回る因果-3-
文字数 2,421文字
違い棚に置かれた香炉も、床の間に飾られた生け花もその水盤も。
すべてに気遣いの行き届いた小粋な料亭の個室で、燎 はじりじりとしながら出入り口を見つめている。
「お客様のご到着でございます」
落ち着いた声とともに、すらりとした指が襖 を開けた。
美しい所作で頭を下げる仲居の後ろから、おそろいかと思うようなスーツを着た弟と秋鹿 が入ってくる。
外見はまったく似ていないふたりなのに、雰囲気はまるで兄弟のようで。
(……なんやねん。そのカッコ。双子コーデみたいやん。……アホらしい)
「こんなとこ、来たことない」
不機嫌そうな燎 にも気づかず、煌 はそっと秋鹿 に身を寄せる。
「大丈夫、楽しみにしておいで。コンペを勝ち抜いた店だけあって、いい料理を出すんだ」
「秋鹿 さんの隣に座ってもええ?……なんか不安やし」
「……いいよ」
「アンタ、なんでそっち行くねん」
秋鹿 の指示で、仲居が漆塗りの折敷 を移動させている間、燎 はじっとりと煌 をにらんでいた。
「先ほどは失礼いたしました。煌 君とは、
真正面に座って頭を下げる秋鹿 に、燎 の胸がチリリと焼ける。
「友人?先輩、後輩ではなく?煌 がめっちゃお世話になったて聞いてるけど」
秋鹿 を観察しながら、燎 は優等生の笑顔で小首を傾げた。
「弟にごっつ親切にしてくれたみたいで、ありがとうございます。ウチが生徒会みたいなややこしいことしてるさかい、正面切ってかばうワケにもいけへんし」
「かばえばいいじゃないですか」
「え?」
「大切な
「そやかて、相手は澤瀉屋 とも取引が、」
「そんなことは大人の問題です」
むきになった燎 を、1ミリも表情を動かさない秋鹿 がさえぎる。
「あなたのご両親は、子供に我慢を強 いる付き合いを、良しとするような方たちではないでしょう」
「!」
「子供が気を回し過ぎても」
「浅知恵って言いたいワケ?!」
「これ、燎 !」
漆塗りの卓を力任せに叩いた娘の手を、母親がさっと握った。
「お行儀の悪い。……ところで、さっきから何の話してるん?煌 をかばうって、何のこと?」
「あ」
「そ、れは、その……」
気まずげに目配せをし合う姉弟を見て、岸本の眉間にシワが寄る。
「……竹之井のとこの跡取りのことか?まだ、いちゃもんつけられてるんか」
「まだ?」
聞き咎 めた養父が身を乗り出した。
「何があってん?」
「ぼんから口止めされとったさかい言われへんかってんけど、竹之井茶寮 の三男坊が」
「岸本さん!」
「コンペティションでは、竹之井茶寮 は惜しかったですね」
眼鏡のブリッジに指を当て位置を調整した高梁 が、隣に座る秋鹿 を見下ろした。
「そうですか?高慢さが端々に感じられて、好きにはなれませんでした。もてなしも味のうちでしょう。……第一」
淡く首を傾けて薄く笑う秋鹿 に、燎 の背はぞくりと震える。
(この人、ウチと同じ中学生やろか)
「こんなガキを審査に加えるなんて、AIKAの社長は相当の親バカだ。このガキの機嫌を取っておけば楽勝だろう、なんて考える人が仕切る店なんて、信用できない」
「相変わらずの地獄耳ですね」
「高梁 さん、コンペのあと捕まっていましたね。……お子さまランチをやっているような安い店じゃなくて申し訳ない、ぐらい言っていましたか?」
「本当に地獄耳ですね」
「あの……。もしかして、竹之井さんが言うとった”いけ好けへん東京の取引先”って」
「うちでしょう。……取引なんかしませんけど」
「弊社でしょう。本社は東京ではありませんが」
目を白黒させる養父に、秋鹿 と高梁 が声をそろえた。
「ほな上客の相手で、せわしなくなるさかいと、うちとの契約を打ち切ったのに、また打診してきたのって」
「お受けになったのですか?」
目つきが鋭くさせた高梁 に、養父が慌てて手を横に振る。
「いえ、うちも新しいお相手と商売を始める予定ですさかいと、お断りしました」
「それはよかった」
高梁 が、脇に置いたバッグから書類一式を取り出して、ペラリと一枚めくった。
「お任せする和風サロンでは、テイクアウトの和菓子もご用意していただきたい、というのはお話したとおりですが、そこを皮切りに、AIKAオリジナルの贈答用品のラインナップにも、加わっていただく予定です。ゆくゆくは、関東圏へ進出することも踏まえての契約になりますが……」
急に難しい話をしだした大人たちの横で、燎 はじっと弟と秋鹿 の様子をうかがう。
「竹之井さん、そんなんになっとったんやな」
煌 が体を寄せて秋鹿 に囁 きかけた。
「もう絡んだりしてはこないだろう。沢潟屋 との付き合いは切れたんだから、向こうが笠に着るものはなくなった」
「せやけど……」
茶寮 は老舗の高級料亭。
取引先は多岐にわたり、取り巻きたちも、そのつながりがある家の息子たちも多い。
「煌 」
背中にじんわりと広がるぬくもりを感じて、煌 は目を上げる。
「俺はね、本当に嬉しかったんだ。コンタクトを探してくれたことも何もかも。大きな傷を乗り越えてなお、煌 は優しい」
