男爵の相棒-2-
文字数 3,580文字
「なに、こんな時間にどーしたんだよ」
高校下の坂道で。
背後からの声に振り返れば、たまにつるむサボり仲間の顔があった。
(しくった。キャリーバッグに入れてやればよかった)
「いや、獣医に」
「はぁ?オマエ学校は?あれ、イヌ?オマエ、イヌ飼ってんの?ガッコサボってワンちゃんの散歩?ウケる」
歪んだ顔で笑うこいつは、サボり仲間とはいっても、時たま混ざってくる程度の付き合いしかない。
「具合が悪いんだよ。おまえこそなんだよ。早退?」
人のこと言えるのかよと、ひとにらみして背を向けるが、足音が追いかけてくる。
「いや?今来たとこ。そうだ、イヌいるならさぁ!」
「あ、なにすんだよ!」
そいつは追い抜きざまリードを奪って、学校へと走り出した。
「もうすぐ昼休みじゃん!オンナ受けしそうじゃね?ワンちゃん連れてったら」
「ざけんなっ。犬連れて学校入れっかよ!返せ!」
必死で追いかけるが、元陸上部の足は速い。
「んじゃさー、裏の空き地!あそこにみんな呼ぼうぜ!」
しかも、走りながらスマートフォンを操作して、メッセージを送る器用さだ。
「走んなよっ」
「えー?イヌは走んの好きだろっ。あ、もう返信来たわ」
引きずられるようにして前を行く相棒が、振り返ってオレを見る。
――仲間なの?このままついてっていいの?――
不安そうな、それでもまだ信じてくれている、その顔。
ああ、ごめんバロン。
違うよ、そんなヤツ、仲間でもなんでもねぇよ!
◇
サイアクのサイアク。
校門へ入って、ピロティの方向とは反対側。
第二グラウンドへ向かう小径 に沿って並ぶ、2階建ての部室棟の前で、一番見たくない顔が待っていた。
「よー、シジマ!早ぇじゃん!授業終わったの?」
「4限自習。なに、また犬の散歩?」
昨夜の底意地の悪さは隠してるけど、充分ムカつく目をしてるイトコが突っ立っている。
「返せよっ、獣医に連れてくって言ってるだろ!」
「なになに、ワンちゃんいるってぇ?」
にやけた声に振り向けば。
イトコ一派のなかでも、特にオレたちのグループを目の敵にしているヤツの顔があった。
マズいと思う間もなく、そいつがオレの横を素通りして相棒に近づいていく。
「獣医とかって、どっか悪いの、このイヌ」
「ゥオフ!ウウゥ」
蹴る真似をするそいつの靴先に向かって、相棒がうなった。
「うっわ、こっわ。しつけなってないわー」
「金かかんだろ?獣医って。……今から行くんだ?」
卑しい顔で笑った別のひとりは、誰彼構わず金を借りては、踏み倒すというウワサがある。
「老犬だろ?お前が小学生のころから飼ってんだから。もう無駄なんじゃないの?医者なんか行ったって」
イトコの冷たい声に、何が面白いのか、一派連中がどっと沸いた。
「不治の病ってやつ?それに金かけんの?うっわ、ムダだわー。金持ちの道楽だわー」
「獣医代でカラオケでも行ったほうがマシじゃね?」
「それいーわー。今から行こうぜ!」
「行かねぇよ!!」
オレの怒鳴り声なんて、誰も聞いちゃいない。
「カラオケ行くなら、犬どーする?」
「空き地裏に捨てりゃいい」
多数派で気が大きくなっているのか、イキってるイトコが言い切った。
「ビョーキって知らなけりゃ、見つけた奴が拾うんじゃね。血統書付きで、すごい高かったんだろ?小学校入学祝いに六十万の犬とか、さすがだよ」
「六十万?!」
「セレブぅ~」
「たっかいオモチャだよなあ、ぐっ!」
「フザケタこと言ってんなよ!」
イトコの襟首 を締めあげたオレと、共闘するみたいに。
相棒がリードをグン!と引いて、イトコに吠えかかる。
「ヴァウっ、ヴァウ!!」
「くそっ、昨日からワンワンうるせぇんだよっ」
目を吊り上げたイトコがオレの手を乱暴に振り払って、脱ぎ棄てたジャケットを大きく振りかぶった。
そして、叩きつけるように相棒に放り投げると、その体を上着でグルグル巻きにする。
「キャウンっ」
「やめろって!」
「うっせぇ、どうせ捨てるんだから、その前に遊んでやろうぜ!犬サッカーってどうよ?」
