追憶のひと

文字数 3,582文字

 金の八咫烏(ヤタガラス)が、神職姿の男の目の前で紅玉(こうぎょく)の肩に舞い降りた。
「はっは~ん?こいつ、オレのことが見えてねえな。……似てんのに」
「キミたちみたいな若い子が、こんな時間にどうしてこんなところに?あ、さっきすごい音がしてたよね。キミたちのところも土石流があった?」
「え、見えていない?それは残念ですねえ。……似ておられますのに」
 月兎(げつと)が若者の視界に入るように、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。
 だが、若者の視線はただ紅玉に向けられるばかりで。
「無事に避難できてよかったね」
 紅玉(こうぎょく)の口元が懐かしそうに緩んだのを見て、無邪気に笑っていた若者の頬がぱっと赤くなった。
「えっと、あの……」
 無言で見つめ合う若者と紅玉(こうぎょく)の間を、夜明けの風が吹き抜けていく。
 紅玉(こうぎょく)の長い黒髪が舞い上がり、それを目で追った若者が手を伸ばそうとした、そのとき。
「もとあきくんは大事ないか」
「あ、はい」
 我に返った「もとあき」が、慌てて手を下ろして(のぞむ)に向き直る。
斉宮(いつき)さんもお怪我などはありませんか?……でも、なんで僕たちはこんなところにいるんでしょうか。斉宮(いつき)さんが連れてきてくださったんでしたっけ?……あ!今回はコテージのほうがやられたんだ。……この辺の地盤、相当緩んでるんですかねぇ」
 昇り始めた朝日に照らされたヴィラの残骸を見て、「もとあき」が顔をしかめた。
「キミたちはあそこに泊ってたの?……それにしても」
 紅玉(こうぎょく)に目を戻して、しみじみといった様子で「もとあき」はあごに指を当てる。
「変わった恰好をしてるねぇ。レイヤーさんたちのオフ会?ああ、でも、せっかくの着物が泥だらけだ。よく似合っているのに」
「ふふっ」
「え、なに?何か変なこと言った?」
「いえ、ごめんなさい。よく似た人が知り合いにいるものだから」
 朝を迎えた墓所の周りを見れば、木々は折れ、土砂が積み上がり、まるで嵐が去ったあとのようだ。
 だというのに、どこまでものんびりとした「もとあき」に、蒼玉(そうぎょく)が、そっぽを向く。
「本当ですね。……どうにも頓珍漢なことをよくおっしゃる方でした」
「え、なんで知ってるの?空気読めって、よく指摘されるんだけどさぁ」
 「もとあき」は一歩、蒼玉(そうぎょく)に近づくと、腰を落としてその顔をのぞき込んだ。
「……あれ、キミともどこかで会ってる?……どこでだっけ……。ごめんね、思い出せなくて。でも、こんなかわいい()たちを忘れるかなぁ。……ご、ごめん!」
 蒼玉(そうぎょく)の肩を抱いて引き寄せ、能面顔で見下ろしてくる(まもる)に、「もとあき」が引きつり笑いをする。
「不躾だったね」
「もとあきくん」
「はい」
「彼は私の甥なんだ」
「ああ、そうなんですか。……。……。ええええええっ!」
「大丈夫か?コイツ。さすがに鈍すぎじゃねぇか?」
駿河(するが)様にそっくりですのにねぇ。大体、見えもしないのだから話にならない」
 金烏(きんう)が呆れて首を傾げると、月兎(げつと)も残念そうに肩をすくめた。
「ご親族がいらっしゃったのですか!……う~ん、”孤高のイケオジ”とか呼んでる巫女さんたちに、教えてあげなきゃ」
「話はあとにして、とりあえず神社へ案内を」
「わかりました。じゃあ、ついてきてくれるかな」
 歩き出そうと振り返った「もとあき」に、(まもる)が首を横に振る。
「まだ友人がいます。……それに、社務所は埋まってしまったと聞いていますが」
「住居部分の大半は無事だ。どのみち、その恰好では帰れないだろう」
「彼は……。病院に連れていったほうがいい感じ?」
 (のぞむ)と「もとあき」が、墓石の前に横になったまま動かない(しょう)に首を向けた。
「寝ているだけだから、私が起こしてこよう」
 にっと笑って、紅玉(こうぎょく)(まもる)に目配せをする。
『私の術で眠らせたからね』
「待っていていただけますか、叔父、さん」
 ぎくしゃくと呼びかけた(まもる)に、(のぞむ)もまた、ぎこちなくうなずき返した。

 意識のない(しょう)をその膝に抱えた(えんじゅ)が、おろおろと友人たちを迎える。
「あのさあ、もおさあ、心細いからさあ、僕ひとり置いていくの、止めてよねっ」
 (まもる)が黙って(しょう)を指さすと、(えんじゅ)は噛みつきそうな顔になった。
「こんなパニクって伸びてるヤツがなんの役に立つのさ!(あきら)もさっ、肝心なときに、(まもる)の言いつけ無視してさ !」

 夢なのか現実なのかもわからない状況に放り込まれ、逃げることも身を守ることもできずに。
 ならば、いっそ何の能力もなければいいのに、持ってしまった「視える」目で、おぞましいモノと友人が戦う様子をただ見ているしかなかった。
 自分だって、できるなら(しょう)のように、(わめ)いて走り出したかったのに。
 気を失ってしまいたかったのに。

