開幕の主役-1-
文字数 3,380文字
港湾地区と旧市街の商店街を隔 てる小高い丘は、開港以来の史跡や図書館などの文化施設が集まっている地区である。
由緒ある神社へと続く道は、冒険心をくすぐるような細い急坂で、脇には古い日本家屋が並んでいた。
そのうちの一軒に案内された白作務衣姿の若者たちは、個人宅にしては広い玄関広間で、落ち着きなくきょろきょろ室内を見渡している。
「ここって何の施設?民泊、でもなさそうだよね。フロントがないもん」
風情ある鴨居やアンティークな照明設備は残しつつ、真新しい壁紙が張られた内部は現代風で、リノベーションされたばかりのようだ。
「今日、ここに泊まんの?オマエのテラスハウス、目と鼻の先じゃん」
すべて了解しているはずなのに、何も言わない鎮 にちらりと目を向け、渉 は奥に続くドアを開ける。
「お、すっげぇ広いな。LDKか」
「わぁ、カッコイイ」
渉 の背中越しにのぞき込んで、槐 が声を弾ませた。
コの字型に置かれたソファーセットの奥には、ダイニングテーブルとしても使えるアイランドカウンターがあり、奥の壁際に設置されたシステムキッチンもぴかぴかの新品。
「パンばっかくわえてるオマエにゃ、関係なさそーだけどな」
「ゼリー飲料ばっかおしゃぶりしてる渉 には、関係あるわけ?」
「言い方!」
「お待たせいたしました」
ふたりが軽口の応酬をしている背後で、玄関ドアが開く。
広間にいた皆が首を向けると、パンツスーツ姿の女性が高梁 と一緒に入ってきた。
「ご無沙汰しております。お元気そうでなによりです、鎮 ぼっちゃん」
「ぼっ!」
「ちゃん!」
笑いを堪 えている槐 と渉 をひとにらみして、鎮 が女性に頭を下げる。
「皆さんは初めまして、ですね。私の先輩でもある、社長第一秘書の相月 です。相月 さん、あとはお願いしてもよろしいですか?」
スーツの腕にエコバッグをいくつも下げた高梁 が、紹介した女性の横から家に上がってリビングへと消えていった。
「お任せください。さあ、お嬢様方」
相月 は耳馴染みの良い落ち着いた声で、紅玉 と蒼玉 に一礼をする。
「お身回り品のお買い物に参りましょう。鎮 ぼっちゃんは、お付き添いなさいますか?」
相月 は敏腕秘書らしく、余計なことは一切聞かず、口にもしない。
穏やかな微笑を向けられた蒼玉 が、鎮 の手にそっと触れた。
「鎮 にもお仕事があるでしょう?」
『あなたがそれほど信頼されている方なら、何の不安もないわ』
「こっちは高梁 さんもいるし」
『俺が一緒に行きたいんだ』
「私が外れようか?」
「あねう、……姉さまっ」
「ソウがそんな顔をするとはねぇ。長生きはするもんだ」
「ほかにもお買い物があると伺っております。鎮 ぼっちゃんもご一緒してくだされば、私としても大変心強いですのですが」
相月 の気遣いに微笑を返して、鎮 は仲間を振り返る。
「少し、出てくる。お前たちは……」
「あなた方は私の手伝いをお願いします。できないなどの言い訳は無用。できる範囲でやるべきことをやる。それが共同生活のコツです」
リビングからひょいと顔を出した高梁 が渉 と槐 、そして、煌 と順々に目を合わせた。
「共同?」
「生活?」
「……」
困惑した顔を見合わせた三人ではあるが、逆らうことは選択肢にない。
それぞれが無言でうなずき、高梁 の背中を追ってリビングへと入っていった。
◇
淡い茜色の膝丈シャツワンピースに黒のレギンスという恰好で戻ってきた紅玉 は、武者姿で会ったときよりも、もちろん作務衣姿よりも眩 しくて。
渉 は生まれて初めて、「キレイすぎて真正面から見られない」という気持ちを味わっていた。
(いや、なんでだ?!ちゃんと見てほめ……。だめだ、まぶしすぎる……って、キモすぎだろ、オレっ)
高校のころ、初心 なことを言うクラスメートに生温かい視線を送っていた自分が、恥ずかしくてならない。
高梁 が忙しく夕食の準備をしている音を耳に、そっぽを向きつつ視線だけ向けるという器用な姿勢で、ヘーゼルの瞳が紅玉 を凝視する。
「……パンツスーツとかじゃないんだな」
「あ~」
三人掛けのソファに背を預けて座る紅玉 が、中空を見つめた。
「試着はしたんだけどね。それでなくても“ぶらじゃー”とか“しょーつ”ってやつを身に付けなきゃいけないから、これ以上、体を締めつける着物は窮屈でねえ」
「ぶふっ!……お、女の人が、ブラっ……、下着の名前、男の前で口にしたらあかんでっ」
盛大に茶を吹き出した煌 が、真っ赤な顔で紅玉 をにらむ。
「え、そうなの?……はぁ~。言葉はずいぶん覚えたと思うんだけど」