「いーねー!」
リードを離したバカが手を叩いて笑った。
「ナイスアイデ~ア~」
「裏行こうぜ、裏!」
口々に囃 し立てる一派の声を背に、イトコが思い切り相棒を蹴り飛ばす。
「キャイン!!」
すっ飛んでいった相棒を慌てて追いかける俺の背後では、イトコ一派の下品な嘲笑が続いていた。
「すげぇ~。鳴き声あげるサッカーとかサイコー!追いかけようぜ!」
レンガ敷きの小径 の上で、絡 まったジャケットから逃れようと、相棒がもがいている。
(早く、早くしないとっ)
あともうちょっとで手が届くというところで、後ろからにゅっと腕が伸びてきた。
「いい加減にしろよ!……?」
振り返ると、イトコ一派のヤツじゃない。
きっちり制服を着た短髪の生徒だ。
そいつはブルブルと震えている相棒をひょいと抱き上げて、体を起こす。
ずいぶんと背が高いが、顔つきはまだ中坊っぽい。
「あ、お前、ナツガリ」
追いついてきたイトコ一派のひとりが、声を尖らせた。
「知り合い?」
「剣道部の新入生」
「あー、はいはい」
最初に声をかけてきたバカが、バカみたいな顔で笑う。
「一年のくせに先鋒まかされて、そのせいでお前が補欠になったって」
「え、お前の補欠って、一年のせい?!」
「ダッセー」
「おい、ナツガリぃ、イヌ盗るなよ。部活のセンパイ敬えよ」
オマエのじゃねぇと腹の中で舌打ちをして、でも、とにかくイトコに捕まらなかったことに、ほっとしていると。
「犬でサッカーやるような人間に、返すわけないやろ」
「え、なにコイツ、カンサイジン?」
「吉本~」
「なんかネタやれよ!」
大盛り上がりの上級生たちから、一年は呆れた様子で顔を背 ける。
「あほか」
「あほってほんまに言うんやなぁ~」
「エセ関西弁、きっしょ」
関西弁を真似たバカをひとにらみして、そのまま立ち去ろうとする一年にオレは焦った。
礼はあとで言うとして、とりあえず相棒を返してほしい。
「待てよ!」
「は?」
振り返った一年の目は、軽蔑に満ちていた。
「返せよ、まだサッカーやんだから」
にやついた顔で隣に並んだイトコを、これほど殴りたいと思ったことはない。
「おまえは黙ってろ!」
「あ!逃げたぞっ」
オレがイトコに突っかかっている間に、相棒を抱いた一年は走り出していた。
「行こうぜ!」
(なんでこんなことに……)
一年を追っていくヤツらに一瞬遅れて走り出せば、涙で視界が歪む。
オレが迂闊 な行動を取らなかったら。
あのバカに会わなかったら。
あいつにさえ、会わなければ……。
……アイツさえいなければ。アイツ、アノヤロウ。
――お前と創一 さんって、似てないよね――
――また赤点?じゃあ、補習のスケジュールが法事にぶつかるじゃん。お前の代わりに手伝いとか、ダルイんだけど――
――お前がいないほうが、空気が良かったって言われたよ――
いつもいつも、突っかかってきやがって。
いつもいつも、こっちが気にしていることを。
取り返さなきゃ。
あれはオレの相棒なのに、なんで他人が奪っていくんだ。
なんで、なんでいつも上手くいかない?
あいつがいるから。
ジャマなヤツがいるから。
ジャマするヤツがニクイ、ニクイ……。
黒い思いがグルグルと胸の内を巡っていく。
気がついたら、ヤツらと一緒になって一年を蹴り飛ばしていた。
もう、誰が憎いのかもわからない。
何を取り返すべきなのかも、どうしてこうなったのかも。
白髪 に「お前の?」と聞かれて、やっと思い出した。
(……そうだ、バロンはオレの相棒で)
「獣医に連れていくんだよ」
自分の言葉で我に返る。
そうだった、獣医に行かなければいけないのに。
ツリ目の一年が言ってることは本当だが、オレが言ったわけじゃない。
バロンを捨てるなんて、オレは一言も言っていない。
目が覚めるようなシャツを着た変人の外人が、こなれた日本語でオレの行為を断罪する。
そいつがバロンのことを「オモチャ」と言った。
「欲求不満のはけ口」と。
違う!!
バロンはそんなんじゃねぇよ!
