日輪のひと
文字数 3,235文字
目の奥に痛みを感じて、意識が浮上する。
それが、まぶたを閉じていても感じるほどの強い光のせいだと気がつくのには、そう時間はかからなかった。
肩と腰が強張 り、右腕が痺 れている。
体の不調とともに、置かれている状況にも違和感を覚えた。
(……静かすぎる。こんな……)
こんな穏やかなはずはない。
身の毛もよだつ光景の残滓 が、頭にこびりついているのに。
不安でざわついた気持ちのまま重いまぶたを開けると、すぐ隣に座る「あの人」に気づいた。
閉じた目を縁どる長い睫毛 と、意志の強そうな唇。
滑らかな頬。
肩に流れる艶やかな黒髪。
その姿が目に入った瞬間。
キンキンに冷やした炭酸水を、頭から浴びたように目が覚めた。
その横顔に差す障子越しの陽光は、繊細な金糸で編まれたヴェールのようで。
均整の取れた体を壁に凭 れかけさせ眠る、その人のすべてに魅入られながら。
渉 はゆっくりと体を起こした。
悪夢そのものの恐怖と混乱から救ってくれた人を見ているだけで、澱 んでいた不安が流れ去っていく。
(夢じゃねぇよな……)
目を閉じている横顔に、そっと手を伸ばそうとして。
「っ!」
渉 の指が頬に触れる寸前、音がしたかと思うほどの勢いで、その手が弾かれた。
だが、物理的に何かが飛んできたわけではない。
(これって……)
すぐに理解して、見遣 れば、硬い表情の蒼玉 と目が合った。
その膝に頭を乗せて眠る、鎮 の頭をなでている手つきは優しいのに。
――気安く触るな――
アーユスで伝えらえたわけではないが、そのまなざしは、はっきりとそう告げていた。
いや、もし今の蒼玉 に吹き出しをつけるとしたら、「フザケタことしようとしてんじゃねえよ、ボケ」くらいのセリフが似合う。
これまで「鎮 の友人」、「玄武様」と敬ってくれていた蒼玉 は影も形もない。
瞬きを繰り返す渉 に、くすっと笑う声が届いた。
振り返って、微笑んでいるその人と目が合えば、渉 の周りの酸素は、いきなり薄くなってしまったらしい。
吸っても吸っても胸が苦しくて、浅い呼吸しかできなかった。
『気がついてよかった』
豪快に頭をなでられた渉 が、恐る恐る横目で見ると。
蒼玉 は不本意も露わに、そっぽを向いている。
『あたしから触れるのは構わないらしいよ』
(え……。そう、なんだ)
ざっと十畳はありそうな部屋の端と端に座る姉妹は、今この場でアーユスでのやり取りをしたらしい。
(なんもわかんなかったな……)
『玄武もそのうちできるようになるよ。なにしろ、四神が守りを与えた魂だから。……拒絶の心が、パドマを閉じさせてしまったんだね』
その人の両手が渉 の全身をなで下ろしていく。
『あたしに触れていて』
差し出されたその手をためらいなく取って握りしめると、なんとなく、鎮 が蒼玉 に向ける態度がわかる気がした。
――この手を離さなければ大丈夫――
幼いころに人込みで手を引いてもらった、遠い記憶が胸に呼び起こされてくる。
『玄武のアーユスもあたしが調整する。心配ないよ』
『あり、がと。……いろいろと』
(アーユスって、こんな感じだった……?)
