紅玉

文字数 2,824文字

 それは、あまりにも(まばゆ)い光であった。
 永遠にも感じられていた夜が、いきなり明けてしまったのかと思うほど。
 悪魔の足元から、朝日が昇ったのかと思うほど。
「うわぁあああああああ!」
「熱いっあつぃぃぃぃ~」
「イタイ、イタイイタイ……」
 地中から放射された光の中、三つの首が(もだ)えくねる影が躍っている。
「あたしの妹に手を出したのはお前だね」
 再生途中の、醜く膨れた首を揺らめかしている三又(みつまた)の悪魔を、鳳凰(ほうおう)(ごと)きの光翼を背負う少女が上空から見下ろしていた。
「覚悟!」
 ()の翼を持つ少女が、両腕の金と銀の腕輪を高らかに打ち合わし鳴らせば。
 蒼玉(そうぎょく)の銀の腕輪よりも芯を持ち、強く清冽(せいれつ)な音が空から降ってきた。
「オーム ブラフマー デーヴァーヤ ナマハ!」※1
 少女が背負う翼と同じ色のアーユスが夜空から降り注ぐ。
 アーユスは蒼玉(そうぎょく)に刺さるトゲと、(まもる)の手の平にこびりついた(カーラ)を消し去り、同時に稀鸞(きらん)のパドマに灯をともした。
「あああああ、くる、苦しぃ~」
 三又(みつまた)の悪魔が激しく首を振って、くねくねと蠢く。
 ()の少女は一直線に舞い降りてくると、(まもる)ごと、ぎゅっと蒼玉(そうぎょく)を抱きしめた。
「よく頑張ったね」
「あねうえ……。紅玉(こうぎょく)姉上」
 潤む黒曜石の瞳を見下ろすと、紅玉(こうぎょく)は妹のへその下あたりをそっと()でる。
『傷を癒したら月兎(げつと)を呼んで』
『ですが姉上』
 蒼玉(そうぎょく)がちらりと墓石の方に目を向けた。
『白虎にお任せすればいい』
 まるで旧来の知己のような笑顔で、紅玉(こうぎょく)(まもる)の背をポンと叩く。
『……俺、ですか?』
 戸惑う(まもる)にくっきりと美しい笑顔を見せ、紅玉(こうぎょく)はシュリリン!と腕輪を打ち鳴らした。
「オン ベイシラ マンダヤ ソワカ!」※2
 紅玉(こうぎょく)の両手からほとばしったアーユスが(まもる)に流れ込んで、その心臓のパドマを開かせていく。
 蒼玉(そうぎょく)の柔らかなアーユスとは明らかに違う、熱く(たぎ)らせる波動が(まもる)の体を巡っていった。
「……すごい」
 受け取ったアーユスの熱さに、(まもる)は目を瞬かせる。
「よし。……ほら、立って」
 満足そうにうなずいた紅玉(こうぎょく)は、ほうけた顔で見上げる(しょう)に手を差し伸べた。
 丸い目をしたまま、知らずその手を握りしめた(しょう)をぐいっと紅玉(こうぎょく)が引っ張り上げる。
「もう怖くない。紅玉(こうぎょく)姉さんにあとは任せて、ゆっくり眠っていなさい」
「え?……!」
 心臓と胃の辺りに置かれたその手の温もりが、(しょう)の強張りを溶かしていった。
「おっと……」
「ごめ、ごめんなさ……」
「そのままでいいよ」
 力が抜けて倒れ込んだ(しょう)の体を、紅玉(こうぎょく)が支える。
「オン バザラ タラマ キリク ソワカ」※3
『よく(こら)えたね。怖かったのに、心細かったのに。もう大丈夫』 

