因果応報-1-

文字数 2,267文字

 遠くに「沢潟屋(おもだかや)」の看板が見えたのと同時に、パートをしている杉野の怒声が耳に入ってきた。
「アンタがロクデナシやさかい!」
「ヒドい言われようやなぁ」
 ピタリと足を止めた(あきら)の視線の向こうで、杉野の姿を隠している男の背中が、軽薄な笑い声とともに揺れる。
「オレなりにな?ちゃんとせなって思うとったんやで。なのに、にーさんがジソーから無理やり引き取ったんやろう?」
「ぬけぬけとっ」
 歯ぎしりさえ聞こえそうな杉野の低音が、くたびれたスーツ姿の陰から漏れ聞こえてきた。
「警察のお世話になっとったくせに」
「あー、せやけどよぉ、それは過去のオハナシやさかい。ちゃんと反省したのに、なんで父子(オヤコ)水入らずで暮らすのを邪魔されなあかんのや」

(オヤコ水入らずで、暮らす……?)

 ぞわりと。
 (あきら)の背中に嫌な汗が噴き出していく。
「アンタに、子供なんか育てられへん。……早よ帰りなはれ」
 手に持っていた暖簾(のれん)で男を押し出すようにしながら、杉野は店に入ろうとしたが。
 しっかりと棒を握った男の手が、逆にぐいと自分のほうへと引っ張り寄せた。
 つんのめりそうになって男の陰から現れた杉野は、嫌悪感に満ちた目で男を振り仰ぐ。
「何すんねん!」
「金が無かったせいで、アイツにもカワイソなことしてもぉたけどよぉ」
 腰を折って杉野を(のぞ)き込んだ男の横顔が、(あきら)の目に飛び込んできた。
 
 にやけた笑いを張りつけている、こけた頬。
 無精ひげに囲まれた下品な口元。
 飢えた獣のようにぎらついているくせに、くすんだ目。

「チョー有名高級和菓子屋になった沢潟屋(おもだかや)さんからの援助があったら、なんにも心配あれへんよなあ。新聞にまで載って、えらい羽振りがええみたいやんけ」

(やっぱり)

 心配が的中したことに、(あきら)は吐き気さえ覚える。
「勝手なことばっかり言うとらんと、どうぞお引き取りください」
 御託(ごたく)を並べる男に取り合わず、背を向けて店内に入ろうとした杉野が、暖簾(のれん)ごと力任せに引き倒されて道路に転がった。
「きゃっ!」
「あ!」
 小さく叫ぶと同時に、(あきら)の足が動く。
「誰に口きいてるんやっ、このクソババアっ!!」
「ぐぅ」
(あきら)ちゃん!」
 倒れた杉野と男の間に身体を割り入れた(あきら)の横腹には、容赦なく蹴り下ろされた、男の革靴がめり込んでいた。
「おりょ。……よぉ、久しぶりやなぁ、アキラ」
 さらにぐりぐりと(あきら)の横腹を踏みにじりながら、男はせせら笑う。
「なんやオマエ、ちっこいままやんけ。オレの育て方が悪い、なんて言われたけど、なぁ!」
 男の足が高く振り上げられたのと同時に、(あきら)は全身でパートさんに覆いかぶさった。
「ぐふっ……!」
 男に蹴り飛ばされた(あきら)は子犬のようにすっ飛び、道路に(したた)かに背中を打ち付けて、もんどり打ってうつ伏せる。
「オマエがみじめったらしい見た目やさかい、オレが四の五の言われるんや」
 つかつかと近寄ってきた男が、うずくまる(あきら)の頭目がけて足を振り下ろした。
「何してんねんっ」
「いってぇ!」
 突然走り込んできた(かがり)から体当たりを食らって、男はたたらを踏んで後ろに下がる。
(あきら)、大丈夫?!」
「ね、ちゃん……」
 (かがり)に抱き起された(あきら)は、あまりの痛みに、無自覚な涙を浮かべながら、ぐいとその体を押しやった。
「杉野さんと、なか、入っとって。……こっちは、気にせえへんで」
 見れば、暖簾(のれん)を握り締めたパートさんは、その場でしゃがみ込んでブルブルと震えている。
「アホ言わんといて。入るなら一緒に、……ひっ!」
 (あきら)の腕を引っ張り上げて、ともに立とうとした(かがり)が、息を飲んだ。
「誰か思たら、カガリちゃんやんけ」
 壮絶に醜悪な笑顔を浮かべて、男は瞬きもせずに姉弟(きょうだい)を凝視している。

 ニタニタ、ニタニタ。

 締まりのない男の口は、よだれでも垂らしそうなほどだらしない。
「こりゃまあ、ごっつべっぴんさんになったなあ。ちょい見ーへんうちに」
 膝を広げて、チンピラのようにしゃがんだ男が、(かがり)を舐め回すように眺めた。
「へぇぇ~、けっこうな巨乳ちゃんになったやんけ」
「ちょ、きしょいっ」
 男のねちょりとした視線を感じた(かがり)が、上半身をかき抱くようにして身を縮める。
「けっ、ナマイキやなぁ。叔父さんに向かって、なんやその目っ」
 顔を傾けてペッと唾を吐き出すと、男は(かがり)の襟元をつかんで立ち上がった。
「ぐうぅ」
 (かがり)の喉から詰まった息が漏れる。
「ねーちゃんに触らんといて!うぁっ」
 立ち上がりざま、腰に当て身を食らわせようとした(あきら)を簡単に蹴り転がすと、男は下卑た笑いを張りつけながら、(かがり)に覆いかぶさった。
「揉み心地えぇなぁ~。現役JCのカラダ、めっちゃソソルやん」
「いやっ、やめてやっ!」
「そんな声あげてぇ、すっかり女やんけ」
「ちが、やだぁっ」
 這いつくばった姿勢から(あきら)が顔を上げれば。
 涙を浮かべて身をよじる(かがり)に脳が焼き切れるようだ。

(アイツ……!)

 素早く起き上がると、(あきら)の足が地面をける。
 そして、(かがり)を捕まえている男の右腕に飛びついて、思いっ切りその手に歯を立てた。
「いってぇええ!このクソガキっ」
 男は自由になる左手で何度も(あきら)の全身を殴りつけ、その隙に(かがり)が逃れ逃げていく。
「離せっ!このっ、離せ言うてるやろがっ」
 男の膝を鳩尾(みぞおち)に受けて、尻もちをついた(あきら)だが。
 すぐにふらりと立ち上がって、激しい呼吸に肩を上下させながら、男を真正面からにらむ。
「……力を、ください……。守れるだけの、力を。俺の命なら、いくらでも」
「なにブツクサ言うてるんや、きしょいなあっ!なんやねん、オマエ」
 目の前の小さな少年にビビる自分が信じられず、男は再度ぺっと下品に唾を吐き出した。
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