紅玉 がやれやれといった様子で体を起こした。
「それはご無礼を、朱雀。蒼玉 から、もうちょっとちゃんと教わっておくから」
「いや、あの、こっちこそ。……すんまへん」
耳まで真っ赤にして、煌 はソファの隅で背中を丸める。
「蒼玉 のワンピもいいね。オーバーサイズが可愛くて、お姫様みたいだ」
空気を変えようと槐 がほめたとたんに、蒼玉 の肩に力が入った。
「え、なんか気に障 った?」
「いえ、あの、そういうわけでは」
「危うく、子供服売り場に連れていかれそうになったんだよねぇ」
「姉上っ」
「ほんとはそれ、あたしと一緒のなんだよねぇ」
「~っ!」
「あたしのことを”ステキなかのじょさんですね”って言われて、慌てて否定してた白虎は、おかしかったねぇ」
「スーリヤ!」
思わず立ち上がった蒼玉 を、紅玉 が挑発的に見上げる。
「だって、白虎がかわいそうじゃない。べつにフリだけなら、あたしが”かのじょさん”でも構わないけど?」
ふふんと笑う紅玉 を見下ろして、蒼玉 は拳 を震わせた。
「この時代、幼げな者に手を出すことは、よほど禁忌なんだね。あの“おみせ”の人」
紅玉の目がすっと細くなる。
「白虎がチャンドラに気遣いするたびに、“AIKAの跡継ぎはろりこんなのかしら”って。笑顔だったけれど、アーユスは刺々しかった。ということは、ろりこんって、よくないことなんだね」
「ああ、そういうことか」
喉の奥で笑いながら、渉 は紅玉 に向き直った。
「まあ、デパートの外商なんてアイソ良くてなんぼだから、表と裏が違っても、」
「あたしは別に、彼女を悪く思ってなどいないよ」
軽い口調と裏腹に、紅玉 の横顔には怒りが滲 んでいる。
「商売人はさ、本音ばかりではやっていけない。それに、彼女には感謝をしてるくらい。……妹の秘密を暴いてくれて」
紅玉 の圧に、思わず蒼玉 は目を伏せた。
「チャンドラ、あたしが気付かずにいるとは思っていないよね」
「……はい」
組んだ両手をぎゅっと握りしめて。
蒼玉 は小さくうなずいた。
「お食事の用意ができました。こちらへどうぞ」
静まり返ったリビングに、頃合いを見計らっていたかのように、高梁 の声がかけられる。
「行くよ、蒼玉 」
紅玉 が立ち上がって妹を促すが、蒼玉 は一歩もそこから動かない。
「まさか、こんな状況になっても食べないつもり?」
「いえ、いただきます。でも、……あの」
これまで凛とした態度を崩さなかった蒼玉 が、不安に揺れる瞳で鎮 を見つめる。
「グール―・スーリヤ」
姉妹のやり取りを無言で見ていた鎮 が、紅玉 の視線を遮 るように蒼玉 の前に立った。
「チャンドラを俺に預けてください」
「駄目だと言ったら?」
「力づくでも」
迷いのない鎮 の瞳に、紅玉 のアーユスが緩む。
「はははっ、これは勇ましい!そのアーユス、本気だね。くくく、ははっ!」
ひとしきり小気味よく笑って、紅玉 は目尻に浮かんだ涙を指で拭った。
「はぁ、敵 わないねぇ」
紅玉 は優雅に立ち上がると、その手を胸に当てる。
「我が妹を白虎に預けましょう。どうぞよしなに。……蒼玉 」
「はい」
「ちゃんと食べなさい。それで、白虎と納得いくまで話したら、戻ってきて」
「……はい」
「先に言っておくけれど、話せない、という結論に至った場合は、あたしたちはここにはいられない。別の方法を考えよう。そもそも」
紅玉 が首を傾けると、その長い黒髪がサラリと揺れた。
「アンデラはあたしたちで決着をつけるべき咎 だ。それを、この時代の若者に背負わせるなんて、本当は酷なことでしょう。話さないという結論になっても責めはしない。あたしら姉妹で始末をつけよう。……さて、タカハシさんの夕食をいただくとしようか!」
蒼玉 の肩を抱いた鎮 をチラリと振り返ってから。
仲間たちは紅玉 とともに、アイランドカウンターへと向かった。
由緒ある神社へと続く道は、冒険心をくすぐるような細い急坂で、脇には古い日本家屋が並んでいた。
そのうちの一軒に案内された白作務衣姿の若者たちは、個人宅にしては広い玄関広間で、落ち着きなくきょろきょろ室内を見渡している。
「ここって何の施設?民泊、でもなさそうだよね。フロントがないもん」
風情ある鴨居やアンティークな照明設備は残しつつ、真新しい壁紙が張られた内部は現代風で、リノベーションされたばかりのようだ。
「今日、ここに泊まんの?オマエのテラスハウス、目と鼻の先じゃん」
すべて了解しているはずなのに、何も言わない
「お、すっげぇ広いな。LDKか」
「わぁ、カッコイイ」
