大阪哀歌(エレジー)-5-
文字数 4,076文字
「ウサギやのに、目が青いんやね。ガラス?石?キレイやねぇ。……あれ?鈴はあれへんなあ……」
「サファイアだよ。……鈴の音が、聞こえた?」
煌 が顔を上げると、瞬 きもしないような秋鹿 と目が合う。
「え?うん。ほら、今も。チリチリって」
「……へぇ……」
その目つきに見覚えがあった煌 は、秋鹿 の首元に目をやった。
「そういえば、センパイの首にかけとる勾玉 もチリチリいっとったね。キーホルダーには見当たれへんさかい、そっちについてるん?」
「……」
何度か瞬きを繰り返したあとで。
「ふふっ、ふふふ」
秋鹿 は尻がモゾモゾするような、何やら、いたたまれなくなるような表情で笑い始めた。
(このヒト、笑うんや!)
「ふふ、うん、いいよ。ちょっと待ってて」
「はい?」
(何がええの?俺には言うてへんのかな……。せやったら誰に?)
困惑して、煌 はもう質問もできずにいたのだが。
「ちょっ、なにするんっ?!」
突然、自らの目に指を突っ込んだ秋鹿 に、煌 は中腰となる。
宙をかくような仕草をする煌 を横目に、秋鹿 はゆっくりとポケットから容器を取り出して、黒のコンタクトをしまった。
そうして ふたつの赤い瞳でこちらを見ている秋鹿 は、まるで初めて会う人のようで……。
(……秋鹿 センパイ、やんな……)
無言の秋鹿 と向き合ううちに、煌 は何やら急かされるような気持になった。
「えと、あの。……秋鹿 センパイって、ほんまに不思議なヒトやね」
気がつけば、自然に口が開いて言葉が漏れ出していく。
「誰の目も気にせえへん芯があって、俺なんかをかばってくれる、強い人やんな。俺なんかを……」
煌 は秋鹿 から視線を外してうつむき、そのままペショリと座り込んだ。
「
「あなたのせいじゃない」
「えっ?」
それは秋鹿 であって、秋鹿 ではない声。
その不思議さに、煌 は恐る恐る顔を上げる。
「あなたは何も悪くない。そんなに傷ついて、頑張ってきて。……泣きたいのも我慢して……」
秋鹿 の指が頬をなぞり、そのとき初めて、煌 は自分が涙を流していることに気がついた。
「コンタクトを探してくれてありがとう。あなたは優しい。とても優しい」
「あの、秋鹿 センパイ?」
小さく微笑んだ秋鹿 の指が、煌 の頬から離れていく。
「うん。……そうだね。ありがとう」
(あ、声が。……元に戻った)
ずっと同じ声だったはずなのだが、なぜだか煌 にはそう思える。
”元に戻った”秋鹿 が、シャツの襟 から勾玉 の首飾りを取り出した。
(な、なんやねん、その目!)
鈴の音が煌 の耳をくすぐり続けているなか。
見ているほうが恥ずかしくなるような甘いまなざしで、秋鹿 は首飾りを見つめている。
(ひぇ、何すんの?!)
その首飾りにそっと唇を寄せた秋鹿 にドギマギして、煌 は畳に突っ伏した。
「秋鹿 センパイ、それ、なんかエロ……」
「これくらいで?」
呆れたような秋鹿 の声が返ってきたけれど。
なんだかいたたまれなくて、煌 はそのまま畳の上で身もだえた。
「こ、これくらいって、好きな人にもろた首飾りに、き、き、キス、するなんて……。……エロいやん……」
「誰からもらったかなんて、言ったか?」
「だって、顔がそうやさかい。……めっちゃ好きって顔してる」
「本当に?」
「……うん」
煌 が上目遣いに秋鹿 を確認すると。
(あ、わろてる、ちゃんと)
深いその笑顔に、煌 の目が奪われる。
(秋鹿 センパイって、ほんまにキレイやな。……赤い目、ステキやし)
煌 は、さっきまで胸に溜まっていた苦 重い気分が、いつの間にか消えていることに気づいた。
「それは気をつけないといけないな」
「秋鹿 センパイ、いつもそうやって笑うてたらええのに」
「面白くないのに笑えない」
「今はおもろいの?」
「うん。夏苅 の顔が面白い。まっかっかで」
「ひどっ」
淡い笑みを浮かべ立ち上がって、秋鹿 が開け放っていた窓を閉め始める。
煌 が部屋の時計を確認すると、もうすぐ昼休みも終わる時間だ。
「秋鹿 センパイ、昼休みはここにいるん?」
「大体な」
「俺もまた来てもええ?」
「夏苅 は、もうすぐ必要なくなるよ」
「え?」
(戻るって思ただけでムカムカするのに?)
