ふたりだけの
文字数 3,912文字
リゾートホテルに鎮 が連絡を入れると、ほどなく支配人自らがヴィラにやってきた。
その迅速ぶりに礼を述べる鎮 に、子供のころから世話になっている支配人は「高梁 さんからも、ご連絡いただいてましたので」と、目じりを下げて笑う。
「今年はお正月にもいらっしゃいませんでしたから、本当にお久しぶりですね」
裏口に軽トラをつけた支配人が、キッチンの土間に保冷バッグや段ボールを次々と下ろしていった。
「ええ。少し、片づけないといけないことがあったので」
「そうですよね。ご進学準備とかもお忙しかったでしょう」
「まあ……。あの、向こうの社務所が」
「ご覧になりましたか?地響きもすごかったですよ」
手は休めないものの、支配人は表情を曇らせる。
「コテージ一帯は山続きですから、こちらも念のため封鎖して、予約をお断りしているんです」
「……ご迷惑をおかけします」
「いえいえ」
”わかっていますよ”とでも言いたげな支配人に、鎮 は苦笑いを浮かべた。
「けが人などは?」
「みなさんご無事のようです。宮司 さんがちょっと怪我をなされて、代理を権禰宜 さんがなさっていると聞いてはいますが。それで、不思議なことがあったって話ですよ」
「不思議?」
「いえね、しばらく社務所に近づくなって、それはキレイなフェニックスが告げる夢をみたって」
「フェニックス……。それは、宮司 さんが?」
段ボールを持ち上げようとした姿勢のまま、鎮 は支配人を凝視する。
「宮司 さんもですが、アルバイトの巫女さんにいたるまで全員が、ここ何日かのうちに言い出したそうです。だから、しばらく社務所は一部閉鎖するという通達が一昨日あって。それで、昨夜の土砂崩れでしょう?さすが神職さんたちです。神様のお護りがあるんですねぇ。さて、これで全部です」
最後に大き目のスープジャーを手渡してきた支配人が、愛想のよい笑顔を見せた。
「危険を感じたら、すぐにホテルへいらしてください。少しのことでも、必ずご連絡くださいね。……高梁 さんもご心配なさってますから」
「はい」
無理を聞いてもらっている自覚はあるので、鎮 は素直にうなずく。
「お約束ですよ。……では、ごゆっくりお過ごしください」
支配人が運転する軽トラのテールランプが、暗闇のなか、ゆらゆらと揺れる鬼火のように遠ざかっていった。
◇
リビングとダイニングキッチンを隔てるすりガラスのドアから、半分顔をのぞかせている槐 は、今にも「キュンキュン」と泣き出しそうな子犬のようだ。
「僕にもなんか、手伝わせてほしいなぁ……」
「いや、頼むからじっとしてろ」
床に散らばった皿のカケラを拾いながら、渉 が「ハァ」とわざとらしため息をつく。
「スープとかよそったり……」
「食べるときに呼ぶさかい、待っとき」
皿に料理を盛り付けている煌 は槐 に目もくれない。
「じゃ、じゃあ、スプーンかなんかを」
「ステイ」
渉 の冷たい指示に、皿を三枚、コップふたつをダメにした槐 は、しょんぼりとうつむいた。
「槐 」
「はい!」
鎮 から槐 が、跳ねるように顔を上げる。
『味見』
「いいの?」
鎮 が差し出した皿には、ココアとバニラが市松模様になったクッキーが並べられていた。
いそいそとキッチンに入ってきた槐 はクッキーを頬張ったとたん、たちまちその目を丸くする。
「わ、おいしい。鎮 って、ホントにスィーツ男子だったんだねぇ。この短時間でクッキー焼いちゃうなんて、すごーい」
「ぬるいなぁ、甘すぎじゃねえの。どれ、オレも」
割れ物を片手に立ち上がった渉 の手が、クッキーに伸ばされた。
「マジうまっ。向こうでもクッキー生地とか常備してんの?食わせろよ」
