チャンドラ)の元に行こう。そうすれば、お前も(あるじ)の命を果たせよう』
「いえ、あの、もうひとつ。(あるじ)から言われていることがあるのです」
『もうひとつ?』
 (まもる)にのぞきこまれた月兎(げつと)が、不本意そうに鼻をひくつかせる。

に、ですけれど。ビャッコ様のお友達を守るようにと」
『では、()く決着をつけ、お前が(チャンドラ)に叱られないようにしないとな』
 クスリと笑った稀鸞(きらん)が墨染の衣の前をぐいと両手で開き、がっしりとした胸を露わにした。
『四神・白虎の御慈悲を』
『はい』
 月兎(げつと)を床に下ろして、深く一礼すると、(まもる)は左手を稀鸞(きらん)の胃の辺り、右手を心臓辺りにかざす。

 先ほど聞いた鈴の音。
 その真言(マントラ)を、(まもる)はなぞるように唱えた。
 間違えないように、ゆっくりと。

「ナウボウ・バキャバテイ・バイセイジャ……、サンボダヤ・タニヤタ」

 教わった(ことば)はパドマに刻み付けて。
 そうして森羅上位に御坐(おわ)す存在に(こいねが)うときには、パドマから真言(マントラ)や祓い詞を呼び出し、アーユスを込めて祈る。
 これまで、蒼玉(そうぎょく)から教えを受けるたびに繰り返してきた手順だ。

 それを(まもる)は丁寧に反復する。

 下腹に溜まり始めたアーユスは熱となり光となり。
 (まもる)の両手から稀鸞(きらん)に流れていった。
 白かった稀鸞(きらん)の胸が血色を取り戻し、やがてそれは放射状に全身に広がっていく。
「オン・バイセイゼイ……、サンボドギャテイ・ソワカ」
 唱え終わると同時に、(まもる)は鼻から大きく息を吸い込み、口から吐き出すその息吹ごと、集めたアーユスを稀鸞(きらん)に流し込んだ。
「素晴らしい」
 稀鸞(きらん)が深いため息をつく。

稀鸞(きらん)さんの声は、こんなにも……)

 その力強さと心地よい波動に、(まもる)は手を戻すとゆっくりとその場にひざまずいた。
 
天空(アカシャ)と呼ばれる理由がわかる)

 今の稀鸞(きらん)の姿は、内側から光があふれているのかと思うほど神々しい。

「これほどの量を与えながら、アーユス枯れを起こさないとは。白虎とチャンドラが巡り合ったのは真実、神々の導きなのかもしれない。クウジュツは会得していますか」
 しっかりとした足取りで床に降りた稀鸞(きらん)から、声と同時に、空を飛ぶ術であることがアーユスで伝えられる。
「それはまだ」
「では、白虎はここでご友人を」
「いえ、走ります。

を消し去る手助けをしたいんです」
『俺の命は、蒼玉(そうぎょく)のものだから』
 まなざしと送られてくる想いの強さに、稀鸞(きらん)の口元が緩んだ。
「……オン・バザラ・ユセイ・ソワカ。私は空術(くうじゅつ)で先に参ります。月兎(げつと)はここの守りを」※1
「御意」
 深く頭を下げる月兎(げつと)の頭に優しく手を置いてから、光球に包まれた稀鸞(きらん)は一瞬のちには部屋から消え去っていく。
『あいつらを頼む』
 月兎(げつと)と目を合わせて、うなずき合って。
 (まもる)も勢いよく部屋のドアを開けて飛び出していった。 

※1 寿老人のマントラ 幸福招来を祈る
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み