背中に残るヤケド痕の辺りを、秋鹿 の手が労 わるように擦 った。
(風呂に入ったとき、なんも言われへんかったのに……)
気持ちの悪い傷跡を、見ないふりをしてくれたのだと思い込んでいた煌 の胸が、ぎゅっと詰まる。
「……怪我したときのことなんか、覚えてへんもん……」
「覚えてなくても、魂には刻まれている。強い魂には炎が宿ると言っていた。その名前のとおり」
浅くなっていく呼吸を繰り返しながら、煌 はじっと秋鹿 を見つめる。
この傷について話したことはないのに、何もかも知られているようだ。
「煌 、いい名前だ。……その傷も誇っていい。気持ち悪くなんかない。その名を付けてくれた人の想いともにある、煌 が戦い抜いた証 だ」
秋鹿 の笑顔が、こぼれ落ちそうな涙をこらえる煌 の瞳の中で揺れるている。
まっすぐに秋鹿 を見上げる煌 を前に、燎 は無言でその唇に歯を立てた。
すべてに気遣いの行き届いた小粋な料亭の個室で、
「お客様のご到着でございます」
落ち着いた声とともに、すらりとした指が
美しい所作で頭を下げる仲居の後ろから、おそろいかと思うようなスーツを着た弟と
外見はまったく似ていないふたりなのに、雰囲気はまるで兄弟のようで。
(……なんやねん。そのカッコ。双子コーデみたいやん。……アホらしい)
「こんなとこ、来たことない」
不機嫌そうな
「大丈夫、楽しみにしておいで。コンペを勝ち抜いた店だけあって、いい料理を出すんだ」
「
「……いいよ」
「アンタ、なんでそっち行くねん」
「先ほどは失礼いたしました。
友人として
仲良くさせていただいています」真正面に座って頭を下げる
「友人?先輩、後輩ではなく?
「弟にごっつ親切にしてくれたみたいで、ありがとうございます。ウチが生徒会みたいなややこしいことしてるさかい、正面切ってかばうワケにもいけへんし」
「かばえばいいじゃないですか」
「え?」
「大切な
家族
ならば、かばえばいいでしょう」「そやかて、相手は
「そんなことは大人の問題です」
むきになった
「あなたのご両親は、子供に我慢を
「!」
「子供が気を回し過ぎても」
「浅知恵って言いたいワケ?!」
「これ、
漆塗りの卓を力任せに叩いた娘の手を、母親がさっと握った。
「お行儀の悪い。……ところで、さっきから何の話してるん?
「あ」
「そ、れは、その……」
気まずげに目配せをし合う姉弟を見て、岸本の眉間にシワが寄る。
「……竹之井のとこの跡取りのことか?まだ、いちゃもんつけられてるんか」
「まだ?」
聞き
「何があってん?」
「ぼんから口止めされとったさかい言われへんかってんけど、竹之井
「岸本さん!」
「コンペティションでは、竹之井
眼鏡のブリッジに指を当て位置を調整した
「そうですか?高慢さが端々に感じられて、好きにはなれませんでした。もてなしも味のうちでしょう。……第一」
淡く首を傾けて薄く笑う
(この人、ウチと同じ中学生やろか)
「こんなガキを審査に加えるなんて、AIKAの社長は相当の親バカだ。このガキの機嫌を取っておけば楽勝だろう、なんて考える人が仕切る店なんて、信用できない」
「相変わらずの地獄耳ですね」
「
「本当に地獄耳ですね」
「あの……。もしかして、竹之井さんが言うとった”いけ好けへん東京の取引先”って」
「うちでしょう。……取引なんかしませんけど」
「弊社でしょう。本社は東京ではありませんが」
目を白黒させる養父に、
「ほな上客の相手で、せわしなくなるさかいと、うちとの契約を打ち切ったのに、また打診してきたのって」
「お受けになったのですか?」
目つきが鋭くさせた
「いえ、うちも新しいお相手と商売を始める予定ですさかいと、お断りしました」
「それはよかった」
「お任せする和風サロンでは、テイクアウトの和菓子もご用意していただきたい、というのはお話したとおりですが、そこを皮切りに、AIKAオリジナルの贈答用品のラインナップにも、加わっていただく予定です。ゆくゆくは、関東圏へ進出することも踏まえての契約になりますが……」
急に難しい話をしだした大人たちの横で、
「竹之井さん、そんなんになっとったんやな」
「もう絡んだりしてはこないだろう。
「せやけど……」
あの上級生
の実家、竹之井取引先は多岐にわたり、取り巻きたちも、そのつながりがある家の息子たちも多い。
「
背中にじんわりと広がるぬくもりを感じて、
「俺はね、本当に嬉しかったんだ。コンタクトを探してくれたことも何もかも。大きな傷を乗り越えてなお、
背中に残るヤケド痕の辺りを、
(風呂に入ったとき、なんも言われへんかったのに……)
気持ちの悪い傷跡を、見ないふりをしてくれたのだと思い込んでいた
「……怪我したときのことなんか、覚えてへんもん……」
「覚えてなくても、魂には刻まれている。強い魂には炎が宿ると言っていた。その名前のとおり」
浅くなっていく呼吸を繰り返しながら、
この傷について話したことはないのに、何もかも知られているようだ。
「
まっすぐに