一期一会-2-
文字数 3,087文字
そうしてまず自分に課せられたのは、首都圏にある私立小学校への転入試験に、主人をパスさせること。
だが、もともと主人の習熟度や理解力には問題はなく、これは難なくクリアできた。
時間が合えば食事を一緒にという依頼も、主人とシェアハウスすることで解決。
ただ、編入してからの彼の成績には、いつも首を捻らされた。
「これは、鎮 さんなら簡単に解けるレベルでしょう」
その日、主人が持って帰ってきたテストは、彼なら満点に近い点数を取れる内容なのに。
その答案用紙には、
「結構難しいんです、よ」
すらすらと解き直しを終えた主人の口角が、少しだけ上がっている。
「この問題がですか?」
「いえ、勘違いしているふり、が」
「……わざとですか」
(クラスで目立ってしまわないように、「可もなく不可もなく」を保つようにしているのか)
思惑に気づいた自分の目の前で、主人は今日の宿題も秒でこなしている。
「僕のクラス、いい人が多くて……。疲れ、ます」
言葉を飲み込んで、鉛筆を動かす手を止めて。
主人はしばらく黙り込んだ。
――僕はね、言葉にしない感情を見てしまうんです――
初めて会った病室で、諦めたような目をしていた主人が思い出されて、切なくなる。
「あなたは編入生ですしね。必要以上に注目されてしまうのは、確かに疲れることでしょう。休み時間などは、どう過ごしていらっしゃるのですか?」
「図書室に、行っています」
「遊びには誘われたりは?」
「全部断ります」
「おや、何も言われませんか?」
「最近、偏屈って、言われました」
「そうですか。狙いどおりですね。ですが、あなたはそう装っているだけですが、僕は本当の偏屈です。立ち回り方に悩むことがあったら、偏屈の先輩である僕にご相談ください」
「あはは!」
珍しいことに、主人が声を上げて笑った。
「そんなことをそんな誇らしげに言う人、初めて、です」
「誠実は美徳です」
「ふふ!」
真面目に答えたつもりなのだが。
まあ、主人がこれほど笑ってくれたのなら良しとしよう。
「高梁 さんは、強くていらっしゃいますね」
「はい、敬語は禁止」
パン!と手を打ち鳴らすと、主人の眉毛がたちまち情けなさそうに八の字になった。
「あなたが雇用主です。あなたは僕の上の立場。そのご自覚を持ってください」
「でも、あの。……丁寧語は、いい、ですか?」
困り顔で上目使いをされると、つい甘やかしたくなってしまう。
「もちろん」
「ありがとうございます」
どこまでも謙虚な主人に胸がうずいた。
(うちの妹に、爪の垢を持って帰りたいくらいだな)
顔を見れば罵詈雑言を浴びせてくる高校生の妹を思い出して、ため息が出る。
この幼い主人は礼を言うことはあっても、要求をしたり、ましてや文句を言うことなど、絶対にない。
もう少し、「兄代わりの家庭教師」としての能力を、使ってほしいのだけれど。
「そういえば、もうすぐクリスマスですね。何か欲しいプレゼントはありますか?お誕生日は運動会と重なってしまったので、特別なこともできませんでしたから」
「来てくださっ、あ、来てくれてただけで、嬉しかったです」
「当然です。本当はお弁当も作りたかったんですよ?」
「午後は、雨の予報、でしたから」
「短縮開催だったのは残念でした。まあ、鎮 さんのダンスが見られたので、良しとします」
「……忘れて、ください」
顔を赤らめてうつむく主人に、ほっこりする。
「面談では、担任の先生もほめてましたよ。内部進学するのに、何の不安もないと。もう少しお友達と馴染んでほしいと言っていましたが、鎮 さんはすでに努力されてます。これ以上は不要です」
すべての課題のチェックを終えて立ち上がると、主人が小さく微笑んだ。
「編入してから半年、よく頑張りましたね。ご褒美をもらってもいいでしょう」
「欲しいものは、ないです」
テーブルの上を片付けながら、主人が首を横に振る。
「スマホとかの」
「もう、十分すぎるほど、です」
「そうですか……」
スマートフォンは持たせているのだが、主人はそれで動画を見たり、ゲームで遊んだりすることはなかった。
だから、ギガ数を増やしてほしいとか、まして機種変更をねだったりすることもない。
(……雲泥の差だな)
実家の弟妹達を思い出して、ついに大きなため息が出た。
◇
鎮 さんとシェアハウスをするために、実家で荷造りをしていたとき。
「「にーちゃん!」」
「こら、重いっ」
背中に乗ってきた双子の弟たちを、引きはがそうとしたのだが。
「クリスマスプレゼントの前倒ししてよ!」
「プリペイドでいいよ!」
今度は左右の肩をぐっと押さえられて、身動きが取れない。
「ステレオで叫ぶな!行儀の悪いコにサンタは来ないぞ」
「「そんなー!!」」
「やかまし、……ぐぅっ」
