奇貨居くべし-1-
文字数 3,175文字
創二が出ていってからほどなく。
入れ替わるのように、タキシード姿の鎮が部屋に入ってきた。
手に持っていた真新しいタキシード一式を渉に差し出すその顔は、不機嫌なのかと思うほど素っ気ない。
「着替えて」
「お、ありがとな」
渉のやたらステキな笑顔が返されても、鎮の表情は少しも動くことはない。
「うーん、手ごわい。ヤローでも見惚れてくれるヤツもいるんだけどなぁ」
「胡散臭すぎるからだよ」
「そーいやオマエにも効かねぇなあ、最初から」
「カエルだったもん」
「カエル言うな、このエンジェル」
「エンジェル言うなっ、センス最悪、人外イケメン!……いったぁ」
「キャンキャンやかましいわ」
「暴力反対!」
後ろに座る煌から頭を叩かれた槐が、涙目で振り返る。
「せやったら黙っとき。……なあ鎮」
冷たい一瞥を槐にくれてから、煌は首を傾げた。
「俺とこいつは制服でええの?」
「そうだよ。僕たちにはタキシードはないの?」
頬をふくらませる槐を見て、鎮はゆっくりと瞬きをする。
「煌が正装すると受け子みたいになる。東雲は目立ちすぎる。きれいだから」
真顔のほめ言葉に、槐がぱっと顔を赤らめた。
「鎮って、そういうこと平気で言うとこあるよね?!ありがとね?!ってか、なんで僕だけ東雲なの」
知り合ってから、もう2か月以上は過ぎているというのに。
渉が妙に絡むせいで、ほぼ毎日一緒にすごしているというのに。
槐だけが、いまだに鎮から苗字呼びをされている。
「オマエ、“エンジェル”とか呼ばれると怒ってんじゃん」
手馴れた様子でボウタイを結んでいる渉が、ニヤリと笑う。
「うん、まぁ。……そうなんだけど」
すれ違うたびに、「あ、エンジェルちゃん」と囁かれるのには、ほとほと嫌気がさしている槐だ。
「だって、それはどうかと思うんだよ。男子高校生をつかまえてさ」
「呼び方なんてただの記号だろ。どう呼ばれたって、オマエの本質が変わるわけじゃねぇじゃん」
(渉は本当にいいヤツだよな。……女癖さえ悪くなければ)
内心の本音は隠して、さらにすねた表情を槐は作った。
「でも、名は体を表すとも言うし。ちゃんとした名前ならまだしもさぁ」
「おや、槐にしては、難しい言い回しを知っていたな」
「バカにしてる?」
「してねーよ。ただの事実の摘示」
「それ侮辱罪っ」
「名が体を現すというより、寄るんだ。体が」
「はい?」
「え?」
鎮の禅問答のような一言に、槐と渉はシンクロ率100%で首を向ける。
「言葉は言霊だから。……行こうか」
背を向けようとする鎮を拝むようにして、渉は顔の前で両手を合わせた。
「もーしわけありません、秋鹿鎮さん。そこでお終いにされると気持ちわりぃんで。全部説明してって」
「何を」
「あー、秋鹿さん。今のは無理やで」
「呼び方。……無理?」
「言霊と呪の関係を、こいつらは知れへんやろ」
「ほら、鎮だってさあ。煌から秋鹿で呼ばれると、直すでしょ?」
「煌がそう呼ぶと、妙に謙り感が出る」
「しゃあないで。先輩で、先生やったんやさかい」
「先生?……ふーぅん」
渉がツカツカと鎮の横を通り過ぎ、ドアの手前に陣取る。
「話せる範囲で構わねぇから。いろいろ中途半端にしねぇで教えとけよ」
――教えないならここから出さない――
ヘーゼルの瞳が、そう物語っていた。
「秋鹿さん、いや、今はこう呼ばせて」
口を開きかけた鎮を煌は止める。
「何でもひとりで背負う必要ないって、言うてますやん。こいつらのことは信用できるって思うさかい、秋鹿さんかて一緒におるんやろう?そうやなかったら、高梁さんになんて会わせへんやん。あとが怖いんやさかい」
「高梁さんと俺と、どっちが怖いかな」
ふぅっと太く短い息を吐く鎮を見て、たまらずといった様子で煌が側に寄った。
「怖なんてあれへん、秋鹿さんは優しい。なあ、ひとりで背負わんといて。もし、あのふたりが万が一」
腰のあたりで拳を握る煌の目に、本気が揺れている。
