姉と弟-2-

文字数 1,967文字

「お、どうした?」
 間の抜けたほど明るい声に、ひりついていた教室の空気がふっと緩んだ。
 教室に入って来た担任の姿を見たボス女子の顔が、ぱっと輝く。
 ザマアミロとでも言いたげな顔で姉ちゃんをチラ見しながら、ボス女子は担任に駆け寄っていった。
「先生ぇ、こーこーせいがぁ」
「高校生?……おお~、斉宮(いつき)じゃないか!久しぶりだなあ。もう高校生か」
「……え」
 懐かしそうな担任の笑顔を見て、ボス女子の足が止まる。
 そして、そのままズリっと一歩下がった。
「ご無沙汰しています、大林先生。またこちらに赴任なさったと弟に聞いて、いつかご挨拶したいと思っていました」
「そうそう、里帰りしてるんだよ。お、その制服、さすがだなあ。よくできたもんなあ、斉宮(いつき)は」
 カラカラと笑う担任と微笑んでいる姉ちゃんを、ボス女子だけでなく、クラス中がポカンとして交互に見やっている。
「家のこともやりながらなのに頑張ったな。で、今日はどうした。弟のお迎えか?」
「はい。弟は体育が苦手だから、しょげてるんじゃないかと思って。今日は生徒会があって、競技中は来られなかったものですから」
「そんなことないよな、(のぞむ)
 ツカツカと近寄ってくると、担任が俺の背中をばん!と叩いた。
(のぞむ)は苦手な競技でも頑張ってたし、綱引きではアンカーで大活躍だったんだぞ」
「本当ですか?」
 姉ちゃんの嬉しそうな顔を見て、担任が大きくうなずく。
「運動会は、どうしても順位と点数がつく。けど、みんなと目標に向かって団結するということが、一番の目的だからな。な、応援団長!”力を合わせてワンチーム!目指せ優勝!“が、今年のスローガンだもんな」
 担任から目配せされたボス女子が、気まずげに目をそらした。
「先生らしい……。得意不得意は誰にもでもある。みんなでカバーし合おう。たとえ優勝できなかったとしても、その経験は宝物って、そうおっしゃってましたものね」
「覚えててくれたのか!」
「もちろんです。不得意なものがあってもいいんだ、得意なものを伸ばしていけばいいって思えたのは、先生のお言葉があったからです」
「教師冥利につきるなあ」
 照れ笑いをする担任を前に、姉ちゃんが真顔になる。
「先生。もし弟が、点数の入る活躍ができなかったから、僕はダメな人間だ、などと言い出したら、私はどうアドバイスをしたらよいでしょうか」
「そんなこと思ってるのか?」
「えっと、あの……」
 口ごもってうつむいてると、担任がぽんぽんと俺の肩を叩いた。
「……あのな、(のぞむ)。運動会にな、いいもダメもないんだぞ。みんなで頑張ったって思えたなら、それで十分だ。だろ?」

 それは、俺を励ます言葉なんだろうけど。
 クラスの温度は、優勝したとは思えないほど下がっていった。
 特にボス女子周辺は氷点下。
 ブリザードに閉じ込められている、ペンギンのように縮こまっている。

「では、大林先生」
 姉ちゃんが優勝カップを担任に手渡した。
「先生から、(のぞむ)

持たせてあげてください。クラスで優勝カップを回していたようなんですが、私が邪魔をしてしまったんです」

 姉ちゃんは女優になったらいいんじゃないだろうか。
 にこにこ笑って担任を見上げるその姿は、さっきの番長みたいなガラの悪さはどこにもなくて、ただの弟思いの高校生だ。

「いいお姉ちゃんだなあ、(のぞむ)。ほら、優勝おめでとう」
「……はい」
 手にした優勝カップは、ずっしりと重い。
 クラスの誰も渡してくれなかったけど、姉ちゃんと担任が、俺に持たせてくれた優勝の証。
「おうちの人が来られなくても、よく頑張ったな」
 労わるような担任の声に、鼻の奥がツンと痛む。

 父さんも仕事が入っていたから、誰も来ないのはわかっていた。
 納得もしてた。
 職員室でひとり昼食を取るのも慣れているし、姉ちゃんの弁当は美味しい。
 つらいとは思ってないけど、でも……。

「あの、はい……。ありがと、ご、ざいます」
 涙声になった俺の肩を引き寄せて、担任はクラス中を見渡した。
「みんなも頑張ったな!おうちに帰って、ご家族に存分に誇っていいぞ。自分と仲間たちをな。……ん?どしたー?」
 反応がないどころか、湿ったクラスの空気に担任が首を傾げる。
「疲れちゃったか?じゃあ、さっさと帰りの会やっちゃおうな。日直~」
 担任の合図で、のろのろとみんなが自分の席に移動し始めた。
「廊下で待ってるね。……(のぞむ)も覚えておいて。自分がやったことって、全部自分に返ってくるって」
 姉ちゃんが放った強烈な言霊に、ボス女子がぎょっとして振り返る。
「情けは人の為じゃないし、身から出た(さび)は自分に降りかかる」
 そういって姉ちゃんが浮かべた、身震いするほどきれいな笑顔を、俺は一生忘れることはない。
 だって、俺には何をしてもいい、何を言ってもいいというクラスの雰囲気が、その日を境にぱったりと消えたんだから。
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