『向こうではしない。高梁 さんもそこそこ顔を出すし、お前たちも入り浸ってるし』
漆塗りの盆にふたり分の食事を並べる鎮 から、明らかに面倒くさそうなアーユスが返される。
たしなめる蒼玉 がいないせいか、アーユスばかり使う鎮 ではあるが。
普段よりもずっと饒舌で(いや、舌は使っていないが)、意思の疎通ができるなと渉 は思う。
「え、オレたちいたら、何でダメ?」
『高梁 さんだから遠慮もあるんだろ。あれ以上気に入られて、槐 が住み着いても困る。煌 』
「はい」
耳が拾う声ではなく、頭に直接放り込まれる意識に返事をするのは、違和感しかないが。
煌 は蒼玉 に施してもらった術を思い出しながら、へその下あたりのパドマを意識した。
『あとは、何をしとけばええですか』
「お」
「あれれ」
強すぎず、弱すぎず。
完全にコントロールされたアーユスで応えた煌 に、渉 と槐 は目を見張り、その隣で鎮 が小さく微笑んだ。
『優秀。食べたいものがあれば、なんでも手をつけていいから』
鎮 は支配人が持ってきた、ホテルのディナーメニューだったらしいパイ包みや、牛フィレステーキの薄切りなどを目線で示す。
『槐 にはパンを焼いてやって。パックご飯の場所は知ってるだろう。食べ終わった食器は、食洗器に』
『秋鹿 さんたちの食事は……』
煌 が見つめる盆には、ニンジンのポタージュと白パン、そして、クッキーとほうじ茶しか乗っていない。
鎮 の眉が微かに曇り、心配しているアーユスだけが届いた。
『必要なものがあったら、遠慮せえへんでアーユスを送ってください』
『ありがとう、そうさせてもらう。……念のため』
鎮 の怖いほど真剣な顔に、仲間たちの背筋が伸びる。
「外には絶対に出るな」
硬い
◇
足音を立てないように階段を上ってから、鎮 は稀鸞 が眠る部屋の前でアーユスを流した。
『蒼玉 』
『お入りください』
涼やかなアーユスの許可に、鎮 はゆっくりとドアを開ける。
ベッドに眠る稀鸞 の手を握る蒼玉 の腕輪が、フットライトだけを付けた仄暗 い部屋で光っていた。
サイドテーブルに盆を置くと、鎮 は蒼玉 の隣に寄り添う。
『月兎 は?』
『下がらせました』
『稀鸞 さんの具合は?』
蒼玉 から届いたのは、小さなため息だけ。
――完全なる遮断――
それが、かえって事の重大さを伝えてくる。
『俺のアーユスを使うのはどう?”微睡 ”が解けたばかりだからかな。蒼玉 のアーユスは、半分眠ってる感じがする』
見上げる黒水晶の瞳に、鎮 の優しい笑みが映し出された。
『アーユスが足りなくて、稀鸞 さんのパドマが修復しきれないんじゃない?俺ができるならやりたいけど、アーユスを流すって、まだよくわからないから。……蒼玉 がずっと、あいつらをサポートしてたのはわかったけど』
「ふふっ」
鎮 の指先をキュッと握って、蒼玉 が密やな笑い声を立てる。
『気がついていた?』
『もちろん。でなければ、渉 や槐 のアーユスなんかダダ漏れだろ。抑えてもらっててもアレなんだから』
ふたりで顔を見合わせて、同時に微笑み合って。
蒼玉 と鎮 は、ふざけるように肩をぶつけ合った。
『パドマが開いたばかりだから』
『煌 はけっこうコントロールしてるけど』
『鎮 の指導が良かったのよ。あの子は本当に、あなたを慕っているもの』
『鳥の雛と同じじゃない?』
『無償の愛を与えた相手だものね、鎮 は』
『愛じゃない』
不本意を伝える鎮 のアーユスに、蒼玉 が大人びた笑みを浮かべる。
『情も愛のひとつよ。でも、鎮 はあげないけれど』
『俺も譲られるつもりはないよ。それに、煌 が欲しい人はまた別にいる。……知ってるくせに』
『ええ、知ってる。隠せないほど、想いが深いのね』