「秋鹿さんを傷つけるんなら」
「煌。……信用、できるんだろ」
「……そうやけど……」
鎮は煌の拳に手を添えて押し下げると、いきなり自分の右目に指を突っ込んだ。
「え?鎮なにして、……え?」
鎮の瞳から、薄く黒い膜が剥がされていく。
「オマエ……。それカラコン?」
「聞かせてやるからこっちに戻れ。知りたがり屋」
コンタクトを取って、片方だけルビーのように赤くなった鎮の瞳が、軽い笑みを浮かべていた。
◇
鎮の指示で煌は元いたイスに座り、渉はその傍らに立たされている。
「その髪も生まれつきってことか。ずいぶんきれいに色、抜いてるなと思ってたけどよ。目はカラコン入れて、髪はそのまま?」
「アレルギーがある」
「ジアミン?」
肯定も否定もせず、ただ口の端だけを上げるというわかりにくい笑顔を鎮は作った。
「シュは、呪文の呪だ」
またいろんな説明をぶっ飛ばした鎮に、渉は長い長いため息をつく。
(ツッコミてぇ~。でも我慢だ。鎮が珍しく話す気分になってんだからな。ガマン、ガマン)
と、渉が忍耐力を発揮したというのに。
「煌、言霊の説明を」
「結局、丸投げかいっ」
「ここが秋鹿さんの限界やな」
我慢しきれなかった渉を見上げて、煌はウシシと笑う。
「言葉は言霊とも言うんは、渉ほど博識なら知ってるやろ」
「まあな」
「音にされた言葉は縛るんや。それで表されたモノを。もやもやした気持ちに“憎悪”という名前を与えたら、それは、はっきりとした存在となってまう。形あるものも、ないものも縛るのが言霊で、それは“呪”文の一種なんや。だから、きれいな言霊で表せば、きれいになっていく。さっき秋鹿さんが、“体が名に寄っていく”って言うたんは、そういうことや。何者でもない赤ん坊が名付けられて、その名で呼び続けられることで、その名前に“なっていく”。縛られていくんや」
「……煌、オマエ、ホントは頭悪くないんじゃ?」
「煌が悪いのは成績」
「渉も秋鹿さんも意地悪やな」
煌はむっとして口を閉じた。
「でも、たまにさ、名前負けっていうかさ。すっごい犯罪者に、すっごい高潔な名前が付いてたりするじゃん」
「ああ、そうそう。こないだニュースで見たわ」
槐と渉は目を見合わせてうなずく。
「強要、強制性交、強盗フルコンボの容疑者の名前が、聖職者ですかってくらい、清らかな名前だったな」
「名前だけつけられても、呼ばれなければ、ただの文字だから」
「!」
一瞬、瞳を揺らす槐に目をやって。
鎮は淡々と続けた。
「思いを込めて呼ばれなければ、それこそ、ただの記号。逆にそれが誤解であっても妄想であっても。気持ちを込めて呼ばれてしまえば、縛られていく。名前はそれほど強い”呪・文”なんだ。だから、呼ばれたくないのかと思った。”槐”と」
「……何を知っているの」
「知らない」
「何をわかってるの」
質問を変えられ、鎮はふと黙り込む。
そして、開きかけた口を再び閉じて、長く沈黙した。
「……誕生日が、四月四日だ」
じりじりと皆が見守るなか、やっと声を出した鎮に槐の息が止まる。
「槐は、本当にエンジェルが由来。その日は日本の語呂合わせで、“しあわせ”の日だから」
「やっぱり知ってるんじゃん!何で知ってるの?!」
怒りと恐怖がない交ぜになっている表情で槐が立ち上がり、怒鳴った。
「知りはしない」
「ウソだよ!誕生日なんか言ったことないじゃん!語呂合わせのことだってっ」
鎮につかみかかろうと飛び出した槐を、素早く立ち上がった煌が、軽い動作で羽交い絞めにする。
「離せっ、離せよ!」
「落ち着きっ」
「だって、だって知ってるくせにっ」
槐がどんなに暴れても、煌はびくともしない。
そして、駄々をこねる子犬をあしらっているほどの余裕な顔で鎮を見る。
「どうします?」
ばたついている槐を眺める色違いの目に、ほんの少し悲しそうな色を浮かべて。
鎮はゆっくりと右手を上げた。
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