最低な行為-2-

文字数 2,744文字

(どうして僕、こんなに足、遅いのかな。もぉ!足動けっ、間に合え!今度こそ間に合って!)
 
 小高い丘にある空き地から学校に戻るには、急斜面に生徒たちが作った、けもの道を行くしかない。
 駆け下りるには不向きで、案の定、(えんじゅ)は派手に足を滑らせた。
「っ!」
 尻と後ろ手についた手のひらは痛むが、(えんじゅ)はすぐに立ち上がって走り続ける。
「ったくテメェはよぉ、生意気なんだよ」
「ザケンナ関西人!」
「目ざわりなんだよっ」
 粗暴に投げつけられる声。
 口々に(ののし)る言葉。
 思い切り蹴り飛ばし、殴りつける鈍い音が何度も耳に届く。

「あ、あのっ!」
 一方的に(こぶし)を振るう上級生とナツガリの間に、(えんじゅ)が割って入った。
「うぉっ。……なんだぁ?」
 突然現れた金髪に、上級生たちが動きを止める。
 と同時に、頬を腫らし、唇の端に血を(にじ)ませているナツガリの顔も上がった。
「えと、えっとぉ。……どーもー」
 駆けつけてみたものの、ここからどうしてよいやら、わからなくて。
 (えんじゅ)は曖昧な笑顔を張りつけるしかない。
「なんだぁ?こいつ」
「あー、オレ知ってるわ」
 (しょう)ほどではないものの、かなりの自由さで制服を着崩した上級生が、片頬で笑う。
「ガイジンのくせに、英語がチョーできねぇっていう笑えるヤツだ」
「え、この見た目で?!」
「ダッセー」
「高入生だろ?コネで入ったワケ?ガイコクジンパパ、偉いヒト?」
「しかも、名前がエンジェルとかいうらしいぜ」
「天に召されんのかよっ」
「昇天?!」
「ギャハハっ」
「キュゥン」
「……よしよし、静かにしとけ……」 
 下品な嘲笑(ちょうしょう)に交じって、ナツガリが身動(みじろ)ぎする衣擦(きぬず)れの音と、小さな鳴き声が聞こえてきた。
「キュウン」
 先ほどより大きな鳴き声に、上級生たちが(わら)い止む。
「お、忘れてたわ。……あのな、エンジェルちゃん」
 感じの悪い笑顔が、(えんじゅ)にぐぃっと迫った。
「なんか勘違いしてるのかもしれねぇけど、俺ら被害者だからな?」
「ひ、被害者?」
 
(これほど「被害者」って言葉が似合わない連中もいないな)

 眉間にシワを寄せた(えんじゅ)には気づかず、上級生は得意げに続ける。
「そ。そこにいる目つきの悪い一年は、犯罪者なんだよ」
「犯罪者?」

(お前らのやってることのほうが犯罪的だろ)

「ドロボーなんだよ。こいつのイヌ、盗んで逃げたんだから」
 グレーのパーカーを着た上級生が、隣に立つ生徒を親指でちょいちょいと示す。

(うわぁ……。(しょう)の上位互換、いや、下位互換?)
 
 着ているTシャツは同系統ではあるが。
 (しょう)はあくまでチンピラ「風」なのだが、前に立つ生徒は「風」ですらなく。
 「このゴミくずヤロウ!」とノドまで出かかった(えんじゅ)だ。
「ったく。返せっつてるだろ!」
「いたっ」
 (えんじゅ)を片手で突き飛ばして、”ゴミくず”が(こぶし)を振り上げる。
 派手に尻もちをついた(えんじゅ)の隣で、顔を腫らしたナツガリは”ゴミくず”を真っ向からにらみつけた。

(そんな顔をしていたら……。ダメだよ、抵抗の意思はないって示さないと)

「なんだよ、その目つきっ!」

(ほら、相手を挑発してしまった。腕で(かば)うか、せめてうつむいていればいいのに)

