ふたりだけの

文字数 3,912文字

 リゾートホテルに(まもる)が連絡を入れると、ほどなく支配人自らがヴィラにやってきた。
 その迅速ぶりに礼を述べる(まもる)に、子供のころから世話になっている支配人は「高梁(たかはし)さんからも、ご連絡いただいてましたので」と、目じりを下げて笑う。
「今年はお正月にもいらっしゃいませんでしたから、本当にお久しぶりですね」
 裏口に軽トラをつけた支配人が、キッチンの土間に保冷バッグや段ボールを次々と下ろしていった。
「ええ。少し、片づけないといけないことがあったので」
「そうですよね。ご進学準備とかもお忙しかったでしょう」
「まあ……。あの、向こうの社務所が」
「ご覧になりましたか?地響きもすごかったですよ」
 手は休めないものの、支配人は表情を曇らせる。
「コテージ一帯は山続きですから、こちらも念のため封鎖して、予約をお断りしているんです」
「……ご迷惑をおかけします」
「いえいえ」
 ”わかっていますよ”とでも言いたげな支配人に、(まもる)は苦笑いを浮かべた。
「けが人などは?」
「みなさんご無事のようです。宮司(ぐうじ)さんがちょっと怪我をなされて、代理を権禰宜(ごんねぎ)さんがなさっていると聞いてはいますが。それで、不思議なことがあったって話ですよ」
「不思議?」
「いえね、しばらく社務所に近づくなって、それはキレイなフェニックスが告げる夢をみたって」
「フェニックス……。それは、宮司(ぐうじ)さんが?」
 段ボールを持ち上げようとした姿勢のまま、(まもる)は支配人を凝視する。
宮司(ぐうじ)さんもですが、アルバイトの巫女さんにいたるまで全員が、ここ何日かのうちに言い出したそうです。だから、しばらく社務所は一部閉鎖するという通達が一昨日あって。それで、昨夜の土砂崩れでしょう?さすが神職さんたちです。神様のお護りがあるんですねぇ。さて、これで全部です」
 最後に大き目のスープジャーを手渡してきた支配人が、愛想のよい笑顔を見せた。
「危険を感じたら、すぐにホテルへいらしてください。少しのことでも、必ずご連絡くださいね。……高梁(たかはし)さんもご心配なさってますから」
「はい」
 無理を聞いてもらっている自覚はあるので、(まもる)は素直にうなずく。
「お約束ですよ。……では、ごゆっくりお過ごしください」
 支配人が運転する軽トラのテールランプが、暗闇のなか、ゆらゆらと揺れる鬼火のように遠ざかっていった。


 リビングとダイニングキッチンを隔てるすりガラスのドアから、半分顔をのぞかせている(えんじゅ)は、今にも「キュンキュン」と泣き出しそうな子犬のようだ。
「僕にもなんか、手伝わせてほしいなぁ……」
「いや、頼むからじっとしてろ」
 床に散らばった皿のカケラを拾いながら、(しょう)が「ハァ」とわざとらしため息をつく。
「スープとかよそったり……」
「食べるときに呼ぶさかい、待っとき」
 皿に料理を盛り付けている(あきら)(えんじゅ)に目もくれない。
「じゃ、じゃあ、スプーンかなんかを」
「ステイ」
 (しょう)の冷たい指示に、皿を三枚、コップふたつをダメにした(えんじゅ)は、しょんぼりとうつむいた。
(えんじゅ)
「はい!」
 (まもる)から

