回る因果-1-

文字数 3,843文字

 ゆったりとした車内の後部座席で身を小さくしながら、(あきら)は運転手の横顔を盗み見た。
 下手なことを言ったら、上級生たちを卑怯認定していたあの勢いで叱られそうな、冷たいほど知的な雰囲気を持つ高ハシが、姿勢も正しくハンドルを握っている。

(どこに連れていかれるんやろ)

 (あきら)は小さく首を回して窓の外を確認するが、見知った街並みが流れているだけだ。

 秋鹿(あいか)は「迎えに行く」としか言っていなかったが、わざわざ家に送るためだけに、この人を寄越したのだろうか。

(「父親の秘書」って言うとったけど、そんな人がなんで?)

「……あの」
「はい」
 極々小さい声で呼びかけたのだが、高ハシは返事をしてくれた。
「どこに、行くんですか?」
夏苅(なつがり)君のご自宅ですよ。ほかに寄りたい場所でもありますか?」
「いや、そんなことあれへんけど。その、なんで、送ってくれるんですか?」
(まもる)さんは、何かおっしゃっていましたか?」
「道場終わったら、迎えに行くって」
「ほかには?」
「……」

(えぇ~、なんか言われとったかな。覚えてへんな……)

 うつむいて考え込む(あきら)の耳に、高ハシのため息が届く。
「その件について、君に責任はないでしょう。あの方は、言葉を省きすぎる癖がありますから」
「会話、ぶっ飛んでるものね、あ、飛びますね。……!」
 バックミラーに映った高ハシの微笑みに、(あきら)は息を飲んだ。

(このヒト、笑うとフツーの人間みたいやな)

「それをわかって会話についてくるのは、あなたが初めてだと、喜んでいらっしゃいましたよ。機会があれば、引き続きお相手をお願いいたします。悪い方ではないのです」
秋鹿(あいか)センパイはええ人ですよ」
 鏡越しの目が少し切なそうで、(あきら)は思わず身を乗り出す。
「強くて、全然ぶれへん。こないだ廊下でからまれとったときも、めっちゃかっこよかった」
「そのお話、伺っても?」
「はい」
 微笑んだままの高ハシに、(あきら)はこくんとうなずいた。


 美術室に移動するために、(あきら)が二年生のクラスが並ぶ廊下を歩いていると、壁際に生徒が何人か固まっているのが目に入った。
「気取ったしゃべりかたして」
「オレらのこと、おちょくってるやろっ」

(あ……)

 その輪の中心で、秋鹿(あいか)が肩を小突き回されている。

(どないしよう、先生に……)

 足を止めて、おろおろと周囲を見渡した(あきら)だったが。
「聞きたくないのなら、話しかけてくるな」
 何一つ動じない秋鹿(あいか)に、(あきら)の目は吸い寄せられる。
「聞きとうのうても、授業中やら、フツーに耳に入ってくるやろ!」
 ガタイの良い男子生徒が勢いよく殴りかかろうとした腕を、秋鹿(あいか)がぱっとつかんだ。
 そのあまりに鮮やかな動きに、(あきら)は息を飲む。
「俺が挙手して発言するわけじゃない。それほど嫌なら、教師に”秋鹿(あいか)に当てるくらいなら自分が答える”と言ってくれ」
「っ!」
 言い返すことができない男子生徒は、顔を紅潮させて口をへの字にした。
「それとも、俺から伝えておこうか?お前が発言したがっていると。必ず、毎時間当てられるようになるぞ」
 ガタイの良い男子生徒が腕を引こうとするが、秋鹿(あいか)の手はびくともしない。
「選べ。二度と俺に絡まないか、毎時間当てられるか」
 男子生徒の腕を放り投げるように離すと、秋鹿(あいか)はその肩を押しのけるようにして立ち去っていった。
 あれほど罵倒していたくせに、囲んでいた生徒たちは棒立ちになってその背中を見送るばかりで。

(うわぁ、かっこええなぁ)

 (あきら)が呆けていると、近づいてきた秋鹿(あいか)がすれ違いざまに(ささ)いた。
「心配はいらない。……授業、始まるぞ」
「え?あ!」
 開け放たれているドアから見える秋鹿(あいか)のクラスの時計に目をやれば、授業開始の二分前である。
「やばっ」
「なんや、どないしてん。そんなところで雁首そろえて」
 小走りになった(あきら)の背中を追いかけてきたのは、階段を上がってくる教師の声。
「こないだの発表の続きするって、言うといたやんな?。準備は終わってるんやろうな。めっちゃ余裕がありそうやし、順番飛ばして自分らからやるか」
「ええ~?!」
「なんでやねん!」
 わぁわぁと廊下にこだまする文句を聞きながら、(あきら)はクスリと笑う。

(ははっ、ざまぁって感じ。……ほんまに強い人やなぁ)