突然、背中を踏まれて、弟たちごと床に沈んだ。
「お兄 が出てくから、ママのビミョーな夕飯、食べなきゃなんだけど」
「……自分で作ればいいだけだろ」
「ムリ」
高校生の妹の足は、背中からどく気配がない。
「だからさ、お詫びにスマホの機種変」
「するか!」
「「うわっ」」
「げ、なにすんのよっ」
勢いよく立ち上がれば、弟たちは転がり妹はよろけて、二、三歩後ろに下がった。
「それが人にものを頼む態度か」
「なによ……。だって、割のいいバイト見つけたんでしょっ。機種変くらいしてくれたっていいじゃん。いなくなっちゃうんだから」
「ねーちゃん、機種変はぜーたくすぎだろ」
「いくら寂しいからってさあ」
「さ、寂しいわけないでしょっ。せーせーするんだから!」
ふん!と出ていく妹の、その頬が赤かったと思ったのだけれど。
「で、機種変、いつしてくれんの?」
帰り際、当たり前のように手のひらを出す妹を見れば、あれは幻だったに違いないと、遠い目になった。
◇
「行きたい場所などもないですか?少し遠くても大丈夫ですよ。僕が冬休みに入ってからなら、車でお連れできますから」
鎮 さんのこととなると、どうも秋鹿 社長はタガが外れるらしい。
「息子の送迎に必要だから」と免許を取らせてくれて、会社名義の車も貸し出されている。
しかも、こちらの予定が調整できない場合は、秋鹿 社長専属の運転手がはせ参じるのだ。
「行きたい、場所?」
主人の首がコテンと傾き、コンタクトを外した赤い瞳がじっとこちらを見つめる。
(この反応は……)
「どこでしょう。海外なら、国際免許を取らないといけませんね」
冗談めかしてみれば、主人に淡い笑顔が浮かぶ。
「そんな必要、ありません。……あの、箱根、とか」
「箱根?」
「あ、えと。……なんでもない、です」
主人は急いで立ち上がると、荷物を手に抱 えて背を向けてしまった。
「ごめん、なさい。変なことを言って。もう僕の家ではないのに。……行ってもしかたない、ですね。今日もありがとう、ございました」
主人が祖父と住んでいた神社は現在、ずっと疎遠であった叔父が継いでいると聞いている。
祖父の五十日祭も叔父が執り行い、主人には報告さえなかったらしい。
主人が入院中であったとはいえ、あまりにも不義理なその態度に、秋鹿 社長も怒っていたようだった。
「母親の墓は別にしておいてよかった」と秋鹿 社長が言っていたが、そういえば。
(編入やらあれやこれやで、墓参りにも行っていないな。……恋しくないはずがないのに)
「鎮 さんの場所はありますよ」
「……え?」
二階に上がりかけた主人が振り返る。
「プレゼントが決まりましたね。週末、下見に行きましょう」
みるみる顔を輝かせる主人を見て、心のなかで拳 を握った。
だが、もともと主人の習熟度や理解力には問題はなく、これは難なくクリアできた。
時間が合えば食事を一緒にという依頼も、主人とシェアハウスすることで解決。
ただ、編入してからの彼の成績には、いつも首を捻らされた。
「これは、
その日、主人が持って帰ってきたテストは、彼なら満点に近い点数を取れる内容なのに。
その答案用紙には、
いつものように
平均より少し上の点数が記されていた。「結構難しいんです、よ」
すらすらと解き直しを終えた主人の口角が、少しだけ上がっている。
「この問題がですか?」
「いえ、勘違いしているふり、が」
「……わざとですか」
(クラスで目立ってしまわないように、「可もなく不可もなく」を保つようにしているのか)
思惑に気づいた自分の目の前で、主人は今日の宿題も秒でこなしている。
「僕のクラス、いい人が多くて……。疲れ、ます」
言葉を飲み込んで、鉛筆を動かす手を止めて。
主人はしばらく黙り込んだ。
――僕はね、言葉にしない感情を見てしまうんです――
初めて会った病室で、諦めたような目をしていた主人が思い出されて、切なくなる。
「あなたは編入生ですしね。必要以上に注目されてしまうのは、確かに疲れることでしょう。休み時間などは、どう過ごしていらっしゃるのですか?」
「図書室に、行っています」
「遊びには誘われたりは?」
「全部断ります」
「おや、何も言われませんか?」
「最近、偏屈って、言われました」
「そうですか。狙いどおりですね。ですが、あなたはそう装っているだけですが、僕は本当の偏屈です。立ち回り方に悩むことがあったら、偏屈の先輩である僕にご相談ください」
「あはは!」
珍しいことに、主人が声を上げて笑った。
「そんなことをそんな誇らしげに言う人、初めて、です」
「誠実は美徳です」
「ふふ!」
真面目に答えたつもりなのだが。
まあ、主人がこれほど笑ってくれたのなら良しとしよう。
「
「はい、敬語は禁止」
