赦し合うもの-1-

文字数 1,917文字

 隣に立った人影に、蒼玉(そうぎょく)が瞬きをしながら目を上げる。
 戦士(ヴィーラ)さえ気づかぬほどアーユスを遮断して、気配を消した(まもる)の目が、汚物に埋まる叔父と、その想いを視せる稀鸞(きらん)に注がれていた。
「許したって、お願いやさかい」
 ヴァクラトゥンダを神域に(かえ)した稀鸞(きらん)が、震える(あきら)の手を取って、その顔を上げさせる。
「アグニの腕輪と私の最期のアーユスを、あなたに託すつもりでした。火を(つかさど)る朱雀に」
「え……?」
 涙でべとべとの顔で、(あきら)稀鸞(きらん)を見つめた。
「私はもう、長くはないのですから」
「え?」
「!?」
 (あきら)(まもる)が、同時に息を飲む。
「それってどういう……」
 (まもる)戦士(ヴィーラ)の姉妹を振り返るが、アーユスも感情も読めないふたりは、彫像のように微動だにしない。
「この体は、ここまで耐えられるはずはなかった。けれど、白虎のアーユスを頂戴できたことで、悪魔を二体、滅することができた」
「アーユスが足りないのなら、また俺のを」
 (まもる)の言葉の途中でゆっくりと、だが、きっぱりと稀鸞(きらん)の首が横に振られた。
「他者のアーユスを頂くことは、所詮、その場しのぎに過ぎない。私のパドマは琉沱(るた)を消滅させようとした長い年月のうちで、ほぼ枯れ切ってしまったのです。琉沱(るた)を滅しきれなかったことが心残りですが、四神に巡り会うことができた。懐かしい戦士(ヴィーラ)たちの顔も見ることができた」
 稀鸞(きらん)は静かな瞳で、微かな呼吸をつないでいる宮司姿の男を見下ろす。
「私のアーユスと腕輪があれば、あなたはすぐにでも朱雀と完全なる契約ができる。もし腕輪だけならば、あとはあなた次第。かなりの試練が与えられるかもしれない。それでも」
 稀鸞(きらん)から見据えられた(あきら)が、びくりと肩を震わせた。
「それでも、あなたはこの男を生かすことを望みますか。人としてやり直す機会を与えることが、あなたの願いですか」
「……はい。だって……」
 (あきら)の涙が、ぽたぽたと大地に散っていく。
「この人はお姉さんのことも、秋鹿(あいか)さんのことも、ちゃんと見たこと、あれへんのや。お姉さんへの想いが強すぎて」
 唇を噛みしめて、(あきら)稀鸞(きらん)と目を合わせた。
「赦されても、それでもまだ、まだ秋鹿(あいか)さんに手ぇ出すっちゅうのなら。……そのときは、俺が始末をつける。誰の手も汚させへん」
 しばらく(あきら)を眺めていた稀鸞(きらん)が深い、深いため息をつく。
「スーリヤ、チャンドラ」
 紅玉(こうぎょく)蒼玉(そうぎょく)が同時に天空(アカシャ)の前に膝をついて、頭を下げた。
「許せ」
「「御意にございます」」
 姉妹の声がそろい、ふたりはその姿勢のまま、ゆったりと腕輪を打ち鳴らし始める。

