烈火の娘-1-
文字数 3,818文字
オリエンテーションも新勧の嵐も一段落して、大学キャンパスがすっかり落ち着きを取り戻したころ。
今までの寒波が嘘のような暖かな日が続いて、長く咲き残っていた桜も一気に散っていった。
花吹雪がキャンパスを桜色に染めて、春は足早に過ぎていく。
そして、季節は名残の挨拶の代わりに、学生たちの肩やカバンにそっと花びらを忍ばせた。
本日最後の授業である三限が終わり、煌 は待ち合わせ場所の8号館へと向かっている。
そして、妙に女子大生が群れているベンチを見つけて、スマートフォンを取り出した。
(多分、おそらく、きっと絶対)
半眼となった煌 がスマートフォンをタップをすれば。
二、三コールののち、魚群に合わせて移動する海鳥のように、女子大生の輪が崩れていく。
「あ、ゴメンネ、電話来たから」
「え~、残念」
「また月曜ね!」
「週明けは一限から?」
「大教室?」
遠く聞こえた馴染みの声は、たちまち海鳥たちの声に紛れて消えていった。
「遅ぇじゃん」
煌 の耳元から不機嫌な声が聞こえてきたのと同時に、女子大生たちの間から渉 が立ち上がる。
「もうちっと早く来いよ」
そのすらっとしたスタイリッシュな姿に、その場にいる学生たちの視線がさっと集まった。
「15号館から来るんやで。文句言うんやったら、渉 が来たらええやろ」
「そっちでもどうせモテちゃうけどなー」
渉 が軽く手を振れば、背後の女子大生たちから黄色い声が上がる。
「アホくさ」
海鳥、いや女学大生の群れにはそれ以上近づかず、煌 はピタリと足を止めた。
「鎮 は?」
煌 の目の前まで来ると、渉 はスマートフォンを切って辺りを見回す。
「は?……アーユス受け取れへんかった?休講になったさかい、先に出るって」
声を潜めた煌 に、渉 は眉を寄せてため息をついた。
「……またかよ……」
事情が特殊なだけに、劣等感というほどではないけれど。
取り残されている感は絶えず、渉 をモヤモヤさせていた。
そして、そう感じさせる筆頭の鎮 は、すでに玉石の姉妹の指導が必要ないほどのアーユス使いになっている。
(スマホよりアーユスのが楽って……。あいつは人間か?)
確かに、いつでも(講義中でも)周囲に気づかれることなく意思伝達ができるというメリットはある。
だが、受け取る側の能力がまだ未熟なのだ。
煌 の確率でさえ8割ほどで、渉 に至っては、一度も受け取れたことがない。
「これも訓練のうちって言うけどさぁ」
ライトブラウンの前髪を渉 が片手でかき上げれば、すれ違った女学生の頬がぱっと桜色に染まる。
「こう何回も失敗してると、さすがに落ち込むわ」
「へー、さすがの渉 さんが」
滅多にない渉 の憂い顔に、煌 は目を丸くしたのだが。
「ショウ~!」
「よー、ちなつちゃん」
小走りに近寄ってくる女子大生に気がついた瞬間、渉 には完璧な笑顔が浮かんでいる。
「……ホストかいな」
呆れたつぶやきは無視して、渉 は二、三歩女子大生に歩み寄った。
「これから講義?」
「ううん、サークルの待ち合わせ」
「へー、そんな可愛いカッコしてたらモテちゃうじゃん」
「なに言ってんの」
まんざらでもなさそうな顔で、ちなつは渉 の腕を軽く叩いた。
「相変わらずお口が上手ですね」
「いや、本心本心」
「はいはい、ありがと。あ、そうだ、語学クラスでカラオケ行こうって話してるんだけど、ショウも来るでしょ?」
覚えたてなメイクも初々しい女学生が首を傾 げる。
「え~、どうしよっかな」
「行こうよ!クラスの親睦会だし」
「そーだなあ」
「ショウがいないとつまんないよ」
「マジ―?」
