大阪哀歌(エレジー)-1-

文字数 3,253文字

 剣道場の清掃を終えて、当番の門下生仲間と帰ろうとする(あきら)の背に声がかかった。
「今日はみんな、ほんまにようやっとったな。この調子でがんばりや!」
「はい!」
 中学生剣士たちの返事に目を細めた指導者が、何気なく(あきら)の肩に手を置く。
「今年はみんな実力があるさかい、次の試合も楽しみやなぁ。会場は少し遠なるけど……」
「なんや、あれ。……感じワル」
 少年たちの誰かが漏らしたつぶやきは、上機嫌で話す指導者の声に紛れて消えていった。


 団子になって帰る道すがら、先頭を歩いていたひとりの上級生が急に立ち止まり、思惑ありげな顔で振り返った。
「なー、荷物持ちジャンケンしよーや」
 獲物を狙う蛇のようなその視線に、(あきら)の胸は嫌な予感で重くなる。
「お、ええなぁ!」
「今日はめっちゃしんどかったさかいな。練習メニュー、きつかったでなあ」
「……ワレはチョキを出せよ。必ずやで」
 言い出した上級生が(あきら)体を寄せ、生暖かい息とともに、密やかな指令をその耳に吹き込んだ。
「え」
「しっ」
 聞き返そうとして肘で背中を小突かれ、(あきら)はぐぅと口をつぐむ。
「今日は竹刀(しない)握りっぱなしやったから、ウマく手が開かへんなぁ。グーしか出されへんかもなぁ~」
「せやなあ」
「なー」
 思わせぶりな目配せをする上級生の周りに、仲間が集まり始めた。
 ちらちらと視線を寄こしながら、くすくすと笑い合っているのも不愉快で。
 むっとした顔で(あきら)はうつむく。
「手ぇ固まってもうたみたいや」
「そーれイーンジャーン、ホイ!」

(……またか……)

 繰り返される理不尽な行いに言い返したい。
 が、言えば言ったで、さらなる無理難題がふっかけられるだろう。
 早々に諦めた(あきら)は、言われたとおりにチョキを出した。

 全員の防具を背負いながら、覚束ない足取りで歩く小柄な(あきら)を振り返り、言い出した上級生がにやりと笑う。
「あー、楽やわぁ~。ヒイキされとるヤツは力持ちやなぁ。おおきになぁ」
夏苅(なつがり)ってば、いっつもほめられてるもんなー」
 練習試合で(あきら)に一本取られた上級生ふたりが、意地の悪い顔で振り返った。
「なあ、そろそろ交代してあげへん?」
「えぇ~?そういや、どこまで持ってもらうのか、決めてへんかったなあ」
 心配そうな仲間の提案もどこ吹く風で、言い出しっぺの上級生はすたすたと歩き続ける。

(重っ!肩痛ぁ~)

 五人分の荷物を担ぎ歩き続けるのは、さすがにつらい。
(あきら)は立ち止って、両肩に背負った荷物をゆすり上げた。

(?!)

 耳元で何か(ささや)かれた、と思った瞬間。
 猛烈なスピードで走り抜けていった自転車が、落ちていた空き缶を跳ね上げて走り去っていく。

(あ、当たってまう!)

 気づくのと当時に動いた(あきら)の手が、

目がけて飛ぶ空き缶を叩き落とした。
「うぉっ?!」
「なんだぁ?缶?」
「っぶねぇ」
 道路に跳ねて足元に転がった空き缶を、剣道着を着た少年たちが取り囲む。
夏苅(なつがり)、すごいやんけ。そないに荷物持ってるのに」
 荷物持ちの交代を提案した上級生が、さりげなく(あきら)の肩から自分の防具袋を外した。
「なんや、この缶。まだ中身が入ってるやん。うっわ、きたな」
夏苅(なつがり)のおかげやな、汚れんとすんだの」
「偶然やろ。あれ……?あそこにおるのって、秋鹿(あいか)ちゃう?」
 (あきら)から荷物をひったくっていった別の上級生が、振り返って首を傾げる。
「……相変わらずの仏頂面やなあ」
「誰?」
「うちのクラスのヤツ。なんか知れへんけど、家庭の事情ってやつで、東京のほうからこっちに来てんねんて」
「ああ、親戚のうちで世話になってるやら」
「その家がこの辺なん?」
「知らんわ」
「たまに口開くと東京弁の、いけ好けへんヤツやんな」
 一番最後に、荷物持ちを言い出した

が、(あきら)の肩をどつきながら荷物に手をかけた。
「え、アイツしゃべるん?」
「声、聞いたことあれへんけど」
 その場の話題は、すれ違っていった「東京者」一色となり、(あきら)はその場にぽつんと取り残されてしまう。