 秋鹿(あいか)の勇姿に心がホカホカするようで、(あきら)の足は、さらに軽やかになった。


「そうですか。それはそれは」
 含むような物言いの理由を訪ねようとしたとき、高ハシが(あきら)を振り返った。
「さて、到着しました。……お待ちください」
「え?」
 どぎまぎしているうちに、運転席から降りた高ハシが、実にスマートにドアを開けてくれる。
「どうぞ」
「あの、ありがとう、ございます」
 高ハシにかしずかれ、(あきら)がギクシャクしながら後部ドアから顔を出したところで、ガラリ!と勢いよく店の表戸が開いた。
「お帰り、(あきら)!早よ中に入りなはれ。……あ、高ハシさん、今日はよろしゅうお願いします」
「おかあちゃん、この人と知り合い?」
「この人はな」
「奥様、時間も押しておりますので」
「あら、失礼いたしました」
 “奥様”と呼ばれた養母が照れ笑いを浮かべ、(あきら)の肩を抱いて店内へ入る。
「え、おとうちゃん?岸本さんもどないしたん?」
 よそ行きの和服を着こんだ両親と岸本を見上げて、(あきら)は小首を(かし)げた。
「その着物って」
(あきら)も着替えなさい」
「ぼん、正装やないとあかんで」
 普段の職人姿と比べると、岸本の男っぷりは、三割は増したように見える。
「え、なんで?」
「お呼ばれしとるから」
「お呼ばれって……。ほな、制服を着たらええんかな?」
「制服より、せやなあ。こないだ、お師匠さんとこの先輩からもろた、あの服を着たらええんちゃう?」
「え、あんなこじゃれた服?」
 小粋な小袖を着こなした養母を前に、(あきら)は目を白黒させた。
「そんなめかしこんで、どこ……」
 
 ドダダダダ!

 勢い込んで走り込んでくる足音に、(あきら)と養母が同時に母屋を振り返る。
「ウチも行くから!」
 夏服の白いブラウスを着た肩を激しく上下させながら、飛び込んできた少女が養母と(あきら)をにらむように見比べた。
「……ねえちゃん」
(かがり)!ごっつ早うに帰ってきたね。まさか、塾を早退したんちゃうやろうな」
「せぇへんよ、そんなん!……なんでうちだけ除け者にすんねん」
「お商売の話なんよ。お留守番をお願いねって頼んだやろう」
(あきら)は連れていくやん」
「お相手が連れてきてほしいって言うてんねん」
「”お商売の話”なのに?(あきら)を呼んでなんて、そんなん、おちょくられてるだけちゃうん」
秋鹿(あいか)センパイは、そんな人ちゃうよ!」
 (あきら)の勢いに、(かがり)の顔に戸惑いが浮かぶ。
「でも……。たかが中学生が商売の話なんて、できるわけがあれへんやん」
秋鹿(あいか)センパイならできる!」
 さらに大きくなってしまった声に、養母と(かがり)が目を丸くなった。
 どこかで「まずい」とは思うけれど、(あきら)は言葉を止めることができない。
秋鹿(あいか)センパイは俺をおちょくったりする人ちゃう!失礼なこと言わんといて」

 正直、何が何だかさっぱりわからない。
 だが、秋鹿(あいか)が寄越した「父親の秘書」が連れて行こうというのだ。
 無関係なはずがないし、まして、からかうためだけに、こんなことをする人ではない。

(あきら)、ずいぶん信頼してるんやね。……そないに仲良しなん?その秋鹿(あいか)くんと」
「仲良し、とはちゃうけど……」
「なんかの行事で一緒やったん?」
「違う、けど」
「じゃあ、どこで」
 (かがり)の追求が(あきら)の勢いを削いでいくなか。
「もしもし?高ハシです」
 いきなり電話を掛け始めた高ハシの声が、(あきら)だけではなく、店中の注目を集めた。
「今日の予約ですが、ひとり増えても構いませんか?……ありがとうございます。では、そのようにお願いします」
 いったい何の話かと皆が固唾(かたず)を飲むなか、通話を切ったスマートフォンを高ハシは再びスワイプする。
「もしもし、高ハシで、……ええ、そのとおりです。ただ、そうすると私の車に乗りきらないので……。はい?」
 わずかに目を見張ったあと、高ハシはチラリと外を眺めた。
「……ははは。ああ、本当ですね、来たようです。では、そちらに到着いたしましたら、またご連絡をいたします」
 スマートフォンをスーツのポケットにしまった高ハシが、夏苅(なつがり)家の面々を振り返る。
「私の主人が手配したハイヤーが到着いたしました。お嬢さんもぜひご一緒に、とのことです」
「よろしいのですか?」
 恐縮しきっている養父の眉毛が、さらにヘニャリと下がった。
「高ハシさんのご主人と言うと、秋鹿(あいか)社長がわざわざ?」
「いえ、社長は上司ではありますが、私の主人は秋鹿(あいか)(まもる)です。さあ、15分以内で支度をしてください。あまり長くお待たせすると、かなりパンチの効いた嫌味を言われるのは、私ですからね」
「ぼんの先輩が高ハシさんのご主人って……」
「……なんやすごい人と知り合いなんやな、(あきら)
「こりゃあ、ぼん抜きには行かれへんわ」
 顔を見合わせるばかりの夏苅(なつがり)家一同に背を向け、高ハシは表戸に手を掛ける。
「では、外でお待ちしております。私の車には、ご主人と岸本さんがお乗りください。ハイヤーは奥様と、お子様方おふたりがご利用されるとよろしいかと」
「よかったね、(かがり)!はよ仕度せぇへんと!ほら、こないだ従妹ちゃんの結婚式に着ていったレースのワンピース、あれなんかどう?」
 我に返った養母が、慌てて(かがり)の背中を押して母屋へと入っていった。
(あきら)も、はよ着替えておいで」
「はい……」
 養父にも促されけれど、一体全体、何が何やら。
 まったく理解できずにいる(あきら)は、首を傾げながら母屋へと下がった。
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