稀人(まれびと)-2-
文字数 2,933文字
一気に階段を駆け上がった鎮 と煌 は、最上段に倒れ伏している人の両脇に膝をついた。
投げ出した腕に埋まる顔を見ることはできなかったが、体つきから男性だとわかる。
その肩に触れようとした煌 を、鎮 が身振りで止めた。
「オン・シュダ・シュダ」 ※1
ジップアップパーカーのポケットから取り出した護符を構えて、鎮 はしばらく固唾を飲んで待つ。
だが何も起きる気配もなく、鎮 は「ほぅ」と息をついて札を口元に寄せた。
「神の御息 は我が息、我が息は神の御息 なり。御息 を以 て吹けば穢 れは在 らじ残らじ。阿那清々 し、阿那清々 し」※2
唱えが終わったとたん、
「お、息はありそうだな」
追いついた渉 はちらりと紙きれに目をやるが、何も言わずそのまま体をかがめた。
「このヒト、墨染 着てるってことは寺関係か?……にしては長髪だな」
渉 が男性の首元に手を当てているあいだに、息も絶え絶えな様子で槐 が階段を上がってくる。
「はぁ、きっつぅ~」
ドサリと槐 が階段に座り込んだ、その振動が伝わったのか。
倒れ伏していた男性が微かに身じろぎする。
「……大丈夫、ですか?」
渉 に声が届いたのだろうか。
男性の目がゆっくりと開いていく。
「あの、えっと……」
呼びかけた渉 など、そこにいないかのように。
男性は立ち上がると、風に舞う護符の断片 を目で追って階段をのぼっていく。
「ああ、これは……」
手の中に落ちてきた紙片を握りしめて額に押し頂くと、男性がおもむろに振り返った。
そして、鎮 に焦点を合わせ微笑みかけると、その手を差し出し招く。
「こちらへ」
「……」
「おい、鎮 」
止めようとする渉 の手は虚しく空を切り、吸い寄せられるように鎮 は男性の元へと歩いていった。
「さあ」
その声に導かれるように、鎮 も男性に手を伸ばし、ふたりの指先が触れ合った、その瞬間。
閃光がほとばしり、渦巻くような風が吹き始める。
「うぉ?!」
「ひゃあ!」
「秋鹿 さんっ」
仲間たちの声は聞こえるが、風渦 の中心にいる鎮 は何の反応もできない。
それは風や光のせいではなく。
頭の中に流れ込む「ナニカ」に、全身がかき乱されているからだった。
自分が見たわけではない景色。
誰かの思考、感情。
そんなものが冠状動脈から毛細血管に至るまで流れ込み、自分の存在が砕け散ってしまうようだ。
(気持ち、悪いっ)
「……や、やめて……、やめてくれ!」
「!」
鎮 が叫ぶと同時に男性の体が吹き飛び、嘘のように風が静まる。
「さすがにやりすぎやで、秋鹿 さん」
煌 からすれ違いざまにたしなめられたが、鎮 は応えることもできずに、ただ胸を押さえて立ちすくむばかりだ。
鼓動が乱れ、呼吸もままならない。
「俺の肩につかまってください。……大丈夫ですか?」
「ああ、申し訳ありません」
煌 に抱えられた男性が、戻ってくるなり鎮 の前に膝をつく。
「失礼いたしました。赤眼 の白虎」
「!」
「……ああ、カラコン、さっきので吹っ飛んじまったのか。その辺には、……落ちてねぇなぁ」
片目を押さえうろたえる鎮 を横目に、渉 が地面を見渡した。
「目、痛くない?」
「……ない」
槐 にうなずき返して息を整えると、鎮 は片膝をつき見上げる男性に向き直る。
「なぜ、俺を白虎と?あなたは、どうしてここに?」
青白い顔の男性が、それでも柔らかく笑った。
「この場所そのものが清浄ではありますが、金の結界で、さらに浄化されていた。私の力が減じている今、御力に頼らせていただきました」
答えになっているような、いないようなことを言う男性だが、ふざけているような気配はまったくない。
「あの、お名前を伺っても?」
隣にしゃがんだ渉 としっかり目を合わせて、男性は頭を下げた。
「ああ、これは失礼いたしました。我が名はキラン。アグニの村で、アカシャをしておりました」
「……えーっと、なんだって……?」
半分も理解できずに、これはどこから尋ねていくべきかと悩む渉 と同じように、鎮 も腰を落とす。
「ここは母の墓所なんです。なぜ、ここに入ることができたのですか?」
「この場所を、これほど清らかに保っていらっしゃるのは、ご母堂の御霊 でしたか。結界は破られてはいなかったでしょう?順応したのです」
「順応?それは、っ!」
突然の爆音が、鎮 から言葉を奪った。
ドォン!!