ニクイ。
ニクイニクイ、ニクイニクニクイ。
目の前に立ちのぼる黒い霧に目が霞 む。
挑発的に笑う外人を切り刻んでやったら、この霧は晴れるに違いない。
「クソっ、クソがぁ!」
違う、クソはオレだ。
わかっているのに。
カッコつけに持っていたバタフライナイフを振り回しながら、泣きたくなった。
自分の行動なのに止めることができない。
頭に軽い衝撃を感じた瞬間、無音の声が体を貫く。
――オン・シュダ・シュダ―― ※1
脳髄に光が弾けた。
目の前の景色、耳に入ってくる音が歪 み、遠くなっていって……。
あとは闇のなか。
バロン。
ごめんな、バロン。
ホントだ。
オレはドクズだよ。
※1善無畏三蔵 マントラ 邪気を消す
高校下の坂道で。
背後からの声に振り返れば、たまにつるむサボり仲間の顔があった。
(しくった。キャリーバッグに入れてやればよかった)
「いや、獣医に」
「はぁ?オマエ学校は?あれ、イヌ?オマエ、イヌ飼ってんの?ガッコサボってワンちゃんの散歩?ウケる」
歪んだ顔で笑うこいつは、サボり仲間とはいっても、時たま混ざってくる程度の付き合いしかない。
「具合が悪いんだよ。おまえこそなんだよ。早退?」
人のこと言えるのかよと、ひとにらみして背を向けるが、足音が追いかけてくる。
「いや?今来たとこ。そうだ、イヌいるならさぁ!」
「あ、なにすんだよ!」
そいつは追い抜きざまリードを奪って、学校へと走り出した。
「もうすぐ昼休みじゃん!オンナ受けしそうじゃね?ワンちゃん連れてったら」
「ざけんなっ。犬連れて学校入れっかよ!返せ!」
必死で追いかけるが、元陸上部の足は速い。
「んじゃさー、裏の空き地!あそこにみんな呼ぼうぜ!」
しかも、走りながらスマートフォンを操作して、メッセージを送る器用さだ。
「走んなよっ」
「えー?イヌは走んの好きだろっ。あ、もう返信来たわ」
引きずられるようにして前を行く相棒が、振り返ってオレを見る。
――仲間なの?このままついてっていいの?――
不安そうな、それでもまだ信じてくれている、その顔。
ああ、ごめんバロン。
違うよ、そんなヤツ、仲間でもなんでもねぇよ!
◇
サイアクのサイアク。
校門へ入って、ピロティの方向とは反対側。
第二グラウンドへ向かう
「よー、シジマ!早ぇじゃん!授業終わったの?」
「4限自習。なに、また犬の散歩?」
昨夜の底意地の悪さは隠してるけど、充分ムカつく目をしてるイトコが突っ立っている。
「返せよっ、獣医に連れてくって言ってるだろ!」
「なになに、ワンちゃんいるってぇ?」
にやけた声に振り向けば。
イトコ一派のなかでも、特にオレたちのグループを目の敵にしているヤツの顔があった。
マズいと思う間もなく、そいつがオレの横を素通りして相棒に近づいていく。
「獣医とかって、どっか悪いの、このイヌ」
「ゥオフ!ウウゥ」
蹴る真似をするそいつの靴先に向かって、相棒がうなった。
「うっわ、こっわ。しつけなってないわー」
「金かかんだろ?獣医って。……今から行くんだ?」
卑しい顔で笑った別のひとりは、誰彼構わず金を借りては、踏み倒すというウワサがある。
「老犬だろ?お前が小学生のころから飼ってんだから。もう無駄なんじゃないの?医者なんか行ったって」
イトコの冷たい声に、何が面白いのか、一派連中がどっと沸いた。
「不治の病ってやつ?それに金かけんの?うっわ、ムダだわー。金持ちの道楽だわー」
「獣医代でカラオケでも行ったほうがマシじゃね?」
「それいーわー。今から行こうぜ!」
「行かねぇよ!!」
オレの怒鳴り声なんて、誰も聞いちゃいない。
「カラオケ行くなら、犬どーする?」
「空き地裏に捨てりゃいい」
多数派で気が大きくなっているのか、イキってるイトコが言い切った。
「ビョーキって知らなけりゃ、見つけた奴が拾うんじゃね。血統書付きで、すごい高かったんだろ?小学校入学祝いに六十万の犬とか、さすがだよ」
「六十万?!」
「セレブぅ~」
「たっかいオモチャだよなあ、ぐっ!」
「フザケタこと言ってんなよ!」
イトコの
相棒がリードをグン!と引いて、イトコに吠えかかる。
「ヴァウっ、ヴァウ!!」
「くそっ、昨日からワンワンうるせぇんだよっ」
目を吊り上げたイトコがオレの手を乱暴に振り払って、脱ぎ棄てたジャケットを大きく振りかぶった。
そして、叩きつけるように相棒に放り投げると、その体を上着でグルグル巻きにする。
「キャウンっ」
「やめろって!」
「うっせぇ、どうせ捨てるんだから、その前に遊んでやろうぜ!犬サッカーってどうよ?」