「それは」
「今日、道場の終わりに迎えに行くから」
「え、センパイが?」
意外な回答に、煌 は「豆鉄砲三度 」になる。
「いや、俺じゃなくて、さっき電話してた人。父親の秘書」
「え、でも……。その秘書さんがどんな人か、知らへんよ、俺」
「タカハシさんっていう人だ」
「名前だけ聞いても、」
「めんどくさい説明をする人だから、すぐわかる。……ほら、戻るぞ」
「……うん」
それでもまだためらう煌 に、秋鹿 が両手を広げた。
「不安なら、気合でも入れてやろうか?」
そのおどけた仕草で、秋鹿 はふざけているだけだとわかったけれど。
「……うん!」
吸い寄せられるようにその胸に飛び込んで、煌 は秋鹿 の背中に両腕を回す。
(っ!……センパイ……)
拒否されるとばかり思っていたのに。
秋鹿 の腕がそっと煌 を包んでくれた。
――大丈夫、大丈夫だ――
黙って煌 の背中を叩くその手は、そう励ましてくれているようで。
「ギュッとしてもうたのなんか、久しぶりや」
煌 は秋鹿 の胸にそっと額を押しつけて、涙声をごまかした。
◇
それはここ最近、すっかり慣れっこになってしまった風景だった。
皆がそそくさと帰ってしまって、がらんとした男子更衣室。
そこで煌 はひとり黙々と、床にモップをかけている。
稽古終了後の清掃は、曜日ごとのグループ当番制であるはずなのだが。
「……ふぅ~」
全力で稽古をしたあとの掃除は、それでなくても疲れる。
だというのに、最近ではひとりだけでやっているし、しかも、先生たちに知られないように、手早くやらなければならない。
(今日はもう、風呂に入ったらすぐに寝よ)
そう思いながら、煌 が道場を出たとき。
「よぉ夏苅 。お掃除ごくろーさん」
煌 を取り囲んだ。
(え、帰ったんやなかったん?)
嫌な予感がして、煌 は思わず一歩下がる。
「せんせーに言われてん」
取り囲んだ上級生たちが目配せをし合った。
「自分らが掃除当番の日に、なんで夏苅 にやらしてんねんて」
「おっかしぃなぁ。なんでバレたんやろ」
「誰かチクったんちゃうんか?」
じり、じりっと、上級生たちが煌 との距離を詰めてくる。
「し、知れへんよ、そんなん」
「せやったら、なんでバレてんねんな!」
煌 の襟首 をつかみ、怒鳴った。
「オマエしかおれへんやろっ」
「夏苅 煌 君というのは、どなたですか?」
突然。
何の前触れもなく、落ち着いた硬質な声が頭上から降ってきた。
取り囲んでいた上級生たちが一斉に振り返ると、スーツ姿で銀縁の眼鏡をかけた男性が、じっと少年たちを見下ろしている。
その刺すような視線に気づいた上級生の手が、煌 の襟 からぱっと離れた。
「えと、あの、俺……ボク、ですけど」
おどおどと見上げる煌 に、男性が「ふむ」と言った様子で首を傾ける。
(この人が、秋鹿 センパイが言うとった“秘書”さん?)
「ああ、あなたですか。初めまして。私はタカハシと申します。タカハシのハシはブリッジではなく……」
(は?え、なんて?)
あまりに長い自己紹介に、煌 の目が点になった。
しかも、引き合いに出された漢字は、どれも残念ながら煌 の知識でぴんとくるものがない。
「……じゃまくさい説明って、これか」
「じゃまくさい?」
「あ、いやあの……」
「鎮 さんがそうおっしゃったのですか?」
きらりと光る眼鏡の奥の瞳に、ぞくりと背筋が震えて。
煌 は返事もできないまま、首を細かく横に振るしかなかった。
「まったく、あの方は。ですが、そこまで聞いているなら、確かにあなたが夏苅 煌 君だとわかりましたよ。お送りするよう申し付かっております。こちらへどうぞ」
男性が体を横に向けると、目に飛び込んできたのは、道場前で存在感を放っている高級外車。
そのボンネットには、煌 でも名前を知っているエンブレムが光っていた。
「でも、あの」
気圧されて黙りこくっている上級生たちを、煌 は視線だけでふりかえる。
(このまま帰っても、ええんかな……)
不安に揺れる煌 の目に気づいた高ハシが、わずかに眉を上げて
「君たちの用事は終わりましたか?……チクリで叱られた件ですが」
上級生たちが、一斉にぎょっとした顔になる。
「自分たちの当番を人に押し付けたことによるものならば、それは当然行われるべき指導でしょう。それ以上でも以下でもない。何か申し開きはありますか?」
「……ヤバない?」
「全部聞かれてるやん」
「こいつ、誰やねん?」
気まずげな密やかな会話は、それでも煌 のところにまで届いた。
「知らんわっ」
いらだつ煌 の腹に不安がたまっていく。
(明日から、また八つ当たりされるんやろか……。サンドバッグ、しんどいなあ)
「ないのですか?