パン!と手を打ち鳴らすと、主人の眉毛がたちまち情けなさそうに八の字になった。
「あなたが雇用主です。あなたは僕の上の立場。そのご自覚を持ってください」
「でも、あの。……丁寧語は、いい、ですか?」
困り顔で上目使いをされると、つい甘やかしたくなってしまう。
「もちろん」
「ありがとうございます」
どこまでも謙虚な主人に胸がうずいた。
(うちの妹に、爪の垢を持って帰りたいくらいだな)
顔を見れば罵詈雑言を浴びせてくる高校生の妹を思い出して、ため息が出る。
この幼い主人は礼を言うことはあっても、要求をしたり、ましてや文句を言うことなど、絶対にない。
もう少し、「兄代わりの家庭教師」としての能力を、使ってほしいのだけれど。
「そういえば、もうすぐクリスマスですね。何か欲しいプレゼントはありますか?お誕生日は運動会と重なってしまったので、特別なこともできませんでしたから」
「来てくださっ、あ、来てくれてただけで、嬉しかったです」
「当然です。本当はお弁当も作りたかったんですよ?」
「午後は、雨の予報、でしたから」
「短縮開催だったのは残念でした。まあ、
「……忘れて、ください」
顔を赤らめてうつむく主人に、ほっこりする。
「面談では、担任の先生もほめてましたよ。内部進学するのに、何の不安もないと。もう少しお友達と馴染んでほしいと言っていましたが、
すべての課題のチェックを終えて立ち上がると、主人が小さく微笑んだ。
「編入してから半年、よく頑張りましたね。ご褒美をもらってもいいでしょう」
「欲しいものは、ないです」
テーブルの上を片付けながら、主人が首を横に振る。
「スマホとかの」
「もう、十分すぎるほど、です」
「そうですか……」
スマートフォンは持たせているのだが、主人はそれで動画を見たり、ゲームで遊んだりすることはなかった。
だから、ギガ数を増やしてほしいとか、まして機種変更をねだったりすることもない。
(……雲泥の差だな)
実家の弟妹達を思い出して、ついに大きなため息が出た。
◇
「「にーちゃん!」」
「こら、重いっ」
背中に乗ってきた双子の弟たちを、引きはがそうとしたのだが。
「クリスマスプレゼントの前倒ししてよ!」
「プリペイドでいいよ!」
今度は左右の肩をぐっと押さえられて、身動きが取れない。
「ステレオで叫ぶな!行儀の悪いコにサンタは来ないぞ」
「「そんなー!!」」
「やかまし、……ぐぅっ」
突然、背中を踏まれて、弟たちごと床に沈んだ。
「お
「……自分で作ればいいだけだろ」
「ムリ」
高校生の妹の足は、背中からどく気配がない。
「だからさ、お詫びにスマホの機種変」
「するか!」
「「うわっ」」
「げ、なにすんのよっ」
勢いよく立ち上がれば、弟たちは転がり妹はよろけて、二、三歩後ろに下がった。
「それが人にものを頼む態度か」
「なによ……。だって、割のいいバイト見つけたんでしょっ。機種変くらいしてくれたっていいじゃん。いなくなっちゃうんだから」
「ねーちゃん、機種変はぜーたくすぎだろ」
「いくら寂しいからってさあ」
「さ、寂しいわけないでしょっ。せーせーするんだから!」
ふん!と出ていく妹の、その頬が赤かったと思ったのだけれど。
「で、機種変、いつしてくれんの?」
帰り際、当たり前のように手のひらを出す妹を見れば、あれは幻だったに違いないと、遠い目になった。
◇
「行きたい場所などもないですか?少し遠くても大丈夫ですよ。僕が冬休みに入ってからなら、車でお連れできますから」
「息子の送迎に必要だから」と免許を取らせてくれて、会社名義の車も貸し出されている。
しかも、こちらの予定が調整できない場合は、
「行きたい、場所?」
主人の首がコテンと傾き、コンタクトを外した赤い瞳がじっとこちらを見つめる。
(この反応は……)
「どこでしょう。海外なら、国際免許を取らないといけませんね」
冗談めかしてみれば、主人に淡い笑顔が浮かぶ。
「そんな必要、ありません。……あの、箱根、とか」
「箱根?」
「あ、えと。……なんでもない、です」
主人は急いで立ち上がると、荷物を手に
「ごめん、なさい。変なことを言って。もう僕の家ではないのに。……行ってもしかたない、ですね。今日もありがとう、ございました」
主人が祖父と住んでいた神社は現在、ずっと疎遠であった叔父が継いでいると聞いている。
祖父の五十日祭も叔父が執り行い、主人には報告さえなかったらしい。
主人が入院中であったとはいえ、あまりにも不義理なその態度に、
「母親の墓は別にしておいてよかった」と
(編入やらあれやこれやで、墓参りにも行っていないな。……恋しくないはずがないのに)
「
「……え?」
二階に上がりかけた主人が振り返る。
「プレゼントが決まりましたね。週末、下見に行きましょう」
みるみる顔を輝かせる主人を見て、心のなかで