姉と弟-3-
文字数 2,394文字
あのときから決めたんだ。
沙良 がつらいときには、今度は俺が盾になるって。
だから、俺は「どうせ自分なんて」と、端 から諦める態度を改めた。
早く家から解放して、今度は俺が沙良 を守りたい。
……そう思っていたけれど、沙良 が俺を頼りにしてくれることは、一度だってなかったんだ。
◇
「沙良 は出かけたのか」
弾む姉の背中を見送る俺に、部屋から出てきた父親が声をかけた。
「うん」
「今度連れてくると言ってから、ずいぶん経つな。お忙しい人らしいが……」
言葉を濁す父親に、俺は無言で背を向ける。
沙良 からはっきりとは聞いていないけれど。
恋人ができたらしいことは雰囲気でわかる。
急にオシャレになったし、きれいになったし。
幸せそうだけど、ときどき、ため息をつきながらスマートフォンを見つめている姿にはヤキモキしていた。
「お互い忙しいから」
何度聞いても、そんな答えしかくれない。
はぐらかすのは答えられないからだろう。
家族に秘密にしなきゃいけないことがある相手なら、さっさと別れてほしい。
沙良 が悲しむ姿なんか、見たくないんだから。
結局、俺の危惧は現実のものとなって、「秋鹿 さん」と付き合うようになってから、沙良 の周囲では妙なことが続いた。
無言電話なんて可愛いほうで。
覚えのない相手からストーカー行為をされたり、職場に嫌がらせのFAXが入ったり。
どれも沙良 には落ち度のないものばかりで、周囲は同情してくれたらしいけれど。
そのうち業務にまで影響が出始めたことで、沙良 は退職を余儀なくされた。
だというのに秋鹿 とは別れず、そのうえシングルマザーの道を選ぶなんて!
「望 に迷惑はかけないから」って言われたって、そんなの納得できるわけがない。
最初から反対だって言っただろ!
あんな金持ち、うちには不釣り合いだよ。
しかも、しばらくは籍も入れないって、バカにされてるだけじゃないか。
「そんな不誠実な男、きっぱり別れちゃえよっ」
検診から戻った姉をつかまえて、俺はきつく言い渡した。
「都合のいい女だって、適当にあしらわれてるんじゃないの?」
「心配してくれてありがと。でも、違うのよ」
だいぶ目立つようになってきたおなかを擦 りながら俺を見上げる、姉の優しい笑顔が悲しい。
「何が違うんだよ。そんな無責任な男」
「子供の認知はするの。結婚も、そのうち落ち着いたら」
「いつ落ち着くんだよっ」
部屋に戻ろうとする紗良 の肩をつかんで、振り返らせた。
いつまでもそうやって優しくするから、相手がつけあがるんじゃないか。
「そんなヤツ、もう必要ないって言ってやれよ。子供の認知だっていらないっ。俺が父親代わりだってなんだってやってやる」
ずっと紗良 が俺を守ってきてくれたように。
今度は俺が紗良 と子供を守ってやる。
その決意は本物だったのに。
「いっちょ前のこと言うようになったねぇ。さすが、由緒ある神社の跡取りっ」
紗良 は軽く笑って、俺の肩を突 いた。
「茶化すなよ。俺は真面目に」
「うん、わかってる」
「じゃあ、」
「望 はいつから伊豆に行くの?」
「……あの話は、断るよ」
肝心なことを言わせてくれない紗良 に、俺は苛立って顔を背ける。
「修行とか必要ないし」
「行って」
その妙に強く感じられる語気に、俺は紗良 に目を戻した。
「必ず望 のためになるから」
「……そんなこと俺に言う資格、姉さんにあるの?」
神社の後継者には、霊力が高くて「視る」能力もある、紗良 のほうが相応しい。
だから、ずっとここにいればいいと、何度も伝えているのに。
「大切なのは異能じゃない」と、紗良 は早々に跡は継がないと宣言して、これまで一切口出しもしてこなかった。
それが今になって、なんで……。
そのとき紗良 は何も言わなかったけれど、産まれたと報告を受けて見舞った病院で、その腕の中にいた赤ん坊を一目見てわかった。
わかってしまった。
「産まれるべくして産まれた子だな。……何の
父親がそう言いたくなるのもよくわかる。
色素を持たない沙良 の息子は、それと引き換えだと言わんばかりの霊力を持っていた。
甥と比べたら、俺の霊力なんかカスのようなものだ。
ああ、そうか。
だから、俺は他所 に出されたのか。
この赤ん坊のせいで、俺は。
「抱っこしてみる?」
紗良 が赤ん坊を見つめながら、それは幸せそうに笑っている。
「いや、いいよ。落としそうで怖い」
「そう?じゃあ、もうちょっとしっかりしてきたらね」
紗良 はそう言ったけれど、俺は一度も赤ん坊を抱くことはなかった。
赤ん坊のころだけじゃない。
俺は一度だって、「鎮 」と名付けられた甥のことを抱くことはおろか、触れることさえしなかった。
きっとばれてしまうだろうから。
こんな子供に抱 く、俺の劣等感や羨望を。
沙良 の愛情を一身に受ける、甥に向けているこの薄汚い感情を。
この甥がいるから、紗良 はあの男と縁を切ることができないんだ。
この甥がいるから、俺は紗良 の元から追い出されたんだ。
この甥がいるから。
沙良 が死ななければならなかったんだ!!!!