うつむいた煌 の肩をぽんと叩いて、高ハシが一歩少年たちに近づいた。
「この場で言えないものをあとで言い出しても、それはただの卑怯な攻撃です。しかも、多勢に無勢ならば卑怯の二乗ですね。卑怯ここに極まれり。KING OF 卑怯の称号を差し上げましょう。……夏苅 君、行きますよ」
(……ヒトコトやなかったな)
煌 を始め、怒涛の「卑怯」を浴びせられた少年たちが青ざめるのを後目 に。
「どうぞ。お乗りください」
高ハシは、まるで賓客を迎えるかのような動作で後部ドアを開けた。
「……なに、どういうこと?」
「あれは誰なん?」
「夏苅 って、もらわれっ子なんやろ?」
「大金持ちんとこの子やったとか?」
こそこそと聞こえてくる上級生たちの会話、にこりともしない初対面の「高ハシ」。
混乱した煌 は防具を抱きしめ、その場から動けなくなる。
「鎮 さんがお待ちですよ。……ご友人を」
「ゆ、友人?」
「ええ」
(あ、わろた)
高ハシの意外に温かな笑顔に肩の力が抜けて。
煌 は一歩、外車へと足を踏み出した。
「サファイアだよ。……鈴の音が、聞こえた?」
「え?うん。ほら、今も。チリチリって」
「……へぇ……」
その目つきに見覚えがあった
「そういえば、センパイの首にかけとる
「……」
何度か瞬きを繰り返したあとで。
「ふふっ、ふふふ」
(このヒト、笑うんや!)
「ふふ、うん、いいよ。ちょっと待ってて」
「はい?」
(何がええの?俺には言うてへんのかな……。せやったら誰に?)
困惑して、
「ちょっ、なにするんっ?!」
突然、自らの目に指を突っ込んだ
宙をかくような仕草をする
そうして ふたつの赤い瞳でこちらを見ている
(……
無言の
「えと、あの。……
気がつけば、自然に口が開いて言葉が漏れ出していく。
「誰の目も気にせえへん芯があって、俺なんかをかばってくれる、強い人やんな。俺なんかを……」
「
あの先輩
と一緒のクラスなんやから、知っとるのやろ?俺が施設出身で、もらわれっ子、」「あなたのせいじゃない」
「えっ?」
それは
その不思議さに、
「あなたは何も悪くない。そんなに傷ついて、頑張ってきて。……泣きたいのも我慢して……」
「コンタクトを探してくれてありがとう。あなたは優しい。とても優しい」
「あの、
小さく微笑んだ
「うん。……そうだね。ありがとう」
(あ、声が。……元に戻った)
ずっと同じ声だったはずなのだが、なぜだか
”元に戻った”
(な、なんやねん、その目!)
鈴の音が
見ているほうが恥ずかしくなるような甘いまなざしで、
(ひぇ、何すんの?!)
その首飾りにそっと唇を寄せた
「
「これくらいで?」
呆れたような
なんだかいたたまれなくて、
「こ、これくらいって、好きな人にもろた首飾りに、き、き、キス、するなんて……。……エロいやん……」
「誰からもらったかなんて、言ったか?」
「だって、顔がそうやさかい。……めっちゃ好きって顔してる」
「本当に?」
「……うん」
(あ、わろてる、ちゃんと)
深いその笑顔に、
(
「それは気をつけないといけないな」
「
「面白くないのに笑えない」
「今はおもろいの?」
「うん。
「ひどっ」
淡い笑みを浮かべ立ち上がって、
「
「大体な」
「俺もまた来てもええ?」
「
「え?」
(戻るって思ただけでムカムカするのに?)
