業の姿

文字数 2,337文字

 ドズンっ、バタン!!

 横たわる巨大ナメクジと化したマートサリヤースラが、腹を波打たせて跳ね飛んでいる。
 光太刀で焼き切られた首の切断面が、ブクブクと膨れ上がっては、形にはならずに溶け崩れていった。
(チャンドラ)
 紅玉(こうぎょく)がアーユスを飛ばしながら、自分の腹をなぞる。
『傷がまだ塞がっていないね。癒しのマントラを』
「はい。……オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ」※1
 蒼玉(そうぎょく)の指先が臍部(さいぶ)をなでると、その動きを追って衣の内側が丸く光った。
「おい、スーリヤ」
 金粉が舞うような光りを放つ翼を羽ばたかせて、金烏(きんう)紅玉(こうぎょく)の肩に降り立つ。
「とどめ刺さねえと。でっけえ執着だから、呪符が(はら)いきれてねえぞ」
「まったく、何たる無礼者か!グールーに向かって。これだから鳥頭(トリアタマ)は」
「うっせえよ!」
 半眼で見上げる月兎(げつと)金烏(きんう)が怒鳴った。
八咫烏(ヤタガラス)サマが式になってやるなんざ、前代未聞だぜ?そんな頼みをするヤツぁ、スーリヤじゃなきゃ頭から食らってやるところさ。なんせ神使(しんし)だからよ、オレぁ」 
「ワタクシだって神使(しんし)です。大体、そんな下品な神使(しんし)がいますかね。アナタの三本目の足は、本当は木の枝なのでは?」
和邇(ワニ)に皮剥がれて、わんわん泣いてたヤツにだけは、言われたかねぇな」※2
「泣いたのはワタクシではありませんっ。あれは兄上です!」
「ウサギの区別なんざつかねぇよっ」
「はいはい、じゃれ合いはそこまで。……金烏(きんう)、この縛合(サンガ)は、まだ救えると思う?」
 紅玉(こうぎょく)の肩からナメクジを見下ろして、金の八咫烏(ヤタガラス)は首をくいっと傾ける。
「うーん……。呪符をつかんで離さねえ、か。救わなきゃ駄目か?」
『姉上、あれは(まもる)の敵で、すでに闇落ちしている魂。わたしが』
 ナメクジの腹で微かに明滅している呪符を、蒼玉(そうぎょく)がにらんだ。
『腐っても血族。あの子の傷になるよ。その役目を(チャンドラ)、あなたに負わせたことが』
 互いにしか伝わらないほどに弱められたアーユスが、紅玉(こうぎょく)から返される。
蒼玉(そうぎょく)はそれでいいの?』
(まもる)の手は汚したくありません。あの子は、わかってくれます』
「……ねえさん……」
「!」
 ため息のようなその声に、マントラを唱えようとした蒼玉(そうぎょく)の動きが止まった。

 もう顔などないのに。
 ナメクジの悪魔から、切なく呼ぶ声が聞こえてくる。

「姉さん……。……沙良(さら)。幸せになってほしかったんだよ。誰よりも……」
「……っ」
 墓石の前で(たたず)(まもる)の耳にも、(ささや)きは届いた。
 嘘やごまかしのない、心からの祈りの声が。
「くっ、……うぅっ……」
 (まもる)が振り返ると、暗がりでもそれとわかるほど、(あきら)の肩が震えている。
「姉さん……、ねえさん……」
 紅玉(こうぎょく)のアーユスにじわじわと締め付けられて、ナメクジの動きが鈍っていった。
「往生際の悪い」
 舌打ちしそうな勢いでつぶやき、蒼玉(そうぎょく)が銀の腕輪を打ち鳴らす。
「オーム、」
「あかんでっ」
「行くな(あきら)っ。戻ってこい!」
「お願いします、蒼玉(そうぎょく)!」
 忠実な番犬の仮面を脱ぎ捨てた(あきら)が、(あるじ)の声を無視して走り去っていった。
 そして、戦士(ヴィーラ)姉妹の間を抜けて、(あきら)はナメクジの前に陣取って両手を広げる。
「許したって!……お願い、お願いします」
 蒼玉(そうぎょく)(あきら)をにらみながら、それでもその両手を下ろした。
「ソレを見逃すことがどういうことか、わかっていておっしゃるのですか、朱雀様」
「せやけど……、だって……」
「姉さん……。さ、ら……。沙良(さら)っ」
 口ごもる(あきら)の声を消すかのように、ナメクジのつぶやきが大きくなっていく。
『しぶとい呪符だね。もう一度アーユスを』
『はい』
「お願いやっ」
 目配せし合う姉妹に気づいた(あきら)が、膝をついて頭を下げた、そのとたん。
「誰だ、誰がいるんだっ。(まもる)、おまえかぁぁぁぁ!」
 頭上から迫る気配に(あきら)が振り仰ぐと、ナメクジの首があった場所がぐわりと大きく開き、迫ってきていた。
「わあっ」
「オン・アビラウンケン・バサラ・ダト・バン!」※3
 腰を抜かした(あきら)とナメクジの間に稀鸞(きらん)が割って入り、光太刀が虚空のような大穴に突き立てられる。
「ああああ、痛い、痛いよぉ、ねえちゃんっ」
 ナメクジが(もだ)え、大きく身をよじった。

 ジュバッ、ジュルジュルジュル……。

 穴から黒いタール状の汚物が、噴水のように吹き出していく。

 ジュルジュル……、シュシュシュ、シュルシュル……。

 汚物の噴出が収まっていくのと同時に、ナメクジは小さくなって消えていった。
 そうして気がつけば、真っ黒な水たまりのなかに、ひとりの男が立っている。
「ああ、そこにいたのか」
 手に(なた)のようなものを握る宮司姿の男が、へらりと笑った。
(まもる)、一緒に逝こう。沙良(さら)のところへ、一緒に」
「!」
 怪しく光る呪符が巻き付いた(なた)を振り下ろしてくる、仄暗い笑顔の男。
 すべてがはっきりと見えているのに、(あきら)は腰が抜けて逃げることもできない。
「ぐっ?!」
 突然、突き飛ばされた(あきら)が、尻もちをついて転がっていった。
「くそぉ!邪魔だ!邪魔なんだよっ」
 呆然と半身起き上がった(あきら)の目の前で、稀鸞(きらん)の光太刀と(なた)が斬り結び合い、せめぎ合っている。
「逝こう!逝くんだよ、(まもる)!死んで沙良(さら)に詫びるんだ!」
 斬り結ぶ稀鸞(きらん)のアーユスが、目に見えて薄くなっていった。
「どうした、そろそろ降参、ぎゃああああああっ!」
 すばやく男の背後に回った紅玉(こうぎょく)が、その背中に太刀を突き立てれば。

 ブシュゥゥゥ。
 
 傷口から真っ黒な液体を噴出させた男が、膝から崩れ落ちていった。
 男は自らの汚物だまりにびちゃりと倒れ、その手からこぼれ落ちた(なた)は、砂糖菓子のように汚物液に溶けていく。
「……ねえ……ちゃん……」
 顔半分を汚物だまりに埋めた男の目が、ゆっくりと閉じられていった。

※1 薬師如来マントラ  病気平癒 健康長寿 災難除去
※2 和邇(ワニ)に皮を剥がれたのはご存じ「因幡の白兎」
※3 大日如来マントラ
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