相棒と友人たち-2-

文字数 4,827文字

 風が体の上を通り過ぎていく気配に、意識が浮上する。
「……ん」
 寝返りを打つと、硬く冷たい感触を頬に感じた。

(ここは……)

 さらに強く風が吹きつけて、前髪が揺れて頬をくすぐる。

(くすぐってぇ、……ってあれ?)

 寝ている場所が外だと気づいて、しっかりと目が覚めた。
 まぶたを開けると、誰かの靴先が目に飛び込んでくる。
「起きたか」
 頭上からの無愛想な声に慌てて上半身を起こせば、夕陽に照らされてオレンジに輝く、白髪(はくはつ)頭が横に立っていた。
「カバンはあとで渡す」
「え、カバン?……あ」
 言われてみれば、肩から下げていたカバンが、いつの間にかなくなっている。
 バロンを取り返そうと、ヤツラを追いかけたときに落としたのだろうか。

(そうだ、バロン!)

「バロン」
 白髪(はくはつ)の口から相棒の名前が出て、驚きに固まってしまった。
「深刻な怪我はしていないそうだ」
 ぶっきらぼうに言い放ち、白髪(はくはつ)はくるりと背を向けてしまう。
「おい、待てって」
 まるでこっちの声が聞こえていないかのように、白髪(はくはつ)が歩き去っていく。
「待てよ、待てって!……なぁ、どこに」
 そんなに早足でもないのに、不思議とその背中に追いつかない。
「なあっ」
 小走りになって、やっと肩をつかめると思ったときには、校門を出てしまっていた。
「お待ちしておりました」
 思いがけない大人の声に、伸ばした手を下ろして首を向けると。
 校門脇に停められた高級外車の前で、銀縁の眼鏡をかけたスーツ姿の男が、オレのカバンを手に立っている。
「は?え、あの」
 ひょろっちいガリ勉タイプに見えるのに、威圧感たっぷりだ。
「どうぞ、こちらを。……」
 ツカツカと近づいてきて、丁寧にカバンを手渡してきたスーツの目は、オレのTシャツから動かない。
 表情は変わらないけれど、言いたいことはわかる。
 今日選んだのは、白地の(すそ)に血をぶちまけたような赤のペイント、それから、真ん中には金で縁どられた黒のクロス。
 母親曰くの「また個性的なシャツ」だ。

(カッコいいと思うんだけど。……あ)

 最高に気に入っている一枚を見下ろせば、土埃で(つちぼこり)汚れている。
 慌てて(はた)いてみたが、汚れは広がる一方で。
 バタバタとTシャツを(はた)くオレの後ろから、外車の横に立った白髪(はくはつ)のつぶやきが聞こえてくる。
「好みと本質は違いますから」
 一瞬、オレに言ったのかと思ったが。
 白髪(はくはつ)の目は、オレにもスーツにも向けられていない。
嗜好(しこう)は、精神状態を反映している場合もあります」
 いつの間にか移動していたスーツが、上品な手つきで後部座席のドアを開けた。
 白髪(はくはつ)が外車に乗り込むのを待って、スーツは静かにドアを閉める。
 そして、今度は反対側のドアを開けて、促すようにオレを見た。
 ふたりの会話はわけがわからないし、この状況になんの説明もないし。
 いつもなら、とっとと帰ってる状況だけれど、バロンのことがある。
 それに何より、とにかくスーツの無言の圧がすごくて。
 オレは恐る恐る、白髪(はくはつ)が座る反対側の席に潜り込んだ。
 
 スーツが運転席に座り、エンジンをかける。
冬蔦(ふゆづた)くんのように、カモフラージュの場合もありそうですけれどね」
 謎な会話は車内でも続くようだ。
「あれこそ、ただの好みでしょう。……壊滅的に趣味が悪い。彼は自分で思うほど毒も持っていないし、不誠実でもない」
 白髪(はくはつ)は運転席に目も向けず、オレのほうも見ない。
 ずっと窓の外を見ていて、まるで独り言をつぶやいているみたいだ。
「そう、ですか」
「根は真面目な人間だと思います。それが、自分で嫌なんじゃないかな」
(まもる)さんのご覧になっている世界は、私の見ているものとは異なるんでしょうね」
「そう変わらないですよ、多分。人は複雑。未来は不確定。思いどおりになることなど、ひとつもありはしない」
「なるほど」
 滑るように外車を走らせたスーツが、小さな笑みを浮かべる。

(ずいぶん優しい顔で笑うんだな……)

