本質の幻影-1-

文字数 2,907文字

 高梁(たかはし)が手配したハイヤーの後部座席に体を沈めながら、(しょう)は隣に座る(えんじゅ)のふくらはぎを、雪駄を履いた足で(つつ)いた。
高梁(たかはし)さん、どこ連れてくって?オレら」
「なんか、別の(まもる)んち、だって。……自分で聞いててよ……。タバコなんか吸いに行ってるかにゃ……」
 窓にもたれ、うとうとしている(えんじゅ)の口調は怪しい。
「だって、荷物で無事だったのタバコだけだったし、見ちゃったら吸いたくなるじゃんか。てか別のって、(まもる)ってばいくつ家持ってんのよ」
「なんか、そういうんにゃなくて……。ふぁ……。ちょっと寝かせて。もういっぱい……、おなかも頭も」
 (えんじゅ)の声が小さく途切れ、すぐに寝息が聞こえだした。
「まあ、そうだろな」
 つぶやいて、(しょう)は窓の外に目を()る。

(そら疲れてるよな。ずっとオレについててくれたんだから……。気絶するとか、マジでカッコワル)

 車窓に流れていく相模湾を眺めながら、(しょう)は短く太い息をつく。
 
 空より深い青の海原に、点々とサーファーが浮きつ沈みつしているのが見えた。
 のどかでしかない風景を前に、禍々(まがまが)しい昨日の夜を思い出してしまう。

(あんなもん、やっぱ見間違いとか……。いや、だったら、じゃあ……)
 
 前を向けば、見慣れている外車の後ろ姿が目に入ってきた。
 そこに乗っているのは(あきら)(まもる)、そして……。
 
(見間違いなら、あの姉妹はいねぇもんな)

 ぶれることなく走り続ける車を眺めながら、その運転手はどんな顔をしているのかと、ふと思った。
 

 時折、鼻をすする音だけを立てるだけの(あきら)は、あれから一言も口を開かない。
 湖岸に行く前と同じように障子は開け放たれているというのに、重苦しい空気に部屋がくすんでいる。
 その沈黙を破るように、境内に隣接した駐車場から車の音が聞こえてきた。
 気づいた(まもる)が縁側に出て、手を挙げて合図を送るとひとつうなずき、そのまま部屋を出ていく。

 しばらくして、友人たちのバッグを手にした(まもる)が戻ってきた。
「泥は落としてくれたんだね。中身は……」
 バッグの外側を確認した(えんじゅ)が、チャックを開けて……。
「……うわぁ」
 クモの巣のようなヒビが入ったスマートフォンの画面に、(えんじゅ)から絶望的な(うめ)き声が漏れた。
「生きてっか?」
 同じような状態のスマートフォンを手にした(しょう)が、起動ボタンを押す。
「無理っぽいね」
「そっちもダメか。……ちょっと一服してくるわ。ゴミは出さねぇからさ」
 奇跡的に無傷だったタバコとライター、そして、携帯灰皿を手にして、(しょう)(まもる)の返事も聞かずに縁側から境内へと出ていった。
 
 静かな昼下がり。
 清浄な空気に包まれている神社境内をつっきり、(しょう)は鳥居を抜ける。
 どこまで行ったら失礼ではないだろかと考えていることに気づいて、ふっと笑ってしまう。
 神社仏閣内でタバコを吸うのが非常識だと了解しているが、今は「大いなる何かに礼を失してはならない」と判断していたのだ。
 それほど、人知を超えたナニカが身近になってしまったことが、妙におかしい。

 ちっとも理解できないのに。
 当然のような顔をしてするりと懐に忍び込み、当たり前になってしまった


 
 ほかに適当な場所も思いつかなくて、駐車場まで足を延ばした。
「ふぅー」
 息を吐きながら、隅の縁石にどっかりとしゃがみこむ。
 そして、赤丸がデザインされた箱から取り出したタバコを(くわ)え、zippoを握った。

(ったく。またしれっとご無事だな。お前こそ、本当に“幸運ど真ん中”だよ)

 火をつける前には、いつも儀式のようにzippoのボトムを確認してしまう。
 そこにある自分の生まれ年と「B」の刻印を目にすると、ふわふわと頼りない自分の存在が、少しは重量を持つような気がするのだ。※
 