「いーねー!」
リードを離したバカが手を叩いて笑った。
「ナイスアイデ~ア~」
「裏行こうぜ、裏!」
口々に
「キャイン!!」
すっ飛んでいった相棒を慌てて追いかける俺の背後では、イトコ一派の下品な嘲笑が続いていた。
「すげぇ~。鳴き声あげるサッカーとかサイコー!追いかけようぜ!」
レンガ敷きの
(早く、早くしないとっ)
あともうちょっとで手が届くというところで、後ろからにゅっと腕が伸びてきた。
「いい加減にしろよ!……?」
振り返ると、イトコ一派のヤツじゃない。
きっちり制服を着た短髪の生徒だ。
そいつはブルブルと震えている相棒をひょいと抱き上げて、体を起こす。
ずいぶんと背が高いが、顔つきはまだ中坊っぽい。
「あ、お前、ナツガリ」
追いついてきたイトコ一派のひとりが、声を尖らせた。
「知り合い?」
「剣道部の新入生」
「あー、はいはい」
最初に声をかけてきたバカが、バカみたいな顔で笑う。
「一年のくせに先鋒まかされて、そのせいでお前が補欠になったって」
「え、お前の補欠って、一年のせい?!」
「ダッセー」
「おい、ナツガリぃ、イヌ盗るなよ。部活のセンパイ敬えよ」
オマエのじゃねぇと腹の中で舌打ちをして、でも、とにかくイトコに捕まらなかったことに、ほっとしていると。
「犬でサッカーやるような人間に、返すわけないやろ」
「え、なにコイツ、カンサイジン?」
「吉本~」
「なんかネタやれよ!」
大盛り上がりの上級生たちから、一年は呆れた様子で顔を
「あほか」
「あほってほんまに言うんやなぁ~」
「エセ関西弁、きっしょ」
関西弁を真似たバカをひとにらみして、そのまま立ち去ろうとする一年にオレは焦った。
礼はあとで言うとして、とりあえず相棒を返してほしい。
「待てよ!」
「は?」
振り返った一年の目は、軽蔑に満ちていた。
「返せよ、まだサッカーやんだから」
にやついた顔で隣に並んだイトコを、これほど殴りたいと思ったことはない。
「おまえは黙ってろ!」
「あ!逃げたぞっ」
オレがイトコに突っかかっている間に、相棒を抱いた一年は走り出していた。
「行こうぜ!」
(なんでこんなことに……)
一年を追っていくヤツらに一瞬遅れて走り出せば、涙で視界が歪む。
オレが
あのバカに会わなかったら。
あいつにさえ、会わなければ……。
……アイツさえいなければ。アイツ、アノヤロウ。
――お前と
――また赤点?じゃあ、補習のスケジュールが法事にぶつかるじゃん。お前の代わりに手伝いとか、ダルイんだけど――
――お前がいないほうが、空気が良かったって言われたよ――
いつもいつも、突っかかってきやがって。
いつもいつも、こっちが気にしていることを。
取り返さなきゃ。
あれはオレの相棒なのに、なんで他人が奪っていくんだ。
なんで、なんでいつも上手くいかない?
あいつがいるから。
ジャマなヤツがいるから。
ジャマするヤツがニクイ、ニクイ……。
黒い思いがグルグルと胸の内を巡っていく。
気がついたら、ヤツらと一緒になって一年を蹴り飛ばしていた。
もう、誰が憎いのかもわからない。
何を取り返すべきなのかも、どうしてこうなったのかも。
(……そうだ、バロンはオレの相棒で)
「獣医に連れていくんだよ」
自分の言葉で我に返る。
そうだった、獣医に行かなければいけないのに。
ツリ目の一年が言ってることは本当だが、オレが言ったわけじゃない。
バロンを捨てるなんて、オレは一言も言っていない。
目が覚めるようなシャツを着た変人の外人が、こなれた日本語でオレの行為を断罪する。
そいつがバロンのことを「オモチャ」と言った。
「欲求不満のはけ口」と。
違う!!
バロンはそんなんじゃねぇよ!
ニクイ。
ニクイニクイ、ニクイニクニクイ。
目の前に立ちのぼる黒い霧に目が
挑発的に笑う外人を切り刻んでやったら、この霧は晴れるに違いない。
「クソっ、クソがぁ!」
違う、クソはオレだ。
わかっているのに。
カッコつけに持っていたバタフライナイフを振り回しながら、泣きたくなった。
自分の行動なのに止めることができない。
頭に軽い衝撃を感じた瞬間、無音の声が体を貫く。
――オン・シュダ・シュダ―― ※1
脳髄に光が弾けた。
目の前の景色、耳に入ってくる音が
あとは闇のなか。
バロン。
ごめんな、バロン。
ホントだ。
オレはドクズだよ。
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