大阪哀歌(エレジー)-1-
文字数 3,253文字
剣道場の清掃を終えて、当番の門下生仲間と帰ろうとする煌 の背に声がかかった。
「今日はみんな、ほんまにようやっとったな。この調子でがんばりや!」
「はい!」
中学生剣士たちの返事に目を細めた指導者が、何気なく煌 の肩に手を置く。
「今年はみんな実力があるさかい、次の試合も楽しみやなぁ。会場は少し遠なるけど……」
「なんや、あれ。……感じワル」
少年たちの誰かが漏らしたつぶやきは、上機嫌で話す指導者の声に紛れて消えていった。
◇
団子になって帰る道すがら、先頭を歩いていたひとりの上級生が急に立ち止まり、思惑ありげな顔で振り返った。
「なー、荷物持ちジャンケンしよーや」
獲物を狙う蛇のようなその視線に、煌 の胸は嫌な予感で重くなる。
「お、ええなぁ!」
「今日はめっちゃしんどかったさかいな。練習メニュー、きつかったでなあ」
「……ワレはチョキを出せよ。必ずやで」
言い出した上級生が煌 体を寄せ、生暖かい息とともに、密やかな指令をその耳に吹き込んだ。
「え」
「しっ」
聞き返そうとして肘で背中を小突かれ、煌 はぐぅと口をつぐむ。
「今日は竹刀 握りっぱなしやったから、ウマく手が開かへんなぁ。グーしか出されへんかもなぁ~」
「せやなあ」
「なー」
思わせぶりな目配せをする上級生の周りに、仲間が集まり始めた。
ちらちらと視線を寄こしながら、くすくすと笑い合っているのも不愉快で。
むっとした顔で煌 はうつむく。
「手ぇ固まってもうたみたいや」
「そーれイーンジャーン、ホイ!」
(……またか……)
繰り返される理不尽な行いに言い返したい。
が、言えば言ったで、さらなる無理難題がふっかけられるだろう。
早々に諦めた煌 は、言われたとおりにチョキを出した。
全員の防具を背負いながら、覚束ない足取りで歩く小柄な煌 を振り返り、言い出した上級生がにやりと笑う。
「あー、楽やわぁ~。ヒイキされとるヤツは力持ちやなぁ。おおきになぁ」
「夏苅 ってば、いっつもほめられてるもんなー」
練習試合で煌 に一本取られた上級生ふたりが、意地の悪い顔で振り返った。
「なあ、そろそろ交代してあげへん?」
「えぇ~?そういや、どこまで持ってもらうのか、決めてへんかったなあ」
心配そうな仲間の提案もどこ吹く風で、言い出しっぺの上級生はすたすたと歩き続ける。
(重っ!肩痛ぁ~)
五人分の荷物を担ぎ歩き続けるのは、さすがにつらい。
煌 は立ち止って、両肩に背負った荷物をゆすり上げた。
(?!)
耳元で何か囁 かれた、と思った瞬間。
猛烈なスピードで走り抜けていった自転車が、落ちていた空き缶を跳ね上げて走り去っていく。
(あ、当たってまう!)
気づくのと当時に動いた煌 の手が、
「うぉっ?!」
「なんだぁ?缶?」
「っぶねぇ」
道路に跳ねて足元に転がった空き缶を、剣道着を着た少年たちが取り囲む。
「夏苅 、すごいやんけ。そないに荷物持ってるのに」
荷物持ちの交代を提案した上級生が、さりげなく煌 の肩から自分の防具袋を外した。
「なんや、この缶。まだ中身が入ってるやん。うっわ、きたな」
「夏苅 のおかげやな、汚れんとすんだの」
「偶然やろ。あれ……?あそこにおるのって、秋鹿 ちゃう?」
煌 から荷物をひったくっていった別の上級生が、振り返って首を傾げる。
「……相変わらずの仏頂面やなあ」
「誰?」
「うちのクラスのヤツ。なんか知れへんけど、家庭の事情ってやつで、東京のほうからこっちに来てんねんて」
「ああ、親戚のうちで世話になってるやら」
「その家がこの辺なん?」
「知らんわ」
「たまに口開くと東京弁の、いけ好けへんヤツやんな」
一番最後に、荷物持ちを言い出した煌 の肩をどつきながら荷物に手をかけた。
「え、アイツしゃべるん?」
「声、聞いたことあれへんけど」
その場の話題は、すれ違っていった「東京者」一色となり、煌 はその場にぽつんと取り残されてしまう。
(もっと無茶ブリしてくるか思たのに。……あ)
さっきの“囁 き”と似た何かを感じて振り返れば。
同じように振り返っていた「秋鹿 」と目が合い、目礼を交わす。
(……元気そう、やな)
久しぶりに「秋鹿 」を見た煌 はその場に立ち尽くして、遠くなっていくその背中を見送った。
◇
GWも終わり、中学校生活にもだいぶ慣れてきた5月のある日。
日直だった煌 が日誌を提出し終わり、クラスへと戻る階段を上がっていたときのこと。
「あの、具合でも悪いの?」
踊り場でしゃがみこんでいる生徒に気がついて、煌 は中腰になってその手元をのぞき込んだ。
「目、怪我したん?保健室行く?」
左目を片手で押えている生徒をよく見れば、二年生カラーの上履きが目に入る。
「あ、すんまへん。えと、行きますか?」
顔を上げた生徒に、煌 は慌てて敬語を使った。
「……コンタクトが外れてしまって」
(東京弁……。転校生かいな)