「変わりませんね」
 バックミラーに映った柔らかな笑顔に呆けているうちに、外車はどんどんと速度を上げていった。


 戻ってきた高梁(たかはし)(まもる)を迎えた(しょう)(えんじゅ)は、ソファに座り込んだまま、口をぱかりと開けて固まった。
「は?」
「えぇっ?」
 そして、それは最後に部屋に入ってきた血みどろTシャツを着た少年も同じで。
「え、おまえらっていうか、おまえぇ?!なに制服着ちゃってんの?うちのガッコの生徒なわけ?」
 指を突きつけてくる血みどろTシャツに、(しょう)は曖昧な顔をして笑うしかない。
「あー、まーねー」
「そんな、だっておまえ、待って、ん?」
(まもる)さん、どのくらい時間が必要ですか?」
 互いに混乱する少年たちをリビングに残して、高梁(たかはし)は再びエプロンをつけてキッチンに立った。
「……そのシチューが温まるまでには。(あきら)
 同じようにダイニングで目を丸くしていた(あきら)が、忠犬のように(まもる)のそばに走り寄ってくる。
 (まもる)は呆然と立ち尽くす血みどろTシャツを振り返り、彼が室内を見渡せるように二、三歩横に移動した。
冬蔦(ふゆづた)はどうせ知っていると思うけれど、五百木(いおき)創二(そうじ)。うちの学校の三年で……」
 そこまで紹介すると、(まもる)(あきら)を見上げてゆっくりと首を傾ける。
「よく思い出して、(あきら)。犬を捨てると言ったのは、この五百木(いおき)創二(そうじ)だった?犬を蹴り飛ばしたのは?」
「……犬を蹴ったのは、このヒトちゃいます。あのなかで、妙にきっちり制服を着てたヤツでした」
 考え考え話す(あきら)を見守る(しょう)の目が、徐々に見開かれていった。
「ほかすって言うたのが誰やったのかは、覚えてまへん。せやけど、そういえば」
 (あきら)の強い視線が創二(そうじ)に向けられる。
「シュナウザーがジャケットで縛られたとき、やめろって言うとった……」
「ごめん、五百木(いおき)。ちょっとちゃんと話して。オレ聞くから」
 顔色を変えた(しょう)が立ち上がるのと同時に、創二(そうじ)の目からぽろりと涙が落ちた。
「オレが、悪かったんだ。キャリーに入れなかったから」
 
 泣きべそをかきながら話し続ける創二(そうじ)に、(しょう)が一歩、また一歩を近づいていく。
「オマエがドクズだったわけじゃなかったのかよ……」
「オレはドクズだよっ」
 涙でべとべとになった顔で創二(そうじ)が怒鳴った。
「バロンを守れなかった。なのに、お前にナイフ、っ!」
「当たり前だよ。そうなるように仕向けたんだから。(ののし)り言葉を並べて追い詰めたんだから。ごめん、オレ……」
「悪いのはオレだよ。おまえのこと怪我させなくて、よか、よかった……」
 とうとう声を上げて泣きだした創二(そうじ)に、(えんじゅ)も鼻をぐすぐすさせて、もらい泣きをする。
「そっかぁ、あのシュナウザー、ずっとイジメられてたわけじゃないんだ。ちゃんと可愛がられてたんだね。よかったぁ」
「そう、やったんや。先輩、すんませんでした。俺、さんざんなこと言うてもうて」
「おまえ悪く、ないよ。ありがと、バロン助けてくれて。あれ以上蹴られてたら、きっと……」
 しんとしたリビングに、創二(そうじ)(えんじゅ)の鼻をすする音がしばらく響いた。
「そうだ。オマエの怪我は?」
 肩を抱いたまま、ヘーゼルの瞳が創二(そうじ)をのぞき込む。
「怪我?」
「頭に石、当たってたろ?」
「石?」
 涙に頬を濡らしたまま、創二(そうじ)がキョトンと首を傾けたとき。
「シチューが温まりました」
 有無を言わせぬ声がキッチンから届いて、少年たちは一斉に高梁(たかはし)を振り返る。
(まもる)さん、五百木(いおき)君、手を洗ってきてください。三人は席について。好き嫌いなどはありませんね?アレルギーは?」
 厳しい監督官のような高梁(たかはし)を前にして、異議を唱える選択肢はなく。
 少年たちは素直にその指示に従った。


 食事が始まると、高梁(たかはし)は洗練された給仕で少年たちをもてなした。

「ロールパンとライムギパン、どちらになさいますか?」
「バターを使うならこちらに」
「炭酸水もございますので、ご要望があれば」

高梁(たかはし)さんって、執事さんなんですか?」
 ライムギパンをサーブされた(えんじゅ)が、無邪気に高梁(たかはし)を見上げる。
「いいえ、違いますよ。私は(まもる)さんのお父様の秘書です。シチューのお代わりはいかがですか?」