「……先に行くで」
じゃれ合うような渉 と女学生の横を、煌 は足早に通り過ぎた。
「あーうん。すぐ追っかけ、」
「ソウが待っとるから」
「えっ」
大股で歩いていく大きな背中を、ヘーゼルの瞳が追う。
「鎮 、ソウと一緒にいんの?」
「あたりまえやろ。鎮 がソウと一緒におれへんなんて、講義ぐらいやぞ」
振り返りもしない煌 に、渉 は肩にかけていたカバンを抱え直した。
「やっべ。あのさ、予定確認しとくわ。ちょっと急ぐから」
「じゃあ、あとで連絡ちょうだいね!」
あっさりとうなずいた女学生に手を振って、渉 は煌 の横に並ぶ。
「……最近、素行が良くなったと思うとったのに」
「いや、ちが、だって、断るにしてもよ、丁寧な説明を心掛けないとな?」
「ウワキ亭主の言い訳みたいやん」
「ウワキじゃねぇっ」
「そうやな。そもそも、相手にもされてへんもんな」
「~!おまえなあっ」
「コウ姉の前だと、ただの先生と生徒……、ん」
突然、黙り込んだ煌 がピタリと足を止めた。
「どした?」
その視線を渉 が追うが、そこはいつもどおりの正門風景があるばかりで。
いくつかの学生グループがはしゃいだ笑い声を上げ、待ち合わせ顔の学生がスマートフォンをいじりながら、時おり辺りを見回している。
不審な様子も人物も見当たらないが……。
「なによ、誰かいる?」
「いる。渉 、あっちから行こか」
煌 が慌てて正門に背中を向け、早足で歩き出したのと同時に。
「あきらぁぁ~!」
「え?」
「しもた、見つかった。こっから別行動な。あとで連絡する!」
「おい、アキラ!……シマウマの群れに突進してくヌーみてぇ」
場違いな感想をつぶやいて。
呆然と立ち尽くす渉 の横を、誰かが駆け抜けていった、と思う間もなく。
(え、誰?!)
くるりと渉 を振り返ったのは、目鼻立ちのくっきりとした美人だ。
(オレ?オレに用があんの?……うわ、こっち来た……)
走り寄ってくる美人の殺気に、渉 は思わず一歩下がる。
華やかな美人は渉 の目の前に立つと、頭のてっぺんから足先までを睨 め回し、また視線を上げた。
「あんた、煌 の知り合い?」
ドスの効いた声に、渉 はカクカクとうなずく。
「まあ、そうね。そんな感じ?」
「あのコ、今どこに住んでるん?……隠してもムダやで」
美人が握り込んだ拳 がパキリと鳴らされるのを見て、渉 の背に脂汗が流れた。
(なんかヤバい。絶対ヤバい)
曖昧な笑顔を貼りつけて、渉 はさらに一歩下がる。
こんな感じで迫られたことは何度かあるが、この迫力美人と自分は無関係。
さっさと逃げた煌 の代わりに、とんだとばっちりだ。
援軍呼ぶか?
いや、槐 は4限があるし、蒼玉 の護衛をしてる鎮 の邪魔なんかしたら、あとが怖い。
チクショウ、どうすりゃいいワケ?
(だ、誰か助けて……!)
「遅くなりました」
背後から聞こえた鈴の声に、渉 はほっとして振り返る。
「ごめんな、ソウ。ちょっとトラブル、……!」
(蒼玉 だよな?うん、声が蒼玉 だもんな。……いや、でも)
「お知合いですか?」
フェミニンな薄青のミニワンピースに、10分丈のレギンスを合わせたすらりとした少女が、薄く微笑んだ。
大振りの銀のバレッタで留められた長い黒髪が、風にふわりと揺れる。
(やっぱ、双子なんだなぁ)
ぱっと見は紅玉 と見分けのつかない蒼玉 を前に、渉 は言葉が続かない。
「あなたも煌 の知り合いやの?」
渉 の背後から出てきた蒼玉 に、ダイナミック美女の目が鋭くなる。
「あら、名残りの桜でしょうか」
「え?」
美女の問いを無視した蒼玉 は、緩くうねるボブヘアの間に指を差し込んだ。