『蒼玉 に隠し事なんかできるわけないし。はい』
”この話はおしまい”というアーユスを流して、鎮 は蒼玉 に手を差し伸べた。
『使って、俺のアーユス』
『昼間も協力してもらったのに……。いいの?』
『なんでいけないの?』
即座に返されて、蒼玉 の目が潤む。
『ありがとう、鎮 』
蒼玉 と手をつなぐと、そのアーユスが静かに鎮 の内に流れ込んで、体を巡っていった。
「ナウボウ・バキャバテイ・バイセイジャ・グロ・バイチョリヤ・ハラバア・ランジャヤ」※1
腹に熱が生まれ、蒼玉 の冷涼なアーユスがその熱を集め取り込み、稀鸞 に流していくのが感じられる。
「タターギャタヤ・アラカテイ・サンミャクサンボダヤ・タニヤタ・オン」※2
眠っている稀鸞 の浅い息が、しだいに深くなっていった。
「バイセイゼイ・バイセイゼイ・バイセイジャ・サンボドギャテイ・ソワカ」※3
稀鸞 のアーユスが強く脈動し始めたのを確認して、蒼玉 がそっと手を離す。
『本当にありがとう』
『どういたしまして。お腹はすいてない?ポタージュを持ってきたけど、食べられそう?』
ずっと以前からの仲ではあるが、蒼玉 の体そのものは、七百年の眠りから覚めたばかりだ。
『お粥のほうがよかったかな』
『ぽたーじゅって?』
蒼玉 のアーユスが、断りを入れてから鎮 の意識を探る。
『お野菜をすりつぶしたものなのですね。いただいてみます。ありがとう』
蒼玉 の笑顔に、鎮 はほっと息をついた。
『クッキーも持ってきたよ。チョコチップ入りじゃないけど。……こっちに座って。はい、どうぞ』
サイドテーブル脇のイスに案内された蒼玉 は、スプーンを使って一匙二匙、ゆっくりとポタージュを味わう。
『おいしい』
『口元についちゃってる』
『本当?……え』
蒼玉 が手を伸ばそうとする前に、鎮 は親指でその口元をぬぐい、そのままペロリとなめとった。
『……お行儀の悪いことしないの』
『でも、布巾 を持ってこなかったから。……蒼玉 と食事ができるなんて、夢みたいだ』
ほのかに染まる蒼玉 の頬を、鎮 は手の甲で何度もなでる。
『ずっと、ずっと会いたかったよ』
『ええ、わたしも』
微かに震える指先で、鎮 は微笑む蒼玉 の唇をなぞった。
※1 薬師如来マントラ 大呪
※2 薬師如来マントラ 大呪続き
※3 薬師如来マントラ 大呪続き
その迅速ぶりに礼を述べる
「今年はお正月にもいらっしゃいませんでしたから、本当にお久しぶりですね」
裏口に軽トラをつけた支配人が、キッチンの土間に保冷バッグや段ボールを次々と下ろしていった。
「ええ。少し、片づけないといけないことがあったので」
「そうですよね。ご進学準備とかもお忙しかったでしょう」
「まあ……。あの、向こうの社務所が」
「ご覧になりましたか?地響きもすごかったですよ」
手は休めないものの、支配人は表情を曇らせる。
「コテージ一帯は山続きですから、こちらも念のため封鎖して、予約をお断りしているんです」
「……ご迷惑をおかけします」
「いえいえ」
”わかっていますよ”とでも言いたげな支配人に、
「けが人などは?」
「みなさんご無事のようです。
「不思議?」
「いえね、しばらく社務所に近づくなって、それはキレイなフェニックスが告げる夢をみたって」
「フェニックス……。それは、
段ボールを持ち上げようとした姿勢のまま、
「
最後に大き目のスープジャーを手渡してきた支配人が、愛想のよい笑顔を見せた。
「危険を感じたら、すぐにホテルへいらしてください。少しのことでも、必ずご連絡くださいね。……
「はい」
無理を聞いてもらっている自覚はあるので、
「お約束ですよ。……では、ごゆっくりお過ごしください」