『うん、大丈夫。それでいい。……どういたしまして。怖くて不安だったね。もう、大丈夫だから』
知らず涙をぽろりとこぼしながら、渉 は小さくうなずいた。
『それで玄武。聞きたいことは何?』
『……今、どういう状況?ここは、どこ?』
その人の片手が額に触れるのと同時に、渉 の頭のなかを、鮮烈なアーユスが抜けていく。
自分の意識がなくなってから今までの、その映像が怒涛のように流れていった。
望 の葛藤と沙良 への思慕。
鎮 との和解。
そして……。
『き、らん、さん……』
渉 は慌てて部屋を見渡すが、煌 に支えられていた稀鸞 の姿は、どこにもなかった。
『天空 のことは、青龍と朱雀の目が覚めたら改めて。ほかには?』
そのアーユスに秘められた哀情と寂寞 に、今は聞いてはいけないのだと察して渉 はうなずく。
『……蒼玉 、マジで怒ってない?なんでオレこんなに嫌われてんの、いきなり』
『まあ、許してやって。蒼玉 は男が嫌いなんだよ』
「え!?」
思わず声を出した渉 の口の端を、その人の指が柔らかく叩く。
『こらこら。……朱雀と青龍はまだ寝かせておいてあげないと』
『ごめん、なさい』
『ん、よしよし。……嫌いというより関心がない、かな。男は特にだけれど、他人に対して』
『え、でも』
蒼玉 に出会ってから今までの、特に鎮 と一緒にいる姿を渉 が思い浮かべると、それを読み取ったその人が大きな笑顔になった。
『あたしも意外だったよ。あれほど、あの子が心を寄せる存在がいるなんて。……道連れにしてしまったと悔いていたけれど、一緒に眠って、良かったのかもしれない』
『そう、なんだ……。でも、ちょっとわかった』
さっきから、痛みを感じるほどのトゲトゲしたアーユスが渉 に投げつけられてる。
『鎮 の友人だから許されて、守ってもらってただけなんだな。オレ単体だと敵っぽい』
『玄武を敵と見做 しているわけではないと思うけれどね。あの子にとって私は、少し特別な存在だから』
『姉上で、母上?』
『そう。それと師匠 』
『師匠 ?』
『アーユスの術すべて、戦士 のすべてを叩き込んだのがあたしだから。……いきなり村に現れた、前師匠 の勾玉 を身に付けた幼子だったろう?蒼玉 は。受け入れることを反対する者も当然いた。すったもんだの末に、戦士 となって村を守ることを条件に、同胞として受け入れることが決まったんだよ』
その人の手が離れる気配がして、渉 は慌てて握る手に力を込めた。
『あの、キミのことはなんて呼べばいい?』
蒼玉 とよく似た、だが、もっと快活な瞳に笑みが浮かぶ。
『紅玉 と』
『真名を呼んでいいの?』
『蒼玉 のことも、名で呼んでいるんだろう?』
『……そう、だけど』
『この時代は、名で呼び合うようだからね』
『オレの名前は』
『それはいいよ』
『え』
『四神の守りある方の真名を気軽に呼ぶことは、戦士 の立場ではできない。それに、呼ばれることで、あなたは玄武になっていくはずだから。玄武の呪と守護が、魂と結びついていくから』
『でも、蒼玉 と鎮 は』
『微睡 の術が解けていないうちは、互いに真名は名乗っていないと思うけれど』
――ソウはね、蒼玉 っていうんだ――
母親の魂と邂逅していた鎮 は、確かにそう伝えていた。
『そう、みたい、だったけど、どうして?』
紅玉 がふっと小さく笑う。
『本当に玄武は、せっかちな知りたがり屋だね。知らないということを、そんなに怖がることはないよ。それでも、どうしても理解したいと思うのなら』
紅玉 が渉 の手を離して、思い切りよく立ち上がった。
「紅玉 姉さんが教えてあげよう。ほら、朱雀と青龍の目が覚めるよ。……蒼玉 」
「はい」
穏やかにうなずくと、蒼玉 は鎮 の頬を手の甲で優しく叩く。
「鎮 、起きて」
(オレとの差がひでぇな)
「玄武様が今までお付き合いされてきた女性と姉上を、同じに扱ってもらっては困ります」
まさに、氷の針を持つ声だった。
(え、なんで知って……)
「玄武様は箱根にいらっしゃるたびに、違う女性の気をまとっていらっしゃいました」
上げられた蒼玉 のまなざしの圧に、思わず渉 はじりっと後ずさる。
「玄武様のすべてを否定はしませんが、姉上にナンパな気持ちで近付こうとなさるなら」
「蒼玉 、ナンパなんて言葉知ってるんだな」
「その手を切り落とします」
「えっ」
「なんなら、ありとあらゆるところを切り落として、使えなくして差し上げます」
「ええええぇ!」
「ちょっと前の大陸では宦官 という制度が」
「ひぃぃぃぃ」
「蒼玉 、冗談はそのくらいに。玄武が怯 えているよ」
「はい、姉上」
しれっとした顔で蒼玉 がうなずいた。
(いや、あながち冗談ではなかったと思うな)
この感想も知られているのだろうかと、渉 は半笑いで紅玉 を見上げると。
何の下心も駆け引きもなく、甘えも媚 びもなく。
