男爵の相棒-2-

文字数 3,580文字

「なに、こんな時間にどーしたんだよ」
 高校下の坂道で。
 背後からの声に振り返れば、たまにつるむサボり仲間の顔があった。

(しくった。キャリーバッグに入れてやればよかった)

「いや、獣医に」
「はぁ?オマエ学校は?あれ、イヌ?オマエ、イヌ飼ってんの?ガッコサボってワンちゃんの散歩?ウケる」
 歪んだ顔で笑うこいつは、サボり仲間とはいっても、時たま混ざってくる程度の付き合いしかない。
「具合が悪いんだよ。おまえこそなんだよ。早退?」
 人のこと言えるのかよと、ひとにらみして背を向けるが、足音が追いかけてくる。
「いや?今来たとこ。そうだ、イヌいるならさぁ!」
「あ、なにすんだよ!」
 そいつは追い抜きざまリードを奪って、学校へと走り出した。
「もうすぐ昼休みじゃん!オンナ受けしそうじゃね?ワンちゃん連れてったら」
「ざけんなっ。犬連れて学校入れっかよ!返せ!」
 必死で追いかけるが、元陸上部の足は速い。
「んじゃさー、裏の空き地!あそこにみんな呼ぼうぜ!」
 しかも、走りながらスマートフォンを操作して、メッセージを送る器用さだ。
「走んなよっ」
「えー?イヌは走んの好きだろっ。あ、もう返信来たわ」
 引きずられるようにして前を行く相棒が、振り返ってオレを見る。

――仲間なの?このままついてっていいの?――
 
 不安そうな、それでもまだ信じてくれている、その顔。
 ああ、ごめんバロン。
 違うよ、そんなヤツ、仲間でもなんでもねぇよ!


 サイアクのサイアク。
 校門へ入って、ピロティの方向とは反対側。
 第二グラウンドへ向かう小径(こみち)に沿って並ぶ、2階建ての部室棟の前で、一番見たくない顔が待っていた。
「よー、シジマ!早ぇじゃん!授業終わったの?」
「4限自習。なに、また犬の散歩?」
 昨夜の底意地の悪さは隠してるけど、充分ムカつく目をしてるイトコが突っ立っている。
「返せよっ、獣医に連れてくって言ってるだろ!」
「なになに、ワンちゃんいるってぇ?」
 にやけた声に振り向けば。
 イトコ一派のなかでも、特にオレたちのグループを目の敵にしているヤツの顔があった。
 マズいと思う間もなく、そいつがオレの横を素通りして相棒に近づいていく。
「獣医とかって、どっか悪いの、このイヌ」
「ゥオフ!ウウゥ」
 蹴る真似をするそいつの靴先に向かって、相棒がうなった。
「うっわ、こっわ。しつけなってないわー」
「金かかんだろ?獣医って。……今から行くんだ?」
 卑しい顔で笑った別のひとりは、誰彼構わず金を借りては、踏み倒すというウワサがある。
「老犬だろ?お前が小学生のころから飼ってんだから。もう無駄なんじゃないの?医者なんか行ったって」
 イトコの冷たい声に、何が面白いのか、一派連中がどっと沸いた。
「不治の病ってやつ?それに金かけんの?うっわ、ムダだわー。金持ちの道楽だわー」
「獣医代でカラオケでも行ったほうがマシじゃね?」
「それいーわー。今から行こうぜ!」
「行かねぇよ!!」
 オレの怒鳴り声なんて、誰も聞いちゃいない。
「カラオケ行くなら、犬どーする?」
「空き地裏に捨てりゃいい」
 多数派で気が大きくなっているのか、イキってるイトコが言い切った。
「ビョーキって知らなけりゃ、見つけた奴が拾うんじゃね。血統書付きで、すごい高かったんだろ?小学校入学祝いに六十万の犬とか、さすがだよ」
「六十万?!」
「セレブぅ~」
「たっかいオモチャだよなあ、ぐっ!」
「フザケタこと言ってんなよ!」
 イトコの襟首(えりくび)を締めあげたオレと、共闘するみたいに。
 相棒がリードをグン!と引いて、イトコに吠えかかる。
「ヴァウっ、ヴァウ!!」
「くそっ、昨日からワンワンうるせぇんだよっ」
 目を吊り上げたイトコがオレの手を乱暴に振り払って、脱ぎ棄てたジャケットを大きく振りかぶった。
 そして、叩きつけるように相棒に放り投げると、その体を上着でグルグル巻きにする。
「キャウンっ」
「やめろって!」
「うっせぇ、どうせ捨てるんだから、その前に遊んでやろうぜ!犬サッカーってどうよ?」
「いーねー!」
 リードを離したバカが手を叩いて笑った。
「ナイスアイデ~ア~」
「裏行こうぜ、裏!」
 口々に(はや)し立てる一派の声を背に、イトコが思い切り相棒を蹴り飛ばす。
「キャイン!!」
 すっ飛んでいった相棒を慌てて追いかける俺の背後では、イトコ一派の下品な嘲笑が続いていた。
「すげぇ~。鳴き声あげるサッカーとかサイコー!追いかけようぜ!」
 レンガ敷きの小径(こみち)の上で、(から)まったジャケットから逃れようと、相棒がもがいている。