「それは大変やな。一緒にさが、」
「いや、大丈夫。道場に遅れるといけないだろう」
「え?」
煌 はまじまじと、東京者らしい上級生の顔を見つめる。
「俺のこと知ってるん?」
「二年にいるだろう?同じ道場に通っているヤツが。……料亭の息子」
「ああ、はい」
(そうか、このヒト……。
「よく、“道場で贔屓 されてる一年生”の話を教室でしてるから。……きみが夏苅 くんだろう?」
「ヒイキちゃうで」
思わずむっとする煌 に、ひとつだけ見えている目に笑みが浮かぶ。
「わかってる。あれはただのひがみだ」
「え、なんで?」
二度目の質問には答えず、顔を伏せたその二年生は、またコンタクトを探し始めた。
「遅刻するとうるさいだろう。声を掛けてくれてありがとう。もう行って」
「今日はもともと遅なるって、連絡済みやさかい」
一緒になって探し始めた煌 に、床をなでるように探していた二年生の手が止まる。
「この辺にはないなぁ。なんで落としてもうたん?コンタクト」
「……人と、ぶつかって……」
「あ~、そっか。なら、けっこう飛ばされてるかもね。……あっ、これちゃう?」
二年生が背を向けていた壁際から黒いカケラを拾い上げて、煌 は手のひらに乗せた。
「ああ、それだ。ありがとう」
顔を押さえていた手が煌 に伸ばされ、二年生の両目が露わになる。
「……ケガしてる、ワケちゃうよね?」
おずおずと黒いコンタクトを差し出した煌 に、二年生の赤と黒の目が丸くなった。
「もともとだよ。……驚かないんだな」
「驚いてんで?とってもキレイな色やね」
「キレイ?」
立ち上がった二年生の首がゆるゆると傾 いていく。
「……二人目だな、夏苅 煌 くん」
二年生は上着のポケットから眼帯を取り出して、赤い目に被せた。
(名前まで知ってるんや)
本当に、どうしてここまで知られているのか、とも思うけれど。
もう、この不思議の塊のような上級生なら、当たり前のような気もしてくる。
「あの、眼帯って、目ぇ悪してるん?」
「いや、よくあることだから持ち歩いてる。……落ちたものは身に着けたくないし」
「そ、そうなんや……」
(もう使えへんのに、あないに一生懸命さがしとったんやろか)
「カラコン入れてる奴がいるってウワサになると、うるさいだろう?学校には許可を取ってるけれど、知っているのは一部の人だけだし」
こちらの考えを見透かしたような上級生に、煌 は鳩が豆鉄砲を食ったように固まった。
(勘のええ人やな)
「おかげで早く帰れる。ありがとう。気をつけて行っておいで」
「センパイも気ぃつけて。えっと、」
口ごもっている煌 に気づいた二年生が、階段を上がろうとした足を止める。
「秋鹿 。秋鹿 鎮 」
「アイカ?」
「秋の鹿」
「へぇ、素敵な名前やね」
「ほめ上手だな。でも、夏苅 煌 もいい名前だ。過酷だろうが、美しい」
「あの、なんで?ってか、それってどういう意味……」
中学生にしては大人びた口調に、煌 は「豆鉄砲再び」になる。
だが、秋鹿 鎮 と名乗った二年生はそれ以上答えることはなく、振り返ることもなく去っていった。
「今日はみんな、ほんまにようやっとったな。この調子でがんばりや!」
「はい!」
中学生剣士たちの返事に目を細めた指導者が、何気なく
「今年はみんな実力があるさかい、次の試合も楽しみやなぁ。会場は少し遠なるけど……」
「なんや、あれ。……感じワル」
少年たちの誰かが漏らしたつぶやきは、上機嫌で話す指導者の声に紛れて消えていった。
◇
団子になって帰る道すがら、先頭を歩いていたひとりの上級生が急に立ち止まり、思惑ありげな顔で振り返った。
「なー、荷物持ちジャンケンしよーや」
獲物を狙う蛇のようなその視線に、
「お、ええなぁ!」
「今日はめっちゃしんどかったさかいな。練習メニュー、きつかったでなあ」
「……ワレはチョキを出せよ。必ずやで」
言い出した上級生が
「え」
「しっ」
聞き返そうとして肘で背中を小突かれ、
「今日は
「せやなあ」
「なー」
思わせぶりな目配せをする上級生の周りに、仲間が集まり始めた。
ちらちらと視線を寄こしながら、くすくすと笑い合っているのも不愉快で。
むっとした顔で
「手ぇ固まってもうたみたいや」
「そーれイーンジャーン、ホイ!」
(……またか……)
繰り返される理不尽な行いに言い返したい。
が、言えば言ったで、さらなる無理難題がふっかけられるだろう。
早々に諦めた
全員の防具を背負いながら、覚束ない足取りで歩く小柄な
「あー、楽やわぁ~。ヒイキされとるヤツは力持ちやなぁ。おおきになぁ」
「
練習試合で
「なあ、そろそろ交代してあげへん?」
「えぇ~?そういや、どこまで持ってもらうのか、決めてへんかったなあ」
心配そうな仲間の提案もどこ吹く風で、言い出しっぺの上級生はすたすたと歩き続ける。
(重っ!肩痛ぁ~)
五人分の荷物を担ぎ歩き続けるのは、さすがにつらい。
(?!)
