開幕の主役-槐-

文字数 2,863文字

 主人たちに紅茶とシフォンケーキを出し終わった高梁(たかはし)は、ダイニングテーブルに黒革の手帳を広げながら電話をかけていた。
「ええ、(あきら)君の荷物は近日中に、こちらから取りに伺います。稽古(けいこ)については引き続き、そちらに通う形でお願いしたいのですが。……いえ、とんでもない」
 高梁(たかはし)から目配せをされた(あきら)がうなずき返す。
「詳細はのちほど、本人が連絡いたします。彼の携帯ですが、現在修理に出しておりますので、今しばらくお時間をください。その間は私が取次役をいたします。……はい、では失礼いたします。……(あきら)君は、(まもる)さんの隣の部屋をお使いください。左手の奥側になります」
「今日から、ですか?でも、着替えとか」
「あなた方のサイズとお好みは、嫌と言うほど存じ上げておりますから。二、三日ほどでしたら、部屋にご用意したもので充分かと。ああ、ただしニルス君」
「その名で呼ぶなよっ、腹立つなぁ」
「あなた好みの服を買うには抵抗がありましたので、ニルス君曰くの“つまんねぇ服”ではありますが。文句があるならば、どうぞ作務衣でお過ごしください。明日の大学も、いっそその恰好でいらっしゃっては?案外、あなたが着ていれば流行るかもしれませんね」
「嫌味が熾烈すぎる!」
 がしがしっとライトブラウンの髪をかきむしりながら、(しょう)高梁(たかはし)をにらんだ。
「てか高梁(たかはし)さん、次はアンタの番だぜ。何でそんなに情報通なのよ。んっとにムカツク」
東雲(しののめ)君は」
「シカトかよっ」
「今お住まいの部屋はそのままにして、こちらへお移りになるほうがよろしいでしょう。念のため、一週間に一度くらいはお戻りください」
「あのさ。……どこまで知ってるの?」
 警戒をはらんだ青い瞳に、高梁(たかはし)の含み笑いが返される。
「……あなたの携帯は一応修理に出しますが、それはご使用なさらないでください。AIKA名義のものをお貸ししますので、普段はそちらを。移行するデータなどは、それほどないでしょう?」
「ああ、そう。……かなりバレてるんだね。でも、いいの?」
 冷え冷えとした青い目が仲間たちを見回した。
「知るってことはさ、僕側についたと見なされるけど」
「亡命貴族様の?」
「亡命なんてしてないし、貴族でもないけど」
「へぇ?”伝手を頼って日本に、に”、げてきたのに?」
 かつて日本とのつながりを尋ねたときに、不自然に言い直した(えんじゅ)をまねした(しょう)が、ニィっと笑う。
「そんなイヤそうな顔すんなよ。偽名を使って国外逃亡してる坊ちゃんっつったら、内側でもめてる国の王族とか、大財閥の後継者とかが定番じゃん」
「あー、やだやだ、頭のいいヤツって。高梁(たかはし)さんも(しょう)も嫌いだな」
「インテリメガネはぜってぇ知ってんだって。いろんな情報分析して推察したオレと、一緒にすんなよ」
「インテリ、なんでしょう」
「ふぉっ!メガネさんっ、イタい!痛いですぅ」
 (しょう)の悲鳴に(えんじゅ)が振り返ってみれば、高梁(たかはし)の指がその肩をギリギリとつかんでいた。
「青龍が、どんな危機にさらされているのかは知らないけれど。それをもたらす相手は、あたしたちよりも凄腕?」
「え……?あ~、ははは……。そうだね。ヴィーラには敵わないだろうね」
 力のない笑顔で、(えんじゅ)が目の前に立った宝玉の姉妹を見上げる。
「ねえ、ヴィーラはアカシャを守るんだよね?四神になったら、僕も守ってもらえるのかな」
「もちろん」
「身命を()して、お守りいたします」
 紅玉(こうぎょく)蒼玉(そうぎょく)が同じタイミングでうなずいた。
「それは心強いな。じゃあ、僕は四神になるための努力をしよう。でも、ひとつ約束して」
「はい、何なりと」
「こっちの事情で君たちの命が(おびや)かされそうになった場合は、僕を見捨ててほしい」
 姿勢を正した(えんじゅ)が、ふたりの少女に手を差し伸べる。
「もう僕は、自分のせいで誰かが死ぬのを見たくない。その命は君たちのものだ。僕に捧げてはならない」
「かしこまりました」
 戦士(ヴィーラ)姉妹が(えんじゅ)の前に膝をついて、頭を下げた。 
 まるで天空(アカシャ)に対する仕草のようではあったけれど、まったく違和感は感じられない。
 それほど今の(えんじゅ)には、得も言われぬ威厳があったのだ。
「では、真名にてお誓いいたします。お名乗りを」
「必要、なんだね。でも、みんなに聞かせるのは……」
「気にすんなよ」
 ばん!と派手な音を立てて、(しょう)(えんじゅ)の背中を叩く。
「オレだって立派な四神になる予定だからさ。オマエが心配するようなことにはなんねぇよ」
「予定だけどね」
 にやっと紅玉(こうぎょく)が笑えば。
「未定ですけれど」
 蒼玉(そうぎょく)は冷たくそっぽを向く。
「だから、どうしてそう、さぁ~。もー、このふたりはっ」
「ははは!(しょう)が手玉に取られる女の子に守ってもらえるなんて、こんなに心強いことはないな。紅玉(こうぎょく)蒼玉(そうぎょく)、僕の名はアマル。家名は許して。それこそまずい」
「聞かねぇ響きだな。何語?何て意味?」
「ケチュア語で”竜神”」
「ケチュア?南米系か。……ふぅ~ん、そう」
「知ってるの?とんでもないね、(しょう)のその博識」
「でも、なんで日本名が(えんじゅ)よ?」
「日本に来るときにね、ひいおばあさまの東雲(しののめ)を借りることは決まっていたんだけれど、名をどうするか悩んでいたら、友人が考えてくれたんだよ」

