崩壊する日常-2-
文字数 2,631文字
手足を泥だらけにしながら、三人はもと来た崖を登っていく。
必死に体を動かしながらも、まるで理解できなかった光景が頭から離れない。
早く
「あっぶね……。ったく鎮 のヤロー」
足を滑らせ、バランスを崩した渉 が舌打ちをした。
おぞましい霧も神々しい光も。
キランと名乗る墨染衣の男も、あの少女も。
そして、鎮 も。
鎮 が”術”を使うことは知っているし、実際に唱え、発動させるのを見聞きはしてきた。
助けられたこともある。
興味深くはあるが、嫌悪感を抱 いたことなど一度もない。
だが、今日のそれは、もはや超常現象だ。
理解が追い付かない。
いっそ催眠術でも掛けられて、夢を見たのだと思ったほうが納得できる。
とりあえず、さっきの超常現象のなかでも、一番「訳がわかる」のは鎮 だ。
だから、渉 は友人に八つ当たりをせずにはいられない。
「アイツ、人間じゃねぇな。ダチを見捨てて女とさっさと行っちまうなんて、ほんっとオニだな」
「見捨てたわけちゃうやろ」
慣れた様子で、とっくに崖を登りきっていた煌 が渉 に手を差し出し、引っ張り上げた。
「
「オマエはほんっとうに鎮 びいきだな。しかもあの場所、知ってたな?」
細かい砂利敷きの、整地された小径 に戻った渉 は、ほっとしながら手についた泥を払う。
「中学のときから来とったからな。あの湖岸で、術を教えてもうてたんやで。せやけど、洞穴のことは気ぃつけへんかった。……あれやな、あの鳥居と同じで秋鹿 さん、隠しとったんやなぁ」
「さっきから秋鹿
「うーん。……年上やし」
「オレのがさらに上じゃねぇか。オレに敬語なんか使ったことねぇだろ」
「渉 は最初から同学年やったし。それに、ほんまに世話になってん」
「へーぇ?術を教えてもらうのって、そんな手間なのかよ」
「それだけやなしに、実家が秋鹿 さんとこと取引してるし……」
(あ、この顔は……。これ以上はダメか)
口を引き結んだ煌 を見て、追及を諦めた渉 は崖をのぞき込んだ。
「ほら置いてくぞ、急げよ」
「いや、あの、ちょっと、タスケテ……」
息も絶え絶えとなった槐 が、よろよろと手を伸ばす。
「遅ぇよ」
「あり、ありがと」
渉 に引き上げられた槐 が、その勢いのまま顔を寄せて匂いを嗅いだ。
「別にクサくないけどなぁ……。むしろいい匂いがする」
「ああ”?」
渉 の凶悪顔に、槐 はピョンと跳ねて距離を取る。
「いやほら、キツイって言われてたからさ、なんでかなーって」
「何日もフロ入らねぇで、へーきでいるオマエじゃねんだから」
とは言うものの、渉 も上着の襟 を摘 まんで、鼻を寄せた。
「和服っぽい?の着てたし、旧家のお嬢様とかなのかな。……光ってたけど。渉 の異国顔が嫌なのかな。それとも嘘くさい笑顔、ってかチャラい雰囲気に拒否感あるとか。小学生、よりちょっと大きかった?あのくらいの年の女の子って、いったぁ!」
尻に重い蹴りを食らった槐 の体がのけぞる。
「テッメェ。黙って聞いてりゃ、ずいぶん言ってくれんじゃねぇか。普段オレのこと、そんなふうに思ってたのかよっ」
「見慣れてなきゃ、そんなもんかもしれないじゃない」
痛む尻を押さえて、槐 が涙目で渉 を見上げた。
「僕だって、かなり言われてきたし」
「嘘くさいとかチャラいとか、それはただの
「残念、東雲 ですぅ。その顔でナンパしまくってる渉 に言われたくありませんー」
「顔面はオマエだって便利に使ってるじゃねえか。新歓でもきゃいきゃい言われて、手ぇ振ってたくせに」
