回る因果-1-
文字数 3,843文字
ゆったりとした車内の後部座席で身を小さくしながら、煌 は運転手の横顔を盗み見た。
下手なことを言ったら、上級生たちを卑怯認定していたあの勢いで叱られそうな、冷たいほど知的な雰囲気を持つ高ハシが、姿勢も正しくハンドルを握っている。
(どこに連れていかれるんやろ)
煌 は小さく首を回して窓の外を確認するが、見知った街並みが流れているだけだ。
秋鹿 は「迎えに行く」としか言っていなかったが、わざわざ家に送るためだけに、この人を寄越したのだろうか。
(「父親の秘書」って言うとったけど、そんな人がなんで?)
「……あの」
「はい」
極々小さい声で呼びかけたのだが、高ハシは返事をしてくれた。
「どこに、行くんですか?」
「夏苅 君のご自宅ですよ。ほかに寄りたい場所でもありますか?」
「いや、そんなことあれへんけど。その、なんで、送ってくれるんですか?」
「鎮 さんは、何かおっしゃっていましたか?」
「道場終わったら、迎えに行くって」
「ほかには?」
「……」
(えぇ~、なんか言われとったかな。覚えてへんな……)
うつむいて考え込む煌 の耳に、高ハシのため息が届く。
「その件について、君に責任はないでしょう。あの方は、言葉を省きすぎる癖がありますから」
「会話、ぶっ飛んでるものね、あ、飛びますね。……!」
バックミラーに映った高ハシの微笑みに、煌 は息を飲んだ。
(このヒト、笑うとフツーの人間みたいやな)
「それをわかって会話についてくるのは、あなたが初めてだと、喜んでいらっしゃいましたよ。機会があれば、引き続きお相手をお願いいたします。悪い方ではないのです」
「秋鹿 センパイはええ人ですよ」
鏡越しの目が少し切なそうで、煌 は思わず身を乗り出す。
「強くて、全然ぶれへん。こないだ廊下でからまれとったときも、めっちゃかっこよかった」
「そのお話、伺っても?」
「はい」
微笑んだままの高ハシに、煌 はこくんとうなずいた。
◇
美術室に移動するために、煌 が二年生のクラスが並ぶ廊下を歩いていると、壁際に生徒が何人か固まっているのが目に入った。
「気取ったしゃべりかたして」
「オレらのこと、おちょくってるやろっ」
(あ……)
その輪の中心で、秋鹿 が肩を小突き回されている。
(どないしよう、先生に……)
足を止めて、おろおろと周囲を見渡した煌 だったが。
「聞きたくないのなら、話しかけてくるな」
何一つ動じない秋鹿 に、煌 の目は吸い寄せられる。
「聞きとうのうても、授業中やら、フツーに耳に入ってくるやろ!」
ガタイの良い男子生徒が勢いよく殴りかかろうとした腕を、秋鹿 がぱっとつかんだ。
そのあまりに鮮やかな動きに、煌 は息を飲む。
「俺が挙手して発言するわけじゃない。それほど嫌なら、教師に”秋鹿 に当てるくらいなら自分が答える”と言ってくれ」
「っ!」
言い返すことができない男子生徒は、顔を紅潮させて口をへの字にした。
「それとも、俺から伝えておこうか?お前が発言したがっていると。必ず、毎時間当てられるようになるぞ」
ガタイの良い男子生徒が腕を引こうとするが、秋鹿 の手はびくともしない。
「選べ。二度と俺に絡まないか、毎時間当てられるか」
男子生徒の腕を放り投げるように離すと、秋鹿 はその肩を押しのけるようにして立ち去っていった。
あれほど罵倒していたくせに、囲んでいた生徒たちは棒立ちになってその背中を見送るばかりで。
(うわぁ、かっこええなぁ)
煌 が呆けていると、近づいてきた秋鹿 がすれ違いざまに囁 いた。
「心配はいらない。……授業、始まるぞ」
「え?あ!」
開け放たれているドアから見える秋鹿 のクラスの時計に目をやれば、授業開始の二分前である。
「やばっ」
「なんや、どないしてん。そんなところで雁首そろえて」
小走りになった煌 の背中を追いかけてきたのは、階段を上がってくる教師の声。
「こないだの発表の続きするって、言うといたやんな?。準備は終わってるんやろうな。めっちゃ余裕がありそうやし、順番飛ばして自分らからやるか」
