逸材に出会う-2-

文字数 2,743文字

 タクシーですら滅多に利用することもないので、断言できるほどの経験はない。
 だが、この乗り心地は最上級のものなのではないか。
 言えば誰もが名を知る外車に乗りながら、転寝(うたたね)をしてしまいそうだ。

「お声掛けしていただいて、ありがとうございます」
「肩車のヒーローを遅刻させてはいけませんからね」
 眠気覚ましとして述べたお礼に、ベルベットの声が返ってくる。
「僕が吉沢ゼミだと、よくご存じでしたね」
「先週、授業を拝見させていただいたのです。そのときに、吉沢先生からあなたの話を聞きました。ゼミでも一、二を争う優秀な学生さんだそうですね。高梁(たかはし)(つむぐ)さんは」
 
 名前もしっかり把握されていたとは驚きだし、ほめられて嬉しくないわけではないけれど。
 プライベートを勝手に探られるのは好きではないなと、つい眉の根が寄ってしまう。

 こちらの困惑を察したのか、横に座る舞台役者がくすりと笑った。
「そう警戒なさらないでください。吉沢君はあなたのことを大絶賛していましたよ」
「……それは、光栄です」
「ご実家にご負担にならないようにバイトをなさって、奨学金も利用しながら、成績をキープし続ける。並大抵の努力ではできないでしょう」
「……」

(吉沢先生……。さすがに個人情報漏洩し過ぎじゃないですか?)

 口が滑るほど親しい友人なのか、何か弱みでも握られているのかと勘ぐってしまう。

「それにしても、小さな子の相手がお上手ですね」

(……そこまでは聞いてないのか?)
 
「年の離れた弟妹(ていまい)がいるものですから」
「奨学金も、ご兄弟のことを考えて?」
 
(あー。……これは知ってるな)

 舞台役者のようなこの経営者は、本当にとんだ役者だったようだ。

 あまり周囲に頓着しない性格だから、なんなら「一人っ子でしょう」などと言われがちではあるが。
 一番下の妹などは、まだ小学生だ。
 その上に双子の中学生兄弟と、毒舌、もとい気の強い高校生の妹。
 煩わしくなることもあるが、大切な家族だ。
 自分がそうしてもらったように、彼らにもできるだけ、進路を選べる環境を整えておいてやりたい。
 
 黙ってうなずくと、舞台役者が真剣な顔でのぞき込んできた。
「バイトは現在、いくつ掛け持ちしていらっしゃいますか」
「家庭教師と、書店の店員を」

 なぜそんなことをと思うが、誤魔化すことでもない。

「ほぼ毎日と聞いていますが」
「そうですね」
「そのお仕事には、愛着をお持ちですか?」
 予想しなかった質問の意図を図りかねて、思わず舞台役者を凝視してしまう。
「愛着、ですか?べつに特にはありません。時給とシフトの組みやすさで選んだ仕事ですので」
「そうですか……。では、同じだけの報酬と、勉学の時間が確保できる仕事があれば、転職も可能でしょうか」
「仕事内容によりますが」
「お願いしたいのは……」
 秋鹿(あいか)社長から提示されたのは破格の条件で、しかも、奇妙な提案付きの仕事だった。
「こういうことは相性があるでしょう。一度会ってみてください。受けるかどうかは、それからお決めくださって結構ですので」
「はあ。……わかりました。取りあえず伺ってみます」
 不可解なことが多すぎる仕事だから、そのときはまだ「受けない」方向に心が傾いていたけれど。
 秋鹿(あいか)社長に勧められて訪れた箱根の病院で、生涯の出会いを果たすことになったのだった。


 湖畔に建てられた病院の最上階。
 そこにある個室のネームプレートを確認すれば、受付で案内を受けたとおり「秋鹿(あいか) (まもる)」の名前が表示されていた。
 軽くノックをすると、子供の声で「どうぞお入りください」という丁寧な許可が出る。
 静かにドアをスライドさせて、一歩足を踏み入れると。
 陽射しがたっぷりと降り注ぐ窓際のベッドの上に、背中を枕に預けた「秋鹿(あいか)(まもる)」、その人の姿があった。

 ゆっくりと歩み寄り、ベッド脇に立って一礼をする。
「初めまして。高梁(たかはし)(つむぐ)です。高梁(たかはし)の“はし”はブリッジではなく……」
 と説明しかけて、小学5年生にいつもの自己紹介は馴染まないかと、思い直したのだが。
「天空の山城、備中松山城のある高梁(たかはし)市の高梁(たかはし)さん、ですね」
 まっすぐに向けられる赤い瞳を、まじまじと見つめ返てしまった。

(また渋いところを攻めてくる小学生だな)

「お城がお好きなのですか?」
「いえ、そうではなくて。……あの、どうぞお座りください。遠いところまで来てくださって、ありがとうございます」
「こちらこそ、お時間を取っていただいて恐縮です」

(大人顔負けの気づかいをする)

 心のなかで舌を巻きながらベッドサイドのイスに腰掛ければ。
 包帯とガーゼに包まれたその顔が、ふっと柔らかく緩んだ。


「理由があって、離れて暮らしていた息子がいるんです」
 滑らかに進む車の中で、後部座席に深く腰かける秋鹿(あいか)社長は淡々と話し続ける。
「けれど、同居していた祖父と一緒に不慮の事故に遭って、独りになってしまって。……こんなきっかけを、望んでいたわけではないんだけれど」

(”独りに”ということは、母親はもう……)

 息子さんがいくつなのかはわからないけれど、その境遇に胸が痛んで相槌も打てない。
「こちらに呼ぶことになったのですが、私は仕事柄、面倒を見る時間が取れません。だから、身の回りの世話をしてくれる人と、家庭教師を探しているんです」
 無言のままうなずくと、舞台役者が眉毛を下げた笑顔を向けてくる。
「今のバイトの給料に加えて、学費を含めた報酬でどうでしょうか」
「え?学費を含めって……」
 あまりの破格の条件に、言葉を失った。
「お願いしたいのは、勉強をみることだけではなくて……。そうですね、兄のような存在であってくれれば嬉しい。息子の兄代わりならば、私が学費を出したとしてもおかしくはないでしょう。先ほどの、あの男の子への対応は見事でした」
「弟妹がいる人間ならば、誰でもあの程度はできますよ」
「ご謙遜を。迷子の不安を取り除いて、肩車で笑顔を取り戻すなんて、なかなかできることではないですよ。そのスキルでぜひ、息子も笑顔にしてやってください」
「肩車がお好きなんですか?」
「どうでしょう……。ちょっと難しいかもしれないですね。なにしろ、今年11歳になりますから」

(……小学5年生か。確かに、ひとり放っておくのは忍びない年齢だな。なるほど、それであの条件か)

 家庭教師というよりも、日常生活におけるサポートがメインの話だと理解する。

「ようやくリハビリが始まったらしいんです。ぜひ、顔を見てやってくれませんか」
 泣いているかのような寂しげな笑顔に返す言葉もなくて、自分に務まるかどうかの自信もなかったけれど。

――一度会ってみて、それから決めてください――

 その言葉に勇気づけられて、気がつけば、次の休みの日に箱根に行くという約束をしていたのだった。
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