顕現する悪魔-嫉妬のマートサリヤースラ4-

文字数 2,738文字

 ヴァクラトゥンダの拘束もアーユスの網も。
 引きちぎりそうな勢いで、マートサリヤースラが膨張していく。
(カーラ)が異様に強まりましたね。あのすさまじい再生力では、三つの首を一度に落とさなくては』
 稀鸞(きらん)に並び浮かんだ蒼玉(そうぎょく)が、逃れようともがく悪魔を見て目を細めた。
『あの札は呪符だったのだろう。あの若者は、それを渡すまいとして飲み込まれたに違いない。……一気に片をつける』
「オーム・ヴァクラトゥンダーヤ」
 稀鸞(きらん)の唱えに、マートサリヤースラを縛する神が輝きを増していく。
 だが。
「ジャマだ!消えろっ、消えてしまえェェェェェ!」
 赤目の刃舌がアーユスの網を切り刻み、同時に金目と銀目が汚物と炎をヴァクラトゥンダ神に吹きかけた。
「!!」
 攻撃をまともに食らったヴァクラトゥンダが消え去ると、顕現させていた稀鸞(きらん)も跳ね飛ばされていく。
「アカシャ!……っ!!」
 蒼玉(そうぎょく)の意識が稀鸞(きらん)に奪われた、そのほんの一瞬。
 二股に分かれた尾の一本が、蒼玉(そうぎょく)に巻きついた。
「消えろっ、死ね、死んでしまえ!」
 
 ドスン!ビタン!

 何度も、何度も。
 蒼玉(そうぎょく)を巻き込んだまま、悪魔の尾が大地に打ちつけられる。
蒼玉(そうぎょく)!」
「お待ちくださいっ」
『待テ』
 飛び出そうとした(まもる)の服を、月兎(げつと)の手と白虎の牙がつかんだ。
『今、(ぬし)ノアーユスデハ我ヲ遣エナイ』
「大丈夫ですよ、ビャッコ様。(あるじ)に命の危機があれば、まずワタクシが消えるんですから」
 きっぱりと胸を張る月兎(げつと)に、(まもる)の眉の根が寄る。
「そ、うなの?」
「ええ。痛みも何もかも、ワタクシと半分こなのです」
「……オン・バザラ・タラマ・キリク・ソワカ」※1
「……ビャッコ様……」
 残り少ない(まもる)のアーユスを贈られた月兎(げつと)が、瞳を潤ませるその向こうで。
「ははっ、はははあ、ははははああああああっ!」
 蒼玉(そうぎょく)を大地に放り投げた悪魔が、その長い尾を高く振り上げた。

 ドスンっ!

「こざかしぃぃぃぃぃっ!」
 転がって攻撃をよけた蒼玉(そうぎょく)に、三又の悪魔が唾を飛ばして悔しがる。
「ほら、これならどうだ!ほら、ほらっ」
 (むち)のように振り下ろされる悪魔の尾に追われて、蒼玉(そうぎょく)は立ち上がることもできない。
「もう、やだ……、ムリ……」
 その様子を前に、(しょう)はブルブルと肩を震わせている。
 幼気(いたいけ)な少女が悪魔の尾を紙一重でよけるたびに、(しょう)のノドが「ひぃ」と鳴った。
(しょう)、落ち着いて」
「ムリ!いやだぁぁぁっ」
 (まもる)の手を払いのけた(しょう)が立ち上がり、駆け出していく。
 
 何が怖いのかもわからない。
 大蛇か、壮絶に戦い続ける少女か。
 それとも、その体から虎を出す友人か。
 見るもの、聞こえてくる音。
 この状況のすべてが、何ひとつ理解できない。

「別のネズミのニオイがするなぁぁぁあ」
 二股の尾を短剣で跳ね返した蒼玉(そうぎょく)に背を向け、マートサリヤースラが(しょう)に向かって跳ね飛んできた。
 いつの間にか、すべての首は再生されて、それぞれ舌なめずりを繰り返している。
「うわぁあっ!」
 足をもつれさせて転んだ(しょう)に、ありえないほど大きく口を開けた、赤目の顔が迫った。
「オン・バサラ・ヤキシュ・ウン!」※2
「ぎゃあっ!……くそぉっ、さっきから何度も何度も、何度も!」
 稀鸞(きらん)のマントラを唱える声と、悪魔の苛立った怒鳴り声。
 そして、(ムチ)が空気を切るような音が(しょう)の頭上をかすめる。
「!」
 (おお)いかぶさってきた何かに、(しょう)が恐る恐る目を開けると。
「……そ、ぎょ……く……?」
『あなたが傷つくと、(まもる)が悲しむの』
 長い黒髪が、怖いものすべてから守るように(しょう)の視界を塞いでいる。
「大丈夫ですよ」
 動くこともできない(しょう)の手を、蒼玉(そうぎょく)がなだめるように擦った。
「なん、で?……オレ、なんか、(かば)う価値、ない」
 瞳を揺らす(しょう)に微笑んだ蒼玉(そうぎょく)だが、すぐに真顔に戻り、その体を(かか)えて転がる。

 ドガっ、ザリザリザリ!

