姉と弟-3-

文字数 2,394文字

 あのときから決めたんだ。
 沙良(さら)がつらいときには、今度は俺が盾になるって。
 だから、俺は「どうせ自分なんて」と、(はな)から諦める態度を改めた。
 早く家から解放して、今度は俺が沙良(さら)を守りたい。

 ……そう思っていたけれど、沙良(さら)が俺を頼りにしてくれることは、一度だってなかったんだ。


沙良(さら)は出かけたのか」
 弾む姉の背中を見送る俺に、部屋から出てきた父親が声をかけた。
「うん」
「今度連れてくると言ってから、ずいぶん経つな。お忙しい人らしいが……」
 言葉を濁す父親に、俺は無言で背を向ける。
 
 沙良(さら)からはっきりとは聞いていないけれど。
 恋人ができたらしいことは雰囲気でわかる。
 急にオシャレになったし、きれいになったし。
 幸せそうだけど、ときどき、ため息をつきながらスマートフォンを見つめている姿にはヤキモキしていた。

「お互い忙しいから」

 何度聞いても、そんな答えしかくれない。
 はぐらかすのは答えられないからだろう。
 家族に秘密にしなきゃいけないことがある相手なら、さっさと別れてほしい。
 沙良(さら)が悲しむ姿なんか、見たくないんだから。
  
 結局、俺の危惧は現実のものとなって、「秋鹿(あいか)さん」と付き合うようになってから、沙良(さら)の周囲では妙なことが続いた。
 無言電話なんて可愛いほうで。
 覚えのない相手からストーカー行為をされたり、職場に嫌がらせのFAXが入ったり。
 どれも沙良(さら)には落ち度のないものばかりで、周囲は同情してくれたらしいけれど。
 そのうち業務にまで影響が出始めたことで、沙良(さら)は退職を余儀なくされた。
 だというのに秋鹿(あいか)とは別れず、そのうえシングルマザーの道を選ぶなんて!
 「(のぞむ)に迷惑はかけないから」って言われたって、そんなの納得できるわけがない。

 最初から反対だって言っただろ!
 あんな金持ち、うちには不釣り合いだよ。
 しかも、しばらくは籍も入れないって、バカにされてるだけじゃないか。

「そんな不誠実な男、きっぱり別れちゃえよっ」
 検診から戻った姉をつかまえて、俺はきつく言い渡した。
「都合のいい女だって、適当にあしらわれてるんじゃないの?」
「心配してくれてありがと。でも、違うのよ」

 だいぶ目立つようになってきたおなかを(さす)りながら俺を見上げる、姉の優しい笑顔が悲しい。

「何が違うんだよ。そんな無責任な男」
「子供の認知はするの。結婚も、そのうち落ち着いたら」
「いつ落ち着くんだよっ」
 部屋に戻ろうとする紗良(さら)の肩をつかんで、振り返らせた。

 いつまでもそうやって優しくするから、相手がつけあがるんじゃないか。

「そんなヤツ、もう必要ないって言ってやれよ。子供の認知だっていらないっ。俺が父親代わりだってなんだってやってやる」

 ずっと紗良(さら)が俺を守ってきてくれたように。
 今度は俺が紗良(さら)と子供を守ってやる。

 その決意は本物だったのに。

「いっちょ前のこと言うようになったねぇ。さすが、由緒ある神社の跡取りっ」
 紗良(さら)は軽く笑って、俺の肩を(つつ)いた。
「茶化すなよ。俺は真面目に」
「うん、わかってる」
「じゃあ、」
(のぞむ)はいつから伊豆に行くの?」
「……あの話は、断るよ」
 肝心なことを言わせてくれない紗良(さら)に、俺は苛立って顔を背ける。
「修行とか必要ないし」
「行って」
 その妙に強く感じられる語気に、俺は紗良(さら)に目を戻した。
「必ず(のぞむ)のためになるから」
「……そんなこと俺に言う資格、姉さんにあるの?」

 神社の後継者には、霊力が高くて「視る」能力もある、紗良(さら)のほうが相応しい。
 だから、ずっとここにいればいいと、何度も伝えているのに。
 「大切なのは異能じゃない」と、紗良(さら)は早々に跡は継がないと宣言して、これまで一切口出しもしてこなかった。
 それが今になって、なんで……。

 そのとき紗良(さら)は何も言わなかったけれど、産まれたと報告を受けて見舞った病院で、その腕の中にいた赤ん坊を一目見てわかった。
 わかってしまった。

「産まれるべくして産まれた子だな。……何の

を背負わされてきたのか」

 父親がそう言いたくなるのもよくわかる。
 色素を持たない沙良(さら)の息子は、それと引き換えだと言わんばかりの霊力を持っていた。
 甥と比べたら、俺の霊力なんかカスのようなものだ。

 ああ、そうか。
 だから、俺は他所(よそ)に出されたのか。
 この赤ん坊のせいで、俺は。

「抱っこしてみる?」
 紗良(さら)が赤ん坊を見つめながら、それは幸せそうに笑っている。
「いや、いいよ。落としそうで怖い」
「そう?じゃあ、もうちょっとしっかりしてきたらね」
 紗良(さら)はそう言ったけれど、俺は一度も赤ん坊を抱くことはなかった。
 赤ん坊のころだけじゃない。
 俺は一度だって、「(まもる)」と名付けられた甥のことを抱くことはおろか、触れることさえしなかった。

 きっとばれてしまうだろうから。
 こんな子供に(いだ)く、俺の劣等感や羨望を。 
 沙良(さら)の愛情を一身に受ける、甥に向けているこの薄汚い感情を。
 
 この甥がいるから、紗良(さら)はあの男と縁を切ることができないんだ。
 この甥がいるから、俺は紗良(さら)の元から追い出されたんだ。
 この甥がいるから。
 
 沙良(さら)が死ななければならなかったんだ!!!!
 
 憎い。
 当然のように沙良(さら)の笑顔を独占してたくせに、その命を奪った「(まもる)」が憎い。

 結局、秋鹿(あいか)に引き取られて、何不自由のない生活を送っているあの子供。
 沙良(さら)の愛情、恐ろしいばかりの霊力。
 俺にないもの、欲しかったものすべてを持っているあの子供。
 アイツさえいなければ。
 
 憎い、憎い。
 にくい、ニクイ……。
 
 俺の霊力では敵わないと思っていたが、偶然手に入ったこの呪符。
 これさえあれば、沙良(さら)の元に連れていける。
 
 自分にないものを持つすべての存在が憎い。  
 この命を犠牲にしてでも、目の前から消し去ってしまいたい。
 
――ソウダ。スベテヲ滅ボシテシマエバ、楽ニナレルノダ――

 賛同する黒い声たちが、俺の周りから狼煙(のろし)の如く沸き上がった。
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