大阪哀歌(エレジー)-4-

文字数 3,453文字

 助けてもらったあの雨の日。
 風呂からあがってから、連絡先を交換しようと言い出したのは秋鹿(あいか)からだった。
 まさかの申し出に、(あきら)がわくわくして受け取ったデータを開くと。
「……あれ?秋鹿(あいか)センパイ、メアドは?」
 そこには携帯番号しか見当たらず、住所録を見つめた(あきら)は大いに首を傾ける。
「ない」
「メッセージアプリとか」
「ない」
「え?だって、友達と連絡取るときって、全部電話なん?」
「友達はいない」
「……あ、そう、なん……?」

(めっちゃ堂々としたぼっち宣言やなぁ)

「へ、へぇ~。……あ、もしかして、秋鹿(あいか)センパイの電話番号知っとるんって、俺が初めてとか!」
「そうだな」
「えっ、ほんまやった?!」
 冗談に真顔で返されて、(あきら)は開いた口がふさがらない。
「正確には、初めてではないけれど」
「せ、せやな。スマホ持ってる意味、あれへんもんね。元いたところの友達やら」
「友達はいない。必要ない」
 実にきっぱりとした、二度目のぼっち宣言だった。
「そんな……。寂しないの?」
「ない。勝手に期待されたり失望されたりするくらいなら、ひとりのほうがせいせいする」
「そんな悪いヒトばっかりやったん?秋鹿(あいか)センパイの周りって」

(ぼっちのほうがいいだなんて、よっぽどつらい思いを……)

 目を潤ませた(あきら)に気付いて、秋鹿(あいか)がふっと笑う。
夏苅(なつがり)が思ってるようなことはないよ。ただ……」
 ブックタイプのスマホカバーを閉じて、秋鹿(あいか)が遠くに目を投げた。
「応えられないとわかっている気持ちを持たれるのも、勝手な決めつけで値踏みされるのも、面倒だから。……感情は、意外に質量を持つ」
「ふ、ふーぅん?」

 言っている半分も理解できなかったが、秋鹿(あいか)が人付き合いが苦手なことだけは、よくわかった。

「ほな、秋鹿(あいか)センパイの番号知ってることは、よっぽどじゃまくさない人なんやな」
「ある意味、一番面倒な人たちだけど……。父親と、父親の秘書が知っている」
「ひ、秘書?!」
 およそクラスメートとの会話では出なさそうな単語に、そういえば、さっき秋鹿(あいか)が「ぼっちゃん」と呼ばれていたことを(あきら)は思い出す。
秋鹿(あいか)センパイって、ええとこの(ぼん)なん?」
「なので夏苅(なつがり)への連絡は、(おも)にショートメールになると思う」
「あ、はい」

(答える気はあれへんのやな)

 察した(あきら)は、ただうなずくしかなかった。


 結局、あれから秋鹿(あいか)が送って寄越したのはショートメール一本だけ。
 (あきら)がお礼を兼ねて送った、雑談混じりのメールには返信すらなかった。
 それでも、そのたった一本のメールが、どれだけ(あきら)を元気づけてくれることか。

「……よし、帰ろっ」
 声を出し、自分に気合を入れた(あきら)は、ひとり防具袋を背負い直した。


 だが、ショートメールのご託宣(たくせん)とはうらはらに、最初は道場だけだった「おかしな空気」は、日が経つにつれて学校をも侵食し始めていった。

 話しかけてくるクラスメートがひとり減り、ふたり減り。
 二週間が過ぎようとするころには、とうとう昼食を食べる相手もいなくなり、(あきら)はクラスで完全に浮いた存在となっていた。 
 休み時間ごとに、不安で泣きたくなるような気持ちに押しつぶされそうで。
 けれど、そんなときでも秋鹿(あいか)のことを胸に浮かべると、不思議と呼吸が楽になった。

(友達いないってあれだけ言うとったんやさかい……。今、秋鹿(あいか)センパイもボッチなんやろか)

