フォークロア・禍根

文字数 2,134文字

 天に向かって咆哮する獣たちのように、禍々(まがまが)しい紅蓮の炎が暗黒の空に立ち昇っていた。
 燃えているのは屋敷か人か。
 すべてがグズグズに溶け合った、灼熱の混沌のなか。
 絶望の苦悶が、赤黒い炎を反射した夜空に、おどろと(とどろ)き続けていた。


 東方から(アグニ)村に戻った稀鸞(きらん)を待ちわびていたように、大鎧姿の兵士が太刀を片手に駆け寄ってくる。
「アカシャ!駿河(するが)殿のほうは?!」
「おおよそ片が付いた。封印はスーリヤが行っている」
「それならば安心ですね」
 強張(こわば)っていた若い兵士の表情がわずかに緩んだ。
「して、伝令の言っていた異変とは?向こうに見える炎はなんだ」
「それが……」
「アグニ・アカシャ!」
 口ごもる兵士の背後から、顔を(すす)だらけにした、それでもなお、その美しさを失わない少女が駆けてくる。
「ウダカ・タルラ!そちらの村に異変ありと聞いたが」
「タルとアヤスのアカシャが(ほふ)られました!ウダカも今、アンデラの攻撃を受けています」
「まさか、二村(ふたむら)、同時にか?」
 東と西の夜空を焦がす炎を、稀鸞(きらん)は呆然と見上げる。
 
 (アグニ)の自分が”東”の要請に応じて留守にしていたとしても、天空(アカシャ)はあと三人が残っていた。
 そうやすやすと、闇鬼(アンデラ)に不覚を取るだろうか。
「はい、あの……」 
 問われた戦士(ヴィーラ)(タルラ)の少女は顔をうつむけ、肩を震わせた。

(無理もない)

 アーユスを抑えた心の内で、稀鸞(きらん)は嘆息する。

 この美しい少女は、戦士(ヴィーラ)としては優しすぎる。
 闇落ちした”元人間”に同情するあまり、封印を逃したことも少なくない。
 
 大きく息を吸い込むと、(いぶ)された空気が稀鸞(きらん)の肺腑を焦がした。
「村人をまず逃がせ!命さえあれば、どこででも再興はできる。お前たちも逃げよ!」
(かしこ)まりました!」
 天空(アカシャ)の命を受け、(アグニ)村の兵士が、(きびす)を返していく。
「タルラ、ウダカのアカシャはご無事か」
「はい。ただアンデラの数が多く、苦戦しております。ヴィーラたちで食い止めてはおりますが」
「ウダカの村人は」
「逃れました」
「よし。急ごう」
 光球に包まれるや否や、ふたりは猛炎を映す夜空へと飛び立った。
 
 そうして(ウダカ)村に降り立った稀鸞(きらん)は、その惨状に言葉を失う。
「これは……、なぜこんなことに」
 
 美しい清流に沿って広がっていた穏やかな村が、烈火の海に沈んでいた。
 命が焼かれる臭い、呻き声。
 村全体が闇落ちしてしまったように、陰惨な叫喚に満ちていた。

「アグニ・アカシャ。あちらです!」
 (ウダカ)天空(アカシャ)の屋敷があるその方向から、幾人かの戦士(ヴィーラ)のアーユスと、闇鬼(アンデラ)の濃厚な気配が漂ってきている。
 稀鸞(きらん)戦士(ヴィーラ)の少女と目を合わせうなずき合うと、無言で走り出した。


『そこで私が見たものは』
 稀鸞(きらん)は感情を封印しているらしい。
 ただ淡々と過去の映像が若者たちの頭のなかに流れ込んでくる。
『八つ裂きにされた(ウダカ)天空(アカシャ)真理(だるま)と瀕死の戦士(ヴィーラ)たち。その後ろに口を開けた暗黒、そして、深手を負ってなお、闇を食い止めている(アグニ)戦士(ヴィーラ)(チャンドラ)』 
 若者たちの脳裏に、血で(あふ)れた凄惨(せいさん)な光景が映りかけ、一瞬で消え去った。
 そして、抑えきれなかったことを悔い詫びる、稀鸞(きらん)のアーユスが届く。
 そのおぞましい光景は刹那ではあったが、臭いさえ感じられるほど鮮明なもので。
「ぐぅ……、っぷ」
 (あきら)が思わず口を押え、後ろを向いた。
「……大丈夫?」
「お前は、……平気なん?」
 (あきら)は涙目で(えんじゅ)を見上げる。
「あー。僕、まだ(あきら)ほどはアーユスを受け取る力がない、のかも」
 (あきら)の背を擦っていた(えんじゅ)の視線が、ふいとそらされた。
(あきら)は、はっきり見えちゃったのかな」
 その言葉に、見せられた光景がフラッシュバックして、(あきら)の膝が崩れる。
(チャンドラ)
 稀鸞(きらん)(うなが)された蒼玉(そうぎょく)が、(あきら)に歩み寄ると、腕の中にその頭を閉じ込めた。
「オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ」※1
 鈴振る声とともに、蒼玉(そうぎょく)の冷涼なアーユスが(あきら)に流れ込んでくる。
 小さな手が(あきら)の髪を、背をなで、微かに震える大きな手に添えられた。
「オン・コロコロ」
(まもる)の大切なお友だち、朱雀様。あなたの心が平らかでありますように』
 唱えとともに、蒼玉(そうぎょく)の祈りが(あきら)に届く。
「センダリ・マトウギ・ソワカ」
 神楽(かぐら)鈴のマントラが、静かな部屋に流れた。

 しばらく蒼玉(そうぎょく)になでられていた(あきら)が、ゆっくりと立ち上がる。
「おおきに。もう大丈夫や。……秋鹿(あいか)さんのところへ戻ってあげて。あとが怖いし」
蒼玉(そうぎょく)についていてもらえ。……お前は、優しいから』
 気遣う(まもる)のアーユスに、(あきら)はぎこちなく笑い返した。
「でも」
(まもる)の願いでもありますから』
 蒼玉(そうぎょく)は有無を言わさずに、(あきら)の左手を両手で包み込む。
『大丈夫、大丈夫ですよ』
 穏やかな波のようなアーユスに慰められて、(あきら)の呼吸が整っていった。
「……だいぶ楽になった、おおきに。えっと……」
秋鹿(あいか)さんの特別な人を、なんて呼んだらええんやろか』
蒼玉(そうぎょく)でかまいません」
「ほな、そう呼ばせてもらうな。……でも……」
『……あれって、ほんまにあったこと、なん……?』
 見せられた過去の壮絶さに、(あきら)のアーユスが乱れ漏れる。
『倒れていたのは(ウダカ)天空(アカシャ)真理(だるま)です。それを(ほふ)ったのは……。その兄、琉沱(るた)でした』
 目を閉じて、まるで眠っているような稀鸞(きらん)から、絶望を隠せないアーユスが再び流れ出した。

※1薬師如来マントラ 病気平癒 災難除去
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