で呼ばれた(えんじゅ)が、跳ねるように顔を上げる。
『味見』
「いいの?」
 (まもる)が差し出した皿には、ココアとバニラが市松模様になったクッキーが並べられていた。
 いそいそとキッチンに入ってきた(えんじゅ)はクッキーを頬張ったとたん、たちまちその目を丸くする。
「わ、おいしい。(まもる)って、ホントにスィーツ男子だったんだねぇ。この短時間でクッキー焼いちゃうなんて、すごーい」
「ぬるいなぁ、甘すぎじゃねえの。どれ、オレも」
 割れ物を片手に立ち上がった(しょう)の手が、クッキーに伸ばされた。
「マジうまっ。向こうでもクッキー生地とか常備してんの?食わせろよ」
『向こうではしない。高梁(たかはし)さんもそこそこ顔を出すし、お前たちも入り浸ってるし』
 漆塗りの盆にふたり分の食事を並べる(まもる)から、明らかに面倒くさそうなアーユスが返される。
 たしなめる蒼玉(そうぎょく)がいないせいか、アーユスばかり使う(まもる)ではあるが。
 普段よりもずっと饒舌で(いや、舌は使っていないが)、意思の疎通ができるなと(しょう)は思う。
「え、オレたちいたら、何でダメ?」
高梁(たかはし)さんだから遠慮もあるんだろ。あれ以上気に入られて、(えんじゅ)が住み着いても困る。(あきら)
「はい」
 耳が拾う声ではなく、頭に直接放り込まれる意識に返事をするのは、違和感しかないが。
 (あきら)蒼玉(そうぎょく)に施してもらった術を思い出しながら、へその下あたりのパドマを意識した。
『あとは、何をしとけばええですか』
「お」
「あれれ」
 強すぎず、弱すぎず。
 完全にコントロールされたアーユスで応えた(あきら)に、(しょう)(えんじゅ)は目を見張り、その隣で(まもる)が小さく微笑んだ。
『優秀。食べたいものがあれば、なんでも手をつけていいから』
 (まもる)は支配人が持ってきた、ホテルのディナーメニューだったらしいパイ包みや、牛フィレステーキの薄切りなどを目線で示す。
(えんじゅ)にはパンを焼いてやって。パックご飯の場所は知ってるだろう。食べ終わった食器は、食洗器に』
秋鹿(あいか)さんたちの食事は……』 
 (あきら)が見つめる盆には、ニンジンのポタージュと白パン、そして、クッキーとほうじ茶しか乗っていない。
 (まもる)の眉が微かに曇り、心配しているアーユスだけが届いた。
『必要なものがあったら、遠慮せえへんでアーユスを送ってください』
『ありがとう、そうさせてもらう。……念のため』
 (まもる)の怖いほど真剣な顔に、仲間たちの背筋が伸びる。
「外には絶対に出るな」
 硬い

での警告に、仲間三人は無言でうなずいた。


 足音を立てないように階段を上ってから、(まもる)稀鸞(きらん)が眠る部屋の前でアーユスを流した。
蒼玉(そうぎょく)
『お入りください』
 涼やかなアーユスの許可に、(まもる)はゆっくりとドアを開ける。
 ベッドに眠る稀鸞(きらん)の手を握る蒼玉(そうぎょく)の腕輪が、フットライトだけを付けた仄暗(ほのぐら)い部屋で光っていた。
 サイドテーブルに盆を置くと、(まもる)蒼玉(そうぎょく)の隣に寄り添う。
月兎(げつと)は?』
『下がらせました』
稀鸞(きらん)さんの具合は?』
 蒼玉(そうぎょく)から届いたのは、小さなため息だけ。