「一応、儀礼としてね。でも、本質を見ない誉め言葉なんて、貶 されてるのと同じだよ」
槐 の皮肉な笑顔に、煌 の目が丸くなる。
「槐 がめっちゃ賢そうなこと言うてる」
「どんだけ僕が馬鹿だと思ってるの?」
「俺と同じくらい?」
「高校で留年の危機にあった煌 と?うっわ、サイアク」
「いやいや、帰宅部のオマエと比べてやんなよ。煌 は剣道疲れを回復するために、授業出てたんだから」
「それって、かばってくれてるつもりなん?ダメージのほうが大きいで」
「ほぼ寝てるもんね」
「まあ、否定はでけへんけど。ほれ、いつまでもこんなとこにおれへんで、早よ行こうや」
歩き出そうとして、振り返った煌 が思わず吹き出した。
「すごい顔してるな、渉 。自分のこと、ちやほやせぇへん女の子がおったの、そないに不満なん?」
「そうじゃねぇけど」
渉 の顔には、「不満ではないが不本意である」と書いてある。
「はははっ、まあ、しゃあないんちゃう?普通の子ちゃうんだし。鎮 が懐いてる子やからな」
「懐いてる。……そっか、それがぴったりだ」
「ぴったり?」
訝 しそうに、渉 が槐 を見下ろした。
「だって、あんな年下の、あんな不思議な子だよ?なのに、すっごく嬉しそうにしてたから、鎮 」
「あー」
渉 もその姿はちらりとしか確認していないが、「あの少女」は十一、二歳くらいだろうか。
市松人形のような、さらさらとした長い黒髪。
かわいくないわけではなかったが、少しバランスが悪いと思えるほどの、大きな黒水晶の瞳。
「ま、ふつーじゃねぇよな。いろいろ光ってんだし、飛ぶんだし、……アイツが懐いてんだし」
(飛ぶってなんだよ)
「何がキツイんだろうね」
眉間にしわを寄せた渉 が、槐 のセリフでさらにしかめっ面になる。
「まだ言うのかよっ」
「いや、大事やろ。俺らだって、そう言われる可能性大なんやぞ。ほんなら帰れって言われるのは、こっちやんけ」
「だね。あの様子じゃ、あの子のほうが大事そうだよね、鎮 は。……そんな相手がいたんだなぁ」
「そんなって、やっぱカノジョなんかいな」
「ロリコンだったとはなぁ」
やっといつもの余裕を取り戻した渉 が片頬で笑ってみせた。
「どうりで、同年代にキョーミ示さねぇと思ったよ」
「えー、ロリコン……。鎮 が……」
「ああ見えて案外、俺らと同じ年くらいかもわかれへんし」
「オマエはほんっとに鎮 をかばうな」
異常事態であることも、何かとんでもない危険が迫っていることも、わかっている。
だからこそ鎮 がいるはずのヴィラへと向かった。
必死に体を動かしながらも、まるで理解できなかった光景が頭から離れない。
早く
日常
に戻りたいと気は焦るが、とにかく足場が悪いのと斜面が急なのとで、イラつくほど時間がかかってしまう。「あっぶね……。ったく
足を滑らせ、バランスを崩した
おぞましい霧も神々しい光も。
キランと名乗る墨染衣の男も、あの少女も。
そして、
助けられたこともある。
興味深くはあるが、嫌悪感を
だが、今日のそれは、もはや超常現象だ。
理解が追い付かない。
いっそ催眠術でも掛けられて、夢を見たのだと思ったほうが納得できる。
とりあえず、さっきの超常現象のなかでも、一番「訳がわかる」のは
だから、
「アイツ、人間じゃねぇな。ダチを見捨てて女とさっさと行っちまうなんて、ほんっとオニだな」
「見捨てたわけちゃうやろ」
慣れた様子で、とっくに崖を登りきっていた
「
あの人
の治療を優先しただけやろ」「オマエはほんっとうに