「花びらを髪飾りにするなんて、風情がありますね。……大丈夫、怖いことはありませんよ」
そのままついと首筋をなで下された美女の目が、急にぼんやりとしていく。
『玄武、朱雀を連れてきてください。……ふたりともお仕置きです』
振り返ったその顔は紅玉 にそっくりで、だが、冷たいアーユスと瞳が蒼玉 だった。
「え、えぇぇぇぇ……。オレも?オレが悪いの?それに、煌 がどこに行ったかなんてわかんねぇよ」
「……西門で鎮 が捕まえています。わたしはこの方を連れて、一足先に“おうち”に戻ります」
「え、いいのかよ。だって部外者は、」
「ワケあり」の仲間が暮らすシェアハウスは、「部外者を招かないこと」が暗黙のルールである。
「この方は部外者ではありませんから」
「それは」
「説明は朱雀から」
渉 の質問を封じて、美女と腕を組んだ蒼玉 はさっさと歩き出していった。
「うわ」
「カワイイ……」
すれ違う男子大学生たちのそわそわした視線を浴びながら、ふたりの背中が遠ざかっていく。
(鎮 がいなくてよかったな、オマエら)
クスリと笑って、渉 が踵 を返せば。
『早く来い』
目の前に現れた白髪の幻影が、一言告げてふっと消えていく。
「?!」
落第生の自分にも受け取れるほどのアーユスで、しかも、幻術まで使うとは。
ちょっと第六感が働く人間ならばもしかしてと心配したが、辺りはまったくいつもと変わらない。
(てぇことは、オレでも
ちょっとした優越感は、幻術の主を思い浮かべたとたんに霧散していく。
(相当怒ってんな)
出会ってからほどなく、蒼玉 は早送りの動画を見せられるように、年相応の姿になっていった。
相変わらず、その黒水晶の瞳はあまり感情を映すことはないが、そのぶんミステリアスで。
溌剌とした紅玉 とクールな蒼玉 が街を歩けば、当然、男共の視線を奪う。
だから、鎮 が情けないほど繰り返し繰り返し、「なるべくひとりで出かけないで」と訴えていたのもうなずける。
だというのに。
その鎮 から引きはがして単独行動させたとなれば、その怒り具合も察せられるというもの。
(戦士 と白虎のダブルオシオキなんて、シャレになんねぇ!)
焦った渉 は、西門まで全速力で走ることにした。
今までの寒波が嘘のような暖かな日が続いて、長く咲き残っていた桜も一気に散っていった。
花吹雪がキャンパスを桜色に染めて、春は足早に過ぎていく。
そして、季節は名残の挨拶の代わりに、学生たちの肩やカバンにそっと花びらを忍ばせた。
本日最後の授業である三限が終わり、
そして、妙に女子大生が群れているベンチを見つけて、スマートフォンを取り出した。
(多分、おそらく、きっと絶対)
半眼となった
二、三コールののち、魚群に合わせて移動する海鳥のように、女子大生の輪が崩れていく。
「あ、ゴメンネ、電話来たから」
「え~、残念」
「また月曜ね!」
「週明けは一限から?」
「大教室?」
遠く聞こえた馴染みの声は、たちまち海鳥たちの声に紛れて消えていった。
「遅ぇじゃん」
「もうちっと早く来いよ」
そのすらっとしたスタイリッシュな姿に、その場にいる学生たちの視線がさっと集まった。
「15号館から来るんやで。文句言うんやったら、
「そっちでもどうせモテちゃうけどなー」
「アホくさ」
海鳥、いや女学大生の群れにはそれ以上近づかず、
「
「は?……アーユス受け取れへんかった?休講になったさかい、先に出るって」
声を潜めた
「……またかよ……」
事情が特殊なだけに、劣等感というほどではないけれど。
取り残されている感は絶えず、
そして、そう感じさせる筆頭の
(スマホよりアーユスのが楽って……。あいつは人間か?)
