好餌の下に必ずあるもの-2-

文字数 1,936文字

 とっぷりと暮れた街に、冬に逆戻りしたのかと思うような風が吹きすぎていく。

(寒っ……)
 
 キャップの学生は立ち止って、羽織っていたダウンのジッパーを上げた。

(風邪のひき始めかな)
 
 ムカムカするのは体調のせい。
 責任感のない、いい加減な同期のせい。

(あいつら、こっちに丸投げしやがって)

 「仕事ができるヤツほどワリを食うんだよ」とぼやいていたのは、バイト先の本社の人だ。
 社員がなにを甘えたことをと思っていたが、今ならもろ手を挙げて賛成する。

(それとも、俺が

みたいなスペックだったら、みんな黙って従ってくれんのかな)

「って、ないない」 
 卑屈な考えを乱暴なため息で追い払うと、キャップの学生はぐっと前を向いた。

 上を見てもきりがないのはわかっている。
 大学に通えて、一人暮らしも許されて。
 希望のゼミにも入れた自分は、順調な道を進んでいる。
 サークルでは部長に推薦されるくらいなんだから、人望もあると信じたい。
 
 そう思っていたのだが、昨日、同期のフジタと飲みに行ってから、妙に気持ちが乱れていた。


「へー、すごいな」
 あの派手な四人の話をフジタから聞いたときは、ただ素直に感心しただけだったけれど。
「まあ、私立だからな。そこまでじゃなくても、そこそこの家の奴らは多かったよ。毛色の変わったヤツも。もちろん、大半はオレみたいな一般人だけどさ」
「一般とか嫌味かよ。お前んとこ、両親で医者だって言ってなかった?」
「医者ったって、かたっぽ勤務医だしさ。ふつーふつー」
「……ずいぶんレベルの高いふつーだな」
「いやいや、めんどくさいもんよ?」
 皮肉に気づきもしない相手に、胸がざわついてならない。
「アニキが医者になったんだから、次男なんか放っておいてくれると思うじゃん?なのにさ、大学は医学部あるとこに行け、エスカレーターでそんな大学行ったってしかたがないだろって」

――そんな大学――

 その言葉に、自分の進学を喜んでくれた、両親まで馬鹿にされたような気分になった。
「まあ、パパコネクションサイコー!のヤツラがいるからなぁ。

って思われても、しかたないけど」
「っ!」
 呂律(ろれつ)が怪しくなったフジタを怒鳴りそうになって、なんとか気持ちにフタをする。
「……そういや、お前は就活どうすんの」
 自制して自制して、自制して。
 なんとか声を絞り出した問いに、酔いの回ったフジタのだらしない笑顔が返された。
「えー、オレぇ?そーねー。オヤジの病院によく来るMRさんが美人でさー。そこならオヤジも口利いてくれそうだからさー。エントリーシート出してー、ご活躍をお祈りされてー、またエントリーシート出してーとか、かったるいじゃん?」
「……ち」

(何がパパコネクションだよ。お前だって十分そっち側じゃないか)

 苦くなった酒杯を重ねた昨晩は、どうやってフジタと別れたのかも覚えていない。
 
 翌日、フジタはあさイチで「二日酔いだから勧誘休む」というフザケタメールを寄こした。

(はぁ?あいつ、今日のリーダーだろうがっ)

 たしなめるメールを打つスマートフォンの画面に、一緒に飲んでいたときのフジタの姿がちらつく。

 ジョッキを傾ける手首には、ハイブランドの時計が光っていた。
 少しへたっただけで新調されるテニスシューズやラケット。
 こっちは「エントリーシート出して」からやる身だと知っているくせに。
 無関心の無神経だからタチが悪い。
 

(……マジで気持ちワル)

 駅へと向かう途中で、足元から寒気がはい上ってくる。

 本当に風邪かもしれない。
 だが、今は休めない。
 内進生が多い同期は当てにならない。

(あれだけ言ったのに。結局、来なかったしな、フジタ。やっぱ俺が頑張らないとダメなんだ)

「はぁ……」
 ため息をつけば、さらに体が重くなる。

(アンナヤツラ……アンナバカドモ……)

 耳元で、低い声が何かをつぶやいた。
「?」
 立ち止まり、辺りを見回すが誰もいない。
 ふと、今日は後輩たちとお疲れ様会をやるつもりでいたのを思い出して、ポケットに手を突っ込む。

(スマホに連絡……、ないか)

 取り出したスマートフォンには何の通知も来ていない。
 ドタキャンしたのはこっちとはいえ、一言あってもいいのではないか。

(ちくしょう、んだよ)

 心の中で毒づきながら、妙に白浮かびする街灯に照らされながら歩き続ける。

(バカにしやがって)

 アスファルトに落とされた影がゆらりゆらりと、生き物のように揺れていた。


 ウマい瘴気(しょうき)がこれでもかと満ちている。
 塵芥(ちりあくた)のごとき悪意が湧き出で、尽きることがない。
 喰らって、喰らい尽くして。
 昏い波動がなんと心地よいことか。
 さあ、今度こそ奴を(ほふ)って門を開けよう。
 もうすぐ。
 もうすぐ満ちる。
 今度こそ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み