――もう、大丈夫――

 紅玉(こうぎょく)のアーユスが繰り返し繰り返し、()いだ海の波のように(しょう)の心をなでていった。
『もう……、大丈夫……』
 緊張の糸が切れた(しょう)が意識を飛ばす。
 そのとたんに長身の体がぐったりと紅玉(こうぎょく)の肩にもたれかかった。
(まもる)
『わかってる』
 蒼玉(そぎょく)と目を見交わした(まもる)は、両手を組んでから中指を立て指先を合わせる、阿弥陀根本印を結ぶ。
「オン・アミリタ・テイセイ・カラウン!白虎!」
『応』
 走り寄ってきた白虎が、紅玉(こうぎょく)から引き離した(しょう)を抱える(まもる)を乗せて飛び去っていった。
「見事なものだね」
 白虎を操る(まもる)を見送った紅玉(こうぎょく)は、力強い笑みとともに妹を振り返る。
「いくよ、蒼玉(そうぎょく)
「はい、姉上。……此方(こち)月兎(げつと)!急急如律令!」
「御意っ」
 たちまち蒼玉(そうぎょく)の足元から、白ウサギがその姿を現した。
此方(こち)金烏(きんう)!急急如律令!」
「承知ぃ~!」
 紅玉(こうぎょく)の頭上に生じた(まばゆ)(うず)が、三本足の金色のカラスに姿を変える。
「お、毛むくじゃらじゃねぇか。まだ(つか)ってもらってるとはなぁ!チャンドラも気が長いやねっ」
 ばさばさと金の翼をはためかせると、金烏(きんう)がケケっ!と鳴いた。
「ワタクシは(あるじ)のもと、七百年間大活躍でしたよ。寝こけてたカラスが何を言うか」
「はいはい、じゃれ合いはそこまで。月兎(げつと)金烏(きんう)、頼んだよ!」
「御意!」
「承知ぃ~!」
 白ウサギが地を蹴り、金のカラスが天高く舞い上がった。
蒼玉(そうぎょく)天空(アカシャ)のところへ』
 うなずいた蒼玉(そうぎょく)稀鸞(きらん)へと飛んでいく。
「さて」
 (よう)のアーユスのダメージから回復しきれず、苦しげに(うごめ)いている三又(みつまた)の大蛇、マートサリヤースラを紅玉(こうぎょく)が見上げる。
「これはまた、業の深いこと」
 打ち合わされた紅玉(こうぎょく)の金と銀の腕輪が、リュリン!と美しい音色を響かせた。
『腹の呪符を戦士(ヴィーラ)で叩きます!天空(アカシャ)は首を!金烏(きんう)月兎(げつと)は動きを封じよ!』 
 紅玉(こうぎょく)が腕輪を構えると、金のカラスが三又(みつまた)の頭上を忙しなく飛び回り、白ウサギが二股の尾の周りをからかうように跳ね飛ぶ。
(チャンドラ)、少し無茶をさせるが、そのアーユスのままハラを』
『ハラ?ガヤトリーでなく?』
 蒼玉(そうぎょく)稀鸞(きらん)の隣で銀の腕輪を鳴らした。
『今ガヤトリーなんか唱えたら、蒼玉(そうぎょく)(すが)っていたあの子が泣くよ』
 くすりと笑う気配がアーユスに混じる。
月兎(げつと)が七百年と言っていたね。そんなに怠けていた分、あたしが働くよ』
戦士(ヴィーラ)たち、行くぞ』
『『はい!』』
 戦士(ヴィーラ)の姉妹と(アグニ)天空(アカシャ)が大地を蹴った。
「オーム ヴェーダートマナーヤ ヴィッドゥマヘー ヒランニャガルバーヤ ディーマヒ タンノー ブラフマ プラチョーダヤートゥ!」※4
 竜笛(りゅうてき)が辺り一帯の空気を震わせて流れる。
「オーム ハラーヤ ナマハ!」※5
 紅玉(こうぎょく)蒼玉(そうぎょく)の金と銀のアーユスが、マートサリヤースラの腹部目がけて放たれた。
「オーム ヴァクラトゥンダーヤ ナマハ!」
 稀鸞(きらん)が再び顕現(けんげん)させたヴァクラトゥンダ神の鼻が、三又(みつまた)の首を一気にまとめて絡めとり、締め上げる。
「ぐっうううううううううう~」
 三本の首が飴細工のように細く()じれた。
「オン アビラウンケン バサラ ダト バン!」※6
 智拳印(ちけんいん)を結ぶ稀鸞(きらん)の手に光が集まり、たちまち太刀となってその手に握られる。
「ああ、あああああっ!熱いっ、熱いぃぃぃぃ~」
 金と銀のアーユスに焼かれた悪魔の腹に、刺青のように呪符が浮かび上がってきた。
「ハリ オーム ナモー ナーラーヤナ!」※7
 紅玉(こうぎょく)が放った光矢がマートサリヤースラの腹に刺さり、稀鸞(きらん)の太刀が一気に三本の首を切り払って落とす。
「ぎゃああああ!!」

 ズドドドドドォン……。

 首を失い、巨大なナメクジのようになった悪魔の体が、大地にゆっくりと倒れ伏していった。

※1 万物創造の主であるブラフマー神に捧げるビージャ・マントラ
※2 毘沙門天のマントラ 邪気を払いのけ、勝利とエネルギーを与える 
※3 千手観音 マントラ 苦難除去、現世利益、病気平癒
※4 ブラフマー神に捧げるガヤトリー・マントラ
  意味:我らがヴェーダの魂(ブラフマ)を知り 黄金の胎児を瞑想できるように ブラフマよ、我らを導き給え
※5 シヴァ神の別名ハラのマントラ 自身の内外に潜む悪の性質を破壊し、罪を浄化する
※6 大日如来マントラ  金剛界五仏(五智如来)に対して光明を放つように祈願する
※7 宇宙を維持するための神とされているヴィシュヌ神 マントラ
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