回る因果-2-

文字数 3,893文字

 養母と並んだ(かがり)が、ゴージャスなシャンデリアの下がる天井を見上げて、思わずため息をついた。
「ほへ~」
「これ、お行儀の悪い」
 しなやかな手がその背中をぴしっと叩く。
「だって、めっちゃステキちゃう?わぁ、あの生け花、オシャレやなあ」
「さすが、鳴り物入りでオープンしたホテルやな」
 岸本が腕組みして歩きながら(うな)った。
 磨き上げられた大理石の床は鏡のようで、その上を歩く夏苅(なつがり)一家の姿を映している。
 先導する高ハシに気づいたホテルの従業員が、廊下の脇に寄って、洗練された仕草で深々と頭を下げた。
「高ハシさんって、まだ若そうやのに」
 養母のつぶやきに、養父はその耳元に口を寄せる。
「なんでも、社長直々の採用らしいで。学生さんのころにえらい企画ぶっ立てて、即戦力中の即戦力やて」
「優秀なんやねぇ」
 小声を交わし合う両親の元から抜け出した(かがり)が、高ハシの横に並んだ。
「自己紹介が遅なってごめんなさい。夏苅(なつがり)(かがり)です。連れてきてくれて、おおきに」
「許可したのは主人です」
「……秋鹿(あいか)(まもる)くん、やったっけ」
 眉を曇らせた(かがり)が真正面を向く。
「こないだから(あきら)秋鹿(あいか)くんの話しかせえへんの。ウチも挨拶したいと思うとるんやけど、学校では全然見かけへんのよ?秋鹿(あいか)くんって、ちゃんと学校行ってるん?」
「欠席の連絡は受けておりませんから、そのはずですが」
「ふーぅん。えっと」
「ああ、失礼いたしました。お嬢さんには名乗っておりませんでしたね。タカハシと申します。タカハシのハシはブリッジではなく……」
「あー、大工の棟梁の梁ですね」
 いかにもエリート然としている若い男性と、(かがり)は臆することなく会話を続けている。
 その背中を、(あきら)は皆と少し離れて歩きながら眺めていた。
「なかなかの博識ですね」
 (かがり)を見下ろした、高梁(たかはし)のその目には賞賛がある。
「うち、漢字検定準一級持っとんねん」
 ちょっと誇らしげに笑う(かがり)に、(あきら)はただただ感心するばかりだ。

(あんな人と堂々と話せるなんて、やっぱりねーちゃんはすごいんやな)
 
 義姉は成績も優秀で人望もある。
 生徒会の役員であり、空手部の部長も、満場一致で任されたらしい。
 竹を割ったというより、伸びやかな竹そのもののような、しなやかでまっすぐな人だ。
 初めて夏苅(なつがり)の家に迎えてもらったときから、その態度も笑顔も変わらない。
 ……そう思っていたけれど。
 
(……あんなキラキラしとったかな……)
 
 濃紺のシックなワンピースがよく似合う、いつもより大人びている義姉の横顔を盗み見て、(あきら)はそっと目を伏せた。

 比べられてしまうことにも、(あきら)が本当の弟ではないと知っている者から向けられる哀れみの目にも、もう慣れている。
 こんな自分を迎え入れてくれた夏苅(なつがり)家の人たちには、感謝しかない。
 もちろん、義姉にも。
 だが、どうも最近、面と向かうことができずにいる。
 
 集団からひとり離れた(あきら)は、前を行く養父や養母の背中を見て足が止まりそうになった。

(俺は、この場におってもええんやろか……)

――自分だけが、この家族の異物――
 
 ずっと胸の底に巣くう澱みが、普段は忘れようとしている感情が。
 ゾワゾワと(あきら)を侵食していく。

「ああ、やっぱり。ご両親が嘆いていただけのことはあるな」
 突然、肩に手を置かれた(あきら)はビクリと飛び上がった。
「え?!」
「服も持ち物も、とことん遠慮して買わせてもらえない、と聞いていたけれど。制服以外の正装となると、その服になってしまうのか。高梁(たかはし)さん」
 決して大きな声ではなかったが、高梁(たかはし)が弾かれたように振り返る。
夏苅(なつがり)(あきら)を借りていきます。高梁(たかはし)さんは、そのまま皆さんをご案内して。時間までには会場に行きます」
「かしこまりました」
 理由も聞かぬまま頭を下げた高梁(たかはし)が、同様に足を止めた夏苅(なつがり)の者たちに目配せをした。
「参りましょう」
「あ、ちょっと!きみが秋鹿(あいか)くんやね。(あきら)をどこ連れて、」
「ご挨拶はのちほど。おいで、(あきら)
「……はいっ」
 まるで、大好きな主人と散歩をする子犬のような足取りの弟に、追いかけようとした(かがり)の足が止まる。
「……なんやの……」