ドン、ドン、ドォォォン!!
”キラン”と名乗った男性が、弾かれるように立ち上がる。
「ここの結界は……、解 かれてしまったのですね。私のせいで……。白虎、もう一度、結界を。ここからは決して出ないように」
呆気に取られる若者たちを置いて、キランは颯 のように階段を駆け下りていった。
不思議な男性の姿は、瞬く間に見えなくなっていって。
「……なんだったんだ?」
「わっかんない」
渉 と槐 が顔を見合わせたとき。
ドドドドドォン!
さらなる轟音 が空気を揺るがした。
「雷、……じゃあねぇよなぁ」
自分たちがいる場所を囲む森の向こうに、水柱のようなものが高く噴き上げている。
「なんなの、アレ」
顔をしかめている渉 にすり寄った槐 は、思わずその腕をつかんだ。
「いてぇよ。爪立てんな」
「だって、だって……」
噴き上がる水柱はどす黒くて、何が起こっているのかさっぱりわからなくて。
しがみつく槐 の手には、さらに力がこもる。
「なに、アレなにっ」
「……知るかよ」
呆然としているふたりのうしろで、鎮 が煌 を手招いた。
「時間がない。最上祓 を」
パン!
強く打ち鳴らされた鎮 の両手が、静かな森に乾いた音を響かせる。
「南側に立って」
無言でうなずいた煌 も大きな手を打ち合わせ、空気を震わせるような破裂音を生じさせた。
「高天原 天津祝詞 の太祝詞 持 ちかが呑 むでむ 祓 ひ賜 ひ清 め賜 ふ」※1
鎮 が詠唱し、煌 が続く。
「ぎゃーーーーーーー」
突然、緊迫感のない、だが、のたうち回るような悲鳴が聞こえてきた。
男でも女でもなく、大人でも子供でもなく。
ただ、ナニカの壮絶な声。
「あの人、じゃないよね……。え、鎮 ?どこ行くの!」
駆け抜けていく鎮 に伸ばされた槐 の手は、虚しく空を切った。
「ねぇ、どうしたの?!」
「お前はここにいろっ」
「でも、だってさ、僕あんなの唱えられないし、やだやだ、煌 も行っちゃの?」
あとを追った煌 はすぐに鎮 に追いつき、なんならその体を抱 えてしまいそうな勢いで、伴走を始める。
「相変わらず付き人みてぇだな、煌 は」
苦笑いを浮かべた渉 が、ふたりの後ろからゆっくりと階段を下り始めた。
「ちょ、結界ってやつの外に出ちゃうんじゃないの?やめなって。ヤバいって!」
「ヤベェよなぁ」
階段の縁で叫ぶ槐 を振り返って、渉 は不敵な笑みを見せる。
「ダメだよ、ここにいようよ!」
「んーでもさ、アイツら行っちゃったじゃん?お前だけ安全な場所で目と耳塞いで、知らねぇフリしてたいワケ?」
「……っ」
顔をゆがませた槐 の返事も待たずに。
渉 はひとつ結びにしたライトブラウンの髪を揺らして、階段を下りていく。
「……すいぶん、挑発してくれるじゃない」
冷えた真顔になった槐 は一歩、階段へと足を踏み出した。
※1善無畏三蔵 マントラ 邪気を消す
※2伊吹法 による祓 い
※3最上祓 大祓詞 の短縮版
投げ出した腕に埋まる顔を見ることはできなかったが、体つきから男性だとわかる。
その肩に触れようとした
「オン・シュダ・シュダ」 ※1
ジップアップパーカーのポケットから取り出した護符を構えて、
だが何も起きる気配もなく、
「神の
唱えが終わったとたん、
ひとりでに
細かくちぎれた護符が、風に乗って上空へと舞い上がっていく。「お、息はありそうだな」
追いついた
「このヒト、
「はぁ、きっつぅ~」
ドサリと
倒れ伏していた男性が微かに身じろぎする。
「……大丈夫、ですか?」
男性の目がゆっくりと開いていく。
「あの、えっと……」
呼びかけた
男性は立ち上がると、風に舞う護符の
「ああ、これは……」
