それはとても甘い飲み物

文字数 1,699文字

 リビングの応接コーナーへと移動しても、稀鸞(きらん)は相変わらずウサギに埋もれ、その姿は深く眠っているかのようだ。
 その対面では。
 ひとり掛けソファに座る(えんじゅ)が、しきりに耳をいじっている。
「僕、耳が悪くなったのかなぁ。……耳鼻科に行こうかな」
「オレは認知に支障をきたしたらしい。……脳外科か?」
「認知なら痴呆外来ちゃうん。若年性かいな」
「うっせぇ。じゃあオマエはどう思うんだよ」
 (しょう)はコーナーソファのひじ掛けに頬杖をつきながら、扉向こうにあるダイニングキッチンを視線で指し示した。
「……まあ、明日は雨、大雨やな」
 ダイニング・キッチンから届く(まもる)の短い笑い声に、(あきら)は微妙な顔で黙り込む。
「もー、(まもる)は笑いすぎですっ」
 すねたような蒼玉(そうぎょく)の声も聞こえてくれば、(しょう)はがばっと体を起こさずにいられない。
「笑い、すぎだと?!」
 洒落たすりガラスのドアの向こうに目を凝らしても。
 もちろん、ふたりの姿など見えない。
 ただ、アーユスを感知できるようになったからだろうか。
 寄り添いふざけ合う、いちゃついている雰囲気だけは、これでもかと伝わってくる。
「……(まもる)にも春が来たのかぁ~」
「あの様子じゃ、とっくに春だったんじゃないの?」
「隠しとっただけやんな」
「ま、これであの仏頂面も、少しはマシになんだろ」
 などという、(しょう)の目論見などはまったく当たらず。
 (うるし)塗りの盆にマグカップを乗せて戻った(まもる)は、いつもどおりの無表情であった。

 その(まもる)は、リビングテーブルに近くに月兎(げつと)を招き寄せて、稀鸞(きらん)の前に古伊万里様式のマグカップを静かに置く。
『緑茶です。お口に合うかどうか。(しょう)(えんじゅ)はキリマンジャロ』
「とアッサム」
 どうやら(まもる)は、アーユスを使ったほうが会話が楽らしい。
「あ、いい匂い」
 小花柄で「E」のデザインが入るマグカップを(かか)えるようにして、(えんじゅ)は立ち昇る湯気を吸い込んだ。
「なんか、やっとほっとした」
「ほんまやな。のどが渇いとったことにも、気ぃつかへんかった」
 (ぬる)めに()れてもらった緑茶を飲み干して、(あきら)がほぉっと息を吐く。
 同じようにゆっくりと味わった稀鸞(きらん)は、マグカップを置くと隣のイスを視線で示した。
『さて、(チャンドラ)。お前も座りなさい』
「はい」
 蒼玉(そうぎょく)が浅く腰かけるのと同時に、(まもる)はその前に青い釉薬(ゆうやく)を使った萩焼のマグカップを置く。
「もう、熱くない?」
『さっき味見したろ?』
「……(まもる)
 スツールを引き寄せて、蒼玉(そうぎょく)と肩が触れるほど近くに座った(まもる)が、小首を傾げた。
『なに?』
「あなたの声も、わたしは大好きですよ?だから聞かせてください。……もう、熱くないですか?」
 ほんのり頬を染めた(まもる)が、蒼玉(そうぎょく)とそろいのマグカップに口をつける。
「……うん、大丈夫だと思う。けど、蒼玉(そうぎょく)は猫舌だから、まだ熱い?」
「……美味しい。甘くて美味しいです。今度、くっきーも作ってくれますか?」
「もちろん。どれがいい?」
「”ちょこちっぷ”が入ったくっきーがいいです。(まもる)が可愛い顔をしながら食べていたから」
(チャンドラ)
「はい」
 蒼玉(そうぎょく)(まもる)から体を離して、稀鸞(きらん)に向き直った。
『お前と白虎は、旧知の仲なのだな』
「はい」
『だが、お前は太陽(スーリヤ)の“眠りの術”で、琉沱(るた)が復活するまで地中にいたのだろう。なのになぜ、白虎と知り合えたのか』
「スーリヤがわたしに施したのは“眠りの術”ではなく、“微睡(まどろみ)の術”だからです」
 大きく目を見開いて、稀鸞(きらん)はじっと少女を見つめる。
『“微睡(まどろみ)”では、これほどに長く命は保てまい』
「はい。スーリヤも“賭け”だと申しておりました。もし勝ったのならば、ふたりでアカシャをお守りしようと。ただ、一足早く地中で命を落とす可能性は大きい。その覚悟はあるかと」
『お前はその“賭け”を受け入れたのか』
「はい」
『教えてもらえるか。私が琉沱(るた)を封じたあと、何があったのかを』
 稀鸞(きらん)がウサギの腹からぐいと体を起こした。
「私の封印が失敗することを、なぜお前たちは予見できた。私の見落としたものはなんだったのか……」
 胸だけで呼吸をしているような浅い声で乞われ、蒼玉(そうぎょく)は小さな手に抱えていたマグカップをテーブルに置く。
 そして、その両の手が静かに組み合わせられると、銀の腕輪がぼうっとした淡やかな光を放ち始めた。
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