「ええ~?!」
「なんでやねん!」
わぁわぁと廊下にこだまする文句を聞きながら、煌 はクスリと笑う。
(ははっ、ざまぁって感じ。……ほんまに強い人やなぁ)
秋鹿 の勇姿に心がホカホカするようで、煌 の足は、さらに軽やかになった。
◇
「そうですか。それはそれは」
含むような物言いの理由を訪ねようとしたとき、高ハシが煌 を振り返った。
「さて、到着しました。……お待ちください」
「え?」
どぎまぎしているうちに、運転席から降りた高ハシが、実にスマートにドアを開けてくれる。
「どうぞ」
「あの、ありがとう、ございます」
高ハシにかしずかれ、煌 がギクシャクしながら後部ドアから顔を出したところで、ガラリ!と勢いよく店の表戸が開いた。
「お帰り、煌 !早よ中に入りなはれ。……あ、高ハシさん、今日はよろしゅうお願いします」
「おかあちゃん、この人と知り合い?」
「この人はな」
「奥様、時間も押しておりますので」
「あら、失礼いたしました」
“奥様”と呼ばれた養母が照れ笑いを浮かべ、煌 の肩を抱いて店内へ入る。
「え、おとうちゃん?岸本さんもどないしたん?」
よそ行きの和服を着こんだ両親と岸本を見上げて、煌 は小首を傾 げた。
「その着物って」
「煌 も着替えなさい」
「ぼん、正装やないとあかんで」
普段の職人姿と比べると、岸本の男っぷりは、三割は増したように見える。
「え、なんで?」
「お呼ばれしとるから」
「お呼ばれって……。ほな、制服を着たらええんかな?」
「制服より、せやなあ。こないだ、お師匠さんとこの先輩からもろた、あの服を着たらええんちゃう?」
「え、あんなこじゃれた服?」
小粋な小袖を着こなした養母を前に、煌 は目を白黒させた。
「そんなめかしこんで、どこ……」
ドダダダダ!
勢い込んで走り込んでくる足音に、煌 と養母が同時に母屋を振り返る。
「ウチも行くから!」
夏服の白いブラウスを着た肩を激しく上下させながら、飛び込んできた少女が養母と煌 をにらむように見比べた。
「……ねえちゃん」
「燎 !ごっつ早うに帰ってきたね。まさか、塾を早退したんちゃうやろうな」
「せぇへんよ、そんなん!……なんでうちだけ除け者にすんねん」
「お商売の話なんよ。お留守番をお願いねって頼んだやろう」
「煌 は連れていくやん」
「お相手が連れてきてほしいって言うてんねん」
「”お商売の話”なのに?煌 を呼んでなんて、そんなん、おちょくられてるだけちゃうん」
「秋鹿 センパイは、そんな人ちゃうよ!」
煌 の勢いに、燎 の顔に戸惑いが浮かぶ。
「でも……。たかが中学生が商売の話なんて、できるわけがあれへんやん」
「秋鹿 センパイならできる!」
さらに大きくなってしまった声に、養母と燎 が目を丸くなった。
どこかで「まずい」とは思うけれど、煌 は言葉を止めることができない。
「秋鹿 センパイは俺をおちょくったりする人ちゃう!失礼なこと言わんといて」
正直、何が何だかさっぱりわからない。
だが、秋鹿 が寄越した「父親の秘書」が連れて行こうというのだ。
無関係なはずがないし、まして、からかうためだけに、こんなことをする人ではない。
「煌 、ずいぶん信頼してるんやね。……そないに仲良しなん?その秋鹿 くんと」
「仲良し、とはちゃうけど……」
「なんかの行事で一緒やったん?」
「違う、けど」
「じゃあ、どこで」
燎 の追求が煌 の勢いを削いでいくなか。
「もしもし?高ハシです」
いきなり電話を掛け始めた高ハシの声が、煌 だけではなく、店中の注目を集めた。
「今日の予約ですが、ひとり増えても構いませんか?……ありがとうございます。では、そのようにお願いします」
いったい何の話かと皆が固唾 を飲むなか、通話を切ったスマートフォンを高ハシは再びスワイプする。
「もしもし、高ハシで、……ええ、そのとおりです。ただ、そうすると私の車に乗りきらないので……。はい?」