 自分に寄こした流し目はあれほど冷たかったのに。
 (あきら)を見下ろす秋鹿(あいか)のまなざしは、淡々としているが柔らかい。

「……仲良しちゃうなんてウソばっかり。名前で呼ばれとるやん」 
 ふたり並んで遠くなるその背中を、(かがり)は唇を引き結んで見送った。


 秋鹿(あいか)(あきら)を連れて入ったのは、ロビーに隣接したプライベート・ティーラウンジ。
 一段とラグジュアリーな空間に気圧されて、(あきら)秋鹿(あいか)の背後でオロオロと周りを見回している。
「お待ちしておりました。秋鹿(あいか)様、夏刈(なつがり)様」
「はぃ?!」
「こちらへどうぞ」
 部屋の奥で待ち構えている、一部の隙もなくスーツを着た男性が深々と頭を下げた。
「え、でも」
「行っておいで」
「はぃ……」
 秋鹿(あいか)に促された(あきら)の上着を、男性が丁寧な仕草で脱がしていく。
「あ、あのぅ……」 
「じっとしていろ」
 さらにメジャーを取り出した男性の向こうで、秋鹿(あいか)は慣れた様子で片隅のイスに腰掛けた。
「はぃ……」
 胸に老舗デパートのネームプレートを付けた男性が、てきぱきと(あきら)のサイズを測っていく。
「とりあえず本日はこれと、こちらなどはいかがでしょうか」
「着てみて」
 断る選択肢もなく、(あきら)は男性から渡されたシャツとスラックスに着替えた。
「オーダースーツのデザインはいかがなさいますか」
「お任せします。けど……」
 緩く首を傾けた秋鹿(あいか)が唇に指を当てる。
「すぐに背が伸びるだろうから、そのときはまた作り直しを」
「かしこまりました。……首元を失礼いたします、夏刈(なつがり)様」
 大の大人に、当たり前のように指示を与える秋鹿(あいか)に面食らいながら、(あきら)はネクタイを結んでもらい、ジャケットを羽織らされた。
「いかがでしょう」
「うん、いいんじゃないかな。あと、シャツは色違いで、何枚か用意してください。それは彼が身に付けていたものと一緒に、先ほど渡した住所へ配送を」
「かしこまりました」
「靴は?」
「ご用意してございます」
「あの!お父ちゃんたちに、こんなに買うてもらうわけには」

 値札なんて見当たらないから、金額はわからないけれど。
 こんな買い方をする服が安いわけがない。

「支払いは気にしなくていいよ。よし、行こうか」
 優雅に頭を下げたスーツの男性に目配せを返して、秋鹿(あいか)はさっさとラウンジを出ていく。
「でも、それじゃあ……」
 はっきりと言われたわけではなかったけれど、さすがに(あきら)にも察しがついた。

(どうして秋鹿(あいか)センパイ、ここまでしてくれるんやろ)

「あの、センパイ、えと」
沢潟屋(おもだかや)が正式にAIKAグループと取引を行うようになったら、そういった格好が必要になる、かもしれないから」
「……うちの和菓子屋が?」

(また先回りされた)

 それは秋鹿(あいか)と出会ってから、何度も味わった奇異な現象ではあったけれど。
 不思議と(あきら)には嫌悪感などはなかった。

(センパイって、ほんま優しい……)

 (あきら)が気後れや戸惑いを感じたときには、秋鹿(あいか)は必ず先に言葉をくれる。

 胸のあたりが苦しくて、鼻の奥がツンと痛くなって。
 顔をくしゃりと歪めた(あきら)を見下ろす秋鹿(あいか)の目元が、ふっと緩んだ。
「なんて顔してるんだ」
「も、もともとこういう顔、やし」
「……そうか」
 珍しい秋鹿(あいか)の微笑にドギマギした(あきら)は、ふぃと顔をそらせた。
「えと、あの、うちの新しい仕事って……」
「これからその話をするはずだ」
「そ、そうなんや。せやけど、俺は関係あれへんのちゃう?」
「うん、まあ、それほどはね」
 秋鹿(あいか)(あきら)の背中にそっと手を当てる。
「ただ、こっちにいる間、万が一俺が引っ張り出されるときには、道連れにしようと思って。……友達として」
「!」
 息を飲んだ(あきら)がピタリと立ち止まれば、履き慣れない革靴がきゅっと音を立てた。
「と、とも、とも、だち?俺が?秋鹿(あいか)センパイの?」
(あきら)の心根はまっすぐで優しい。そう言っていたし、俺もそう思う」
 首元の革ひもに指をかけてみせた秋鹿(あいか)に、(あきら)の胸がぎゅっと痛む。
 
(こんなふうにほめられたこと、初めてやな……) 

「俺にとっては初めての友達だな」
「……それをくれた人は、友達とちゃうん?」
「違う」
 妙にきっぱりとした口調で、秋鹿(あいか)は首を横に振った。
「じゃ、じゃあ……。こ、こい、びと、とか?」
 上目づかいでうかがい見ると、秋鹿(あいか)(あきら)から目をそらして、懐かしそうに遠くを眺めている。
「どうだろう。想いは打ち明けてきたけれど、まだ返事はもらっていないんだ」
「せやけど、連絡は取りおうてるんやん?」
「まあ」
「せやったら、きっと向こうも、好き、や思うで」
「だといいけれど。……ずっと、弟みたいなものだったから」
「……せやのに告白してきたん?」
 無言で歩きだした秋鹿(あいか)の背中を、(あきら)は慌てて追いかけた。
「怖うはなかったん?」
「怖い?」
「だって、告白があかんかったら、弟でもいられへんくなるやろう?」
「気持ちをごまかして向き合うのは、失礼だと思ったから。とても大切な人なんだ。隠しごとはしたくない。……まあ、隠せる人ではないけれど」
「……秋鹿(あいか)センパイは、強いんやな」
「その呼び方」
「え?」
「友達なんだから、先輩呼びはないだろう」
「だって、センパイはセンパイやん」
「……」
「う」
 まなざしで圧を掛けてくる秋鹿(あいか)に、(あきら)はとうとう白旗を上げてため息をつく。

(案外、ガンコなトコがあるんやなぁ)

「じゃあ、秋鹿(あいか)さん!これ以上は譲られへん。……俺のこと(あきら)って呼んでくれんの、家族以外では秋鹿(あいか)さんが初めてや」
「これからよろしく、(あきら)
「はい!……あ、エレベーター来たで、秋鹿(あいか)、さん」
 照れながら見上げる(あきら)に、秋鹿(あいか)はくっきりとした笑顔を返した。
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