耳元で何か
猛烈なスピードで走り抜けていった自転車が、落ちていた空き缶を跳ね上げて走り去っていく。
(あ、当たってまう!)
気づくのと当時に動いた
あの上級生
目がけて飛ぶ空き缶を叩き落とした。「うぉっ?!」
「なんだぁ?缶?」
「っぶねぇ」
道路に跳ねて足元に転がった空き缶を、剣道着を着た少年たちが取り囲む。
「
荷物持ちの交代を提案した上級生が、さりげなく
「なんや、この缶。まだ中身が入ってるやん。うっわ、きたな」
「
「偶然やろ。あれ……?あそこにおるのって、
「……相変わらずの仏頂面やなあ」
「誰?」
「うちのクラスのヤツ。なんか知れへんけど、家庭の事情ってやつで、東京のほうからこっちに来てんねんて」
「ああ、親戚のうちで世話になってるやら」
「その家がこの辺なん?」
「知らんわ」
「たまに口開くと東京弁の、いけ好けへんヤツやんな」
一番最後に、荷物持ちを言い出した
あの上級生
が、「え、アイツしゃべるん?」
「声、聞いたことあれへんけど」
その場の話題は、すれ違っていった「東京者」一色となり、
(もっと無茶ブリしてくるか思たのに。……あ)
さっきの“
同じように振り返っていた「
(……元気そう、やな)
久しぶりに「
◇
GWも終わり、中学校生活にもだいぶ慣れてきた5月のある日。
日直だった
「あの、具合でも悪いの?」
踊り場でしゃがみこんでいる生徒に気がついて、
「目、怪我したん?保健室行く?」
左目を片手で押えている生徒をよく見れば、二年生カラーの上履きが目に入る。
「あ、すんまへん。えと、行きますか?」
顔を上げた生徒に、
「……コンタクトが外れてしまって」
(東京弁……。転校生かいな)
「それは大変やな。一緒にさが、」
「いや、大丈夫。道場に遅れるといけないだろう」
「え?」
「俺のこと知ってるん?」
「二年にいるだろう?同じ道場に通っているヤツが。……料亭の息子」
「ああ、はい」
(そうか、このヒト……。
あの上級生
と同じクラスなのか)「よく、“道場で
「ヒイキちゃうで」
思わずむっとする
「わかってる。あれはただのひがみだ」
「え、なんで?」
二度目の質問には答えず、顔を伏せたその二年生は、またコンタクトを探し始めた。
「遅刻するとうるさいだろう。声を掛けてくれてありがとう。もう行って」
「今日はもともと遅なるって、連絡済みやさかい」
一緒になって探し始めた
「この辺にはないなぁ。なんで落としてもうたん?コンタクト」
「……人と、ぶつかって……」
「あ~、そっか。なら、けっこう飛ばされてるかもね。……あっ、これちゃう?」
二年生が背を向けていた壁際から黒いカケラを拾い上げて、
「ああ、それだ。ありがとう」
顔を押さえていた手が
「……ケガしてる、ワケちゃうよね?」
おずおずと黒いコンタクトを差し出した
「もともとだよ。……驚かないんだな」
「驚いてんで?とってもキレイな色やね」
「キレイ?」
立ち上がった二年生の首がゆるゆると
「……二人目だな、
他人
がそんなこと言うの。……ありがとう、二年生は上着のポケットから眼帯を取り出して、赤い目に被せた。
(名前まで知ってるんや)
本当に、どうしてここまで知られているのか、とも思うけれど。
もう、この不思議の塊のような上級生なら、当たり前のような気もしてくる。
「あの、眼帯って、目ぇ悪してるん?」
「いや、よくあることだから持ち歩いてる。……落ちたものは身に着けたくないし」
「そ、そうなんや……」
(もう使えへんのに、あないに一生懸命さがしとったんやろか)
「カラコン入れてる奴がいるってウワサになると、うるさいだろう?学校には許可を取ってるけれど、知っているのは一部の人だけだし」
こちらの考えを見透かしたような上級生に、
(勘のええ人やな)
「おかげで早く帰れる。ありがとう。気をつけて行っておいで」
「センパイも気ぃつけて。えっと、」
口ごもっている
「
「アイカ?」
「秋の鹿」
「へぇ、素敵な名前やね」
「ほめ上手だな。でも、
「あの、なんで?ってか、それってどういう意味……」
中学生にしては大人びた口調に、
だが、