確かに、いつでも(講義中でも)周囲に気づかれることなく意思伝達ができるというメリットはある。
だが、受け取る側の能力がまだ未熟なのだ。
「これも訓練のうちって言うけどさぁ」
ライトブラウンの前髪を
「こう何回も失敗してると、さすがに落ち込むわ」
「へー、さすがの
滅多にない
「ショウ~!」
「よー、ちなつちゃん」
小走りに近寄ってくる女子大生に気がついた瞬間、
「……ホストかいな」
呆れたつぶやきは無視して、
「これから講義?」
「ううん、サークルの待ち合わせ」
「へー、そんな可愛いカッコしてたらモテちゃうじゃん」
「なに言ってんの」
まんざらでもなさそうな顔で、ちなつは
「相変わらずお口が上手ですね」
「いや、本心本心」
「はいはい、ありがと。あ、そうだ、語学クラスでカラオケ行こうって話してるんだけど、ショウも来るでしょ?」
覚えたてなメイクも初々しい女学生が首を
「え~、どうしよっかな」
「行こうよ!クラスの親睦会だし」
「そーだなあ」
「ショウがいないとつまんないよ」
「マジ―?」
「……先に行くで」
じゃれ合うような
「あーうん。すぐ追っかけ、」
「ソウが待っとるから」
「えっ」
大股で歩いていく大きな背中を、ヘーゼルの瞳が追う。
「
「あたりまえやろ。
振り返りもしない
「やっべ。あのさ、予定確認しとくわ。ちょっと急ぐから」
「じゃあ、あとで連絡ちょうだいね!」
あっさりとうなずいた女学生に手を振って、
「……最近、素行が良くなったと思うとったのに」
「いや、ちが、だって、断るにしてもよ、丁寧な説明を心掛けないとな?」
「ウワキ亭主の言い訳みたいやん」
「ウワキじゃねぇっ」
「そうやな。そもそも、相手にもされてへんもんな」
「~!おまえなあっ」
「コウ姉の前だと、ただの先生と生徒……、ん」
突然、黙り込んだ
「どした?」
その視線を
いくつかの学生グループがはしゃいだ笑い声を上げ、待ち合わせ顔の学生がスマートフォンをいじりながら、時おり辺りを見回している。
不審な様子も人物も見当たらないが……。
「なによ、誰かいる?」
「いる。
「あきらぁぁ~!」
「え?」
「しもた、見つかった。こっから別行動な。あとで連絡する!」
「おい、アキラ!……シマウマの群れに突進してくヌーみてぇ」
場違いな感想をつぶやいて。
呆然と立ち尽くす
(え、誰?!)
くるりと
(オレ?オレに用があんの?……うわ、こっち来た……)
走り寄ってくる美人の殺気に、
華やかな美人は
「あんた、
ドスの効いた声に、
「まあ、そうね。そんな感じ?」
「あのコ、今どこに住んでるん?……隠してもムダやで」
美人が握り込んだ
(なんかヤバい。絶対ヤバい)
曖昧な笑顔を貼りつけて、
こんな感じで迫られたことは何度かあるが、この迫力美人と自分は無関係。
さっさと逃げた
援軍呼ぶか?
いや、
チクショウ、どうすりゃいいワケ?
(だ、誰か助けて……!)
「遅くなりました」
背後から聞こえた鈴の声に、
「ごめんな、ソウ。ちょっとトラブル、……!」
(
「お知合いですか?」
フェミニンな薄青のミニワンピースに、10分丈のレギンスを合わせたすらりとした少女が、薄く微笑んだ。
大振りの銀のバレッタで留められた長い黒髪が、風にふわりと揺れる。
(やっぱ、双子なんだなぁ)
ぱっと見は
「あなたも
「あら、名残りの桜でしょうか」
「え?」
美女の問いを無視した
「花びらを髪飾りにするなんて、風情がありますね。……大丈夫、怖いことはありませんよ」
そのままついと首筋をなで下された美女の目が、急にぼんやりとしていく。
『玄武、朱雀を連れてきてください。……ふたりともお仕置きです』
振り返ったその顔は
「え、えぇぇぇぇ……。オレも?オレが悪いの?それに、
「……西門で
「え、いいのかよ。だって部外者は、」
「ワケあり」の仲間が暮らすシェアハウスは、「部外者を招かないこと」が暗黙のルールである。
「この方は部外者ではありませんから」
「それは」
「説明は朱雀から」
「うわ」
「カワイイ……」
すれ違う男子大学生たちのそわそわした視線を浴びながら、ふたりの背中が遠ざかっていく。
(
クスリと笑って、
『早く来い』
目の前に現れた白髪の幻影が、一言告げてふっと消えていく。
「?!」
落第生の自分にも受け取れるほどのアーユスで、しかも、幻術まで使うとは。
ちょっと第六感が働く人間ならばもしかしてと心配したが、辺りはまったくいつもと変わらない。
(てぇことは、オレでも
普通
よりは優秀ってことか?……いやいやいや)ちょっとした優越感は、幻術の主を思い浮かべたとたんに霧散していく。
(相当怒ってんな)
出会ってからほどなく、
相変わらず、その黒水晶の瞳はあまり感情を映すことはないが、そのぶんミステリアスで。
溌剌とした
だから、
だというのに。
その
(
焦った