わずかに目を見張ったあと、高ハシはチラリと外を眺めた。
「……ははは。ああ、本当ですね、来たようです。では、そちらに到着いたしましたら、またご連絡をいたします」
スマートフォンをスーツのポケットにしまった高ハシが、夏苅 家の面々を振り返る。
「私の主人が手配したハイヤーが到着いたしました。お嬢さんもぜひご一緒に、とのことです」
「よろしいのですか?」
恐縮しきっている養父の眉毛が、さらにヘニャリと下がった。
「高ハシさんのご主人と言うと、秋鹿 社長がわざわざ?」
「いえ、社長は上司ではありますが、私の主人は秋鹿 鎮 です。さあ、15分以内で支度をしてください。あまり長くお待たせすると、かなりパンチの効いた嫌味を言われるのは、私ですからね」
「ぼんの先輩が高ハシさんのご主人って……」
「……なんやすごい人と知り合いなんやな、煌 」
「こりゃあ、ぼん抜きには行かれへんわ」
顔を見合わせるばかりの夏苅 家一同に背を向け、高ハシは表戸に手を掛ける。
「では、外でお待ちしております。私の車には、ご主人と岸本さんがお乗りください。ハイヤーは奥様と、お子様方おふたりがご利用されるとよろしいかと」
「よかったね、燎 !はよ仕度せぇへんと!ほら、こないだ従妹ちゃんの結婚式に着ていったレースのワンピース、あれなんかどう?」
我に返った養母が、慌てて燎 の背中を押して母屋へと入っていった。
「煌 も、はよ着替えておいで」
「はい……」
養父にも促されけれど、一体全体、何が何やら。
まったく理解できずにいる煌 は、首を傾げながら母屋へと下がった。
下手なことを言ったら、上級生たちを卑怯認定していたあの勢いで叱られそうな、冷たいほど知的な雰囲気を持つ高ハシが、姿勢も正しくハンドルを握っている。
(どこに連れていかれるんやろ)
(「父親の秘書」って言うとったけど、そんな人がなんで?)
「……あの」
「はい」
極々小さい声で呼びかけたのだが、高ハシは返事をしてくれた。
「どこに、行くんですか?」
「
「いや、そんなことあれへんけど。その、なんで、送ってくれるんですか?」
「
「道場終わったら、迎えに行くって」
「ほかには?」
「……」
(えぇ~、なんか言われとったかな。覚えてへんな……)
うつむいて考え込む
「その件について、君に責任はないでしょう。あの方は、言葉を省きすぎる癖がありますから」
「会話、ぶっ飛んでるものね、あ、飛びますね。……!」
バックミラーに映った高ハシの微笑みに、
(このヒト、笑うとフツーの人間みたいやな)
「それをわかって会話についてくるのは、あなたが初めてだと、喜んでいらっしゃいましたよ。機会があれば、引き続きお相手をお願いいたします。悪い方ではないのです」
「
鏡越しの目が少し切なそうで、
「強くて、全然ぶれへん。こないだ廊下でからまれとったときも、めっちゃかっこよかった」
「そのお話、伺っても?」
「はい」
微笑んだままの高ハシに、
◇
美術室に移動するために、
「気取ったしゃべりかたして」
「オレらのこと、おちょくってるやろっ」
(あ……)
その輪の中心で、
(どないしよう、先生に……)
足を止めて、おろおろと周囲を見渡した
「聞きたくないのなら、話しかけてくるな」
何一つ動じない
「聞きとうのうても、授業中やら、フツーに耳に入ってくるやろ!」
ガタイの良い男子生徒が勢いよく殴りかかろうとした腕を、
そのあまりに鮮やかな動きに、
「俺が挙手して発言するわけじゃない。それほど嫌なら、教師に”
「っ!」
言い返すことができない男子生徒は、顔を紅潮させて口をへの字にした。
「それとも、俺から伝えておこうか?お前が発言したがっていると。必ず、毎時間当てられるようになるぞ」
ガタイの良い男子生徒が腕を引こうとするが、
「選べ。二度と俺に絡まないか、毎時間当てられるか」
男子生徒の腕を放り投げるように離すと、
あれほど罵倒していたくせに、囲んでいた生徒たちは棒立ちになってその背中を見送るばかりで。
(うわぁ、かっこええなぁ)