 彼のクラスを訪ねてみたい気もしたが、そこにはこの空気の大元となっている、

がいる。
 自分などが顔を見せたら、迷惑にしかならないだろう。

 昼休み時間。
 (あきら)がうつむきがちに、もそもそと口を動かしていると、クラスメートのざわめきが耳に入ってきた。
「誰?あれ」
「二年ちゃう?うわばきの色が」
「あんなヤツおった?」
「ほら、東京のほうから来たやら……」
 「東京」というワードに(あきら)が顔を上げると、教室の後ろのドアから秋鹿(あいか)が中を覗き込んでいる。
秋鹿(あいか)センパイ?!」
 派手な音を立ててイスから立ち上った(あきら)に気づいて、秋鹿(あいか)が手招きをした。
「どないしたん?」
 秋鹿(あいか)に近寄っていく(あきら)の背中に、クラス中の視線が突き刺さる。
「食べ終わった?」
「え……?あ、昼飯?まだ。あと、もう少し」
「待っててやるから」
 怒っているのかと思うほどの仏頂面で、秋鹿(あいか)はそのまま教室の壁に背を預けた。
「え?あの、はい。ちょい待っとって!」
 慌てて席に戻って、流し込むように昼食を飲み込んで。
 そうして(あきら)が席を立つと、同じタイミングで秋鹿(あいか)(きびす)を返していく。
「ま、待って!……どこ行くの?」
 (あきら)が何度尋ねても、秋鹿(あいか)は無言のまま迷路のような校舎の廊下を曲がり、階段を上り。
 たどり着いたのは旧校舎の最上階の、さらに一番奥。
 今は資材置き場となっている教室の扉に、秋鹿(あいか)はポケットから取り出したカギを差した。
「え、センパイ、なんでそんなん持っとるん?」
 目を丸くする(あきら)の前で、銀のウサギ型キーホルダーがきらりと光る。
 ガラゴトと、引っ掛かりのある鈍い音を立てる扉を開けた秋鹿(あいか)が、やっと(あきら)と目を合わせた。
「……欲しかったから?」
「はい?」

(そ、そんなワガママな理由で?)

「学校がくれたん?」
「早く入れ。……もちろん無許可だ」
「え?!それってあかんのちゃうん?」
「じゃあ戻るか?」
 試すような、いたずらを仕掛けるような。
 そんな目をする秋鹿(あいか)に、(あきら)はブンブン!と首を横に振る。
「ヤダ!」
「ではどうぞ」
 まるで執事のような恭しい仕草で。
 秋鹿(あいか)はガラクタ収納庫のような部屋へと(あきら)を誘った。
 
 扉を閉めると同時に内側から鍵をかけた秋鹿(あいか)は、(あきら)の横を通り過ぎて部屋の奥へと入っていく。
「え、あの?」

 応えてくれない彼に、何度こんなふうに呼び掛けただろうか。
 丸い目が細くなる暇のない(あきら)の前で、秋鹿(あいか)はさらに、窓際奥にあるドアのノブを回し、今度は無言で中へと消えていく。

(あっちって……。何があるんやろう)

 (あきら)は恐る恐る、秩序なく積まれたガラクタの隙間に体をねじ込んだ。

(なんか古ぼけたドアやなあ。……茶道部?)
 
 カーテンがぴったりと閉められた教室の奥に、ひっそりと存在していたのは、アルミ製の素っ気ないドア。
 その真ん中に貼ってある黄ばんだプラスチック製の札には、今にも消えそうな文字で「茶道部」と読めた。

(うちのガッコ、そんなんあったかな)

「……おじゃま、しまぁす……」
 (いぶか)しみながら、(あきら)がおずおずとドアを開けると。
 狭いながらもたたきがあり、一段上がった部屋はさすが茶道部。
 四畳半の畳敷きの部屋となっていた。
「タカハシさん?」
 開け放った窓際の壁にもたれ、片膝を立てて座る秋鹿(あいか)が電話をかけている。

(え、スマホ?)

 学校へのスマートフォンの持ち込みは原則禁止で、

があるときのみ、事前申請にて許可が出るはずなのだが。

(カラコンといいスマホといい……。このヒト、ほんまもんのお坊ちゃんちゃうんかいな)

 唖然として、(あきら)はたたきに突っ立ったまま動けない。
「進捗具合はいかがですか?……え、もう?さすがですね」
 スマートフォンを離さないまま、秋鹿(あいか)は動けずにいる(あきら)を手招く。
「そうしてください。では、のちほど。……そんなとこにいないで、こっちに来て座れ」
「あ、はいっ」
 我に返った(あきら)は、秋鹿(あいか)に向かい合うようにして正座をした。

 開け放った窓に掛かる、日に焼けたカーテンが風に揺れている。
 長く使われていない雰囲気の室内ではあるが、梅雨の晴れ間の風が絶えず吹き込んできていて、清々しささえ感じた。

「なんか、落ち着くとこやな」
 キョロキョロと部屋を見渡してから、(あきら)ほぉと息をつく。
 誰の目にも、思惑にも(さら)されないこじんまりとした空間は、今の(あきら)にとってはオアシスのようだ。
「こっちで世話になっている人が」
「世話?……ああ、あの親切なお茶のお師匠さん?」
 会話の流れというものは、この秋鹿(あいか)には重要ではないらしい。
「この中学の卒業生で」
「へぇぇぇ~。そうなんや……。あ!ほな、ここのカギって、あのお師匠さんからもろたん?」
 (あきら)の問いには答えず。
 口の両端を上げた秋鹿(あいか)が、ポケットからウサギのキーホルダーを(つま)まみだして、軽い動作で振ってみせる。
「部長だったから預かっていたけれど、卒業するとき返し忘れたって。戻しておいてと言われた」
「へぇぇ……。で?」
「俺が卒業するときまで借りておく」
「そっか。せやったら、嘘をついたことにはなれへんもんね。……あれ?そのキーホルダーって、鈴がついてるん?」
 チリチリという軽い微かな音に、(あきら)は顔を寄せてまじまじとキーホルダーを観察した。
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