コの字型に置かれたソファーセットの奥には、ダイニングテーブルとしても使えるアイランドカウンターがあり、奥の壁際に設置されたシステムキッチンもぴかぴかの新品。
「パンばっかくわえてるオマエにゃ、関係なさそーだけどな」
「ゼリー飲料ばっかおしゃぶりしてる
「言い方!」
「お待たせいたしました」
ふたりが軽口の応酬をしている背後で、玄関ドアが開く。
広間にいた皆が首を向けると、パンツスーツ姿の女性が
「ご無沙汰しております。お元気そうでなによりです、
「ぼっ!」
「ちゃん!」
笑いを
「皆さんは初めまして、ですね。私の先輩でもある、社長第一秘書の
スーツの腕にエコバッグをいくつも下げた
「お任せください。さあ、お嬢様方」
「お身回り品のお買い物に参りましょう。
穏やかな微笑を向けられた
「
『あなたがそれほど信頼されている方なら、何の不安もないわ』
「こっちは
『俺が一緒に行きたいんだ』
「私が外れようか?」
「あねう、……姉さまっ」
「ソウがそんな顔をするとはねぇ。長生きはするもんだ」
「ほかにもお買い物があると伺っております。
「少し、出てくる。お前たちは……」
「あなた方は私の手伝いをお願いします。できないなどの言い訳は無用。できる範囲でやるべきことをやる。それが共同生活のコツです」
リビングからひょいと顔を出した
「共同?」
「生活?」
「……」
困惑した顔を見合わせた三人ではあるが、逆らうことは選択肢にない。
それぞれが無言でうなずき、
◇
淡い茜色の膝丈シャツワンピースに黒のレギンスという恰好で戻ってきた
(いや、なんでだ?!ちゃんと見てほめ……。だめだ、まぶしすぎる……って、キモすぎだろ、オレっ)
高校のころ、
「……パンツスーツとかじゃないんだな」
「あ~」
三人掛けのソファに背を預けて座る
「試着はしたんだけどね。それでなくても“ぶらじゃー”とか“しょーつ”ってやつを身に付けなきゃいけないから、これ以上、体を締めつける着物は窮屈でねえ」
「ぶふっ!……お、女の人が、ブラっ……、下着の名前、男の前で口にしたらあかんでっ」
盛大に茶を吹き出した
「え、そうなの?……はぁ~。言葉はずいぶん覚えたと思うんだけど」
「それはご無礼を、朱雀。
「いや、あの、こっちこそ。……すんまへん」
耳まで真っ赤にして、
「
空気を変えようと
「え、なんか気に
「いえ、あの、そういうわけでは」
「危うく、子供服売り場に連れていかれそうになったんだよねぇ」
「姉上っ」
「ほんとはそれ、あたしと一緒のなんだよねぇ」
「~っ!」
「あたしのことを”ステキなかのじょさんですね”って言われて、慌てて否定してた白虎は、おかしかったねぇ」
「スーリヤ!」
思わず立ち上がった
「だって、白虎がかわいそうじゃない。べつにフリだけなら、あたしが”かのじょさん”でも構わないけど?」
ふふんと笑う
「この時代、幼げな者に手を出すことは、よほど禁忌なんだね。あの“おみせ”の人」
紅玉の目がすっと細くなる。
「白虎がチャンドラに気遣いするたびに、“AIKAの跡継ぎはろりこんなのかしら”って。笑顔だったけれど、アーユスは刺々しかった。ということは、ろりこんって、よくないことなんだね」
「ああ、そういうことか」
喉の奥で笑いながら、
「まあ、デパートの外商なんてアイソ良くてなんぼだから、表と裏が違っても、」
「あたしは別に、彼女を悪く思ってなどいないよ」
軽い口調と裏腹に、
「商売人はさ、本音ばかりではやっていけない。それに、彼女には感謝をしてるくらい。……妹の秘密を暴いてくれて」
「チャンドラ、あたしが気付かずにいるとは思っていないよね」
「……はい」
組んだ両手をぎゅっと握りしめて。
「お食事の用意ができました。こちらへどうぞ」
静まり返ったリビングに、頃合いを見計らっていたかのように、
「行くよ、
「まさか、こんな状況になっても食べないつもり?」
「いえ、いただきます。でも、……あの」
これまで凛とした態度を崩さなかった
「グール―・スーリヤ」
姉妹のやり取りを無言で見ていた
「チャンドラを俺に預けてください」
「駄目だと言ったら?」
「力づくでも」
迷いのない
「はははっ、これは勇ましい!そのアーユス、本気だね。くくく、ははっ!」
ひとしきり小気味よく笑って、
「はぁ、
「我が妹を白虎に預けましょう。どうぞよしなに。……
「はい」
「ちゃんと食べなさい。それで、白虎と納得いくまで話したら、戻ってきて」
「……はい」
「先に言っておくけれど、話せない、という結論に至った場合は、あたしたちはここにはいられない。別の方法を考えよう。そもそも」
「アンデラはあたしたちで決着をつけるべき
仲間たちは