――天使(エンジェル)に響きの似た日本語がありますよ。魔除けの木の名前なんだそうです。あなたのお誕生日は”しあわせの日”とされてますし、ぴったりでしょう?どうか幸せにお過ごしください――

 ”友人”の言葉をなぞる(えんじゅ)の目が遠く、懐かしそうで。
 その友達は今どうしているのか聞こうとして、(しょう)はそのまま口を閉じた。

(ついでに聞いていい話じゃねぇな……)

『では、アマル』
戦士(ヴィーラ)太陽(スーリヤ)(チャンドラ)が誓います』
 涼やかな蒼玉(そうぎょく)のアーユスと、凛とした紅玉(こうぎょく)のアーユスが重なる。
戦士(ヴィーラ)のアーユスは、アマルの祈りとともに』
「ありがとう。でも、こうぎょ」
「青龍は、あたしたちの真名は口にしないで」
「どうして?」
「真名で縛り合うのは重すぎるから。

で呼ぶときは、スーリヤ、チャンドラとお呼びください」
「……わかった」
 
 理由を教えてもらえなくても。
 そこにある真心に疑う余地などない。
 
 素直にうなずいた(えんじゅ)に、宝玉の姉妹もうなずき返した。
「人前ではコウとソウで。わたしたちの真名は、あなたたち以外に明かすつもりはありません」
「あたしはグール―なのだから、”コウ姉さん”とでも呼んでほしいかな。それにしても」
 蒼玉(そうぎょく)とともに立ち上がった紅玉(こうぎょく)が、しみじみとした様子で首を傾ける。
「真名も“竜神”とは、縁が深いこと」
「うん。僕もそう思う。稀鸞(きらん)さんから“青龍”と呼ばれたときは、正直驚いた」
東雲(しののめ)君の学費と家賃は、ずいぶんと手が込んで振り込まれていますが、常に監視がついているのですか?」
 気がつけば、高梁(たかはし)はいつの間にかダイニングに戻っていて。
 その指がタブレットを忙しそうに操作している。
「四六時中ってことはないけど、ときどき探りが入るね。生存確認と、素行調査かな」
「では、こちらでも警備をつけましょう。AIKAに土足で足を踏み入れるような真似はさせません」
「わぁ~、頼もし~い」
 キラリと瞳を光らせる高梁(たかはし)に、(えんじゅ)は引きつった笑顔を浮かべた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み