大阪哀歌(エレジー)-2-

文字数 3,249文字

 その日以来、気がつけば(あきら)秋鹿(あいか)の姿を探していた。
 だが、コンタクトを一緒に探したことなど、まるでなかったかのように。
 目が合ったと思ってもふぃとそらされることが多いし、第一、校内で彼の姿を見かけること自体が大変レアだった。

(今日は挨拶してもらえたな)

「おい、夏苅(なつがり)っ。置いてくぞ!」
 返された目礼が嬉しくて、ホクホクしていた(あきら)に例の上級生が怒鳴る。
「グズグズすんなっ」
「あ、はい!」
 乱暴な声に慌てて返事をして、もう一度振り返ったときには、秋鹿(あいか)の姿はどこにもない。

(え、一本道やのに。……相変わらず不思議なヒトやな)

 首を(ひね)りながら、(あきら)は急いで仲間たちの背中を追った。
   

 梅雨入り宣言がされたその日。
 学校から帰った(あきら)は、母屋向こうの店内が慌ただしい雰囲気に包まれていることに気づいた。
「ただいま帰りました」
 暖簾(のれん)を掲げて(あきら)が顔を出すと、いつもは店頭に顔を出すことのないベテランの和菓子職人が、腕を組んで難しい顔をしている。
「ああ、ぼん!お帰り」
「あの、”ぼん”はやめてください」
 目じりのしわも深く笑いかけてくる職人に、(あきら)の眉が八の字に下がった。
「なに言うてるんや。ぼんはぼんやろが」
 店の中に入ってきた(あきら)の頭を大きな手が乱暴になでる横で、パートの女性が慌ただしく電話を切る。
「少し遅れるって連絡したけど、どないしよう」
「おかみさん、小一時間で戻るとは言うとったけどなぁ」
「どないしたん?杉野さんも岸本さんも」
 (あきら)に負けないほど、眉毛を八の字に下げたパートの女性、杉野がため息をつく。
「今日、水曜やろ。お茶のお師匠さんのところに、お菓子を届けに行かなあかんのやけどな。ふみちゃんとこの次男坊が熱出したって、保育園から連絡が来て」
 言われて店内を見渡せば、もうひとりのパートさんの姿が見えない。
(かがり)ちゃん、今日は学校から直接塾やしなあ」
「こういうときに限って商店会の会合なんて、運があれへんなあ。どーせ、おかみさんの顔見たいだけの、古株が呼んだに決まってんねん」
「ゆりさん、人気者やから」
「そうそう。こないだだって、あの乾物屋のご隠居さんが」
「あの~、配達やんな。ボクが行こか?」
「え、(あきら)ちゃんが?でも、今日道場は?」
 心配顔の杉野に、(あきら)はフルフルと首を横に振る。
「今日、先生が高校の出張指導とかで、休みなんやで」
「ほんま?頼んでもええ?」
「ええで。神社の近くのとこやろう?先月も行ったやん」
「そういうたら、そうやったね。お願いできる?」
「帰ってきたばっかなのに、すまんな、ぼん。おおきに」
 学ランのまま荷物を受け取った(あきら)に、職人岸本が破顔した。
「かまへんって。役に立てて嬉しいし」
(あきら)ちゃん!雨降りそうやから、傘持っていきなさい」
「はーい。ほな行ってきます!」
 手渡された傘を片手に、さっそうと(あきら)は出ていく。
「……あないに小さいのに、気ばっかりつこて」
「ほんまに健気な子ぉやで。もう少し子供らしゅうてもええのに、我がままひとつ言わんといて」
 杉野と岸本は目を見合わせため息を漏らし、それぞれの仕事へと戻っていった。

 目的の家までは、徒歩でも15分ほど。
 途中降り出した雨に傘を広げ、ちりめん風呂敷に包まれた漆塗りの重箱を胸に(かかえ)え、(あきら)は慎重に歩く。
 職人岸本と夏苅(なつがり)の伯父、今では養父が、ひとつひとつ丁寧に作り上げた商売品だ。
 万が一にも粗雑には扱えない。
 
 養父には多大な恩を感じている。
 「おとうちゃん」と呼ぶことにも慣れはした。
 だが、サイズの合わない服を無理やり着ているような違和感が、どうしてもいまだに(ぬぐ)えない。
 最後に

が来てから半年ほど経つ。
 そろそろ金の無心に来る頃合いだ。
 自分という存在が、また迷惑をかけてしまう。
 そんな不安が、いつまでたっても消えないのだ。

「あっ、すんまへん!」
 考え事が過ぎたようで、前から来た人影にドンっと思い切り肩をぶつけてしまう。
「いったいなあ」
 顔を上げようとして、聞き慣れた尖った声に体が固まった。

(え)

 (あきら)がビクリと顔を上げると。
「あ……、先輩。……こんにちは」
「こんにちは、やないわ!どこに目ぇつけて歩いてんねん!」
 剣道場でも学校でも。
 大人の目がなくなったとたんに(から)んでくる、

が傘越しに(あきら)をにらんでいた。
「おかげで濡れてもうたやんけ!どないしてくれるんや!」
「あの、ほんまにかんにん」
「お前なぁ、最近イキってるんちゃうんか!ちょっと先生にヒイキされとるからって!」

 ドスッ、ドス!!