「それは」
「今日、道場の終わりに迎えに行くから」
「え、センパイが?」
意外な回答に、
「いや、俺じゃなくて、さっき電話してた人。父親の秘書」
「え、でも……。その秘書さんがどんな人か、知らへんよ、俺」
「タカハシさんっていう人だ」
「名前だけ聞いても、」
「めんどくさい説明をする人だから、すぐわかる。……ほら、戻るぞ」
「……うん」
それでもまだためらう
「不安なら、気合でも入れてやろうか?」
そのおどけた仕草で、
「……うん!」
吸い寄せられるようにその胸に飛び込んで、
(っ!……センパイ……)
拒否されるとばかり思っていたのに。
――大丈夫、大丈夫だ――
黙って
「ギュッとしてもうたのなんか、久しぶりや」
◇
それはここ最近、すっかり慣れっこになってしまった風景だった。
皆がそそくさと帰ってしまって、がらんとした男子更衣室。
そこで
稽古終了後の清掃は、曜日ごとのグループ当番制であるはずなのだが。
「……ふぅ~」
全力で稽古をしたあとの掃除は、それでなくても疲れる。
だというのに、最近ではひとりだけでやっているし、しかも、先生たちに知られないように、手早くやらなければならない。
(今日はもう、風呂に入ったらすぐに寝よ)
そう思いながら、
「よぉ
あの上級生
と取り巻きたちが、にやにや笑いながら(え、帰ったんやなかったん?)
嫌な予感がして、
「せんせーに言われてん」
取り囲んだ上級生たちが目配せをし合った。
「自分らが掃除当番の日に、なんで
「おっかしぃなぁ。なんでバレたんやろ」
「誰かチクったんちゃうんか?」
じり、じりっと、上級生たちが
「し、知れへんよ、そんなん」
「せやったら、なんでバレてんねんな!」
あの上級生
が「オマエしかおれへんやろっ」
「
突然。
何の前触れもなく、落ち着いた硬質な声が頭上から降ってきた。
取り囲んでいた上級生たちが一斉に振り返ると、スーツ姿で銀縁の眼鏡をかけた男性が、じっと少年たちを見下ろしている。
その刺すような視線に気づいた上級生の手が、
「えと、あの、俺……ボク、ですけど」
おどおどと見上げる
(この人が、
「ああ、あなたですか。初めまして。私はタカハシと申します。タカハシのハシはブリッジではなく……」
(は?え、なんて?)
あまりに長い自己紹介に、
しかも、引き合いに出された漢字は、どれも残念ながら
「……じゃまくさい説明って、これか」
「じゃまくさい?」
「あ、いやあの……」
「
きらりと光る眼鏡の奥の瞳に、ぞくりと背筋が震えて。
「まったく、あの方は。ですが、そこまで聞いているなら、確かにあなたが
男性が体を横に向けると、目に飛び込んできたのは、道場前で存在感を放っている高級外車。
そのボンネットには、
「でも、あの」
気圧されて黙りこくっている上級生たちを、
(このまま帰っても、ええんかな……)
不安に揺れる
あの上級生
に向き直った。「君たちの用事は終わりましたか?……チクリで叱られた件ですが」
上級生たちが、一斉にぎょっとした顔になる。
「自分たちの当番を人に押し付けたことによるものならば、それは当然行われるべき指導でしょう。それ以上でも以下でもない。何か申し開きはありますか?」
「……ヤバない?」
「全部聞かれてるやん」
「こいつ、誰やねん?」
気まずげな密やかな会話は、それでも
「知らんわっ」
いらだつ
あの上級生
の声に、(明日から、また八つ当たりされるんやろか……。サンドバッグ、しんどいなあ)
「ないのですか?
一言
申し上げますが」うつむいた
「この場で言えないものをあとで言い出しても、それはただの卑怯な攻撃です。しかも、多勢に無勢ならば卑怯の二乗ですね。卑怯ここに極まれり。KING OF 卑怯の称号を差し上げましょう。……
(……ヒトコトやなかったな)
「どうぞ。お乗りください」
高ハシは、まるで賓客を迎えるかのような動作で後部ドアを開けた。
「……なに、どういうこと?」
「あれは誰なん?」
「
「大金持ちんとこの子やったとか?」
こそこそと聞こえてくる上級生たちの会話、にこりともしない初対面の「高ハシ」。
混乱した
「
「ゆ、友人?」
「ええ」
(あ、わろた)
高ハシの意外に温かな笑顔に肩の力が抜けて。