 まるで自分が殴られる寸前のように、(えんじゅ)の下腹がきゅっと縮まった、そのとき。
「あー、やだやだ。大勢で寄ってたかって」
「ああ゛?!……え」
 手首をつかまれた”ゴミくず”が(すご)んで振り返り、そして、その目が点になった。
「ぅわぁ~。……あ」
 思わず呆れた声が漏れて、(えんじゅ)が慌てて取り囲む連中を見渡せば。
 ゴミくず上級生たちも、何とも微妙な顔をして黙り込んでいる。
 
 今日の(しょう)が着ているシャツに題名を付けるとすれば、(えんじゅ)のなかでは「アオウミウシ」一択。
 一目見たときに、鮮やかな浅瀬の風景が脳裏に広がったほどだ。
 コバルトブルーの地に黄色いまだら模様が浮き出すようで、(えり)を縁取るオレンジが目に痛い。
 さすがの(しょう)といえども、校内でその姿を(さら)すのは気が引けたのだろうか。
 珍しく、ずっとジャケットを着ていたのだが、今はそれも脱いでいる。
 そして、どこに隠し持っていたのか。
 細身のキャットアイのサングラスをかけて、首を傾けあごを上げているその姿は、もうチンピラでもなんでもない。
 ただの「その筋の方」だ。
 しかも、スタイルの良い長身でライトブラウンの髪。
 「その筋の方」というよりも、「外国のヤバい方」そのものだ。

「……え」
「うっわ」
「げ」
 手首をつかまれている”ゴミくず”が青ざめ、周囲のゴミ、いや上級生たちも、ひるんで一歩下がる。
 「冬蔦(ふゆづた)(しょう)」という人間は、目立つ容姿と素行から、学校ではかなり有名な存在だ。
 この上級生たちも、知っている可能性は高い。
 だが、目の前にいるサングラスの「外国のヤバい方」は、おそらく「日本の高校生である冬蔦(ふゆづた)(しょう)」とはイコールにはなっていないだろう。

「You suck!(サイアク)」
 流暢(りゅうちょう)な英語で(ののし)られ、ゴミ上級生たちの顔がさらに青ざめた。
「Barking dogs seldom bite.(弱い犬ほどよく吠えるからなぁ)」
「ちょ、ヤベぇんじゃね?」
「どっからわいた?」
 上級生たちはじりじりと(しょう)から離れていく。
「おい、先に戻るからな!」
 ゴミ上級生たちが”ゴミくず”を残して、我先にと駆け出していった。
「あ、ちょ!……おい放せ、ぅわっ!」
 ”ゴミくず”が思い切り腕を振り払おうとしたタイミングで、(しょう)はつかんでいた手を放す。
「いって!」
 バランスを崩した”ゴミくず”が派手に転ぶ間に、殴られっぱなしだったナツガリが立ち上がった。

(わあ)
 
 見上げる(えんじゅ)の目が丸くなる。
 (しょう)が同級生だと言っていたけれど、ナツガリはずいぶんと背が高い。
 肩幅も広く、一目で鍛えているとわかる体格である。
 そのジャケットの胸から、プルプルと震えている、白黒の毛玉が顔を出した。

(あ、シュナウザーだったんだ)

 ナツガリの胸からチラ見えしていたのは、シュナウザーのふさふさしたあごヒゲだったらしい。
「俺のイヌだろっ、返せ!」
 ”ゴミくず”が怒鳴りながら立ち上がった。
「てめぇ、ふざけんなよ」
 怒鳴り、つかみかかろうとする”ゴミくず”に、犬を(かか)えたナツガリの膝が上がる。
 とうとう反撃するのか、と思われたとき。
「アキラ」
 突然かけられた声に、犬を(かか)えたナツガリが膝を下ろした。
 見るとナツガリの背後に、きっちりと制服を着た、白髪(はくはつ)の生徒がたたずんでいる。
 その見事なまでの純白は、夏の名残りの陽射しに照らされ、まるで銀髪のように輝いていた。
 
(いつの間に……。こんな近くに?)

 (えんじゅ)は二度三度と瞬きをする。

(どこから来たんだろ。……さっきまでは、絶対いなかった)

「行こう」
 この場には、「アキラ」と呼んだ生徒しかいないかのように。
 白髪(はくはつ)の生徒はこちらを一瞥(いちべつ)することもなく、背を向けて歩き出した。
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