逸材に出会う-1-

文字数 3,375文字

 耳がとらえたのは、アラームではなく呼び出し音。
 それが仕事用のスマートフォンのものだと気づいて、手探りでつかんだ画面に表示されている発信者が目に入ったとたんに、眠気など一瞬で吹き飛んでいった。
「おはようございます、社長。どうされましたか」
 部屋の電気をつけて確認すれば、時計は5時前を示している。
「非常識な時間にすまないね。……(まもる)のいるヴィラが土石流に巻き込まれて、倒壊したそうだ」
「……えっ?!それで(まもる)さんはっ?確か、ご友人たちと一緒だと」
「全員無事だと聞いている」
 
(あの子たちも無事なのか)

 すでに顔なじみとなっている、一癖も二癖もある若者たちの顔を思い浮かべて、胸の奥から安堵のため息をついた。
「お怪我などもなく?」
「そのようだね。高梁(たかはし)君、申し訳ないが、すぐに迎えに行ってもらえるだろうか」
「もちろんです。いまどちらに?ホテルのほうですか?それとも」

(怪我はないというのは、診察の結果か?)

 かつて訪れた病院を思い浮かべて、そこまでの最短ルートを頭に描く。
「……いや」
 一瞬の間があり、そこからためらいと戸惑いが伝わってくる。
 穏やかながら隙のない人の珍しい反応に、胸騒ぎを覚えた。
「神社にいるそうだ。斉宮(いつき)(のぞむ)さんから連絡があったんだ」
 微かなため息とともに告げられた名前に、今度はこちらの反応が(つか)の間遅れてしまう。
「……神社、ですか」
「私も耳を疑ったよ。声を聞いたのも久方ぶりだからね。最初は彼だとはわからなかった」
「しかし、(まもる)さんが好んでその場所に行くとも思えませんが」
「土石流だけではなく、何かがあったんだろう。おそらく、とても重要で重大なことがね。なにしろ(のぞむ)君から」
 社長がその人を「君」付けするのを初めて聞いて、そのままフリーズしてしまった。
「お義兄(にい)さんと呼ばれたのだから」
「え」
「何が起こっているのかはわからないけれど」
 穏やかな低い声からは、何を考え、思っているのかは伝わってこない。

 大体この上司は、MAX値で怒っていても話すトーンを変えないから、相手が気がついたときには、大惨事になっていることが多いのだ。
 幸い、自分がその憂き目にあったことはないが。

「最大限配慮してやって欲しい。(まもる)にも、(のぞむ)君にも」
「かしこまりました。すぐに行ってまいります。本日の予定ですが……」
 仕事の調整などは瞬殺だった。
「僕がやっておくよ」
 上司のこの一言さえあれば、問題など起こりようもない。

 唯一の心配事も片付いた今、あとは主人にどんな無茶ぶりをされても、応えられる準備を進めるだけ。

 熱いシャワーで全身の細胞を目覚めさせながら、主人に初めて会った、あの病院に行かなくてよいことだけは、心から神に感謝を捧げた。

(お会いしたあのときは包帯だらけで……)

 顔を上げれば、強い圧のシャワーに息が詰まりそうになる。

(大怪我を負っていたというのに、あの方は)

 静かな目をして自分を迎えた少年、それが全霊をかけて守ると決めた今の主人。
 その彼との縁の始まりが胸をよぎり、ほんの少し胸がざわついた。


 駅の券売機の前で、5,6歳の男の子が不安そうな顔で辺りを見回していた。
 2メートルほどトタトタと走っては辺りを見回し、また1メートルほど戻って、不安げな顔で通行人の顔を見上げている。

(……迷子か)

「お(にい)のメガネ顔って、サイアク」と、口の悪い妹に言われるまでもなく、自分の眼鏡が冷徹な印象を与えることは自覚している。
 だから、ジャケットのポケットに眼鏡をしまいながら、人波にもまれている小さな背中に近づいた。
 きょろきょろしている小さな肩に手を置きながら、その前に回ってしゃがみ込む。
「どしたー?探してるのは、誰かな?」
 はっと目を上げた男の子の眉が八の字に下がった、と思った次の瞬間。
「おか、おかあさ、おかあさぁん」
 小さな目からは涙をあふれさせて、男の子が泣き出した。
「お母さんとはぐれちゃった?それは大変だ。探さなくちゃね」
 立ち上がりながら手を差し出すと、そっと重ねられた小さな手がぎゅっとしがみついてくる。
 うつむいて、しゃくり上げてばかりいるから、母親が近くにいても気がつかないかもしれない。
「顔上げてないとお母さん見つからないぞ、ほら!」
「わああ!」
 怖がるかと少し心配もしたのだが。
 小さな脇に手を入れて肩車をしてやると、男の子から歓声が上がった。
「わああ、たかぁ~い!よくみえる!」
「お母さんがいたら、教えるんだぞ」
「うん!」
 そのまま、駅前交番のほうへと歩いていく。
「お母さん、いたか?」
「うーんと、うーんと。……あっ、おかあさんだ!おかーさん!」
「おっと、落っこちるぞ!」 
 はしゃいで手を振る男の子の動きに重心がぐらついて、慌てて小さな足を押さえた。