細かい砂利敷きの、整地された
「中学のときから来とったからな。あの湖岸で、術を教えてもうてたんやで。せやけど、洞穴のことは気ぃつけへんかった。……あれやな、あの鳥居と同じで
「さっきから
さん
に戻ってんぜ。中坊んときはともかく、今は同級生だろ」「うーん。……年上やし」
「オレのがさらに上じゃねぇか。オレに敬語なんか使ったことねぇだろ」
「
「へーぇ?術を教えてもらうのって、そんな手間なのかよ」
「それだけやなしに、実家が
(あ、この顔は……。これ以上はダメか)
口を引き結んだ
「ほら置いてくぞ、急げよ」
「いや、あの、ちょっと、タスケテ……」
息も絶え絶えとなった
「遅ぇよ」
「あり、ありがと」
「別にクサくないけどなぁ……。むしろいい匂いがする」
「ああ”?」
「いやほら、キツイって言われてたからさ、なんでかなーって」
「何日もフロ入らねぇで、へーきでいるオマエじゃねんだから」
とは言うものの、
「和服っぽい?の着てたし、旧家のお嬢様とかなのかな。……光ってたけど。
尻に重い蹴りを食らった
「テッメェ。黙って聞いてりゃ、ずいぶん言ってくれんじゃねぇか。普段オレのこと、そんなふうに思ってたのかよっ」
「見慣れてなきゃ、そんなもんかもしれないじゃない」
痛む尻を押さえて、
「僕だって、かなり言われてきたし」
「嘘くさいとかチャラいとか、それはただの
オレへの
悪口っ。だいたい、異国顔とかブーメランだろ。オレは半分日本人だけど、オマエは日本の血なんか入ってねぇだろ」「残念、
「顔面はオマエだって便利に使ってるじゃねえか。新歓でもきゃいきゃい言われて、手ぇ振ってたくせに」
「一応、儀礼としてね。でも、本質を見ない誉め言葉なんて、
「
「どんだけ僕が馬鹿だと思ってるの?」
「俺と同じくらい?」
「高校で留年の危機にあった
「いやいや、帰宅部のオマエと比べてやんなよ。
「それって、かばってくれてるつもりなん?ダメージのほうが大きいで」
「ほぼ寝てるもんね」
「まあ、否定はでけへんけど。ほれ、いつまでもこんなとこにおれへんで、早よ行こうや」
歩き出そうとして、振り返った
「すごい顔してるな、
「そうじゃねぇけど」
「はははっ、まあ、しゃあないんちゃう?普通の子ちゃうんだし。
キツイ
も、普通の理由ちゃう思うで。なんつっても、「懐いてる。……そっか、それがぴったりだ」
「ぴったり?」
「だって、あんな年下の、あんな不思議な子だよ?なのに、すっごく嬉しそうにしてたから、
「あー」
市松人形のような、さらさらとした長い黒髪。
かわいくないわけではなかったが、少しバランスが悪いと思えるほどの、大きな黒水晶の瞳。
「ま、ふつーじゃねぇよな。いろいろ光ってんだし、飛ぶんだし、……アイツが懐いてんだし」
(飛ぶってなんだよ)
「何がキツイんだろうね」
眉間にしわを寄せた
「まだ言うのかよっ」
「いや、大事やろ。俺らだって、そう言われる可能性大なんやぞ。ほんなら帰れって言われるのは、こっちやんけ」
「だね。あの様子じゃ、あの子のほうが大事そうだよね、
「そんなって、やっぱカノジョなんかいな」
「ロリコンだったとはなぁ」
やっといつもの余裕を取り戻した
「どうりで、同年代にキョーミ示さねぇと思ったよ」
「えー、ロリコン……。
「ああ見えて案外、俺らと同じ年くらいかもわかれへんし」
「オマエはほんっとに
異常事態であることも、何かとんでもない危険が迫っていることも、わかっている。
だからこそ
いつものように
バカ話を続けながら、仲間たちは