――完全なる遮断――

 それが、かえって事の重大さを伝えてくる。
『俺のアーユスを使うのはどう?”微睡(まどろみ)”が解けたばかりだからかな。蒼玉(そうぎょく)のアーユスは、半分眠ってる感じがする』
 見上げる黒水晶の瞳に、(まもる)の優しい笑みが映し出された。
『アーユスが足りなくて、稀鸞(きらん)さんのパドマが修復しきれないんじゃない?俺ができるならやりたいけど、アーユスを流すって、まだよくわからないから。……蒼玉(そうぎょく)がずっと、あいつらをサポートしてたのはわかったけど』
「ふふっ」
 (まもる)の指先をキュッと握って、蒼玉(そうぎょく)が密やな笑い声を立てる。
『気がついていた?』
『もちろん。でなければ、(しょう)(えんじゅ)のアーユスなんかダダ漏れだろ。抑えてもらっててもアレなんだから』
 ふたりで顔を見合わせて、同時に微笑み合って。
 蒼玉(そうぎょく)(まもる)は、ふざけるように肩をぶつけ合った。
『パドマが開いたばかりだから』
(あきら)はけっこうコントロールしてるけど』
(まもる)の指導が良かったのよ。あの子は本当に、あなたを慕っているもの』
『鳥の雛と同じじゃない?』
『無償の愛を与えた相手だものね、(まもる)は』
『愛じゃない』
 不本意を伝える(まもる)のアーユスに、蒼玉(そうぎょく)が大人びた笑みを浮かべる。
『情も愛のひとつよ。でも、(まもる)はあげないけれど』
『俺も譲られるつもりはないよ。それに、(あきら)が欲しい人はまた別にいる。……知ってるくせに』
『ええ、知ってる。隠せないほど、想いが深いのね』
蒼玉(そうぎょく)に隠し事なんかできるわけないし。はい』
 ”この話はおしまい”というアーユスを流して、(まもる)蒼玉(そうぎょく)に手を差し伸べた。
『使って、俺のアーユス』 
『昼間も協力してもらったのに……。いいの?』
『なんでいけないの?』
 即座に返されて、蒼玉(そうぎょく)の目が潤む。
『ありがとう、(まもる)
 蒼玉(そうぎょく)と手をつなぐと、そのアーユスが静かに(まもる)の内に流れ込んで、体を巡っていった。
「ナウボウ・バキャバテイ・バイセイジャ・グロ・バイチョリヤ・ハラバア・ランジャヤ」※1
 腹に熱が生まれ、蒼玉(そうぎょく)の冷涼なアーユスがその熱を集め取り込み、稀鸞(きらん)に流していくのが感じられる。
「タターギャタヤ・アラカテイ・サンミャクサンボダヤ・タニヤタ・オン」※2
 眠っている稀鸞(きらん)の浅い息が、しだいに深くなっていった。
「バイセイゼイ・バイセイゼイ・バイセイジャ・サンボドギャテイ・ソワカ」※3
 稀鸞(きらん)のアーユスが強く脈動し始めたのを確認して、蒼玉(そうぎょく)がそっと手を離す。
『本当にありがとう』
『どういたしまして。お腹はすいてない?ポタージュを持ってきたけど、食べられそう?』
 ずっと以前からの仲ではあるが、蒼玉(そうぎょく)の体そのものは、七百年の眠りから覚めたばかりだ。
『お粥のほうがよかったかな』
『ぽたーじゅって?』
 蒼玉(そうぎょく)のアーユスが、断りを入れてから(まもる)の意識を探る。
『お野菜をすりつぶしたものなのですね。いただいてみます。ありがとう』
 蒼玉(そうぎょく)の笑顔に、(まもる)はほっと息をついた。
『クッキーも持ってきたよ。チョコチップ入りじゃないけど。……こっちに座って。はい、どうぞ』
 サイドテーブル脇のイスに案内された蒼玉(そうぎょく)は、スプーンを使って一匙二匙、ゆっくりとポタージュを味わう。
『おいしい』
『口元についちゃってる』
『本当?……え』 
 蒼玉(そうぎょく)が手を伸ばそうとする前に、(まもる)は親指でその口元をぬぐい、そのままペロリとなめとった。
『……お行儀の悪いことしないの』
『でも、布巾(ふきん)を持ってこなかったから。……蒼玉(そうぎょく)と食事ができるなんて、夢みたいだ』
 ほのかに染まる蒼玉(そうぎょく)の頬を、(まもる)は手の甲で何度もなでる。
『ずっと、ずっと会いたかったよ』
『ええ、わたしも』
 微かに震える指先で、(まもる)は微笑む蒼玉(そうぎょく)の唇をなぞった。

※1 薬師如来マントラ 大呪 
※2 薬師如来マントラ 大呪続き
※3 薬師如来マントラ 大呪続き
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