(早く、早くしないとっ)

 あともうちょっとで手が届くというところで、後ろからにゅっと腕が伸びてきた。
「いい加減にしろよ!……?」
 振り返ると、イトコ一派のヤツじゃない。
 きっちり制服を着た短髪の生徒だ。
 そいつはブルブルと震えている相棒をひょいと抱き上げて、体を起こす。
 ずいぶんと背が高いが、顔つきはまだ中坊っぽい。
「あ、お前、ナツガリ」
 追いついてきたイトコ一派のひとりが、声を尖らせた。
「知り合い?」
「剣道部の新入生」
「あー、はいはい」
 最初に声をかけてきたバカが、バカみたいな顔で笑う。
「一年のくせに先鋒まかされて、そのせいでお前が補欠になったって」
「え、お前の補欠って、一年のせい?!」
「ダッセー」
「おい、ナツガリぃ、イヌ盗るなよ。部活のセンパイ敬えよ」
 オマエのじゃねぇと腹の中で舌打ちをして、でも、とにかくイトコに捕まらなかったことに、ほっとしていると。
「犬でサッカーやるような人間に、返すわけないやろ」
「え、なにコイツ、カンサイジン?」
「吉本~」
「なんかネタやれよ!」
 大盛り上がりの上級生たちから、一年は呆れた様子で顔を(そむ)ける。
「あほか」
「あほってほんまに言うんやなぁ~」
「エセ関西弁、きっしょ」
 関西弁を真似たバカをひとにらみして、そのまま立ち去ろうとする一年にオレは焦った。
 礼はあとで言うとして、とりあえず相棒を返してほしい。
「待てよ!」
「は?」
 振り返った一年の目は、軽蔑に満ちていた。
「返せよ、まだサッカーやんだから」
 にやついた顔で隣に並んだイトコを、これほど殴りたいと思ったことはない。
「おまえは黙ってろ!」
「あ!逃げたぞっ」
 オレがイトコに突っかかっている間に、相棒を抱いた一年は走り出していた。
「行こうぜ!」
 
(なんでこんなことに……)

 一年を追っていくヤツらに一瞬遅れて走り出せば、涙で視界が歪む。
 
 オレが迂闊(うかつ)な行動を取らなかったら。
 あのバカに会わなかったら。
 あいつにさえ、会わなければ……。
 ……アイツさえいなければ。アイツ、アノヤロウ。

――お前と創一(そういち)さんって、似てないよね――
――また赤点?じゃあ、補習のスケジュールが法事にぶつかるじゃん。お前の代わりに手伝いとか、ダルイんだけど――
――お前がいないほうが、空気が良かったって言われたよ――
 
 いつもいつも、突っかかってきやがって。
 いつもいつも、こっちが気にしていることを。
 
 取り返さなきゃ。
 あれはオレの相棒なのに、なんで他人が奪っていくんだ。
 なんで、なんでいつも上手くいかない?
 あいつがいるから。
 ジャマなヤツがいるから。
 ジャマするヤツがニクイ、ニクイ……。
 
 黒い思いがグルグルと胸の内を巡っていく。
 
 気がついたら、ヤツらと一緒になって一年を蹴り飛ばしていた。
 もう、誰が憎いのかもわからない。
 何を取り返すべきなのかも、どうしてこうなったのかも。
 
 白髪(はくはつ)に「お前の?」と聞かれて、やっと思い出した。
 
(……そうだ、バロンはオレの相棒で)

「獣医に連れていくんだよ」

 自分の言葉で我に返る。
 そうだった、獣医に行かなければいけないのに。

 ツリ目の一年が言ってることは本当だが、オレが言ったわけじゃない。
 バロンを捨てるなんて、オレは一言も言っていない。
 目が覚めるようなシャツを着た変人の外人が、こなれた日本語でオレの行為を断罪する。
 そいつがバロンのことを「オモチャ」と言った。
 「欲求不満のはけ口」と。
 
 違う!!
 バロンはそんなんじゃねぇよ!
 
 ニクイ。
 ニクイニクイ、ニクイニクニクイ。

 目の前に立ちのぼる黒い霧に目が(かす)む。
 挑発的に笑う外人を切り刻んでやったら、この霧は晴れるに違いない。

「クソっ、クソがぁ!」
 
 違う、クソはオレだ。
 わかっているのに。

 カッコつけに持っていたバタフライナイフを振り回しながら、泣きたくなった。
 自分の行動なのに止めることができない。
 
 頭に軽い衝撃を感じた瞬間、無音の声が体を貫く。

――オン・シュダ・シュダ―― ※1

 脳髄に光が弾けた。
 目の前の景色、耳に入ってくる音が(ゆが)み、遠くなっていって……。
 あとは闇のなか。
 
 バロン。
 ごめんな、バロン。 
 ホントだ。
 オレはドクズだよ。

※1 善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)マントラ 邪気を消す
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