(ああ、やっぱり)

 男の子の視線を追えば、交番の前で警官と話し込んでいた女性が、焦った様子でこちらを指さしている。
 早足でそちらへ向かえば、涙を浮かべた女性が小走りで近付いてきた。
「もおっ、どこ行ってたの!」
「あのね、めずらしいでんしゃがね」
「電車なんていつでも見られるでしょうっ」
 腕の中に戻ってきた男の子をぎゅっと抱きしめながら、女性が険しい顔をする。
「好きなものがあるというのは大切なことですよ。電車が好きなんだ」
「うん!」
「でも、お母さんのほうが好きだろう?」
「うん!」
「じゃあ、お母さんから離れちゃダメだろう?」
「うん!」
 母親にしがみつきながら、男の子が(ゆる)みきった満面の笑み見せてくれた。
「本当にありがとうございました。あの、何かお礼を……」
「いえいえ、お気持ちだけで。会えてよかったですね。もう行かないと、大学の授業に遅れるので」
「えー、いいじゃん、おにいちゃん。おれい、されて?あのねぇ、いまからねぇ、おかあさんとケーキたべるんだよ!」
「ケーキお好きですか?お持ち帰りいただいて……」
「いえいえ」
「ご遠慮なさらず」

 遠慮なんか断じてしていない。
 そう伝えようにも、男の子は足にぶら下がって引き留めてくるし、目の前には前のめりになった母親が迫っているし。

 なんて似た者親子だ。
 これから大学に行くと言ったじゃないか。
 ケーキなんか持っていけるわけがないだろう。

「えーと、ですね」
「君は、吉沢ゼミの学生さんじゃないかな」
「え?」
 たじたじとしていると突然、背後からベルベットのような低い声がかけられた。
 男の子を足であやしながら振り返ると、舞台役者のような男性が微笑んでいる。
「そうですけれど、あの?」
「今日、吉沢先生から呼ばれている秋鹿(あいか)と申します。よろしければ、大学までご一緒しませんか?」
 
 そういえば、今日は教授の友人が客員として来ると言っていたな。
 ということは、この男性が例の……。

「申し訳ありませんが、この優秀な学生さんをお連れしてもよろしいですか?これから、私の講義を聞いていただく予定なのです」
「え~」
 不満そうな男の子を、頬を赤らめた母親が引き()がした。

 まあ、そうだろうな。
 教授の友人だという目の前の男性は、その声も雰囲気も。
 マダムキラー以外の何者でもない。

「あら、それじゃあお引止めできませんね。ほら、もう一度、お兄さんにお礼を言って」
「ありがと、おにいちゃん」
「どういたしまして。ちゃんとお礼が言えてエライエライ」
「うん、ぼくエライ!」
 鼻の穴をふくらませた、大変カワイイ顔をする男の子をなでながら母親に頭を下げる。
「では、失礼いたします。秋鹿(あいか)さん、のちほどまた学校で」
「行く場所は同じですから、私の車でご一緒しませんか?」
「いや、それは……」

 教授が経営学の客員として呼んだこの人は、「天下のAIKAグループ」のTOP。
 一介の学生がともに行動するなど、さすがに気後れしてしまう。

「何かのご縁です。それに、今から電車で移動なさると、時間が厳しいのでは?」
 慌ててスマートフォンで時間を確認すれば、指摘されたとおり。
 ホームまで走ったとしても、ぎりぎりの電車に乗れるかどうかという瀬戸際だった。
「こちらへどうぞ」
 教授の友人が示した、駅前の送迎用パーキングスペースに顔を向ければ、一目であの車だろうとわかる高級外車が停まっている。

(遅刻するわけにはいかないよな)

 遠慮と効率とを天秤にかけて、ここは素直にTOP経営者の好意に甘えることにした。
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