鎮を白虎の背に預ける
蒼玉に、
稀鸞が近づいてくる。
『闇穴はどうだった』
『まやかしでした。恐らく、マダースラが出るのと時を同じくして作られたのでしょう。……
アレ
は……』
三つの頭を激しく振り、身悶えしている蛇を
蒼玉が振り返った。
「アレは嫉妬の悪魔、マートサリヤースラね。
縛合になっているのは、
鎮の血族かしら」
「うん。……母さんの弟。叔父にあたる人」
無表情な
鎮の視線の先で、たちまち再生した
三又頭の六つの目が金と銀、そして赤へと変化していく。
「あんな男に
弄ばれて、可哀そうな
紗良」
「アイツが元凶なんだっ」
「ウラヤマシイネタマシイ憎らしいぃぃぃぃ」
「
鎮、お友達のところへ」
這いずる大蛇を横目に、
蒼玉が
鎮の背中をそっと押した。
『もうすぐあなたのアーユスは尽きてしまう。そうしたら、白虎を
還さなければならなくなる。その前に
月兎のところへ』
『でも、
蒼玉』
「戦うなら一緒だ」という想いを受け取った
蒼玉に、柔らかな笑みが浮かぶ。
『その気持ちだけで、わたしは強くなれる。いい子で待っていて。それに』
月兎の背後にいる三人を見やった
蒼玉が、微かなため息をついた。
『拒絶に恐怖、それから混乱。あんな感情に支配されたままでは、あの子たちが
闇鬼の
餌になってしまう』
『……そう、だね』
白ウサギの影にうずくまる友人たちを見れば、
鎮の胸はズキリと痛む。
土石流に巻き込まれてから、何の説明もできないまま、半ば強引に連れてきてしまった。
理知が勝るゆえにイレギュラーを処理しきれない
渉などは、あのままでは心を病んでしまうかもしれない。
『行ってあげて』
『わかった』
頬をなでる
蒼玉の手を取って。
その指先に唇を押し当てた
鎮は、白虎とともに仲間の元へと戻っていった。
その背を見送り、
蒼玉は
三又の悪魔の周りを八の字を描くように囲み飛ぶ。
『
天空、この再生の早さは異常です。何か理由があるはず』
蒼玉のアーユスが、マートサリヤースラの周囲に細かな網を張り巡らせた。
ひとつうなずき、不動明王中呪を唱え終わった
稀鸞が大きく息を吸う。
「オン・キリキリ」
稀鸞の声が夜の
静寂を震わせた。
『この
縛合の
妬心は強いものの、霊力はそれほど強くない。……まだもうひとつ、腹の奥のほうに……』
「オン・キリウン・キャクウン」
不動明王大呪を唱え終えた
稀鸞がさらに中呪を唱え、不動金縛りを完成させる。
そして、ぴくりとも動けなくなったマートサリヤースラに、
稀鸞は両手の平を向けた。
「オーム・ヴァクラトゥンダーヤ・ナマハ!」
「ぎひぃ、ぐぅぅぅ」
ヴァクラトゥンダの鼻で
捩じられるように拘束されて、マートサリヤースラが
呻く。
「ぎぃやぁぁぁぁ!」
三又蛇本体の背中を、
稀鸞の光太刀が深く切り裂いた。
「あああああ、ぎゃあああああ」
びたびたと尾を打ちつけて身もだえる悪魔の傷口に手をかけ、
蒼玉はその奥深くをのぞき込む。
『何かあります。……人?』
『引き上げられるか?』
『やってみます』
稀鸞の要請を受けた
蒼玉が、傷に手を突っ込み、粘液の
塊を引っ張り上げた。
(……人?若い男だ。
浅葱色の
袴……。神職か)
悪魔の背から引き出されたのは若い男。
鎮はその人物から目を離すことができない。
「あ!」
蒼玉が若者を抱え直した振動で、若者が握っていた札がその手から離れた。
『しまった』
手を伸ばすが、その札は
蒼玉の指をかすめて、悪魔の体内に吸い込まれていく。
「ははははあ!」
札を飲み込んだ傷口が縫い合わされるように塞がっていった。
「ああ、これで!邪魔するものがなくなったぁぁぁぁ!完璧だぁぁ」
『
月、まずその若者を安全な場所に』
光縄をより合わせる
稀鸞の指示に、若者を抱えた
蒼玉が悪魔から離れ、飛び去る。
「やれやれ、仕事が増えましたねぇ」
軽く肩をすくめる
月兎の足元に、
蒼玉は若者を横たえた。
「コレ、生かします?このままだと、カーラに飲まれて……」
「うう……」
チョイチョイと
月兎の足で突かれた若い神官が、顔をしかめながら寝返りを打つ。
「っ!」
『……
月兎』
喉を掻きむしるその顔を一目見て、
蒼玉は息を飲んだ。
「はい」
『この男を生かしておいて。わたしが戻るまで死なせないで』
「御意。
高天原 天津祝詞の
太祝詞 持ちかが
呑むでむ
祓ひ
賜ひ
清め
賜ふ」
稀鸞の元へ向かおうとして、
蒼玉は背中越しに振り返る。
『
随分と手を抜いたわね』
「死なせなければよいと」
『話せる程度に回復も』
「もー、なら、最初からそうおっしゃってください。我がまま……」
「消すわよ」
「ぎょ、御意っ!……
掛けまくも
畏き
伊邪那岐大神 筑紫の
日向の
橘の
小戸の
阿波岐原に
御禊祓へ
給ひし
時に
生り
坐せる
祓戸の
大神等」
その場でしばらく、早口の
祓い
詞に耳を傾けたのち。
『よろしい』
蒼玉は大地を蹴る。
「
諸諸の
禍事 罪 穢有らむをば
祓へ
給ひ
清め
給へと
白す
事を
聞こし
食せと
恐み
恐みも
白す」※2
「っうぅ。がはっ、かっ!」
若い神官がえずき、その口から泥水を固めたような黒い物体が吐き出されていった。
(この人……)
瞬きもせずに、
鎮は若者を凝視する。
(そっくりだ)
ゆっくりと目を開いていくその神職は、
蒼玉のアーユスで視た若武者に瓜二つだった。
※1
毘沙門天マントラ 勝利を願いエネルギーを与える
※2
祓詞