(もっと無茶ブリしてくるか思たのに。……あ)

 さっきの“(ささや)き”と似た何かを感じて振り返れば。
 同じように振り返っていた「秋鹿(あいか)」と目が合い、目礼を交わす。

(……元気そう、やな)

 久しぶりに「秋鹿(あいか)」を見た(あきら)はその場に立ち尽くして、遠くなっていくその背中を見送った。


 GWも終わり、中学校生活にもだいぶ慣れてきた5月のある日。
 日直だった(あきら)が日誌を提出し終わり、クラスへと戻る階段を上がっていたときのこと。
「あの、具合でも悪いの?」
 踊り場でしゃがみこんでいる生徒に気がついて、(あきら)は中腰になってその手元をのぞき込んだ。
「目、怪我したん?保健室行く?」
 左目を片手で押えている生徒をよく見れば、二年生カラーの上履きが目に入る。
「あ、すんまへん。えと、行きますか?」
 顔を上げた生徒に、(あきら)は慌てて敬語を使った。
「……コンタクトが外れてしまって」

(東京弁……。転校生かいな)

「それは大変やな。一緒にさが、」
「いや、大丈夫。道場に遅れるといけないだろう」
「え?」
 (あきら)はまじまじと、東京者らしい上級生の顔を見つめる。
「俺のこと知ってるん?」
「二年にいるだろう?同じ道場に通っているヤツが。……料亭の息子」
「ああ、はい」

(そうか、このヒト……。

と同じクラスなのか)

「よく、“道場で贔屓(ひいき)されてる一年生”の話を教室でしてるから。……きみが夏苅(なつがり)くんだろう?」
「ヒイキちゃうで」
 思わずむっとする(あきら)に、ひとつだけ見えている目に笑みが浮かぶ。
「わかってる。あれはただのひがみだ」
「え、なんで?」
 二度目の質問には答えず、顔を伏せたその二年生は、またコンタクトを探し始めた。
「遅刻するとうるさいだろう。声を掛けてくれてありがとう。もう行って」
「今日はもともと遅なるって、連絡済みやさかい」
 一緒になって探し始めた(あきら)に、床をなでるように探していた二年生の手が止まる。
「この辺にはないなぁ。なんで落としてもうたん?コンタクト」
「……人と、ぶつかって……」
「あ~、そっか。なら、けっこう飛ばされてるかもね。……あっ、これちゃう?」
 二年生が背を向けていた壁際から黒いカケラを拾い上げて、(あきら)は手のひらに乗せた。
「ああ、それだ。ありがとう」
 顔を押さえていた手が(あきら)に伸ばされ、二年生の両目が露わになる。
「……ケガしてる、ワケちゃうよね?」
 おずおずと黒いコンタクトを差し出した(あきら)に、二年生の赤と黒の目が丸くなった。
「もともとだよ。……驚かないんだな」
「驚いてんで?とってもキレイな色やね」
「キレイ?」
 立ち上がった二年生の首がゆるゆると(かたむ)いていく。
「……二人目だな、

がそんなこと言うの。……ありがとう、夏苅(なつがり)(あきら)くん」
 二年生は上着のポケットから眼帯を取り出して、赤い目に被せた。

(名前まで知ってるんや)

 本当に、どうしてここまで知られているのか、とも思うけれど。
 もう、この不思議の塊のような上級生なら、当たり前のような気もしてくる。
「あの、眼帯って、目ぇ悪してるん?」
「いや、よくあることだから持ち歩いてる。……落ちたものは身に着けたくないし」
「そ、そうなんや……」

(もう使えへんのに、あないに一生懸命さがしとったんやろか)

「カラコン入れてる奴がいるってウワサになると、うるさいだろう?学校には許可を取ってるけれど、知っているのは一部の人だけだし」
 こちらの考えを見透かしたような上級生に、(あきら)は鳩が豆鉄砲を食ったように固まった。

(勘のええ人やな)

「おかげで早く帰れる。ありがとう。気をつけて行っておいで」
「センパイも気ぃつけて。えっと、」
 口ごもっている(あきら)に気づいた二年生が、階段を上がろうとした足を止める。
秋鹿(あいか)秋鹿(あいか)(まもる)
「アイカ?」
「秋の鹿」
「へぇ、素敵な名前やね」
「ほめ上手だな。でも、夏苅(なつがり)(あきら)もいい名前だ。過酷だろうが、美しい」
「あの、なんで?ってか、それってどういう意味……」
 中学生にしては大人びた口調に、(あきら)は「豆鉄砲再び」になる。
 だが、秋鹿(あいか)(まもる)と名乗った二年生はそれ以上答えることはなく、振り返ることもなく去っていった。
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