――それ以上、自分に関する質問には答えない――
 
 高梁(たかはし)の目の奥に拒絶を見て、これ以上の深追いはムリだと(えんじゅ)は理解する。
「いえ、僕はもうこれで」
「そうですか。五百木(いおき)君はいかがですか?」
「お願いします。……あの、バロンが入院って」
 創二(そうじ)はそわそわと、お代わりの皿を高梁(たかはし)に差し出した。
「問題があるわけではなく、念のための検査入院だと思ってください。怪我がないといっても、高校生に思い切り蹴られたのですから」
「そう、ですか」
 ほぅっと息を吐いて、創二(そうじ)は膝に置いた手をきゅっと握る。
「あの、診察代は払います。バロンはオレの……」
 言葉を切ってうつむいた創二(そうじ)は、一瞬ののち、まっすぐに顔を上げた。
「オレの相棒、家族だから」
 その声色からは、どれほど「バロン」を大切に思っているかが伝わってくる。
「獣医に連れていったことは、秋鹿(あいか)(まもる)の指示です」
 創二(そうじ)の前にシチュー皿を置いた高梁(たかはし)の手が、その背中に添えられた。
「ですから、それにかかる費用をこちらが負担するのは、当然です。バロンが退院してきたあとの責任は、そちらにお返しいたします」
「……はい!ありがとうございます。でも、どうしてバロンの名前を?」
「ハーネスの裏側に刺繍(ししゅう)がありました」
刺繍(ししゅう)?」
「おや、ご存じなかったのですか?」
 高梁(たかはし)が、またあの意外に温かい微笑みを浮かべる。
「Little Baron ,Please be a good friend of my dear baby.(小さな男爵が、愛しい我が子の良き友人でありますように)」
 美しいキングスイングリッシュに、創二(そうじ)の息が止まった。
「愛されてんなぁ」
 隣に座る(しょう)創二(そうじ)を肘で(つつ)き、隣の(えんじゅ)とうなずき合った。
「なぁ、秋鹿(あいか)さん」
 ふたりの向かいに座る(あきら)が、(まもる)にすすっと体を寄せる。
「……呼び方。何?」
「えと、(まもる)高梁(たかはし)さん、何て?」
 すくい上げるような目をする(あきら)に、(まもる)がため息をついた。
「え、教えてくれへんの?なあ、秋鹿(あいか)さん」
「…………呼び方」
「オマエらホント仲いいんだな。……まあ、あれだ」
 くすくすと笑いながら、(しょう)創二(そうじ)の肩をポンと叩く。
「あのシュナウザーは、最初から創二(そうじ)の親友だったってことだよ」
高梁(たかはし)さん、そう言うたん?」
「おおよそ」
「具体的には?」
「しつこい。食べないなら下げてもらうぞ」
「食べる、食べます!」
「へーぇ。秋鹿(あいか)って、ずいぶんしゃべんだな。夏刈(なつがり)相手だから?オマエらって、学校じゃほとんどつるまねぇだろ。秘密の恋人かなんか?」
高梁(たかはし)さん、冬蔦(ふゆづた)が帰るそうです」
「かしこまりました」
 スーツのポケットから車のキーを取り出した高梁(たかはし)に、(しょう)の顔色が変わった。
「いや、冗談ですよ、冗談!……シチューおいしいなー。残したらもったいないなー」
「ぐ、ぐふっ。……(しょう)が手玉に取られてる」
「せや、えっと東雲(しののめ)やったっけ。英語得意やろ?高梁(たかはし)さん、さっきなんて言うたん?」
「あー、コイツ英語は赤点だぞ」
「え、金髪やのに?」
「髪色は関係ねぇだろ」
「いや、金髪いうたら英語やろ」
「偏見が過ぎる」
 ふはっと吹き出した(しょう)の前で、(あきら)はなにやら納得したように、しきりにうなずいている。
「まあ、誰でも得手不得手はあるもんな。金髪でも苦手やったら、俺が赤点でもしゃあないな!」
 ニシシと笑う(あきら)に、(えんじゅ)はすっかり毒気を抜かれてしまった。

(えーと、そんだけなんだ)

 たいがいの人間は、

で英語が不得意だと知ると、もう少し嫌味を言うなり、憐れんだりするものなのだが……。

夏刈(なつがり)くんも英語ニガテなの?」
(あきら)は苦手のレベルを超えてる」
「そ、アルファベット見ると蕁麻疹が出るんや」
「病気じゃん!」
「病気だな」
 初対面の印象は最悪だった秋鹿(あいか)とも、不思議と自然に会話ができて。
 この個性的な人間の集まる空間が、(えんじゅ)にはやけに心地よかった。

 わいわいと騒ぐ少年たちの声を聞きながら。
 うつむいた創二(そうじ)の目から二粒の涙が落ちて、制服のスラックスを濡らしていった。
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