支配人が運転する軽トラのテールランプが、暗闇のなか、ゆらゆらと揺れる鬼火のように遠ざかっていった。
◇
リビングとダイニングキッチンを隔てるすりガラスのドアから、半分顔をのぞかせている
「僕にもなんか、手伝わせてほしいなぁ……」
「いや、頼むからじっとしてろ」
床に散らばった皿のカケラを拾いながら、
「スープとかよそったり……」
「食べるときに呼ぶさかい、待っとき」
皿に料理を盛り付けている
「じゃ、じゃあ、スプーンかなんかを」
「ステイ」
「
「はい!」
声
で呼ばれた『味見』
「いいの?」
いそいそとキッチンに入ってきた
「わ、おいしい。
「ぬるいなぁ、甘すぎじゃねえの。どれ、オレも」
割れ物を片手に立ち上がった
「マジうまっ。向こうでもクッキー生地とか常備してんの?食わせろよ」
『向こうではしない。
漆塗りの盆にふたり分の食事を並べる
たしなめる
普段よりもずっと饒舌で(いや、舌は使っていないが)、意思の疎通ができるなと
「え、オレたちいたら、何でダメ?」
『
「はい」
耳が拾う声ではなく、頭に直接放り込まれる意識に返事をするのは、違和感しかないが。
『あとは、何をしとけばええですか』
「お」
「あれれ」
強すぎず、弱すぎず。
完全にコントロールされたアーユスで応えた
『優秀。食べたいものがあれば、なんでも手をつけていいから』
『
『
『必要なものがあったら、遠慮せえへんでアーユスを送ってください』
『ありがとう、そうさせてもらう。……念のため』
「外には絶対に出るな」
硬い
声
での警告に、仲間三人は無言でうなずいた。◇
足音を立てないように階段を上ってから、
『
『お入りください』
涼やかなアーユスの許可に、
ベッドに眠る
サイドテーブルに盆を置くと、
『
『下がらせました』
『
――完全なる遮断――
それが、かえって事の重大さを伝えてくる。
『俺のアーユスを使うのはどう?”
見上げる黒水晶の瞳に、
『アーユスが足りなくて、
「ふふっ」
『気がついていた?』
『もちろん。でなければ、
ふたりで顔を見合わせて、同時に微笑み合って。
『パドマが開いたばかりだから』
『
『
『鳥の雛と同じじゃない?』
『無償の愛を与えた相手だものね、
『愛じゃない』
不本意を伝える
『情も愛のひとつよ。でも、
『俺も譲られるつもりはないよ。それに、
『ええ、知ってる。隠せないほど、想いが深いのね』
『
”この話はおしまい”というアーユスを流して、
『使って、俺のアーユス』
『昼間も協力してもらったのに……。いいの?』
『なんでいけないの?』
即座に返されて、
『ありがとう、
「ナウボウ・バキャバテイ・バイセイジャ・グロ・バイチョリヤ・ハラバア・ランジャヤ」※1
腹に熱が生まれ、
「タターギャタヤ・アラカテイ・サンミャクサンボダヤ・タニヤタ・オン」※2
眠っている
「バイセイゼイ・バイセイゼイ・バイセイジャ・サンボドギャテイ・ソワカ」※3
『本当にありがとう』
『どういたしまして。お腹はすいてない?ポタージュを持ってきたけど、食べられそう?』
ずっと以前からの仲ではあるが、
『お粥のほうがよかったかな』
『ぽたーじゅって?』
『お野菜をすりつぶしたものなのですね。いただいてみます。ありがとう』
『クッキーも持ってきたよ。チョコチップ入りじゃないけど。……こっちに座って。はい、どうぞ』
サイドテーブル脇のイスに案内された
『おいしい』
『口元についちゃってる』
『本当?……え』
『……お行儀の悪いことしないの』
『でも、
ほのかに染まる
『ずっと、ずっと会いたかったよ』
『ええ、わたしも』
微かに震える指先で、
※1 薬師如来マントラ 大呪
※2 薬師如来マントラ 大呪続き
※3 薬師如来マントラ 大呪続き