 力任せのどつきに(あきら)の足元が揺れる。
 しつこいと思うものの、(あきら)は風呂敷包みをかばいながら耐えるしかない。
「もらわれっ子が店の手伝いしてるんか。可哀そうやなぁ。お仕事せんと、家に置いてもらえへんねんな」

(言い返したらあかん)

 (あきら)は唇を噛みしめ、うつむき堪えた。
「黙っとらんと、何か言えや!」
「うわっ」
 両手で突き飛ばされた(あきら)の手から、はじけ飛んだ傘が電柱にぶつかり、道路に落ちて転がる。

(荷物が濡れてまう!)

 傘を拾おうとした(あきら)の横腹を、さらに上級生が蹴り飛ばした。

 ばしゃり!

 派手な水音を立てて。
 道路に溜まり始めていた雨水のなかに、(あきら)は勢いよく尻もちをついてしまった。

(立ち上がらな、早よ……)

 商品を守らなければと焦るが、目の前の上級生から肩に足を乗せられて、(あきら)は体を起こすことさえできない。
「あ~、気の毒になあ。どこにお使いに行くのか知れへんけど、そんな菓子、売り物になれへんよなぁ」
 (あきら)が顔を上げると、ひどく歪んだ上級生の目が見下ろしていた。
「なんやねん、その生意気な顔!おまえのとこみたいな弱小和菓子屋、うちがつこてやれへんかったら、すぐにつぶれるんやさかいな!」
 (あきら)を狙いすますように、上級生が足を上げる。

 ガスっ!

「いってぇ!」
 (あきら)を蹴ろうとしていた足を打ち払い遠ざけたのは、たたまれた傘だった。
「……は?おまえ、なんでこんなとこに……」
「ほら、立て」
 面食らっている上級生の目の前でその傘が開いて、(あきら)に差しかけられる。
「……秋鹿(あいか)、センパイ……」
 呆然としながら、(あきら)は差し出された手を取って立ち上がった。
「待ってるから行こう」
 まるで、ほかには誰もいないかのように。
 秋鹿(あいか)(あきら)の手を取ったまま歩き出した。
「あ、俺の傘」
「骨が折れてしまっているけれど……。捨てていくわけにはいかないか」
「うん、せっかく買うてもうたものやさかい」
「……そう。取っておいで」
 骨のひしゃげた傘を、それでも大事そうに拾ってから、(あきら)秋鹿(あいか)の隣に並ぶ。
「待てや、秋鹿(あいか)っ」
 背中から浴びせられた怒鳴り声に、秋鹿(あいか)が足を止めた。
「どういうつもりや」
 秋鹿(あいか)を追いかけた上級生が、その肩をつかんで強引に振り向かせる。
「どういうって?」
「謝りもせえへんで行くつもりかっ」
「なんで謝らないといけないんだ?」
「傘でぶっ叩いたやろが!」
「さそうとした傘を、お前が勝手に蹴ったんだ。それに謝れというなら、夏苅(なつがり)を転ばせたお前が先だろう」
「勝手に転んだんや!」
「蹴り飛ばしておいて?」
「おまえインケンやなぁ。どこで見とったんや?せやけどな、見とっただけやったら、証拠にはなれへんさかいな!おまえが嘘ついてへん証拠はあれへんもんなっ」
「証拠……。じゃあ、俺がお前を“ぶっ叩いた”証拠は?」
「!」
 悔しそうに口を閉じて、上級生は秋鹿(あいか)(あきら)をにらみつけた。
「……覚えとけよ、夏刈(なつがり)。うちに入れてる和菓子、考え直すように親に言うとくさかい」
 捨て台詞を吐くと、上級生はくるりと背を向けて去っていく。
「……どないしよう……」
 肩を震わせうつむく(あきら)の背中に、秋鹿(あいか)の手がそっと添えられた。
「大丈夫。悪いようにはならない。とりあえず、そのお菓子を届けよう」
 
 なぜ秋鹿(あいか)はこんなところにいるのだろう。
 そして、(あきら)の事情を全部知っているようなこの物言いは、どういうことだろう。
 
 疑問は多々あったが。
 不安に胸が潰れそうな(あきら)はそれ以上口もきけず、骨の曲がったままの傘をさして、とぼとぼと歩き出した。
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