高天原(たかあまのはら)神留(かんづま)()す 皇神等(すめかみたち)鋳顕(あらは)(たま)ふ」

 大気を揺り動かし、天空まで響く稀鸞(きらん)の声が、神々への祈りを(うた)い始めた。

十種(とくさ)瑞宝(みづのたから)(もち)て 天照国照彦(あまてるくにてるひこ)天火明(あめのほあかり)櫛玉(くしたま)饒速日命(にぎはやひのみこと)(さづ)(たま)(こと)(おし)へて(のたまは)く (いまし)(この)瑞宝(みづのたから)()ちて中津国(なかつくに)天降(あまくだ)り 蒼生(あをひとぐさ)鎮納(しづめおさ)めよ 蒼生(あをひとぐさ)(および)万物(よろづのもの)病疾(やまひ)(こと)あらば 神宝(かんたから)(もち)て 御倉板(みくらいた)鎮置(しづめおき)て 魂魄(みたま)鎮祭(しづめまつり)(なし)て 瑞宝(みづのたから)布留部(ふるへ) ()神祝(かんほぎ)(ことば)(いは)く (きのえ)(きのと)(ひのえ)(ひのと)(つちのえ)(つちのと)(かのえ)(かのと)(みづのえ)(みづのと) ()()()()()()()()()()瓊音(にのおと) 布瑠部(ふるへ)由良由良(ゆらゆら) 如此(かく)祈所為(いのりせ)ば 死共(まかるとも)(さら)蘇生(いき)なんと(をしへ)(たま)ふ 天神(あめのかみ)御祖(みおや)御詔(みことのり)稟給(かけたまひ)て 天磐船(あめのいはふね)()りて 河内国(かはちのくに)河上(かはかみ)哮峯(いかるがみね)天降座(あまくだりま)して 大和国(やまとのくに)排尾(ひき)(やま)(ふもと) 白庭(しろには)高庭(たかには)遷座(うつしましまし)て 鎮斎奉(いつきまつ)(たま)ふ (なづけ)石上大神(いそのかみおほがみ)(まう)(たてまつ)り 代代(よよ)神宝(かんたから)(もち)て 万物(よろづのもの)(ため)布留部(ふるへ)神辞(かみこと)(もち)(つかさ)()(たま)ふ (ゆゑ)布留御魂神(ふるみたまのかみ)尊敬(そんけい)(たてまつ)り 皇子(すめみこと) 大連(おほむらじ) 大臣(おとど) (その)神武(かむたけき)(もち)て (いつき)(つか)(たてまつ)(たま)ふ 物部(もののべ)神社(かみやしろ) 天下(あめがした)万物聚類(よろづのもののたぐひ)化出(なりいで)大元(おほもと)神宝(かむたから)は 所謂(いはゆる) 瀛都鏡(おきつかがみ) 辺都鏡(へつかがみ) 八握剣(やつかのつるぎ) 生玉(いくたま) 死反玉(まかるがへしのたま) 足玉(たるたま) 道反玉(ちかへしのたま) 蛇比礼(おろちのひれ) 蜂比礼(はちのひれ) 品品物比礼(くさぐさのもののひれ) (さら)十種神(とくさのかみ) (きのえ) (きのと) (ひのえ) (ひのと) (つちのえ) (つちのと) (かのえ) (かのと) (みづのえ) (みづのと) ()()()()()()()()()()瓊音(にのおと) 布留部(ふるへ)由良(ゆら)由良加之(ゆらかし)(たてまつ)(こと)由縁(よし)(もち)て (たいら)けく聞食(きこしめ)せと (いのち)長遠(ながくし)子孫(しそん)繁栄(はんえい)と 常磐(ときは)堅磐(かきは)(まも)(たま)(さきは)(たま)ひ 加持(かぢ)(たてまつ)る」

 風が息を(ひそ)め、星が(またた)きを控える。
 シャランシャランと歌う戦士(ヴィーラ)の腕輪は、朗々たる祈りの伴奏曲のようだ。

神通(じんつう)神妙(じんめう)神力(しんりき)加持(かぢ)」※

 それはもう、稀鸞(きらん)の声ではなくて。
 久遠(くおん)の時の向こうから聞こえるような、地の、水の、天の底を震わせるような。
 ひとつであり、またすべてである声が神々への祈りを捧げ終わったとき。

 稀鸞(きらん)の七つのパドマが一斉に発光したかと思うと、生まれ出た光すべてが汚物にまみれる男に流れ注がれた。
蒼玉(そうぎょく)
 小さな声を聞き逃さず、月の戦士は(まもる)にそっと寄り添うと、ルビーのような赤い瞳を見上げる。
「お願いがある」
(まもる)のためならば」
 寄せられたアーユスでその望みを伝えられた蒼玉(そうぎょく)が、(まもる)の首にかかる革ひもを手に取った。

※ 十種大祓(とくさのおほはらへ)
 その威力は「死人も生き返る」ほどと言われる祝詞。
 皇祖神(天照大御神(あまてらすおおみかみ))から饒速日命(にぎはやひのみこと)に授けられたとか。
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