憎い。
当然のように沙良 の笑顔を独占してたくせに、その命を奪った「鎮 」が憎い。
結局、秋鹿 に引き取られて、何不自由のない生活を送っているあの子供。
沙良 の愛情、恐ろしいばかりの霊力。
俺にないもの、欲しかったものすべてを持っているあの子供。
アイツさえいなければ。
憎い、憎い。
にくい、ニクイ……。
俺の霊力では敵わないと思っていたが、偶然手に入ったこの呪符。
これさえあれば、沙良 の元に連れていける。
自分にないものを持つすべての存在が憎い。
この命を犠牲にしてでも、目の前から消し去ってしまいたい。
――ソウダ。スベテヲ滅ボシテシマエバ、楽ニナレルノダ――
賛同する黒い声たちが、俺の周りから狼煙 の如く沸き上がった。
だから、俺は「どうせ自分なんて」と、
早く家から解放して、今度は俺が
……そう思っていたけれど、
◇
「
弾む姉の背中を見送る俺に、部屋から出てきた父親が声をかけた。
「うん」
「今度連れてくると言ってから、ずいぶん経つな。お忙しい人らしいが……」
言葉を濁す父親に、俺は無言で背を向ける。
恋人ができたらしいことは雰囲気でわかる。
急にオシャレになったし、きれいになったし。
幸せそうだけど、ときどき、ため息をつきながらスマートフォンを見つめている姿にはヤキモキしていた。
「お互い忙しいから」
何度聞いても、そんな答えしかくれない。
はぐらかすのは答えられないからだろう。
家族に秘密にしなきゃいけないことがある相手なら、さっさと別れてほしい。
結局、俺の危惧は現実のものとなって、「
無言電話なんて可愛いほうで。
覚えのない相手からストーカー行為をされたり、職場に嫌がらせのFAXが入ったり。
どれも
そのうち業務にまで影響が出始めたことで、
だというのに
「
最初から反対だって言っただろ!
あんな金持ち、うちには不釣り合いだよ。
しかも、しばらくは籍も入れないって、バカにされてるだけじゃないか。
「そんな不誠実な男、きっぱり別れちゃえよっ」
検診から戻った姉をつかまえて、俺はきつく言い渡した。
「都合のいい女だって、適当にあしらわれてるんじゃないの?」
「心配してくれてありがと。でも、違うのよ」
だいぶ目立つようになってきたおなかを
「何が違うんだよ。そんな無責任な男」
「子供の認知はするの。結婚も、そのうち落ち着いたら」
「いつ落ち着くんだよっ」
部屋に戻ろうとする
いつまでもそうやって優しくするから、相手がつけあがるんじゃないか。
「そんなヤツ、もう必要ないって言ってやれよ。子供の認知だっていらないっ。俺が父親代わりだってなんだってやってやる」
ずっと
今度は俺が
その決意は本物だったのに。
「いっちょ前のこと言うようになったねぇ。さすが、由緒ある神社の跡取りっ」
「茶化すなよ。俺は真面目に」
「うん、わかってる」
「じゃあ、」
「
「……あの話は、断るよ」
肝心なことを言わせてくれない
「修行とか必要ないし」
「行って」
その妙に強く感じられる語気に、俺は
「必ず
「……そんなこと俺に言う資格、姉さんにあるの?」
神社の後継者には、霊力が高くて「視る」能力もある、
だから、ずっとここにいればいいと、何度も伝えているのに。
「大切なのは異能じゃない」と、
それが今になって、なんで……。
そのとき
わかってしまった。
「産まれるべくして産まれた子だな。……何の
お役目
を背負わされてきたのか」父親がそう言いたくなるのもよくわかる。
色素を持たない
甥と比べたら、俺の霊力なんかカスのようなものだ。
ああ、そうか。
だから、俺は
この赤ん坊のせいで、俺は。
「抱っこしてみる?」
「いや、いいよ。落としそうで怖い」
「そう?じゃあ、もうちょっとしっかりしてきたらね」
赤ん坊のころだけじゃない。
俺は一度だって、「
きっとばれてしまうだろうから。
こんな子供に
この甥がいるから、
この甥がいるから、俺は
この甥がいるから。
憎い。
当然のように
結局、
俺にないもの、欲しかったものすべてを持っているあの子供。
アイツさえいなければ。
憎い、憎い。
にくい、ニクイ……。
俺の霊力では敵わないと思っていたが、偶然手に入ったこの呪符。
これさえあれば、
自分にないものを持つすべての存在が憎い。
この命を犠牲にしてでも、目の前から消し去ってしまいたい。
――ソウダ。スベテヲ滅ボシテシマエバ、楽ニナレルノダ――
賛同する黒い声たちが、俺の周りから