 いつの間にか先が剣山のような針で覆われた尾が、ふたりのすぐ横の地表を深く削っていった。
「おお、おおおおおお?」
 自ら掘った穴にはまった悪魔がもがき暴れる。
『玄武様、今のうちにお逃げください』 
 (しょう)を立ち上がらせて、蒼玉(そうぎょく)はその肩を押す。
(まもる)は、あなたのことを結構好きなんですよ。だから』

 シュリリリン!

「オーム・ナモー・バガヴァテー・アーンジャネーヤーヤ・マハーバラーヤ・スヴァーハー!」※3
 銀の腕輪が高らかに鳴って、七つのパドマから吹き出たアーユスが、蒼玉(そうぎょく)を包んでいった。
(まもる)が大切に思うあなたを、わたしは守ります』
 笑顔で(しょう)を振り返った蒼玉(そうぎょく)の足が、軽やかに大地を蹴る。
蒼玉(そうぎょく)!だめだよっ」
「お待ちくださいっ、ビャッコ様!」
 ほとばしるアーユスの異常さに、月兎(げつと)を振り切って(まもる)は走り出した。
蒼玉(そうぎょく)!」
『いい子で待っていなさいっ』
「俺はもう、守られるだけの子供じゃない!」
 手刀で赤目の頭を叩き斬る蒼玉(そうぎょく)を見上げ、(まもる)は怒鳴る。
「オン・ベイシラ・マンダ」※4
『ダメっ』
 銀目の顔を拳で叩き(つぶ)した蒼玉(そうぎょく)が、アーユスをたなびかせて(まもる)の元へと降りてきた。
『これ以上アーユスを使わないで。……命が尽きてしまう』
蒼玉(そうぎょく)こそ。そんなにアーユスを使ったら……。やっと会えたのに」
「きひっ、ひひひひ」
 すぐ近くから聞こえてきた(いや)しい(わら)い声に、(まもる)蒼玉(そうぎょく)が同時に振りむく。
「っ!」
 ふたりの視線の先で、長く伸びた金目の首が(しょう)に巻きついて、大きく口を開けていた。
「ノウマク・サンマンダバザラダン・カン!」※5
 素早く走り寄った蒼玉(そうぎょく)の手が、金目の脳天に突き立てられる。
『玄武様を早く!』
「させないよぉぉぉぉぉ~」
 顔半分をだらりと垂らした金目がニタニタと笑いながら、剣山の尾を振り上げた。
(しょう)、来い!」
 悪魔から引き離した(しょう)を抱えて走る、その(まもる)の背後から。
「ははっ、ざまあ~」
 歌うような悪魔の声に、思わず振り返った(まもる)はそのまま息を止めた。
 蒼玉(そうぎょく)の腹から突き出た悪魔の尾先が、のたのたと(うごめ)いている。
「そう……ぎょく?」
「立ち、止まらないで。行って……」
「やだ」
「おね、がい」
「いやだあ!」
 (しょう)から腕を離して蒼玉(そうぎょく)に走り寄ると、(まもる)は素手で針尾を(ねじ)り切った。
蒼玉(そうぎょく)っ、そおぎょくっ!」
 蒼玉(そうぎょく)の体がぐらりと傾き、(まもる)の腕のなかに倒れ込む。
「だいじょうぶよ、だいじょうぶ、だから」
 (まもる)を見上げた蒼玉(そうぎょく)口元から、血雫がぽたりと大地に落ちた。

 ゴゴ、ゴゴゴゴゴゴゴ……。

 悪魔の足元から、地響きが聞こえてきた次の瞬間。
「うわぁぁぁぁ!」
 大地から噴出した大量の土くれの嵐が悪魔に襲いかかった。

※1 千手観音マントラ 苦難除去、厄除け
※2 金剛夜叉明王マントラ  息災健康、怨敵退散
※3 ハヌマーン神マントラ 完全に身を委ね、善の力に調和し、困難を生み出す自我を手放す
※4 エネルギーを与える毘沙門天のマントラを唱えようとした
※5 不動明王マントラ
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