「心配はいらない。……授業、始まるぞ」
「え?あ!」
開け放たれているドアから見える
「やばっ」
「なんや、どないしてん。そんなところで雁首そろえて」
小走りになった
「こないだの発表の続きするって、言うといたやんな?。準備は終わってるんやろうな。めっちゃ余裕がありそうやし、順番飛ばして自分らからやるか」
「ええ~?!」
「なんでやねん!」
わぁわぁと廊下にこだまする文句を聞きながら、
(ははっ、ざまぁって感じ。……ほんまに強い人やなぁ)
◇
「そうですか。それはそれは」
含むような物言いの理由を訪ねようとしたとき、高ハシが
「さて、到着しました。……お待ちください」
「え?」
どぎまぎしているうちに、運転席から降りた高ハシが、実にスマートにドアを開けてくれる。
「どうぞ」
「あの、ありがとう、ございます」
高ハシにかしずかれ、
「お帰り、
「おかあちゃん、この人と知り合い?」
「この人はな」
「奥様、時間も押しておりますので」
「あら、失礼いたしました」
“奥様”と呼ばれた養母が照れ笑いを浮かべ、
「え、おとうちゃん?岸本さんもどないしたん?」
よそ行きの和服を着こんだ両親と岸本を見上げて、
「その着物って」
「
「ぼん、正装やないとあかんで」
普段の職人姿と比べると、岸本の男っぷりは、三割は増したように見える。
「え、なんで?」
「お呼ばれしとるから」
「お呼ばれって……。ほな、制服を着たらええんかな?」
「制服より、せやなあ。こないだ、お師匠さんとこの先輩からもろた、あの服を着たらええんちゃう?」
「え、あんなこじゃれた服?」
小粋な小袖を着こなした養母を前に、
「そんなめかしこんで、どこ……」
ドダダダダ!
勢い込んで走り込んでくる足音に、
「ウチも行くから!」
夏服の白いブラウスを着た肩を激しく上下させながら、飛び込んできた少女が養母と
「……ねえちゃん」
「
「せぇへんよ、そんなん!……なんでうちだけ除け者にすんねん」
「お商売の話なんよ。お留守番をお願いねって頼んだやろう」
「
「お相手が連れてきてほしいって言うてんねん」
「”お商売の話”なのに?
「
「でも……。たかが中学生が商売の話なんて、できるわけがあれへんやん」
「
さらに大きくなってしまった声に、養母と
どこかで「まずい」とは思うけれど、
「
正直、何が何だかさっぱりわからない。
だが、
無関係なはずがないし、まして、からかうためだけに、こんなことをする人ではない。
「
「仲良し、とはちゃうけど……」
「なんかの行事で一緒やったん?」
「違う、けど」
「じゃあ、どこで」
「もしもし?高ハシです」
いきなり電話を掛け始めた高ハシの声が、
「今日の予約ですが、ひとり増えても構いませんか?……ありがとうございます。では、そのようにお願いします」
いったい何の話かと皆が
「もしもし、高ハシで、……ええ、そのとおりです。ただ、そうすると私の車に乗りきらないので……。はい?」
わずかに目を見張ったあと、高ハシはチラリと外を眺めた。
「……ははは。ああ、本当ですね、来たようです。では、そちらに到着いたしましたら、またご連絡をいたします」
スマートフォンをスーツのポケットにしまった高ハシが、
「私の主人が手配したハイヤーが到着いたしました。お嬢さんもぜひご一緒に、とのことです」
「よろしいのですか?」
恐縮しきっている養父の眉毛が、さらにヘニャリと下がった。
「高ハシさんのご主人と言うと、
「いえ、社長は上司ではありますが、私の主人は
「ぼんの先輩が高ハシさんのご主人って……」
「……なんやすごい人と知り合いなんやな、
「こりゃあ、ぼん抜きには行かれへんわ」
顔を見合わせるばかりの
「では、外でお待ちしております。私の車には、ご主人と岸本さんがお乗りください。ハイヤーは奥様と、お子様方おふたりがご利用されるとよろしいかと」
「よかったね、
我に返った養母が、慌てて
「
「はい……」
養父にも促されけれど、一体全体、何が何やら。
まったく理解できずにいる