そして、今
文字数 2,566文字
過去視の小柄な姿が嘘だったかのような、がっしりとした煌の体がソファに沈んだ。
「……疲れた……」
アーユスを巡らせ続けた反動が来たのか、大きな手で目頭を押さえて揉んでいる。
「オマエが鎮の番犬みたいな理由、ちょっとわかったよ」
同じように背もたれに身体を預けた渉が、天井を仰いだ。
「でもさ、煌も鎮もずいぶん印象が……。あれ、鎮は?」
槐がきょろきょろと辺りを見渡してみるが……。
煌の過去視をサポートしていた鎮の姿がどこにもない。
「ん?ほんとだな。……えー、じゃあ最後のほうって、煌ひとりでやってたのかよ」
渉がわずかに眉をしかめてキッチンを振り返るが、そこもしんと静まり返っているばかり。
「鎮のアーユスってたどれる?煌」
「すまん、限界や」
「蒼玉の様子でも見に行ったんじゃね」
「……煌の過去視でも、ときどき鎮の様子が変わってたけど、あれってチャンドラだよね」
約束どおりの戦士の名で呼びながら、槐がふふっと笑う。
「告白して置いてきたきた人ってのも、蒼玉だよなあ。けっこうマセガキだったんだな、鎮は」
「そこは一途って言ってあげようよ。渉とは違うよ」
「ああ、そりゃちげぇねぇ」
煌の過去視でも嫌というほど感じた、鎮と蒼玉の絆の深さを見れば、渉も賛同するしかない。
「でも、中学校の頃のふたりってば、ちょいちょいBLっぽかったよな」
「最後なんか、もうキスしちゃうのかと思うほど怪しかったしね。燎さんが鎮と煌の仲を疑っちゃうのも、しかたないって思うよ」
「……中のヒト、蒼玉やで」
「……ねぇな」
「……ないね」
三人は顔を見合わせて、力ない笑いを漏らし合う。
だが、杉野や燎が鎮に向けていた、バケモノを見るような目を思い出せば。
「……平然としてたな」
つぶやいた渉の横顔には憂いが浮かんでいる。
きっとあのとき。
鎮、いや蒼玉は、恐怖と拒絶のアーユスをこれでもかと浴びていたはずだ。
そして、あの異端を厭い排除する目は、生まれながらの霊力を持ち合わせていた鎮も、絶対に経験しているだろう。
そのとき誰よりも理解して寄り添ってくれたのが、蒼玉だったに違いない。
――めっちゃ好きな人がお迎えに来てくれた保育園児――
倒壊してしまったヴィラで、鎮と蒼玉のことを煌がそう表現していたのは、極めて正しかったのだ。
そう思い知って、渉の胸は痛んだ。
「あのパートさん、煌のこと知ってたんだね」
「そういや、なんかワケ知りふうだったな」
大きなため息をつきながら、煌は体を起こしてうなだれた。
「お母ちゃんと一緒に住んどったマンションの隣なんやって、杉野さんの家。ヒモみたいなアイツが暴れるたんびに、逃げなはれって言うてんけど、お母ちゃん、“あの人の夢を支えられるんは、ウチだけやで”って笑うとったって。“ウチは手に職あるから心配あれへん”って。……看護師でバリバリ働いとったのに。才能もあれへん、口ばっかりのミュージシャン崩れなんかに惚れて。……アホやで」
「看護師?なら、オマエのヤケド、母親の職場で診てもらえてたら……」
「そのころは、スーパーのパートさんをやっとったんやって。病院の人がDVチクってうちに警察が来て、怒ったアイツが辞めさしたから。でも、お母ちゃんが応急処置をしてくれたから」
うつむいた煌の肩が震えている。
「杉野さんもなんべんか通報してくれたらしいんやけどな。アイツに気づかれて、嫌がらせされて、とうとう娘さんにまで……。最後の騒ぎのときに、勇気が出んでかんにんなって、あのあと言われたわ」
「……」
その渦中にいた煌を思えば、どんな慰めの言葉も軽すぎて口に出せない。
こういうとき、アーユスが使えたらと思う。
言葉にできない”想い”を届けることのできる、あの技を。
劣等感と、少しの憧れに苛まれる渉ではあるが。
気持ちが伝われと思いながら、がっしりとした肩に手を置く。
「……アイツが澤瀉屋で騒ぎ起こしとんの偶然見かけて、罪滅ぼししたくて、パート掛け持ちすることにしたんやて。お人好しやなぁ、杉野さんって。ははっ」
「無理して笑うなよ……」
顔を上げない煌の肩をノックするように叩いてから、渉はソファに再び身を沈めた。
「今ってその人、まだ煌んとこで働いてんの?……その、鎮のアレ、見たあとは」
「……ん、まだ働いてんで。蒼玉、言っとったやろ。“すべて夢のなか”って。あいつに引き倒されて、気ぃ失うて。なんや怖い夢見たわって、それだけ」
「え、それって、記憶を改ざんしたってこと?」
複雑そうな顔をする槐に、煌は首を横に振る。
「いや、俺も不思議に思て、秋鹿さんに聞いてみたんやけどな、“聖観音マントラだから”って」
「え?」
「ん?」
「オン・アロリキヤ・ソワカ」
顔を上げた煌が、鎮であった蒼玉が唱えたマントラを繰り返した。
「ああ、パートさんが気を失う前の。……で?」
「それ以上のこと、秋鹿さんが言うてくれる思う?」
「え、それだけ?!」
渉のあきれ顔に煌は「ふっ」と吹きだして笑う。
「そのへんは、昔も今も変われへんねん」
「「なるほど」」
槐と渉が同じタイミングで深くうなずいた。
「そのあと、呪を教わるうちにな、聖観音マントラって“救いを求める声に応じる”もんやってわかって、なるほどなぁって」
「「どゆこと?」」
槐と渉がきょとんとして、同じ角度で首を傾ける。
「杉野さんが抱えた嫌悪やら恐怖やらを、祓ったんやろなって。そやさかい、本人もぼんやりとしか覚えてへんかったんちゃうかな」
「ふぅん……。その騒ぎのあとから、本格的に鎮に教わったんだっけ」
「そう。ほんま、あんときの秋鹿さんはめっちゃカッコよくて、あないになりたいって思てん。呪が使いたいやらやなしに、いろんな理不尽に顔色も変えんといて、跳ねのける人間になりたいって」
「……それは、僕もそう思うよ」
「だな」
「え、そこで渉が同意っ?」
槐が大げさにのけぞってみせた。
「顔だけチャラ男の合コンキングが、理不尽とか!」
「オマエなぁ」
叩こうとした手を華麗に避けられた渉が、舌打ちをする。
「オレだっていろいろあんだよっ。ウマルは口が悪すぎだろ、このネコっかぶり」
「処世術ですぅ」
暗く落ちていきそうな心を察しても、いや、察したからこそ、普段通り接してくれる友人ふたりに。
煌は再び浮かんだ涙を隠すためにうつむいた。
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