 しばらく、シンプルなデザインのzippoを眺めたあとで。
 (しょう)は薬指で(ふた)を弾き開け、そのまま流れるような動作で振り下ろしてホイールを回した。
 ジャリっと小気味よい音を立てて、ライターに火が灯る。
 くわえたタバコに火をつけようと顔を傾け、(しょう)はそのまま動きを止めた。

(……誰か来た)

 規則正しく玉砂利を踏みしめる、ふたり分の足音が風に乗って近づいてきている。
 ライターのフタを閉めて、タバコを箱に戻しながら。
 (しょう)は近くに停めてある軽トラの脇に身を潜めた。

蒼玉(そうぎょく)?……え、あれって)

 手水舎(てみずや)のほうへそろりと首を伸ばすと、こちらに向かって歩いてくる小柄な少女は、意外な人物を従えている。
「ここでいいでしょう。……久しぶりね、(つむぐ)
「はい。ご無沙汰をしておりました」

(……は?)

 

高梁(たかはし)が小柄な少女、蒼玉(そうぎょく)に向かって深々と頭を下げた。
「顔を上げて」
「はい」
 蒼玉(そうぎょく)の少女ならざる笑みに、(しょう)の背筋がぶるりと震える。

(……こわっ)

「あれから、あなたはとても努力したのですね。特にあのときは、あなたの働きがなければ、わたしは間に合わなかった」

(知り合いなのかよっ)

 少し遠い声に(しょう)は耳をそばだてた。
「それで?(まもる)をあんな目に遭わせたモノは、相応の報いを受けたのでしょうね」
「いくらかは。ですが、相応であるとは到底思えません」
「結末を。……(まもる)は頑なに教えてくれないけれど、触れる出会いとなってしまったからには、知っておきたい」
「かしこまりました」
 高梁(たかはし)(うやうや)しい仕草で、伸ばされた蒼玉(そうぎょく)の手を取る。
「……法治国家とは、(ぬる)く歯がゆいものですね……。あとで、もう少し読ませてください。……(つむぐ)
「はい」
 うなずいた高梁(たかはし)は、そのままひざまずいてしまいそうな勢いだ。
(まもる)には(まもる)の生きる道があるでしょう。それを邪魔したいわけではないのです。ですが、今世でわたしと姉上が成すべきことを果たすためには」  
 蒼玉(そうぎょく)高梁(たかはし)の肩から腕をなぞるようになでると、その体から薄黒い霧が立ち昇り、蒸気のように空中に溶け消えていく。
「あなた方の協力が不可欠。もちろん、それに見合う対価を」
「いえ、それには及びません」
 高梁(たかはし)はとうとう本当に片膝をついてしまった。
「あなたは(まもる)さんの恩人です。そして、お会いして以来、常に私の厄を(はら)い続けてくださっている。……今のように」
 蒼玉(そうぎょく)が少女らしい微笑を浮かべて、高梁(たかはし)を立ち上がらせる。
「こちらが報いなければならない立場です。(まもる)さんの望みは、あなたとともにあること。私の仕事は、(まもる)さんの望みを叶えること。急な依頼でしたが、この程度どうということもありません」
「頼もしいこと。……(つむぐ)
「はい」
「わたしを(まもる)の恩人だと思ってくれるのなら、一度だけでよいのです。わたしの我がままを聞いてくれるでしょうか」
「はい。……!」
 蒼玉(そうぎょく)から力を込めて手を握られた高梁(たかはし)が、ぎょっとした顔になった。
 声は聞こえなかったから、アーユスで何かを伝えられたらしい。

(へー。ホントに光ってねぇや、腕輪)

「分別と覚悟を持つあなたになら、いえ、あなただからこそ、お願いするのです。頼みましたよ」
「……かしこまりました」
「では、わたしは(まもる)のところへ戻ります」
「準備でき次第、お迎えに上がります」
 うなずきあって左右へと別れていくふたりを見て、(しょう)は慌てて身を潜めた。

※zippoの底には製造年月が刻印されている 
 1月~12月はアルファベットのA~Lで表すので「B」は2月
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