「……あとでちゃんと説明してよね」
 友人たちにくっついてきた「もとあき」をちらりと見てから、(えんじゅ)はぎりぎりまで声を絞る。
「虎も、いつのまにか消えちゃったんだよ」
『白虎のアーユスも、さすがにもう限界だからね。青龍、あたしは紅玉(こうぎょく)蒼玉(そうぎょく)の姉だよ。天空(アカシャ)や妹から聞いているとは思うけれど』
 アーユスで自己紹介を受けた(えんじゅ)が、複雑そうな顔でうなずく。
『叔父さんの神社に行こう』
「……ふーぅん……」
 (えんじゅ)はぽつんと離れた所にいる、宮司姿の男にちらりと目を向けた。

 あの醜悪な蛇が、(まもる)の叔父だったとは。
 あの壮絶な光と闇のせめぎ合いの末に何があったのか。

 (まもる)と叔父の(ただ)ならぬ関係を、なんとなく察した(えんじゅ)の目が細められる。
「姉上」
 蒼玉(そうぎょく)紅玉(こうぎょく)(うなが)したとき、背後からのんびりとした声が聞こえてきた。
「姉上?時代劇みたいだねぇ。コスプレに合わせてるの?それとも、普段からそう呼んでるの?ふたりは旧家のお嬢様なのかな。そういえば、何となく(みやび)やかな雰囲気があるもんね」
 「もとあき」からしげしげと眺められた蒼玉(そうぎょく)が、若干うんざりとした迷惑そうな顔をしている。
 その横で、紅玉(こうぎょく)がくすりと笑った。
「起きてもらうから、少し待っていてください。もとあき、さん」
 紅玉(こうぎょく)から名前を呼ばれた「もとあき」の顔がさっと赤くなる。
「さて」
 紅玉(こうぎょく)は、いまだ目の覚めない(しょう)に覆いかぶさるようにして、その耳元に口を寄せた。
「えっ?」
 その肩を「もとあき」に押さえられて、紅玉(こうぎょく)が振り返る。
「起こすって、キスでもするの?彼は王子様?それとも君のカレシ?」
『きす?おうじ?かれし?……彼は何が不満なの?』
 紅玉(こうぎょく)からアーユスで問われた蒼玉(そうぎょく)がため息をついた。
「もとあきさま、姉は口付けをしようとしたわけではありません」
「もとあき“さま”?!」
 目を丸くした「もとあき」が、大げさに手を横に振る。
「そんな敬称いらないよ。僕はそんな偉い人間じゃないから。……そう、なんだ。距離が近いからさ、驚いちゃって。耳でも引っ張って起こすの?」
「まあ、そんなとこです。起こさずに移動させるとなると、この長身の彼を、誰かが(かつ)がなくてはなりませんから。見逃してください」
「そうなんだ。……なら、僕に任せてもらおう。どういうわけだか力だけはあるんだよ、昔から。鍛えてるわけでもないんだけどねえ。なんか、その起こし方は、気分的、いや倫理的によろしくないっていうかさ」
 そう言うなり、「もとあき」はぐったりしている(しょう)の体に手を掛けると、本当に軽々と(かつ)ぎ上げてみせた。
「行こうか」
 米俵のように(しょう)を肩に乗せた「もとあき」が、悠々と歩き出していく。
「ああいうところもそっくりです」
 不機嫌そうな蒼玉(そうぎょく)の背中を、紅玉(こうぎょく)(なだ)めるように叩いた。
「力自慢だったからね、顕香(あきか)は」
「もう、その名の人はいませんよ、姉上。……月兎(げつと)、お疲れさま。あとでご褒美(ほうび)をあげます。……(かん)
「御意。(あるじ)によき眠りが訪れますように」
 蒼玉(そうぎょく)の腕輪が歌うように鳴らされれば、白ウサギの姿がすぅっと大地に吸い込まれていく。
金烏(きんう)も、覚醒していきなりの活躍、見事だったよ。(かん)
 紅玉(こうぎょく)の腕輪の響きとともに、金のカラスが朝日に溶けていった。
 (まもる)蒼玉(そうぎょく)の手を取り、「もとあき」について歩き出した。
『叔父さんは、どこまで見えていたのだろう』
『さあ』
 蒼玉(そうぎょく)がその手を握り返す。
『マートサリヤースラの縛合(サンガ)を解かれた今、暴れていたことすら、覚えているかどうか。……あの三又(みつまた)の中には、ほかの闇落ちした魂も、多く混ざっていたようだし』
『聞いてみないと、いけないかな』
『そうね、話をすることは必要でしょう。よくよく言い聞かせないと。和解が成ったとはいえ、二度と(まもる)に悪さをしないように』
 (まもる)がくいと蒼玉(そうぎょく)の手を引くと、ふたりの距離がより近くなった。
『大丈夫だと思うよ。蒼玉(そうぎょく)も、それはわかっているんだろう?』
 肩を寄せてきた(まもる)を、蒼玉(そうぎょく)の大きな瞳が見上げる。
『ええ、完全に降参したみたいですね。それに、もしまだ抵抗するのなら、今度こそ、わたしが黄泉(よみ)送りにしてさしあげます』
『せめて母さんのところへ送ってあげて』
『それにはだいぶ善行を積まないと。……長生きしなくてはね、彼は』
 寄り添い歩き続ける(まもる)蒼玉(そうぎょく)には、同じような寂しげな笑顔が浮かんでいた。
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