すべての不安を消し去ってくれる、太陽のような笑顔が返された。
それが、まぶたを閉じていても感じるほどの強い光のせいだと気がつくのには、そう時間はかからなかった。
肩と腰が
体の不調とともに、置かれている状況にも違和感を覚えた。
(……静かすぎる。こんな……)
こんな穏やかなはずはない。
身の毛もよだつ光景の
不安でざわついた気持ちのまま重いまぶたを開けると、すぐ隣に座る「あの人」に気づいた。
閉じた目を縁どる長い
滑らかな頬。
肩に流れる艶やかな黒髪。
その姿が目に入った瞬間。
キンキンに冷やした炭酸水を、頭から浴びたように目が覚めた。
その横顔に差す障子越しの陽光は、繊細な金糸で編まれたヴェールのようで。
均整の取れた体を壁に
悪夢そのものの恐怖と混乱から救ってくれた人を見ているだけで、
(夢じゃねぇよな……)
目を閉じている横顔に、そっと手を伸ばそうとして。
「っ!」
だが、物理的に何かが飛んできたわけではない。
(これって……)
すぐに理解して、
なにか
が飛んできた方向をその膝に頭を乗せて眠る、
――気安く触るな――
アーユスで伝えらえたわけではないが、そのまなざしは、はっきりとそう告げていた。
いや、もし今の
これまで「
瞬きを繰り返す
振り返って、微笑んでいるその人と目が合えば、
吸っても吸っても胸が苦しくて、浅い呼吸しかできなかった。
『気がついてよかった』
豪快に頭をなでられた
『あたしから触れるのは構わないらしいよ』
(え……。そう、なんだ)
ざっと十畳はありそうな部屋の端と端に座る姉妹は、今この場でアーユスでのやり取りをしたらしい。
(なんもわかんなかったな……)
『玄武もそのうちできるようになるよ。なにしろ、四神が守りを与えた魂だから。……拒絶の心が、パドマを閉じさせてしまったんだね』
その人の両手が
『あたしに触れていて』
差し出されたその手をためらいなく取って握りしめると、なんとなく、
――この手を離さなければ大丈夫――
幼いころに人込みで手を引いてもらった、遠い記憶が胸に呼び起こされてくる。
『玄武のアーユスもあたしが調整する。心配ないよ』
『あり、がと。……いろいろと』
(アーユスって、こんな感じだった……?)
『うん、大丈夫。それでいい。……どういたしまして。怖くて不安だったね。もう、大丈夫だから』
知らず涙をぽろりとこぼしながら、
『それで玄武。聞きたいことは何?』
『……今、どういう状況?ここは、どこ?』
その人の片手が額に触れるのと同時に、
自分の意識がなくなってから今までの、その映像が怒涛のように流れていった。
そして……。
『き、らん、さん……』
『
そのアーユスに秘められた哀情と
『……
『まあ、許してやって。
「え!?」
思わず声を出した
『こらこら。……朱雀と青龍はまだ寝かせておいてあげないと』
『ごめん、なさい』
『ん、よしよし。……嫌いというより関心がない、かな。男は特にだけれど、他人に対して』
『え、でも』
『あたしも意外だったよ。あれほど、あの子が心を寄せる存在がいるなんて。……道連れにしてしまったと悔いていたけれど、一緒に眠って、良かったのかもしれない』
『そう、なんだ……。でも、ちょっとわかった』
さっきから、痛みを感じるほどのトゲトゲしたアーユスが
『
『玄武を敵と
『姉上で、母上?』
『そう。それと
『
『アーユスの術すべて、
その人の手が離れる気配がして、
『あの、キミのことはなんて呼べばいい?』
『
『真名を呼んでいいの?』
『
『……そう、だけど』
『この時代は、名で呼び合うようだからね』
『オレの名前は』
『それはいいよ』
『え』
『四神の守りある方の真名を気軽に呼ぶことは、
『でも、
『
――ソウはね、
母親の魂と邂逅していた
『そう、みたい、だったけど、どうして?』
『本当に玄武は、せっかちな知りたがり屋だね。知らないということを、そんなに怖がることはないよ。それでも、どうしても理解したいと思うのなら』
「
「はい」
穏やかにうなずくと、
「
(オレとの差がひでぇな)
「玄武様が今までお付き合いされてきた女性と姉上を、同じに扱ってもらっては困ります」
まさに、氷の針を持つ声だった。
(え、なんで知って……)
「玄武様は箱根にいらっしゃるたびに、違う女性の気をまとっていらっしゃいました」
上げられた
「玄武様のすべてを否定はしませんが、姉上にナンパな気持ちで近付こうとなさるなら」
「
「その手を切り落とします」
「えっ」
「なんなら、ありとあらゆるところを切り落として、使えなくして差し上げます」
「ええええぇ!」
「ちょっと前の大陸では
「ひぃぃぃぃ」
「
「はい、姉上」
しれっとした顔で
(いや、あながち冗談ではなかったと思うな)
この感想も知られているのだろうかと、
何の下心も駆け引きもなく、甘えも
すべての不安を消し去ってくれる、太陽のような笑顔が返された。