手の中に落ちてきた紙片を握りしめて額に押し頂くと、男性がおもむろに振り返った。
そして、
「こちらへ」
「……」
「おい、
止めようとする
「さあ」
その声に導かれるように、
閃光がほとばしり、渦巻くような風が吹き始める。
「うぉ?!」
「ひゃあ!」
「
仲間たちの声は聞こえるが、
それは風や光のせいではなく。
頭の中に流れ込む「ナニカ」に、全身がかき乱されているからだった。
自分が見たわけではない景色。
誰かの思考、感情。
そんなものが冠状動脈から毛細血管に至るまで流れ込み、自分の存在が砕け散ってしまうようだ。
(気持ち、悪いっ)
「……や、やめて……、やめてくれ!」
「!」
「さすがにやりすぎやで、
鼓動が乱れ、呼吸もままならない。
「俺の肩につかまってください。……大丈夫ですか?」
「ああ、申し訳ありません」
「失礼いたしました。
「!」
「……ああ、カラコン、さっきので吹っ飛んじまったのか。その辺には、……落ちてねぇなぁ」
片目を押さえうろたえる
「目、痛くない?」
「……ない」
「なぜ、俺を白虎と?あなたは、どうしてここに?」
青白い顔の男性が、それでも柔らかく笑った。
「この場所そのものが清浄ではありますが、金の結界で、さらに浄化されていた。私の力が減じている今、御力に頼らせていただきました」
答えになっているような、いないようなことを言う男性だが、ふざけているような気配はまったくない。
「あの、お名前を伺っても?」
隣にしゃがんだ
「ああ、これは失礼いたしました。我が名はキラン。アグニの村で、アカシャをしておりました」
「……えーっと、なんだって……?」
半分も理解できずに、これはどこから尋ねていくべきかと悩む
「ここは母の墓所なんです。なぜ、ここに入ることができたのですか?」
「この場所を、これほど清らかに保っていらっしゃるのは、ご母堂の
「順応?それは、っ!」
突然の爆音が、
ドォン!!
ドン、ドン、ドォォォン!!
”キラン”と名乗った男性が、弾かれるように立ち上がる。
「ここの結界は……、
呆気に取られる若者たちを置いて、キランは
不思議な男性の姿は、瞬く間に見えなくなっていって。
「……なんだったんだ?」
「わっかんない」
ドドドドドォン!
さらなる
「雷、……じゃあねぇよなぁ」
自分たちがいる場所を囲む森の向こうに、水柱のようなものが高く噴き上げている。
「なんなの、アレ」
顔をしかめている
「いてぇよ。爪立てんな」
「だって、だって……」
噴き上がる水柱はどす黒くて、何が起こっているのかさっぱりわからなくて。
しがみつく
「なに、アレなにっ」
「……知るかよ」
呆然としているふたりのうしろで、
「時間がない。
パン!
強く打ち鳴らされた
「南側に立って」
無言でうなずいた
「
「ぎゃーーーーーーー」
突然、緊迫感のない、だが、のたうち回るような悲鳴が聞こえてきた。
男でも女でもなく、大人でも子供でもなく。
ただ、ナニカの壮絶な声。
「あの人、じゃないよね……。え、
駆け抜けていく
「ねぇ、どうしたの?!」
「お前はここにいろっ」
「でも、だってさ、僕あんなの唱えられないし、やだやだ、
あとを追った
「相変わらず付き人みてぇだな、
苦笑いを浮かべた
「ちょ、結界ってやつの外に出ちゃうんじゃないの?やめなって。ヤバいって!」
「ヤベェよなぁ」
階段の縁で叫ぶ
「ダメだよ、ここにいようよ!」
「んーでもさ、アイツら行っちゃったじゃん?お前だけ安全な場所で目と耳塞いで、知らねぇフリしてたいワケ?」
「……っ」
顔をゆがませた
「……すいぶん、挑発してくれるじゃない」
冷えた真顔になった
※1
※2
※3